第10話 これって色々ヤバいかも
「……えっ……?」
「え」
尊が目を覚ますと――自分の身体の上に馬乗りになっている男が見えた。
あの男だった。紳士的な態度で人を騙したバーテンダー。
「……アンタ、一体オレに何を…えっ、何これ…ブッ!?」
「騒ぐな。静かにしろ」
驚いて大声を出そうとした尊の口は、久我の掌で押さえつけられた。
「何の真似…むぐっ!」
「いいか?落ち着け。どう見ても乱暴される寸前、みたいな状況だが、俺はそういうことがしたい訳じゃない。分かるな?」
元々強面な久我の真顔がアップで迫ってくる。力も強く、正直恐ろしい以外の何者でもない。分かるな?と言われても何のことやら全く意味が分からない。
(これ、どういう状況!?)
「このタイミングで元に戻るのかよ…」
混乱して暴れる尊とは対照的に、何故か非常にガッカリしてやる気を失っている久我の姿が、尊には理解不能だ。
何か言いたくても声が出せない。
じたばたとベッドの上でもがいてみるが、腕を縛られ、自分よりひと回り体の大きな久我に上から押さえつけられているこの体勢ではどうにも出来ず、屈辱的で悔しかった。もし自分が女性なら、まるで犯される寸前の構図でしかない。
――悪い夢を見てるみたいだ、と苦しい息の下で思う。
眠らされたのはこんなことをする為なのか?
何がしたいんだ、この男は??
言葉にならない想いが、ぐるぐると渦巻く。
「一応、言っておくが、この建物は防音効果が高い。叫んでも周りに聞こえることはないから、大声を出しても無意味だぞ?」
(……それドラマとかで犯罪者が言うヤツ!)
ダメ押しの一言で尊の顔から一気に血の気が引く。
自分の言動が相手を落ち着かせることに悉く失敗していると、ここでようやく久我は気付いたらしい。
「とにかく!俺は除霊をしようとしただけだ!お前が暴れたりしなければこんな事にはならなかったんだぞ」
「……え……?」
思いもよらない言葉を聞いて、尊は呆然としてしまう。
(今、除霊、って言った?)
「……きちんと説明するから、とにかく叫ぶな。いいか?」
声のトーンを落とし、怯える尊に言い聞かせるように囁く。こちらを見詰める瞳には真剣な思いを感じさせる何かがあった。
困惑しつつも尊が小さく頷くと、久我はゆっくりと口から手を離した。
「………」
二人の間に沈黙が落ちる。
「クソ……なんて夜だ」
肩を落とし溜息を吐いた久我に、
「……それ、こっちのセリフなんですけど……?」
そう言い返すことしか、今の尊に出来ることはなかった。
* * *
ようやく落ち着いて話が出来る状況になったはず、だったのだが――状況は全く変わっていなかった。
尊は相変わらず拘束されたままだ。
「ちょっと!ちゃんと説明する気なら、まずはこの態勢を何とかしろ!ネクタイ解け!人権侵害!」
いつまでたっても自分を自由にしようとしないのは、明らかにおかしい。尊はベッドの上で暴れながら叫んで、人間として至極当然の抗議をした。
「お前は暴れる可能性がまだあるからな。その訴えは却下だ」
そんな尊の訴えをあっさり受け流し、さてどうしたものかと見下ろしてくる久我の態度がまた腹立たしい。
「オレが暴れる?」
「……本当に覚えていないんだな」
ふぅんと何か言いたげに尊を見てくるその視線は、良くいえば患者を診る医者のようでもあり、悪くいえば実験動物を見る危ない科学者のようで――何とも落ち着かない気分にさせる。
先刻、その瞳にほんの一瞬でも誠実さのようなものを感じたのは気のせいだったのかもしれないと思えてくる。
(だけど除霊する気だったってことは……この人、オレに憑いてるアレがはっきり視えたんだよな)
尊からすれば生まれて初めて出会う、自分以外の能力者だ。
しかも除霊が出来ると、はっきり言っている。
自分をこんな目に合わせているからこそ、久我の言葉が信じられるのは皮肉なことではある。本当にマズいモノが視えていなければ、こんな乱暴な手段を取ったりしないだろう。
これまでの人生で、尊も自分なりに色々な努力はしたつもりだった。自分で何とか出来ないかと、滝行やらお祓いやら、効果があると噂の魔除けグッズを買ってみたり。色々な神社の神職や占い師、霊能力者だと評判の人物を訪ねてみたりしたこともあるが、いくら探しても除霊できるほど力の強い『本物』には出会えなかった。
だからこの男は――尊にとって待ち望んでいた『本物』であり、奇跡の出会いとも言える。本当だったら素直に喜んで、どうかよろしくお願いしますと涙ながらに依頼したい所なのだが……今のところ、この男とは全くそういう雰囲気になれそうな気がしなかった。
残念な現実に、この先どうしたらいいのかまだはっきりと判断がつきかねている。
「そもそもお前に飲ませた酒は邪霊に効く特別な御神酒だったんだが、何故かそれでお前まで意識を失うし、霊に身体を乗っ取られて暴れるしでこっちは大変だった訳だ。…お前、酒に弱い体質か?」
「うーん…まあ確かに強くはないけど、一杯で意識が無くなるほど弱くもないよ。ただあれを飲んだ時はすごく気持ち良くなっちゃって…気が付いたら倒れてた、みたいな?」
「前にもこうなったことはあるのか?何かに憑依されて別人格が表に出るような――」
「自分で自覚してる限りでは無い。…でも一人暮らしだから夜寝てる間にどうなってたかとかは分からない。今回みたいに他人に憑いてるモノを自分に引き寄せたのは初めてじゃないけど、周囲に迷惑をかけたことは無いと思う」
久我の顔色が変わった。
「……引き寄せた?」
「悪いのに憑りつかれてて具合悪そうな人とか見ると、ほっとけなくてつい。こっちに来いって念じると、俺の方に来るから。しばらくすると消えるし、それならいいかなって思ってて」
「……いいかな?だと……?」
久我の表情がみるみる険しくなり、物凄い顔でこちらを睨んでくる。
その形相に驚いた尊は、びくりと体を震わせ何も言えなくなってしまった。
(……何で怒ってんの、この人!?)
