第四十四怪 人形神の贄③
俺は衝撃の事実に頭をくらくらさせながら、目の前の廊下をピョンピョン飛び跳ねていくムラサメの後を追う。松葉杖のモリアン君にゆっくりと歩調を合わせながら、思考を整理していた。
ヒンナは天井から垂れている綱の起点が天井を自由に動き回れるらしく、ムラサメに並んで、すぃーっと平行移動していく。そして、二人は700年も前の昔話に花を咲かせていた。
「余に言わせれば、そもそも帝国内で神殿が異常に力を持つようになったのは、帝国民が元老院議員の定数削減と無給化に賛同してしまったことが原因だ。はっきりいってその後の顛末は自業自得であろうよ」
「いや、僕はそれよりも軍務省が官僚化し過ぎて、穏健で無難な選択ばかりするようになったのが、一番の問題だったと思うよ。シビリアンコントロールは結局理念だけが先行して、軍務省の役人の行動が世論の動向に左右されるようになってしまったんだよね。結果、神殿騎士団の機動力と決断力が勝ってしまったんだから」
「うむ。確かにトールシューでの帝国民殺害事件については軍務省は対応を誤ったという他なかろう。すぐさま報復措置を取るべきだったのだ。しかし、平和主義の下に内内で穏便に済まそうとした結果が・・・。いや、しかし、それは後の歴史を知る身であるからこそ言える話であってな」
「そんなことはないよ。あの当時の神殿騎士団は正確に事態の推移を予測出来ていたし、実際、神殿省を通さずに有志が内々で元老院側に軍務省の判断の危険性を通知してたよ。・・・まあ、当時の元老院はカカオ豆規制問題で荒れてたから、それどころじゃなかったんだけど」
「やれやれ。邪神の討滅などせずとも、遅かれ早かれ帝国の崩壊は免れなかったであろうに・・・」
「深刻な病ほど外からは見えないものだって、剣聖の一人が言ってたなぁ・・・」
おそらく古代帝国時代の政治の話だと思うが、俺にはよく分からない。
横を見ると、モリアン君が少し遅れ気味になっていた。
「モリアン君、大丈夫? どっかでちょっと休むかい? 抱っこしようか?」
「いえ、平気です!」
気丈な返事が返ってきた。あまり気遣うのも、かえって迷惑だろうか。
「お父様。もう着いたよ」
俺が逡巡していると、ムラサメがいつの間にやら横にいた。
見れば、黒々とした鉄の扉がある。
「この部屋の中に、最後の祭具があるのか?」
「・・・そのはず」
「持ち出されてはおるまい。割れている可能性はあるがな」
ヒンナが不吉なことを言う。
この扉も、壁に設置された魔法陣を手順通りに触れていく必要があるらしく、ムラサメがカツンカツンと順番に叩いていった。すると、扉がガタリと何かが外れる音とともに、錆び付いた重低音を響かせて開いていく。
部屋の中は薄暗かった。ずらりと棚が並び、大小の木箱が収められている。自動的に光源を提供する魔石も設置されていたが、ヒンナのいた神殿と比べて明らかに量が少ない。そして壁も漆喰で塗り固められており、装飾の類は無く、とても簡素だ。
ムラサメはピョンピョンと躊躇なく部屋の中に入っていく。ムラサメについて部屋の奥へと足を踏み入れると、巨大なガラスケースのようなものが置かれていた。
とても透明感のあるガラスだ。700年も前に栄えた古代帝国の技術力の高さが偲ばれる。
