第12話 妄執と蒼い焔

(え…何?)


久我の手が青く光り始めた。

ぼんやりと、輪郭が揺らいでいる。

蒼い陽炎を纏ったようだ。


心臓がドクンと、大きく跳ねる。


(自分の意思で、オーラみたいなのが出せるんだ…!?)


とても現実とは思えない蒼焔は、ひどく美しかった。

燐が燃えるような発光色を放つ朧気な光は、次第に大きくなる。

尊は言葉を発することも忘れて見入ってしまう。

焔を纏ったまま、久我の手が尊の胸に触れてくる。


「わ…っ」

「別に熱くはない。じっとしていろ」


確かに見た目のままなら肌が焼けそうだが、焔そのものに熱は無かった。ただ久我の掌の熱と感触はもちろん伝わる。それに身体が反応してしまう。


熱くて滑らかな手が、身体の上を滑っていく――


(えっ、ちょっと何か、ヤバい――かも)


鼓動が高鳴りすぎて。

心臓が、どうにかなるんじゃないかと思った。

それが相手に伝わるのではと焦りながら、必死に何ともない素振りを貫こうとした。

しばらくすると、久我の手が腰の辺りに降り、そこで止まった。


「お前、腰を傷めたことがあるか?」

「え、ああ…ギックリ腰みたいなのはある。重い小麦粉の袋とか持つから」

「身体の弱い部分に邪気は入り込むんだ。ここに俺の気を送るぞ」


そう言って久我がまた目を閉じる。


「わっ、ちょっ」


掌が当てられた箇所から、肌の熱以外のモノが伝わり始めた。

ジワリと、身体に浸透する感覚を何と言えばいいのか分からない。


「えっえっ、何これ…」

「馬鹿、暴れるな」

「そ、んなこと、言われても…っ、」


触れられた所からざわりと鳥肌が立った。

熱い何かを身体の中に送り込まれている。内側をくすぐられるような不思議な感覚。


(わわっ、どうしよう。オレ、感じてんのか…?)


久我の手が尊の腰を抱くように動く。

顔が熱くなる。

ゆっくりと撫でられて、突き上げてくる衝動が抑えられない。不可思議な内側の熱は、ハッキリと快楽を伝えてくる。


(身体が熱い…!)


ドクン、ドクンと身体を流れる血の音が頭の中に響く。

迫り上がってくる何かが、尊の意識を遠のかせ始める。


(ヤバい、この感じ…あの酒を飲んだ時と同じ――?)


目眩がする。


ドクン、と自らの鼓動が頭を打つように響く。


心臓の音がうるさい――


思考がゆっくりと、沈んでいく。


(ジャマを、しないデ…)


入れ替わるように誰かの声が湧き上がる。


尊が、自分の周りに漂う香りに意識を集中しようとした時、


瞼の裏で光が疾った。




「……サワルナ、と言ったハズ……!」


怒りをあらわにして縛られた腕を強く引く。

ギシッとベッドが音を立て、その身体が大きく跳ねた。

凶暴そうな唸り声を洩らすその姿は、すでに尊ではないことを告げていた。


「――あれほど眠るなと言ったのに、あっさり乗っ取られやがって」


全く仕方のない奴だ……だが、この方がこちらとしてはやり易いと、久我はそう思った。消し去る対象が視認できる方が集中しやすいのは確かだ。


永い間彷徨い続けた魂は人間としての記憶が薄れていく。

何を望み、どんな無念を抱えていたかも次第に忘れ、ただ未練だけが凝り固まった「何か」へと変化する。

世に言われる、悪霊、怨霊、鬼…そんな呼び名を与えられ、ますます生前の心は喪われてしまう。

姿形も。

憑りつかれ、牙をむき唸る尊の姿は、まるで鬼のようだった。


「そこはお前の居る場所じゃない――あるべき場所へ還れ…!」


自分の声に憎しみが混じるのを久我は意識した。

除霊は仕事と割り切っているつもりなのに――何度霊と対峙してもこの感情を止められない。

何かに執着して本来の自分を忘れた魂ほど醜いものはないと思っている。

だから消す。それだけだ。

久我は先刻のようにソレの上に馬乗りになった。


「ワタシは、ウバワレタ。スベテを――

ワタシは、ずっと、ズット――」


女の声が、まるで感情がある人間の様に言葉を紡ぐ。

この霊にはまだ少し人間としての記憶があるようだった。

久我は眉根を曇らせた。


「執着が自分を縛っていると、何故分からない?」


愚かだと思う。

何もかも終わったことに気付かずに、残り火のような魂で報われない記憶に縋りついている。それが自分を苦しめているのに。

除霊をする時、久我はいつも怒りの感情に苛まれる。

死を受け入れられないその姿が醜悪で、視るに堪えない。

人間という命は本当に――どうしようもないと、思わずにいられない。

――そう、自分を含めて。


『……分かってる。苦しいんだよな』


掌の蒼焔が大きく揺れた。

久我でもない、女でもない声が聞こえて――その場を支配したからだ。

二人とも動けなくなった。


『もういいんだ…もう眠っていい』


「女」だったモノは硬直したように目を見開いたまま、天井を凝視している。


『その人は、先に行って待ってるよ』


(この声は――アイツか……!)


口から零れる声は、尊だった。

その声に促されるように、久我は呪符を取り出し尊の額に載せると共に、尊の腰に強く掌を押し当てた。

蒼い焔が大きく燃えるように広がる。


「ウ…っ、ウウッ」


焔が染み込むように、尊の身体を包んで消える。


「ワタシハ、マッテ――ずっと、待って……」


もう一度女の声がした。

久我が顔を覗き込むと、救いを求めて縋りつく瞳がそこにあった。

儚い望みを絶たれた若い娘の貌。

強く、深い、哀しみの表情。

亡者の醜い妄執がその一瞬だけは消えていた。


「あの人は、どこ……?」


涙が一筋、尊の頬を伝った。

誰のことを探しているのか分からないが、それが此の世を彷徨う理由だったらしい。

久我は掌で瞼を覆い、その瞳を閉じた。


「眠れ」


女の声は聞こえなくなった。

代わりに、規則正しい小さな寝息がその場に流れ始めた……。


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