第6話

8. 開戦前夜

(The night before a first day)


 あつい。……熱いよ。焼けてしまう。

 ここから逃がしてほしいのに、なぜみんな私を置いていくの?

 ねえ、笑って遠くに行かないで、私も一緒に──。

 この夢。

 もう何度見ただろうか。まるで現実のように色や感覚が襲ってくるのに、夢の中ですぐ夢だと気づいてしまう。やがて私は身を焼かれながら意識を手放し、そして目覚めるといつもの朝が来ているはずだ。

 夢の中の私はその結末を悟りつつも、熱さと痛みと寂しさのあまり、こう口にしてしまう。

「たすけて、……」

 誰にも聞かれることのない、独り言を呟いた瞬間だった。

 突然そこに現れた誰かが私の手を引き、走る。

──これは……いつもと同じ夢じゃない。

「誰!?」

 答えは返ってこず、その顔を確かめることもできない。ただ、その人は小さく、ひと言私に言った。

「忘れろ! 早く、こんなことは──」


 * * *


 1日の訓練を終えた、夕方のことだ。

「タエちゃん、顔色良くないけどきょうの訓練、きつかった?」

「うん、大丈夫だよリオナちゃん。ちょっと昨夜、よく眠れなかっただけ」

 リオナはいつも朝一番か訓練後、必ずタエのコンディションに言及する。お母さんみたいだな、とナナカは思った。──まあ、本人自身が「タエちゃんの保護者」を自認しているわけだし、無理もないか。

「え〜? タエちゃん、いつも夜にメッセ送っても、だいたい22時過ぎたら寝ちゃって返事来ないのに。珍しいじゃん?」

「寝てはいたの。でもね、夢見が悪くって。今日もなんだか湿度が高そうだね、──そろそろ、何かあるかもしれないよ」

 タエは神妙な表情になり、ヘラヘラ戯けているリオナに対して容赦なく真っ直ぐな視線を向けた。

「え、タエちゃん、何があるっていうの?」

 事情を1つも知らないナナカが、きょとんとした顔で2人に尋ねる。

「あ、ごめんね! この子ね、ときどきこういうこと言うの。今日みたいな天気の日に、あと2、3日経てばDEEPの攻撃があるかもよ、ってこと」

 タエが応じる前に、横からリオナがそう答えた。

「タエちゃん、どういう意味なの?」

 ナナカが改めて尋ねると、タエは外洋の方角に向かい、少し遠い眼差しを向ける。それは、ナナカが幹部ステーションを訪ねたとき指揮官のカズヤが見せた表情に、どことなく似ていた。

「水蒸気の匂いが、いつもと違ってる。『来る』ときの気配が潮の風に混ざる匂いを感じると、頭の奥の方で何かが『鳴く』の。リオナちゃんは、いつも分からないって笑うけど……。ナナカちゃんなら、分かってくれる?」

「え、そんな……。なにも感じないよ」

 急にタエに話を振られ、ナナカは焦ってそう答えた。タエは少し残念そうな顔になり、その後静かに微笑む。

「そっか。やっぱり、私の気のせいみたいだね。なら、いっか! 今夜は面倒なこと考えないで、訓練の疲れを取って寝ないとね」

 タエは明るい表情を精一杯作りながら、更衣室へ早足で向かっていった。時たまこんな発言をするものだから、タエはカズヤやジョシュアにも「変わった子」「天然」などとよく釘を刺される。


 撃墜女王の座を譲ったことがなく、防衛班の他部隊員からも羨望や嫉妬の目を向けられることの多いタエ。思わぬ一面を、彼女に憧れるクルーたちが知ったらどんな反応をするだろう。ナナカは密かに想像し、クスッと笑った。

 と、その背後からリオナが小さな声で囁く。

「ねえナナカちゃん。タエちゃんさ、冗談めかして笑ってたけど──。あの子がああやって今までにも言ってた同じようなこと、ほとんど当たってるんだよ」

「え、えぇ……?」

 ナナカは、思わず冷や汗が滲み出るのを感じた。一体、どんなホラーなんだろう。しかも、ナナカ自身まだ実戦はまるっきり未経験だ。一両日中に敵と戦ってくれと急に言われたところで、はっきり言って困る。

「だからきっと、明日か明後日にはDEEPが攻撃を仕掛けてくるかもよ。念のため準備しておこう、ね」

「う、嘘でしょ……困るよ、そんなの」

 困惑した表情に変わったナナカに、リオナは余裕の笑みを見せる。

「だーいじょうぶ! 死なない、死なないからさ! あたしみたいなポンコツだって、戦えてるんだし」

「リオナちゃんは凄いもん! 全然、カッコ良く戦えてる。私なんて、まだ自分の機体も満足に乗りこなせてないよ……」

「ん〜……。でも心配ないよ、タエちゃんがいるじゃん! ナナカちゃんやあたしがビビってる何秒かの間に、タエちゃんならDEEPを百機は撃破してくれるから!」

 何秒かで、百機……。あまりに適当なことを言ってケラケラ笑うリオナの顔も、よく見ると何箇所かいい感じに引きつっている。母親がブラジル人で元モデルだと言うだけある、その超絶的な美貌も台無しだ。