ガラスケースの中には、ビロードの敷布の上に、艶のある乳白色の美しい磁器の大きな皿が10枚並べられていた。それぞれの中央部分には十種の花の絵が一つずつ描かれている。花の名前にはあまり詳しくないので自信は無いが、おそらく左から順に「蘭」「梅」「
「で、どの皿が、三祭具なんだ?」
「全部だよ」
「えっ?」
「10枚一セット。テオテカ砦の三祭具が一つ、生命の花器エデン」
「・・・10枚でセットか。どうしたもんかな。全部にジン・クリエイトを使うべきか、特定の一枚に対してだけ行うべきか」
「創主よ。余はその魔法について詳細は知らぬが・・・、実際創り出された身としての直感を進言しても宜しいか?」
「うん。何でも思うことは言って欲しい」
「ふむ。おそらく、全皿に行使するのが適切であろう。ただし、全ての皿にかけおわるまで、10枚の皿を一つに重ねておくのが良い」
「重ねた状態で使えと?」
「そもそも一個の生物を対象とはせず、破壊、修繕、解体、合体が自由に行える道具、器物を対象とする魔法なのだ。故に、その魔法範囲の定義は曖昧。ならば、重ねおくだけでも魔法の行使者が『全は一にして、一は全なり』と認識すれば、正しくその本質を具現化するであろう」
「ええっとよく分からないけど・・・、つまり、俺が皿を重ねてお前らはセットだぞぉーと念じながら魔法を行使していけば良いってこと?」
「・・・簡易的に言えば、そういうことである」
まあ、三祭具仲間がそう言うならば、そうなのだろう。一応確認のためにムラサメの方に目を向けると、剣先をブンブンと縦に振ったので、同意見らしい。
「10枚全部にか。流石に魔力が足りないな。部屋に持って帰るか」
俺はガラスケースの引き戸を開けて、大皿を一枚一枚取り出していく。
「待て、専用の運搬箱があったはずだ」
「これ、これ」
ヒンナの指摘に手を止めると、ムラサメがどこからか、背負い紐がついた木製の大箱を持ってくる。かんぬき部分を外すと、中は10の小部屋に仕切られていて、それぞれ内側に綿布が張られていた。
俺は早速、その中に大皿をしまっていく。
「悪いな、ムラサメ。魔力の回復とこの肉体のメンテナンスのことを考えると、たぶんこいつらと会話できるようになるのは、だいぶ先になりそうだ」
俺は生命の花器エデンを全て収めた箱を背負うと、ムラサメに謝った。こいつは他の三祭具と会えるのを楽しみにしてたからな。
「いいよー。ヒンナがいるから」
「待つと言っても、もう700年待てと言うのではなかろう? ならば大した待ち時間でもあるまい」
そうだった。こいつら昨日今日生まれたばかりの存在ではあるけれど、その精神を育む器たる依代自体は、悠久の時を超えてきたのだ。時間の感覚も違うことだろう。
♦ ♢ ♦ ♢ ♦
俺は寝室に生命の花器エデンを箱ごと運びこむと、クローゼットにしまい込んだ。
「さてと、ヒンナを皆に紹介しておかないとな」
俺はモリアン君に生命の花器の番を頼んで、寝室を出ると、衣裳部屋に顔を出す。しかし、ノクスはいなかった。労働ゾンビの猫叉が一匹はたきをかけているだけだった。
「困ったな。通訳が居ないのは」
「創主よ。余に通訳は不要であるぞ」
「ん? もしかして全言語を話せる魔法とか持ってる?」
ヒンナもノクスやモッケ爺のようなタイプなのだろうか?
