第7話

9. クルーピット(Crew Pit)


 クルーピットは、27エキップのクルーたちが民間区で暮らしていた頃の日常を、気軽に再体験できるよう作られたスポットだ。最新の飲食施設を模したレストランやカフェのほか、ボウリング場やカラオケ、音楽スタジオなど幾分健全な娯楽施設もある。

「ここで働く人達だって、みんなサイファを付与されたクルーなんだぜ」

 おしゃれな店内のネオンサインを眺めながら、ユージが呟いた。

「全員氏名がないと思ったら、少し怖い世界だな」

 あまり場の空気を読まずに正論を言って周囲を引かせるのは、イブキの良くない癖だ。

「人のこと言えねぇし。おめーだってそうだろうがよ」

 ユージはなぜか嬉しそうな顔で、イブキの肩を小突いた。


 Dスクワッドは防衛班の男子クルーの中でも、精鋭中の精鋭が集められた部隊として知られている。しかし表向きに姿を現すことは少なく、そのうちの2人がクルーピットに現れるなど珍しいことなのだ。ひときわ身長が高く目立つユージとイブキの2人が揃って店に来たとなれば、注目が集まるのも致し方ない。

「大して仲も良くない僕を、なんでこんな所に連れてきた」

「俺は、イブキとも仲良くなりてぇの! ってか、ウチの部隊もトップの3人が揃ってフルメンバーになったろ。とりあえず面と向かって話すことに、慣れときたかったんだ」

 若干食い気味に近距離から捲し立てるユージの迫力に当てられたように、イブキは露骨に迷惑げな表情をする。

「新人の指導役をやってくれとか、そういうのは勘弁してほしい。その手の仕事は、一切引き受けないって決めてる」

「勿体ないよなぁ。おめーさ、俺からしてみたら何でも持ってるだろ!? 女子しか乗れないアイコンブレイバーはさておき、2機のステラドミナと全量産機にLAGできる適性なんてさ、他のクルーは誰も持ってねぇ」

「おまえだって、準幹部になったろう。入隊から、僅か1年半で……。そっちの方が、全然上だ」

「頑張ったんだよ! いつもいつも、一條ナナカちゃんを見習ってさ」

 コップの水を一気に飲み干して、ユージはため息をつく。……と、

「──そこにいるぞ」

「ぁん!?」

 イブキが指す方向に目をやると、さっき訓練で顔を合わせたガールズオンボード3人の姿があった。不意に自分の名をあらぬ所で耳にしたナナカが、目を丸くしてこっちを見ている。

「おぅユージ!」

「こんばんは、ユージくん」

 一緒にいるリオナとタエが、同時に呼びかける。ナナカはまだ目をまん丸に見開き、言葉を探し続けているようだった。

「……ど、どうも……」

 ユージは照れ笑いしながら、居心地が悪そうに会釈をした。


 空腹だった5人はそれぞれの席で夕食をとり、パーッと発散したい気分だったリオナの提案で、ボウリングを軽く楽しんでから宿舎棟へ戻ることにした。ボウリング場へ向かったのはリオナ、ナナカ、ユージの3人。今夜は早く寝たいタエと、そういうものに参加する意思のまず無いイブキが、必然的に席に残る。

