第四十七怪 半人半獣の午後③

「つまり、この俺のサテュロスの体は、体の機能を全て備えているし、外観も体にしか見えないが、魔術的定義上においては体ではないと?」

「たぶん・・・」

 俺の禅問答のような問いにムラサメは自信無さげに応える。


 ムラサメの推測によると、どうやら、俺のろくろ首としての種族特性がムラサメの能力と干渉した結果、誤作動を引き起こしたらしい。俺のこのサテュロスの体は、体に見えるだけで実はあくまで「首」の変形したものに過ぎないらしい。少なくとも俺のろくろ首としての性質上は、「首」として定義されるし、その定義において魔術的効果が再編されてしまった・・・とかなんとか。


 よく分からないが、とにかくサテュロスの体を生やして手足があっても、俺は魔術的には生首のままなのだ。その結果、魔術的には契約獣の肉体を手に入れたとは見なされず、これはムラサメの側の契約において債務不履行ということになってしまうのだとか。


「悪いが、俺にはさっぱり理解できない」

「まあ、理論的な事はともかく、お父様は何も代償を払わずに、首を伸ばしたり縮めたりするスキルでサテュロスの体を自由に生やしたり引っ込めたり出来るようになったってことさ」

「そっか、・・・それはそれでなんかムラサメに悪いことしちゃった気がするな」

「いいよぉ。僕が勝手に興味本位で実験してただけだもん。・・・お父様の体を使って」

 なんか、そう聞くと腹立ってくるな・・・。いきなり首を切り落としたりするし。


「ところで、モリアン君」

 俺は未だにひっしりと抱き締めているモリアン君を見下ろす。俺の呼吸に合わせて銀灰色の髪がフワフワと柔らかく揺れる。

「は、はい」

 モリアン君はだいぶん落ち着いたようだった。だが、どこか不安げな様子で俺の首元を指でなぞる。ちょっと、こそばゆい。

「あー、大丈夫だよ。俺は元々頭部だけが本体だからさ。首と胴体を切り離されても問題ないんだよ」

「そんなこと言われても・・・不安になります」

 そりゃそうだ。少なくとも心臓に良い光景ではないだろう。まあ、でも慣れだと思うんだよなぁ。こういうのって。


「って、そういう話じゃなくて。さっきいきなりムラサメに斬られたから聞きそびれたけど、モリアン君って・・・実は女の子だったりしますか?」

 俺の問いに、モリアン君は少し顔を赤らめる。

「すみません。紛らわしくて。よく男の子に間違えられるんですが・・・その方が便利なことが多くて、そのまま勘違いに乗っかってしまう癖がついちゃってて」

「あ、いや、別に責めてるわけじゃないから。いやぁ、でも、そうかあ。女の子だったかぁ」

 つまり、キゾティー族のボス、サワラザールとの戦いの最中に俺がキスされた相手は合法ショタではなく、合法ボクっ娘だったわけである。まあ、あの時の俺は女性であるエイロフさんのゾンビ体を着ていたから、どの道倒錯的出来事である点に変わりはないのだが。

 しかし、今までは何とも思わなかったのだが、サテュロス化で体を手に入れたせいか、心臓の鼓動を意識するようになった途端、やけにモリアン君が可愛く思えてくる。いや、もう君呼びするべきじゃないな。