「否。ムラサメの依代に幾人もの剣聖の技量が記憶されている様に、余の依代には幾人もの主教の叡智が記憶されておる。故に、古代帝国当時の諸部族の言語は大方知っているのだ。・・・もっとも700年経っておる以上、言語の変異は不可避であろうから、現代語と古語の擦り合わせは必要となるやも知れん」
あれか、ギリシャ人にラテン語で話しかけても通じないとか、戦国時代にタイムスリップした場合まず古語が使えないと会話できないからドラマの百倍苦労するはずとか、そういう・・・。
「まあ、味方だってことが伝われば、それで良いから」
魔獣達は、本能でヒンナに危険な匂いを感じたらしい。俺が砦の面々に紹介すると皆一様に警戒感を露わにした。
面白がって握手できたのはシックルくらいのもので、資材を運んでいたマンティコアも食材調達から帰ってきたミノタウロスも、台所で岩塩を砕いていたエンカさんも気味悪がった。キエン君は緊張しながらも握手できたのは流石だ。シャベリキはその様子をなんやかんや言いながら見ていただけで、近寄ってこなかった。
意外な反応だったのは、トロツキのゴブリン達だった。最初に見た時は一番脅えていたのだが、彼らと一緒にいたモッケ爺が俺の話を通訳して、ヒンナの力で秘術を手に入れる試練を与えられるという話をした途端、わッと押しかけてきた。
「こりゃ、お前たち。わがまま言うでない」
興奮してゴブゴブ叫ぶゴブリン達に向かって、モッケ爺が叱りつける。
「・・・もしかして、試練を受けたがってる?」
「そうじゃ。・・・まあ、こやつらも、先の戦で大将級は全てわしらに任せることになったのを悔しく思っておるんじゃよ」
モッケ爺に率いられて武威を誇った昔日の栄光があればこそ、その悔しさも一入ということなのだろう。
「今はちょっとなぁ。時期が悪いよ。いつグリフォンと開戦するか分からない状態で、9日間も拘束される上、命の保証がないとか・・・」
「うむ。わしからもよく言い含めておく」
「うん。頼むよ」
こいつらは臆病なのか、勇猛果敢なのか、どっちなんだ。・・・いや、両方か。きっと賢明に臆病で、かつ機を見て勇気をベット出来るのだろう。
しかし、今は我慢して貰う。都合が悪いのだ。
♦ ♢ ♦ ♢ ♦
しかし、翌朝。
俺が衣裳部屋でノッポのウルハイス君のゾンビを着用した後、モリアン君とムラサメを連れて階下に降りると、異様な空気が張り詰めていた。
砦の玄関ホールに、一匹のゴブリンが首を吊られていた。
そのゴブリンは、天井から垂れる禍々しい太く黒い綱にガッチリと首を巻かれて吊り下がっている。隣には、ヒンナが同じように吊られてブラブラと揺れていた。
集まった魔獣達が、それらを指して、ヒソヒソと同種族同士でかたまって言葉を交わしている。
「・・・あー、ヒンナ。一応、どういうことか説明して貰おうか?」
俺はなるべく怒気を抑えて、問う。
「ふむ。創主よ。決して余の悪意でこうなっているのではない。昨夜、余が砦の内部を徘徊していると、このゴブリンがやってきて力が欲しいと懇願してきたのだ。余はその真剣さに胸を打たれた結果、試練を執行することにしたのだ。決して余の方から『力が欲しいか?』と誘ったりしておらぬ」
ヒンナは冷静沈着に俺の質問に答えた。
「言い分は分かった。でも、試練を執行する前に俺に許可を取るとか、一日だけ待つとか、出来たんじゃないか?」
「何をおっしゃる。許可を取ろうとすれば断られることは必定。日が経てば経つほど機会は得難くなると思わばこそ、この者も意を決して迅速なる短慮に走ったのだ。余はその覚悟を汲んだのである」
「それで、俺の機嫌を損ねる覚悟も踏まえた上で、敢行したわけかい?」
俺は頬を引き攣らせながらも、心を収めて話を続けた。
「しかり。罰が必要というならば、謹んで受けようぞ。しかし、試練が終わるまでは猶予を頂きたい。術に影響がでる」
「彼はまだ生きているのか?」