「それじゃ、私、帰る」

 タエはイブキにそうとだけ告げ、すぐに席を立とうとした。

「1人で歩くのか? この時間に島内周回トラムはもう無いし、いくら構内とはいえ物騒だ」

 イブキがそう声をかけるが、タエは聞く耳を持つ気がないようだ。自分から人に話しかける機会など普段はないイブキだが、さすがに続ける。

「点検棟できみの身に起こったことを、もう忘れたって言うのか」

「心配ないですよ。ここから防衛班宿舎棟までの道なんて、私たち以外使いませんし。それに私のことなんて、誰も気にしてないでしょ。嫌々構うなら、やめてくれませんか」

 まるで点検棟やバックヤードでつれなく振る舞われたことに対するお返しのように言い放つと、タエはそのまま店を早足で出て歩き始めた。


「何かあったらどうする。直前に一緒にいた人間が、必ず証言を求められるだろう。仮に今何かしらの出来事が起こったら、僕がそうなる。──勘弁だね」

 帰り道をスタスタと歩くタエの、数メートル後ろをついて歩くイブキが皮肉じみた口調で言う。

「半径3メートル以内に接近しないで。クルー・タリスマンで、本部へ不審者情報として通報します」

 日ごろの優しげな物腰はどこへやら、タエも珍しく刺のある感情をあからさまに態度に出してしまう。

「具合でも悪いのか。どこかが痛いのを、我慢しているみたいな顔だぞ」

「なんでもありません。大きな声出しますよ」

「今、もう出してるだろう」

 普段、こんなに喧喧囂囂と言い合うことなど、他の誰ともしたためしがない。──そう、互いが同じように思っていた。

「ついて来ないで」

「宿舎棟までの道はここしかないんだ。無理だね」

「じゃあここで10分くらい待って、私をやり過ごしてから勝手に帰って」

「人をなんだと思ってる? 何故きみの都合に合わせて、わざわざ僕が動く必要があるんだ」

 と、なんとなく夜の海に目を遣りながら言い放ってから、ふと改めて前方に視線を移す。

 ……いない!?

 慌てて視線を上下させると、さっきまでよりはるか下の方──地面に伏せている、タエの姿があった。

 倒れた!?

「3番機!?」

 本当に、どこかが痛いのを我慢していたのか。もう半径3メートルの言いつけを、素直に守っている場合ではなかった。急いで駆け寄り、脈拍と呼吸と意識がしっかりとあることを確かめる。

「3番機、聞こえるか。無理じゃないなら、身体のどこの様子がおかしいのか教えてくれ」

「背中……が……」

「背中?」

 タエは額に脂汗をうっすらと滲ませ、息を上げながら苦悶の表情を顕にし始めた。

 ──急を要する救命案件かもしれない。イブキは即座に、本部から支給されているリバースGクルーナイフの電源を入れた。それをタエの着衣に当て、背中側から一気に切り裂く。

 その瞬間、顔面の左側に幾分強めの衝撃を突如感じたイブキは後方に弾かれ、尻もちを着いた。

 ──なんだ!?

 身体を起こして、頭の中を整理する。──たぶん、目の前で倒れていたこの子……3番機のオンボードに、頬をぶたれたのだと思う。彼女は、その1発を見舞う余力が精一杯だったようで、また地面に伏すように倒れ込んでいた。

「おい、大丈夫か!?」

「見ないで!!」

 イブキの言葉を遮るように、タエが叫ぶ。

「そんなわけにいかない。痛むか」

 この子の身体に異変が起こっている以上、仕方がない。イブキはクルーナイフで裂いた着衣の生地をさらに破り広げ、

 ──それを見た。いや、見てしまった。

「え、ええ……!?」

 昼光のように明るい、27エキップの街頭夜間照明の下。一瞬だけ、イブキは思わず目を背けてしまう。彼女の真っ白な背中、……いや、真っ白な背中に斜めに刻まれている、有り得ないほど大きな傷痕から。

 痛々しい、どころではない。生きている人の身体に残っていてよい傷とは思えないほど、それは凄惨なものだった。

 タエにはもう抵抗する気力は残っていないようだが、涙を滲ませながら痛恨の表情でイブキを睨みつけている。

「見たの……?」

「──わるい。仕方なかった。……この傷痕が、今も痛むことがあるんだな」

 イブキの問いに悔しげな顔つきを崩さないまま、それでもタエは頷いた。

「……カズヤを呼んで」

「わかった」

 クルー・タリスマンのセンターコールボタンを押し、表示された本部担当リストの”Primal”をタップする。おそらくこれで、数分もすれば指揮官が駆けつけるだろう。

「もし、今の姿勢が少しでも楽なら……カズヤが来るまで、身体を起こさないでいてくれ」

 念のため、イブキはタエにそう言っておいた。服を切り裂いたのは自分だが、うつ伏せの胸元が今にも裏側から覗きそうで、目のやり場に困る。緊急事態とはいえある程度対処の目処が立ち、さすがに羞恥心が仕事をし始めた。

 彼女の素肌からなんとか視線を逸らそうと、服装や髪型を注視してみる。私服の着用が認められているクルーピットへ仲間と出向くために、お洒落をしたのだろう。着ていたのは、幻想的な色合いで花と虹が描かれた、可愛らしいワンピースだった。それを容赦なく倒置重力ナイフで切り裂いてしまったことを、心の中で少しだけ申し訳なく思う。いつもの下ろしたヘアスタイルではなく、アップに纏め上げた髪にも、お揃いのように花のコサージュが舞っていた。

