第三十五怪 鵺の親子④
「なぜ、分かった?」
ミザールは両手の鎖鎌を構えながら、重苦しい声で問う。
「さあね」
ムラサメは答えをはぐらかした。
『なあ、ムラサメ師匠。何がどうなってんだよ』
「ごめん、エルガー君。ちょっと余裕ないから解説は後で」
『雑魚って言ってたくせに・・・』
「・・・・・・」
返す言葉も無く、ムラサメは黙るよりほかにない。
「ふんっ。まあ良いでしょう。直前まで気付けなかったということは、常に見えているというわけでも無いのでしょうから。・・・それと、三雷鎖のミザールは既に改名済みのものでしてね。私の元の称号は、盲目双尾のミザールというのですよ」
ミザールの言葉には僅かに自嘲の響きがあった。
「盲目?」
ムラサメは眉を顰める。ミザールはむしろ見えすぎるくらい、見えているはずだ。
「ええ、私は生まれつき視力が弱い体で生まれましてね。しかも尻尾が2本も生えていた。あまりに特異。それはもう壮絶に虐められましたとも。それで、思ったんですよ。絶対に強くなって私を虐めた連中を一人残らず虐め返してやると。それからは恨みを原動力にして、必死に光魔法の訓練に励みましたよ。結果、普通以上に見えるようになった上、尻尾の蛇の一本を隠して、そこから伸びる鎖鎌をも不可視にすることまで出来るようになりましてね」
ジャラジャラと鎖が動く音が聞こえる。だが、ムラサメとエルガーの眼に見える鎖は2本とも一切動いていなかった。
『なあ、ムラサメ師匠。勝てるのか?』
「まあ、なんとなく相手の性格は分かったから。・・・怒らせてみようか?」
エルガーの不安気な問いに、ムラサメは小声で妙なことを言う。
「あなたの過去話なんて興味ありませんよ。ミザールさん。僕が望むことはあなたを切り伏せ、初陣で大将首を手にする栄光を勝ち取ることだけです」
「やれやれ。これだからクソガキは嫌いなんですよ。直情的で、思いやりが無くて、その無垢な残酷さが尚一層罪深い。・・・私の復讐の為に長年かけて培ってきた努力と技術が、ぽっとでのクソガキに踏みつけにされる訳が無いんですよォぉおお」
ミザールの激情と共に、鎖鎌がムラサメの喉元目掛けて突っ込んでくる。
ムラサメは飛び込んできた鎌の柄を大剣の切っ先で突き飛ばすと、ミザールに向かって一歩前に出た。ミザールまでは残り六歩の距離だ。
2本目の鎖鎌が背後から回り込むようにして襲ってくるが、ムラサメは今度は上方向へ流すように鎖を跳ね上げさせながら、さらに一歩前へ出る。残り五歩。
「何ですか、それ? ミザールさんの自己紹介ですか? クールぶって丁寧なふりしてますけど、言葉の端々からあなたが直情的で残酷で思いやりの欠片もないことが伝わってくるんですが?」
「私が、この私が、あのような私を虐めた愚物どもと同じわけ無いんですよぉおお」
ムラサメは大剣を正面の何もない空中に叩きつけた。途端、不可視の鎖鎌と大剣が撃ち合い、衝撃音が響く。そのままムラサメは大剣を捻るようにして不可視の鎖鎌を跳ね飛ばしながら、一歩前に踏み込む。残り四歩。
「同じでしょ。というかミザールさん、あなたこそクソガキのまま時間が止まっているんじゃないですか? いくら技と体が成長しても心が成長してないんですね?」
「貴様のような青二才が、知った風に言えることじゃぁあないんですよぉおお」
2本の鎖鎌が同時に襲ってくる。一本は右側から巻き付くように、もう一本は左側から巻き付くように。
「ソードのデュー」
ムラサメは一歩前進しながら、呪言を唱える。すると、大剣がぱかっと細身の二本の剣に別れる。そして、その剣先は大剣の時よりも尚素早く左右の鎖鎌をそれぞれ突き飛ばす。
「ソードのエース」
ムラサメをすっと二本の剣を再び合わせて大剣となしながら、もう一歩前進した。残り二歩の距離に肉薄していた。