「お前、自分がどれだけ馬鹿なことをしてるか、分かってるか……いや、分かってたらそんなことする訳がないよな。本物の馬鹿なのか……?」
呆れ果てたような容赦のない物言いをされ、これには尊もムッとする。
「ちょっと!馬鹿馬鹿言い過ぎ。初対面の人間にそんなこと言われる筋合いないんだけど?オレの勝手だろ」
はぁー…と盛大な溜息が漏れた。
「……手のつけられない阿呆だ、ということは分かった」
「はぁ!?」
縛られた体勢のまま、ベッド脇に座っている久我を睨みつける。
初めて出会った同類なのに、どうにも相性が悪そうな予感しかない。
「自分で祓うことも出来ないくせに、自分の心と体を喰らわせてやるなんて…阿保でなかったら、余程の聖人君子なのか?現にお前はさっきまで死にそうな状態になってただろうが」
「っ、喰らわせるって…そんな大袈裟な。ほんの二、三日体調が悪くなるだけだよ」
「それが甘いって言ってるんだ」
は、と再び呆れた声音で久我が嗤う。
「……お前、そのままだと取り殺されるぞ」
「ええっ!?」
突然の宣言に、驚いて久我を見返した。
「どんなヤツが憑いてると思う?」
先程までとは違う真剣な声に、ドキリとする。尊も怒りを忘れ、必死に記憶を呼び起こす。
「え…若い女の人、二十代くらい?レトロな着物を着てたと思う。長い髪を下ろしてて、顔はぼんやりだけど…」
「それだけか?」
「?」
何を言わんとしているのか分からなかった。
「右肩から斜めに刀傷がある。斬り殺されたんだろう。着ている着物から推察するに、多分江戸から幕末にかけてくらいの人間じゃないかと思う」
「刀傷!?」
尊の目にはそんな姿は映らなかった。
ただ哀しげに佇む様子しか――
「そんなの視えなかった」
「お前には死んだ時じゃなく、生前の姿が視えるってことか?」
「分からないよ。今までは、同じモノが視える人がいなかったから、確かめようもない」
「……そうか」
それはともかく、と久我は一度言葉を切る。
「かなり古い霊だってところもヤバいが、さらに若くして殺されたってこともヤバい。今に至るまで、消えないほどの怨念があるってことだ。それを暢気に二、三日で消えるとは、おめでたいにも程があるな」
「えっ、でも…今は何ともないぞ?それにこれまでだって、自然消滅してたし……」
「何ともないのは霊が自分から鳴りを潜めているからだ。それにお前がこれまで消してきた霊に、こういう古い霊はいたか?」
「………いない、かも」
改めて考えてみると確かにそうだった。
これまで尊が呼び込んだ霊は、今時な感じの服装をしていて、特に違和感はなかった。古くても昭和世代までだろう。
「そんなにヤバい、のかな…?」
「まぁ普通にヤバいな」
この人のいう普通ってどの程度のレベルなんだ…と思いながら、自分がこれまで関わってきたモノ達と同じに考えない方がいいということは何となく伝わってきた。
ゴクリと唾をのむ。
「……じゃあ、分かった。やっていいよ」
「やっていい、とは?」
「だから!お祓いだよ。最初からやるつもりだったんだろ?」
尊からすると、この横柄で口の悪い男の言いなりになるのはどうにも面白くない。
だが、嘘は言っていない、と。
そう思える深刻さが、言葉の中に見え隠れするのは確かだ。
そんな複雑な感情が入り混じり、素直にお願いしますとは言えなくなってしまう。
「ふぅん。やっていいとは随分上から目線だな……お願いするならそれなりの頼み方ってものがあるんじゃないか?」
そんな尊の感情など手に取るように分かっているような口ぶりだった。
薄笑いを浮かべているのがまた腹立たしい。
「あ〜もう!分かったよ……ちゃんと頼めばいいんだろ」
ゴホンと咳払いをして仕切り直す。
「えっと、除霊してくださぁ〜い、お願いしますぅ〜」
悔しいのでちょっと茶化してみた。
「………今すぐ死にたいなら俺は別に構わないが」
「うわぁ、ウソウソ!お願いします!出来るなら是非とも!除霊お願いします」
「やっぱり馬鹿だろう、お前」
そう言いながら久我が少し笑ったので驚いた。
バーテンダーの時のような営業スマイルではない素の笑顔は、尊の気持ちを少しだけ――ほんの少しだけ軽くさせる威力があった。
「こんなに手間のかかる客は初めてだ」
やれやれと肩をすくめた久我は、立ち上がって尊を見下ろす。
これまでずっと。
家族にも友達にも、誰も自分と同じモノを視ることができる人はいなくて。
本当のことを言えば困った顔をされて、どう扱ったらいいのか分からない子供だと思われた。
怯えられ、拒絶され、顔を背けられ――
だから誰にも何も言わなくなって。
「始めるか」
鼓動が速くなる。
いったい何をどうするのか見当もつかず、ただ久我を見詰めることしか出来なかった。
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