 などと、俺が悶々と考えていると、

「お父様。お父様。モリアンと二人きりで話がしたいんだけど、良いかな?」

 と、ムラサメが言い出す。

 猛烈に嫌な予感がした俺は、モリアンを一層キュッと抱きしめた。

「ダメです。俺が聞いてる所で話しなさい」

「んんー・・・仕方ない。・・・モリアン、その足治したくないかい?」

「えっ? 治せるんですか?」

「治せるよ! サテュロス化すれば、瀕死の重傷からも元気溌溂四肢完備の健康体になれるよ!」

「ム~ラ~サ~メ~」

 ムラサメに向かって俺は怒気を浴びせるが、ムラサメは蛙の面に水という様子で飄々としている。


「お父様。僕はモリアンの意見を聞いてるんだよ。モリアンの自主性と本音を大事にしてあげようよ! 今のままだとモリアンは文字通り足を引っ張るお荷物だよ。お父様の負担になってしまうもの。でもサテュロス化して健全な四肢を手に入れたら松葉杖を使う必要もお父様に無駄に心配をかける必要もないよ。それに、爆発的な戦闘力の上昇も見込めるんだから。もちろん、モリアンがこのままお父様に一方的に甘える関係を続けたいなら、足を治すなんてしない方が良いと思うけどね! 僕はモリアン自身の希望を最大限尊重するよ!」

 言ってることは間違ってないのだろうが、あまりにも悪意があり過ぎる。

 そんなことを言われたら、当然モリアンは・・・

「っ! ボク、サテュロスになりたいです」

「え? そう? まあ、モリアンがどうしてもって言うなら~」

 ムラサメが白々しく、そんなことを言うので、

「おいこら。待てやこら」

 俺はムラサメにパチンとデコピンをかます。

「うわぁ、お父様が僕のこと、ぶったぁあああ。児童虐待だ。体罰だ。酷い」

 鋼鉄の魔剣がデコピンされたくらいで痛みを感じるはずも無いだろうに、ムラサメは大袈裟に泣き喚く。

「ちょっ、デコピンくらいで、人聞きの悪いこと言うんじゃありません!」

「・・・スズカ君。ムラサメ君はボクのことを思って言ってくれてるのに・・・今のは可哀想だよ」

「えー・・・」

 モリアンがムラサメに同情的になってしまっては、俺の立つ瀬が無い。


「いやいや、モリアン。冷静に考えてごらん。モリアンは人間の世界に帰りたいんだろう? だったら人間のままでいなきゃ。サテュロスになったらもう人間の世界には戻してあげられなくなるよ。そうなったら、一生俺とこのロークビ高原で暮らすことになるんだよ!?」

「・・・ふ、ふつつかものですが、どうぞよろしくお願いします」

「ぐはっ」

 俺の心臓にクリティカルヒット。


「ねえ、茶番はもうそれくらいで良いかな?」

 いつの間にやら泣き止んでケロリとしているムラサメが茶化してくる。

「お前なあ・・・」

「まあまあ、お父様。そんなに怒らないでよ。・・・お望みなら、僕の分身体をモリアンの脳内に刺して思考制御すれば、モリアンをお父様のことが好き好き大好きな雌にしちゃうことも・・・」

「そんなことしたら、マジでお前を叩きおるからな?」

 小声で邪な誘惑をしてくるムラサメに対して、俺は能面のような笑みでそう告げる。これは本気だ。例えムラサメとて許しはしない。死刑だ。

「や、やだなあ、お父様ったら。ただの冗談だよぉ。お父様がそういう人じゃないことは分かってるってば~」

 どうだか。この魔剣は愛嬌を振りまいている割に、あまりにも性質が悪魔的すぎるようなのだ。


「モリアン。一時の感情で決めちゃいけないよ。人間の世界に残してきた家族や友人だっているんじゃないのか? その人達とも会えなくなるし、もしその人達がモリアンが人外の存在になってしまったと知ったら悲しむだろ?」

 俺はなおもモリアンに翻意を促すが。

「ボク、友達いないです。家族は姉が二人いるんですけど、たぶんボクが半人半獣の生き物になったって知ったら、二人とも面白がってゲラゲラ笑いながら、『ええ~、良いなぁ、私もなってみたいな~』とか言い出すタイプです」

「えぇ・・・」

 どんな姉妹だよ。ドン引きするわ。っていうか、モリアンが引っ込み思案になった理由って、その姉二人の影響なんじゃ。


「それに・・・唯一仲間と言えたのは銀の鋼のパーティーメンバーだけで。それもクロムさんとシーボギーさんはボクの力不足で死んじゃって、タングーサさんもサテュロスになって、僕だけが人間のまま帰還して生きていくなんて・・・そんなの嫌だ」