「かろうじて。しかし、この分では試練を超えることは能わず、明日の朝には冷たくなっていることだろう」
「・・・それって中断とかは?」
「できぬ。強制的にやめれば、魂と肉体が切り離されてそのまま死ぬだけだ」
はぁー。俺は深く息を吐き出した。
怒るな。怒るな。怒った所で何も解決しない。そう、冷静に、だ。
「何か、生き永らえさせる手段は?」
「なに、回復魔法をかけ続けるなり、そういった薬効の薬を飲ませるなりして、肉体を死から遠ざけてやれば良いのだ。あるいは例の生命の花器エデンを使うかであろうな。・・・もっとも、精神試練に関しては本人一人が向き合うもの故、外部から手助けすることは能わず」
「分かった。・・・生命の花器エデンはどうやって使えば良い?」
「ジンを入れずとも、あれは至高の祭具だ。皿が初めに並べられていた順に水を入れ、魔力を込めてから、次の皿に移していくを繰り返せば、秘薬【九命還魂水】が生成できる。しかし一度使うと、皿の絵が消え、再び花の絵が浮き出てくるまでは使えぬから慎重に数滴ずつ使うことだ」
どうやら、回収した祭具が早速役に立つらしい。・・・とはいえ、ヒンナも祭具だったから、どうしてもマッチポンプ臭さを感じてしまうが。
「ちなみに、足元に台を置くっていうのは?」
「吊るされている状態こそが、この呪法の構成要素である。それは物理的には援助であっても、呪術的な攻撃に他ならないであろう」
ズルはダメということか。じゃあ、秘薬だの何だのを使うのはズルじゃないのかとか、色々疑問に思うが。まあ、魔術や呪術には詳しくないから考えても詮無いことである。
俺はとりあえず応急処置として、【慈悲の聖球】《ヒーリングボール》を打ち上げると、その場にいたモッケ爺に回復要員の手配を頼み、急いで寝室に戻って生命の花器エデンを箱ごと取って調理場へと駆け込んだ。
「あら、スズカ様。どうなさったんです、そんなに慌てて。今日は何やら騒がしいようですけど・・・もしや、ついに開戦ですか?」
息せき切って現れた俺に、エンカさんが驚いて目を大きく丸くする。・・・フレイムラットの眼は元から丸いわけだが。いや、今はそんなことどうでも良い。
「いや、開戦じゃないよ。ちょっと昨日紹介したヒンナが馬鹿をやったもんだから、その対処が急を要してね。というわけで、早速水瓶を使わせてもらうよ」
「・・・ええ、それは勿論ご自由に」
ヒンナと聞いて、エンカさんは頬髯を引くつかせる。
俺は箱から一枚ずつ皿を出していき、まず「蘭」の皿に水を注ぐ。そこへ魔力を込めると、水が光りを帯び、収まると、薄青色になっていた。それから「梅」「蝋梅」「沈丁花」「蓮」「梔子」「菊」「木犀」「海棠」「頭巾薔薇」の順番にどんどん水を移していき、移すたびに魔力を込めると、水が変色していった。
最後の頭巾薔薇の皿に水を移して魔力を込めると、水は白から桃色へと変わる。
「で、できた・・・」
大量の魔力を消費して俺はヘトヘトになりながらも、完成した【九命還魂水】を3杯のゴブレットに移す。
「モッケ爺、後の手配は頼んで良いかい?」
丁度、回復職の手配をしたモッケ爺が調理場に顔を出したので、さらに仕事を丸投げした。
「うむ。任せておけ。元はと言えば、わしのせいじゃからな。もっときつく言い聞かせておくべきじゃった」
「・・・まあ、俺たちは皆新参の顔ぶれだからね。お互い相手の性格も行動も分かんないんだ。仕方のないことだよ」
そう、これは不幸な事故なのだ。
だから、ヒンナへの罰は冷静に決定しなければならない。
「あー、気が滅入る」
「スズカ様。お疲れでしょうから、こちらをどうぞ」
気を使って、エンカさんが瓶に満杯の蜜を差し出してくれる。
「ありがとう。いただきます」
俺は、それはもう貪るようにして飲み干した。
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