ミザールが一歩後ろへ下がって距離を取ろうとする。
が、
「えっ? 逃げるんですか? あなたの憎んでいるクソガキから?・・・ミザール。お前は本当に情けない子だね。お前なんて産むんじゃなかったよ」
「私の母親の口癖を真似するなぁあああああ」
ムラサメの煽りに激昂したミザールは、あろうことか逆に前へ一歩踏み込んでしまった。
即ち、両者の距離は、残りたった一歩で埋まる。近接戦士にとっては必殺の間合い。だが、今までミザールはその距離に踏み込まれても勝ってきた。必殺の不可視の鎖鎌が勝ち誇った戦士の首を飛ばし、あるいは胸を貫き、絶命させてきた。
今、ミザールはムラサメの頭上からこの不可視の鎖鎌を撃ち下ろしていた。この戦士にはどういうわけか視えているようだが、それでも、その攻撃を防ぐために大剣を振り上げねばならないだろう。そうなれば胸元はガラ空きだ。ミザールは激昂しながらも恐ろしいほど冷静に、手を背に回して鉄の槍を魔法で錬成していた。
「ソードのデュー」
ムラサメは大剣を再び二本の細剣に別ける。一本は頭上にて不可視の鎖鎌を迎撃し、もう一本はミザールの喉元へと。
「はははっ。やはりクソガキですねぇええ。そんな細身の刀身、へし折って差し上げましょう!」
ミザールは後背から太い鉄槍を繰り出すと、叩きつけるようにムラサメの細身の剣に克ち合わせる・・・つもりだった。
ミザールの繰り出した鉄槍は、まるで水面を流れゆく木の葉のように、受け流されてゆく。するすると滑り、気付けば鉄槍はムラサメの脇腹を紙一重で通過していた。
そして。
細身の剣がキラリと残光を後に、一閃される。
血飛沫が飛び、ミザールが絶叫する。
「ぐああぁああぁああああ」
ミザールの胸元が縦に切り裂かれていた。
「へぇー、器用だね。あの瞬間に首だけは守ったんだ?」
ミザールの首元には小さな鉄の楯が張り付いていた。それが斬撃からミザールの一命を取り留めさせたらしい。
だが、それだけのことだ。
ミザールが苦痛を耐えて次の行動に移る前に、ムラサメの剣が返す刀で横一文字にミザールの胸を切り裂く。
どっと血が溢れた。
「カヒュッ」
ミザールは苦しそうな呼吸音を鳴らしながら、どうっと仰向けに倒れ込む。
「勝負ありだね」
ムラサメは剣をミザールの首元に当てる。小さな鉄の楯が張り付いている程度ではどうにもならないだろう。
「こんな馬鹿なことが・・・カヒュッ・・・理不尽だ・・・ぐっ」
「そんなことはないですよ。ミザールさん、あなたの言う所の培ってきた技術の差ってやつですね。・・・あなたはいくつです? 因みに僕の本体は1000年前に打たれていましてね。もっともそのうち700年ほどはお蔵入りしてたんですが、それでも300年間でおよそ30人ほどの猛者たちが僕を使ってきた。ま、年季の差です」
「なんの・・・話だ・・・カヒュッ」
ミザールは胸元を抑えているが、そんなことでは当然血は止まらない。
「終わり・・・なのか。私はもう・・・。ああ、ミザリー。私の可愛い一人娘。お前を残していくことになるなんて・・・」
「遺言は済んだかい? それじゃあ、大将首を頂くとしようか」
ムラサメがミザールの首を刎ねようとするが。
『ま、待ってくれ。ムラサメ師匠』
エルガーが横槍を入れた。
『こいつは娘がいる。誰かの父親だ・・・』
「そりゃあそうだろう。マンティコアであろうが、人間であろうが、あるいはゴブリンであろうとも、たいていの戦士は誰かの家族で、誰かの友人で、誰かの大切な存在だ。天涯孤独な身の上というのも中にはいるかもしれないが・・・」
ムラサメは心底呆れたように言う。そんなことは当たり前のことだ。殺し合いとはそういうことだ。戦とはそういうことだ。