「いや、気持ちは分かるけどさ。ほら、そこは死んだ仲間の分も自分が懸命に生きていこう!・・・って感じになるべき・・・とかなんとかよく言うじゃん?」

 切々と感情を吐露するモリアンに俺の浅すぎる言葉が説得力を持つわけも無く。

「そうなんです! だからボクもそうすべきかなって! このままピレネスに帰った所で片足のままじゃ戦業士は続けられません。そしたら故郷に帰ってお姉ちゃんたちにおんぶにだっこの人生を鬱屈して過ごすだけなんです。でも、サテュロスになったら、ボクもスズカ君の役に立てるんですよね? ここにいても良いんですよね?」

「えっと・・・」

 モリアンに迫られて、俺はたじたじとなってしまう。

 しかし、モリアンってこんな饒舌な子だったとは。


「それとも・・・ボク、邪魔ですか?」


 上目遣いの潤んだ瞳が、俺を見つめる。


「うぐっ・・・・・・邪魔じゃないです」

 俺は降参した。

「はい。お父様の負け~。じゃあ、モリアンさっさと契約しちゃおうね?」

「はい。よろしくお願いします」

「いや、ちょっと待つんだ。今すぐやらなきゃいけないわけじゃないだろ? ほら、数日じっくり考えてからでも・・・」

 俺は制止をかけるが。

「じゃあ、刺すね~」

「はい」

 ムラサメは俺の言葉を無視して、モリアンの胸にぶっ刺さる。

「って、おおおい! ちょっとは人の話を聞けよ!」


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 例の如く、俺の目の前で変身魔法少女的なシーンを展開した後、モリアンはすっかりサテュロスとなってしまった。足は両足が生えている。基本的にはタングーサと同じ山羊タイプのサテュロスだが、トリノクルスとしての性質は引き継いでいるらしく、サテュロス化しても眼が三つある。


「う、うわぁ、本当に角生えてる・・・」

 モリアンは、ちょっと恥ずかしげな様子で、鏡の中の自分を確認していた。

「それに・・・なんか、ボク、大人っぽくなってる?」

 モリアンの疑問はもっともだった。

 人間形態の時は―――正確には、トリノクルス形態の時だが―――実年齢18歳見た目年齢13歳くらいだったのが、背丈がぐっと伸びて実年齢に近い印象を受ける。胸の方は相変わらずの慎ましさだが、それでも服の上から存在が分かるくらいにはなっていた。顔も変わらず中性的だが、全体の骨格や肉の付き方がうっすらと異性っぽさを漂わせていて、俺の本能を激しく刺激する。


「なあ、モリアン」

 俺は熱に浮かされたように、鏡をのぞくモリアンの背後から腕を回してモリアンを抱き締めてしまった。・・・いや、まじで何やってんだろうか。・・・っていうか、よく考えると俺って今服着てないから実は全裸なんだよな。サテュロスの下半身はモフモフな山羊の毛で覆われているから、色々隠れているってだけで。

「あっ、スズカ君・・・」

 モリアンが顔を赤らめながら、俺の方を向く。そして、両眼を閉じて唇を俺に向かって晒す。なぜか額の瞳だけは俺をガン見しているが。


 ・・・良いんだよな? これって、そういうことだよな? 