 少しだけ安堵の表情を見せた目の前の少女を案じ、切り開いたドレスから覗く素肌の上に、自分が羽織っていた黒い薄手のジャケットを掛ける。

 それから1、2分も経たないうちに、27エキップの緊急車輌でカズヤが駆けつけた。

「どうした、イブキ」

「彼女が急に倒れて、背中に痛みがあると」

「わかった。さしあたって大きな心配はないだろう。本部のメディカルですぐ処置できる」

 カズヤは、まったく慌てていないようだった。おそらく、過去にも幾度か彼女は今日と同じように倒れたことがあるのかもしれない。

 眼下の暗い海に、ふと目を遣る。不穏な闇を纏ったような陰影を見せつつ揺らぐ海面を、ねっとりと湿った風が吹き抜けていった。



10. 命の重さ(Preciousness of life)


「クルーピットで、デート中だったのか」

 本部棟へ向かう緊急車輌の中で、カズヤがイブキにそう話しかける。タエは少し痛みと混乱が落ち着いたのか、そのまま後部座席で眠っていた。

「まさか。そんな訳ありますか……。3番機とは、たまたま居合わせただけです」

「しかし、緊急時の対処に楽な姿勢の確保、そして掛けてやっていた上着……。もし自分の彼女に対してなら、完璧に近い対応だった、な」

「揶揄わないでくださいよ、あなたまで。いくら僕でも、オンボードとして救命に関する訓練は受けましたし、資格だってあります」

 目を合わさずにそう言うイブキを横目で見ながら、カズヤはフッと笑った。

「Dスクワッドの使命──。おまえにも、ちゃんと身についていたようだな。良かった」

「つねに彼女たちが最前線で戦えるよう支援し、何かが起こったときは身を呈す覚悟で護衛に務める……。これですか」

 カズヤは大きく頷いたあと、少し笑顔になってイブキの顔を見た。

「余所見は、いけないんじゃないですか」

「自動運転だ」


 27エキップには、クルーの健康管理を一貫して行っているメディカル棟がある。しかしそこではなく、組織内医療の中枢を担う本部メディカルセンターにタエは搬送された。本部では主に、戦闘の際に回収した敵機の破片などに付着したDEEPの生体組織を調査・分析している。その他にも、メディカル棟のように開放された空間では執り行えない、何らかの事情に伴う治療や処置を行っているはずだった。

「えっ、彼女はここで治療を……?」

 驚いて、イブキがカズヤにそう訊く。

「不思議に思うのも、無理はない。しかし、おまえもタエの傷を見ただろう?」

 神妙な顔で、イブキは頷いた。

「彼女の傷痕のことは、決して口外するな。詳しくは話せないが、27エキップ基幹規定第8条に抵触する可能性のある案件だ」

 基幹規定第8条──俗にいう「鉄の掟」というやつだ。組織内最重要秘匿案件に関する規定で、クルーの違反は許されない。そもそも恐ろしくて違反の余地などなくて当然、という位の厳格な決まり事だった。

 ──彼女の、……たった1人のクルーの少女の傷痕が、組織内最重要秘匿案件だっていうのか。なんて秘密を、一方的に握らされてしまったんだ。……いや、違う。たぶんその実、自分の意思でそれに歩み寄ってしまったのかもしれない。

「もう、宿舎棟へ帰って寝たほうがいい。──明日か明後日にはおそらく、戦闘の機会が来るぞ」

 カズヤにそう促されるまま、本部の自動運転車に乗せられてイブキは宿舎棟に戻った。


 早く寝ようと思いながらも、宿舎棟の共用リビングでイブキは1人悶々と思考を巡らし続けている。確かに、少しばかり動揺しているのは事実だ。初めて、まともに顔を合わせて会話をした同僚の少女。あんな形で、彼女の甚だ穏やかではない秘密を知ることになるとは。

 それに、偶然触れたあの痛々しいほど細い身体──。できるなら自分が守ってやれないものかと、漠然とだが感じてしまっていた。

 ──なにを考えているんだ……。

 この数時間の間に起こった出来事の情報量があまりに多すぎて、とても整理などできる気がしなかった。

 ──この気持ちはなんなのだろう。あの子のことが、まだ何ひとつ分かっていない自分に対するもどかしさ。彼女についてもっと知りたいという気持ちが瞬時に湧き上がり、頭のなかを支配してしまったこと。そして、それに対する自分の後ろめたさ──。


 この仕事をしていれば、「命の重さ」という言葉は数えきれないほど聞く機会がある。咄嗟に自分の腕で知った彼女の、手ごたえすら感じられないような身体の軽さ。──無論、それが命の重さという言い回しと別段かかわりがあるものではないことはわかっている。

 ただ、上層部からかねて少しだけ聞いていたことがある。「3番機のオンボードは、少女のころ大変な思いをしてきた。それゆえ不自然に打たれ強いところがあるが、理解はしてやってくれ」と、……。

