第11話 紫煙は彼岸へと
ところで除霊ってどうやるんだ?と、そう思いながら改めて久我を見ると、当人はのんびりと煙草に火を付けたところだった。
落ち着いた仕種でゆっくりと煙を燻らせている。
「何だよ、すぐにやらないのか?」
「これも準備だ」
「準備?煙草が?」
「お前は知らないだろうが霊ってのはある種の香や煙に弱い。コレは少し特別な煙草で、まあ線香代わりだな。場を浄めるのと、少しでも大人しくさせる為の俺の手順のひとつだ」
「ふうん、そうなんだ……クローブの香りがする。ヨーロッパでも魔除けに使われてたし、何となく共通のイメージがあるのかな」
尊が匂いに反応すると、御神酒を飲ませた時と同様に久我の表情が変わった。
「…お前、舌と鼻だけはやけに鋭いな」
「それが唯一の取柄なんでね」
久我は尊の職業を知らないので少し不思議そうな顔をしている。
尊は視える目を持ってはいるが、霊に対する知識は乏しい。これまでに尋ねた神社系のお祓いとは大分アプローチが違うなと思った。こういうのにも派閥というか流派があるってことか…久我は仏教系なんだろうかと素朴な疑問が頭に浮かぶ。終わったら色々訊いてみたかった。
その煙草は確かに一種独特な香りを漂わせている。
少し甘く、絡みつくようなスパイス系の香り。
お香ほど重くはないがクローブ以外は何が入ってるんだろう、と匂いの正体を考えていた時「これも飲め」と、どこに隠していたのか、久我がグラスに入った琥珀色の液体を差し出してきた。
「えっ、これってアレだろ、さっきの御神酒」
「そうだ」
「だってこれを飲むと、オレはまた意識が無くなって暴れちゃうんじゃ…」
「それが狙いだからな」
「え?」
何を考えているのか、涼しい顔で久我は言う。
「お前に憑いているヤツは、存在を消せるくらいお前の奥に入り込んでる。このままだとどうにも祓いにくい。だから、もう一度眠ってもらってヤツを呼び出す」
「あー…」
成程、と思う。
だが正直、意識がないところで事が運ぶのは抵抗があった。何が起きたか自分では分からないまま全てが終わってしまうのかと思うと、何となくモヤモヤする。
「うーん、方法はそれしかない…?」
「不満そうだな」
「出来れば、どうなるかちゃんと見届けたいなと思って」
「……」
久我がどうやって除霊するのか見てみたい。
普通の人間と何が違うのか直接この目で確かめたい、そんな気持ちもあった。
それに、自分が無理やり引っ張ってきた霊だ。他人に全てお任せにせず最期くらいきちんと見送ってあげたい気がした。
はあ、と久我がまた大きな溜息を吐く。
「…本当に手が掛かる」
「うっ、申し訳ない…やっぱり我儘か。それしか手が無いなら良いんだけどさ」
「…お前がそうしたいと言ったってことを、忘れるなよ」
「うん?」
尊は目を疑った。
久我が尊のシャツのボタンを外し始めたのだ。
「……え?何してんの??」
「準備に決まってるだろ。お前の望み通り眠らせないで祓うなら、肌に直接触らないと無理だ」
「……あ、そうなの?」
「何か言いたい事があるか?セクハラだとか、人権無視だとか」
「……ありません」
あははと笑ってみたが顔が引きつる。
そうか、触られるのかと思ったら急に落ち着かない気分になった。
「ヤツは存在を消せるくらい、お前の中にがっちり入り込んでるからな。精神まで浸食されないよう気を付けろ」
咥え煙草のままで至近距離だ。顔が近い。
真剣味を帯びた口調も相まって妙にドキリとする。
「気を付けろって言ったって、どうやって?」
「眠るなよ」
シンプル過ぎる助言だった。揶揄われてるのかと思う。
「もう少し役に立ちそうなアドバイス無いの?」
「…なら、この匂いに意識を集中したらどうだ?」
久我が煙草を指に挟んで目の前にかざす。
「お前は人より強く匂いを感じられるから、それが現実との繋がりを強める鍵になるんじゃないか? 逆に霊にとってこの煙は、彼岸の世界へ上るための道標なんだ。同じ身体の中にいても、この香りが意味するところは真逆になる。身体の支配権を持っているお前が、香りの持つ意味を強く意識すれば――少しはアイツへのプレッシャーになるかもな」
久我の言うことの意味が急には理解しきれない。
「彼岸への道標とか…よく分からないけど、まあ、とにかくヤバくなったら煙草の香りに意識を集中してろってことだよな?」
泣きそうな声を出す尊に対して、久我は唇の端を上げて笑った。
「気を確かに保て。ヤツの記憶に同調するな。魂を乗っ取られたくなかったらな」
目を合わせながら強い口調でそう告げられる。
「…分かったよ、何とか頑張ってみる」
心と身体を奪われる――すでに一度身体の自由は奪われている訳で、またそうなってしまって取り返せないような事になったら?
想像すると背筋がゾクリとした。
(彼女の記憶、か)
確かに、眠っていた時に夢を見ていた気がする。
でも想い出せない。
とても大事なことを忘れているような気分だ。
彼女はどういう生まれの人なんだろう。
武家の娘?それとも町人とか?
着物は刺繍が凝っていて綺麗なものだから、一般の農民とかじゃなさそうだよな。
どうして切り殺されたんだ?江戸時代って辻斬りとか意外と多かったり?
それとも幕末とか世の中が大変な時代に生きていた人なのかな…。
あれこれ考えてしまい、ハッとする。
(記憶に同調するな)
そう言われたばかりだった。
こんな風に考えること自体、相手に同調することになるんだろうかと慌てて思考を止める。
いつの間にか尊のシャツは全開になり、すっかり前をはだけられた。久我の顔つきが変わったのでもう文句を言ったり出来る空気でもない。
「何があっても――少し静かにしてろ」
真剣な眼差しを受けて、尊も黙って頷いた。
「オン、ソチリシュタソワカ…」
妙見菩薩の真言を唱える久我が集中するように目を閉じて、右手の掌を尊の顔前にかざす。
心臓の鼓動が一層速くなる。何が起きるんだろうか。
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