「うわぁああ。ボス! あれ何だよ? 何だよ、あれ!」


 俺の唇がもう少しで、モリアンと重なりそうになった時、背後からエルガー君の動転する声が炸裂した。・・・タイミングが最悪だ。

「ほらほらぁ、お父様もモリアンもエルガーなんて気にせず、ぶちゅっとやっちゃいなよ~」

 横を見ると、ムラサメが俺たちの横に突っ立って、俺とモリアンの方をジィーと見つめていた。

「うっ」

 モリアンは顔を真っ赤にして、すっとそっぽを向いてしまう。もはやそういう雰囲気は完全崩壊である。


 で、エルガー君が何に仰天していたかと言うと・・・。

「ああ、それね。それ、俺の死体だから気にしなくて良いよ」

「えっ? ボスの死体? いやでも、ボスは・・・。えっ?」

「まあなんだ、俺にも魔術理論はよく分からないんだが、どうやら俺は、俺の肉でサテュロスの首なし死体を作れるようになったらしい・・・」

「えええぇ・・・」

 困惑していたエルガー君の表情がドン引きしている人間の表情に変わった。


 どうやら、地下倉庫に置いてある木箱の山が邪魔して、エルガー君達はこっちで何が起こっていたか気付いていなかったらしい。


「いやでも、モリアンが結構大きな声で叫んでなかったっけ?」

「ああ、俺も気になったんですけど、ミザールとタングーサが『ムラサメ様がお構いなくとおっしゃっています』って言って制止されたから、覗かなかったんですよね」

 なるほど。ムラサメの奴、分身体を通して、思考制御している相手に直接指令を伝播できるのか。


「しかし、どうしたもんかな。・・・ノクスにやるか」

 俺は俺の首なし死体を担ぎ上げる。ノクスには色々世話になっているし、あいつなら死体の用途は多いだろうから、貰って困るということもないだろう。

「あ、しまった、ウルハイス君の体も運ばないと・・・」

 こんな所に放置したらノクスが怒るのは必然だ。ということで、ウルハイス君の体も一緒に担ぐ。・・・運び辛い。


「あの、ボクも運ぶの手伝います」

 モリアンが駆け寄ってきて、俺の死体の方を持ってくれる。気の利くボクっ娘三眼サテュロスとか、属性盛り過ぎな気もするが、俺は好き。

 運んでる途中に、モリアンが俺の死体をペタペタ触ったり顔を埋めたりしていたことは、見なかったことにしておこう。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


「奴隷への労いの贈り物が、自分の首無し死体って、どうなんよ? 色々と常軌を逸していると思わへんこと?」

 衣裳部屋で俺の首なし死体を受け取ったノクスは毒づいた。

「いやぁ、ノクスさんなら、ゾンビにするなり、食べるなり、好きにできるかなぁと思ってさ? 迷惑だった?」

 良かれと思って、運んできたんだが。

「そりゃ、有益な品やけどね。ウチかて、躊躇や葛藤することくらいあるがな」

 ノクスはヤレヤレと首を振る。

「・・・ほな、死体処理は早めにやらなあかんから、ウチはこれで失礼させてもらいますわ」

 ノクスがパンパンと手を叩くと、例の猫叉の兄弟姉妹のゾンビがわらわらとやってきて俺の死体を担ぐと、ノクスと共にどこかへ去っていった。


 俺はそれを見送ると、衣裳部屋を出て寝室へと入る。

 全く、今日は三祭具のせいで朝からすっかり疲れてしまった。


 俺はサテュロスの体のままベッドに倒れ込んだ。思えば、こんな風に体全体でフカフカの布団を感じるのは転生して初めてのことだ。いつもはゾンビの体を衣裳部屋で脱いでから、人面蛇モードでベッドに潜り込んでいるのだから。


 と、そんな風に俺が布団の上で手足を伸ばす感覚を楽しんでいると、キュッと布団が一部凹み、ベッドが軽く軋む。

「あの、スズカ君」

 モリアンだ。

 衣裳部屋まで俺の死体を運んでくれたモリアンは、そのまま俺の寝室までついてきていた。

「ありがとう。モリアン」

 俺は礼を言いながら、上半身を起こそうとする。

 だが、モリアンが俺の上に乗っかるようにして体重をかけてきたため、俺の体は再びベッドの上に押し戻された。


「うわっ・・・えっと・・・モリアン?」


「スズカ君。・・・ボク、なんだか、もう」

 瞳を潤ませたモリアンは熱っぽい口調でそう言うと、ばさりと俺の体の上に重なるように倒れ込み、

「ね、眠くて・・・」

「えっ?」

「すーすー」

「えっ?」

 そのまま可愛い寝息を立てながら、眼を閉じてしまった。額の第三の眼すら閉じてしまっている。


「・・・これが俗に言う生殺しか・・・ははっ、肉体を持つって辛いこともあるな?」

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