 彼女自身に降りかかり続ける決して幸福とはいえない状況を、おそらくは必死でくぐり抜けてきたのだろう。その途方もない重さにあの小さな身体で耐えながら、微笑みを絶やすことなく生きてきたのかもしれない。

 ──彼女がいつも見せている、凪ぎの海のように穏やかな眼差しと微笑。その瞳の奥に透けて見える、たとえ不遇に見舞われても前を向くことをやめずに生きていきたいと願う、ささやかで穢れのない力。その儚くも強い意思に報いてやれる誰かが、いつか彼女に現れるといい。

「サイファ:TAE-827MB96903S……」

 ──末尾S、……つまり彼女は『特化クルー』だったのか。身近にいるのは、同期のユージ1人だけだと思っていたが……。

 自身のクルー・タリスマンに設けられている連絡先のリストに、たった今読み上げたそのサイファを追加申請する。

 自分がいま生涯を懸けて向き合おうとしている責務の、その本当の意味合いだとか……。そんなものなど、これまでは深く考えたこともなかったし、特に興味を持ったこともなかった。

 でも、意味すら持たない英数字だけの薄っぺらな記号にされてしまった誰かが目の前にいて、そのひとを守りたいのなら。

 その、かけがえのない生きざまを決して薄っぺらなものにはさせないために、自分の役目があるとしたら。

「──行くか」

 あえてその言葉を声に出して口にし、イブキは椅子から立ちあがった。

 ……と、左の頬がヒリヒリと痛むのを、そのとき初めて感じた。タエを介抱しようとして、彼女に勢いよく叩かれた場所だ。

「なんだ、これ……。凄い力だな」

 共用リビングの冷たいおしぼりを拝借して頬に当てながら、こっそりと苦笑いをした。


 その、2時間ほど後のことだった。

「タエちゃん1人にしちゃったけど、ちゃんと帰れたかなぁ」

 ボウリング場の帰り、深夜の柔らかい潮風を頬に感じながら、ナナカたち3人は宿舎棟へ歩いて向かっている。

「イブキがいたんだろ。大丈夫さ」

「なら、いいけど」

 ナナカとユージの会話に割って入るように、リオナが不機嫌な様子を隠さず言う。

「やだ、アイツと2人きりにするとか、一生の不覚……。まさかタエちゃん放ったらかしにされて、何か危ない目に遭ってないかな」

「大丈夫だろ。ああ見えてそんなに薄情じゃないぜ、あの男も」

「いや、それか、アイツがタエちゃんに変なことするかもしれないじゃん!? もし現行犯だったら、あたしが張り倒してやるのに」

「アハハ、そりゃ無ぇな、有り得ない。──俺こそ、イブキとはそんなに親しくしてこなかったけど……。俺がリーダーとして見てる限り、そのとき自分がどうすべきか、冷静に考えて行動をとれる男だよ」

 ユージが自信満々でそう言うので、リオナも少し安堵した顔になる。

「ふーん……なるほどね。でもさユージ、あんたってナナカちゃんのこと、アイドルだった頃好きだった訳でしょ? たとえばこうして毎日会えるようになって、やったぜ! 今すぐにでも付き合いたい! とか、思わないわけ?」

「ん? 思わねぇ」

 とっとと返事が返ってきたので、リオナは拍子抜けしたような顔になった。

「はぁ!? あんた、それでいいの?」

「いいさ。俺はあの頃、ナナカのことを祭り上げられた偶像として崇拝してただけだ。生身の人間として向き合い始めるとさ、あの頃は夢中だったつもりでも仕事の付き合いみたいなもんだったのかな……って思う。だから、実質ここで会ったのが初対面だ。好きになるもならねぇも、仕切り直しだよ。これからさ」

 リオナはユージの予想外の誠実さに、当てられたような表情になる。

「ふーん。ユージあんた、思ったより見どころあんじゃん。良かったね、こういうヤツがナナカちゃんのファンで」

 と、リオナがナナカを振り返ると、当のナナカはひっそり顔を真っ赤にして俯きながら歩いている。もう一度ユージの方を見ると、ユージも赤面して下を向き、さっきまで雄弁だったのが嘘のようだ。

「ちょっと、なに、なんなの2人とも!? あたし、今すぐあんたたち置いて勝手に帰りたくなったんだけど!」

 リオナのひと言に、ナナカとユージが慌てて声を揃える。

「だめ!!」

「置いていくなーー!!」



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