「だけどさ……そんな状況でタエちゃん、自分の勘をまだ気のせいだと思ってるんだ……」

 さすがに少し呆れてしまい、ナナカもそう言ってため息をつく。

「そういう子なのよ……」

 リオナも、ナナカのそれが伝染ったかのように深くため息をついた。

「勘っていうか、タエちゃんって子供のころ山の近くで育ったらしくて。ほら、あの辺の人って雨の気配とかにすぐ気づくし、そういうのかなって」

「なるほど……こういう部隊にいると、便利っちゃ便利だね」

 たぶん、DEEPが来るとき潮の匂いが微弱に変化していて、それを深層記憶の要領で無意識に覚えてしまったのだろうか。

 ──私も、訓練と実戦経験を積んだらタエちゃんみたいに、敵の匂いが分かるようになるのかな。彼女のように、入隊して数か月でというわけにはいかないだろうけど。


「あたしね、あの子と仲良くしててときどき思うんだ。タエちゃんって子供っぽいところあるし、甘えたがりだったりもするけど、謎も多くてさ」

 ふっと視線を足下に落としながら、リオナが珍しく訥々と語る。

「そう? 女の私が見てもかわいいよ、タエちゃんは。顔がいいもん、私が足元にも及ばないくらいの美少女じゃない? 私、一応アイドルだったのに笑っちゃうくらい普通だし」

「でもさ、時々ね。あたしたちに見えてない何かを見てる……みたいな目をするんだ。その顔を見たらね、少しあたしも不安になっちゃう。この子、いつか1人で遠くへ行ってしまったりしないかなって」

 リオナも、タエのあの眼に気づいていたんだと思った。光が宿っていないように見えつつ、ずっと奥の方で何かをひっそり灯しているような──。

「タエちゃんのこと、絶対に戦いで失いたくないよ。あの子がいなくなったら、たぶんあたしはもうここで戦えない」

 本当は涙でも零したいであろうところを、なんとか苦笑いのような表情でごまかしながらリオナは言った。普通であれば、ここまで友達を褒めるような言い方を、別の友達の前ですることには遠慮が働くだろう。何も包み隠さない正直なリオナのことを素直に信用したい子だな、とナナカは思っていた。

「うん。タエちゃんは失えない。けど私にとっては、リオナちゃんだってそう。同期って言っても私はずっと、2人の背中を追って頑張っていくと思うし」

「ありがと。ちゃんと、話を聞いてくれて。わかってもらえてて良かった。

 だから、正直に言わせてほしいんだ。笑ってもいいし、茶化したっていい。あたしね、タエちゃんのこと──好きなんだ。その気持ちが恋愛なのかどうかは、今はわからない。でも、胸がギュッて痛くなるくらい好きなの」

 ナナカは一瞬だけ驚いたけれど、真剣にそう言うリオナをたとえ冗談でも茶化したり、笑いものにしたりする気持ちにはなれなかった。アイドルグループにいた頃だって、同性のメンバーを本気で好きな女の子たちを、たくさん見てきたから。

「そっか。うん、わかったよ」

「えっ、笑わないの? おかしいとか、変だとか……思わないの?」

「リオナちゃんの好きって気持ちを、誰も否定する権利なんてないんだよ。それに、『好き』ってこの世で1番大切で尊い気持ちだと思うから。それを揶揄ったりなんて、誰もしちゃいけないことだよ」

 ナナカの言葉に、リオナは返事すらできなくなって、笑顔のまま瞼に涙を滲ませている。ナナカがハンカチを手渡すと無言で目頭を何度か押さえ、やっとゆっくり口を開き始めた。

「わかってるんだ……。この気持ちを伝えても、あたしが期待する答えはたぶん、あの子からは返ってこない」

 リオナは溢れる涙を押し殺すように、ひと息つく。

「それでも、あたしはあの子をずっと見守りたいって思うんだろうな。けど、この胸の内を知らせられない辛さにあたし、一生耐えることになるかもしれないの……」

 アイドルだった頃、こんな相談をメンバーの子からも受けた。今の関係性が続いて、気持ちも伝えられればいいのに。でも伝えてしまったら、互いに今通じ合えている思いがどう変わるかわからない──。

「伝わってるよ」

 ナナカは、笑顔でそう言った。

「何ひとつ、言葉で言えていなくても?」

「感情の種類だとか、細かいことはいいの。大事なのは、リオナちゃんがタエちゃんを大切に思ってるってこと」

 そう言い終えると、リオナはナナカを振り返った。ナナカの目にリオナの笑顔と、そして一筋の涙が同時に入ってくる。

「あはは……どうにもならないことを相談すべきじゃないな。でも、話せて少しホッとした。聞いてもらえてよかったよ、ありがとう」

 そんな風にしおらしく言うリオナの背後からナナカはそっと近づき、勢いよく肩を組んだ。

「ねえリオナちゃん、今夜のごはん、いつものケータリングじゃなくてクルーピットにしよ? タエちゃんも誘ってさ」

 27エキップには「クルーピット」という、クルー専用の飲食スポットとささやかな娯楽施設を備えたビルがある。防衛班は多忙でなかなか行くチャンスがなく、出向くことを考えたのは初めてだった。

「そうだね、それがいいな。お腹空いてるから、こんな気持ちになっちゃうのかも」

 リオナはそう言うと、いつもの悪戯っ子のような笑顔をやっと見せた。

「そうと決めたら、早く行こうよナナカちゃん。東京のおしゃれなお店みたいなんだってさ、クルーピットって」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る