「エルガー君。君はそんなことも理解せずに戦士に憧れていたのかい?」
『・・・・・・』
エルガーはすぐには答えられなかった。彼の憧れていた光り輝く英雄譚は、綺麗に装飾された寝物語でしかない。それに対して
『・・・けどよ、今回の俺たちはただの侵略者じゃん』
「防衛のための反撃だ。先にトロツキにちょっかいを出したのは彼らだね」
エルガーが絞り出してきた反論も、ムラサメにぴしゃりと再反論されて取り付く島もない。
『・・・・・・』
「納得してくれたようだね」
『・・・うん』
ムラサメはミザールの首を切り落とそうと剣を振り上げる。
しかし、エルガーが諦めかけたその時、ふと彼の脳裏に一筋の光明が差し込んだ。
『でも、あの妖精のボスならどう思うかな?』
その言葉を聞いた途端、ムラサメは硬直した。
「お、お父様はちょっと変わってるから・・・」
『っ! きっと妖精のボスなら、もう勝負はついているんだし、許してやれって言うよ! 絶対そう言うよ! 今回の任務は足止めじゃんか。任務は達成してるだろ』
ムラサメの反応を感じ取って、これに掛けるしかないとエルガーは一点突破で攻勢を仕掛ける。
「ぐ、ぐぬぬっ。お、お父様ならば、きっと・・・」
『きっと?』
「きっと、大恩大慈をたれ給うことでしょうとも・・・」
『だろ?』
「・・・やれやれ。僕の負けだね。しかし、やはり首級をあげて手柄とすることこそ僕の剣としての本能だ。だから・・・」
ムラサメは一度両手の剣を消すと、黒色の禍々しい剣を顕現させる。そして、その剣をミザールの胸につき立てた。
『って、おおおい、何やってんだよ!』
「まあ、落ち着きなよエルガー君。・・・さて、ミザール卿」
ムラサメは厳かな口調でミザールに向けて話し出す。
「なん・・・だ・・・?」
ミザールはもう虫の息だった。
「我は汝の命を救うことが出来る。しかし、それは汝が汝の命を我の支配下に差し出す契約の下でのみ」
「それは・・・下僕になれ・・・と?」
「乱暴に表現すれば、そういう解釈となるであろう」
「・・・・・・」
「生き恥と思わば、断ってくれても構わぬ。我はむしろその方が嬉しい。その場合は汝の首を切り取り、手柄とするのみ」
『・・・なあ、ムラサメ師匠。こんな提案受けるわけないってば。下僕になれなんて言わず、もっと条件を緩めないと、とても誇り高い戦士には飲めないって』
エルガーは今にもミザールが「さっさと首を切れ」と言い放ってしまうのではとハラハラしていたのだが・・・。
「分かった! 生かしてくれ! 死にたくない。死にたくない。死にたくない。なんでもする。ボスの情報でも何でも、全部吐く!」
さっきまで弱弱しく虫の息だったはずのミザールが、いったいどこからそんな力が湧いて来るのかと不思議に思うくらいの勢いで、そう言い募る。
『よしっ。ムラサメ師匠、こんな奴さっさと首を刎ねてしまえ!』
「エルガー君・・・君って奴は。とにかく契約は成立した以上、誠実に履行するのが僕の主義でね」
ムラサメが黒剣をミザールの胸に埋めていく。全て埋まりきると同時にミザールの体を黒い靄が覆い、繭を形作った。
『どうなってんの?』
「僕の分霊的なものを使ったから、融合と変身に時間がかかるんだよ。しばらくはこのままだから、引きずって持って帰らないとね」
『えええ・・・』
「はぁあ、とにかく僕はもう疲れたよ。だから選手交代ね」
『えっ、どういう・・・』「・・・ことって、またいきなり変わってる!」
エルガーは体の操作権を取り戻していた。正しく言うと、返してもらったと言うべきかもしれないが。
「はっ、そうだ、トロツキの総長は?」
エルガーが振り返ると、総長は胡坐をかいて座っていた。腰から薬のようなものを取り出して飲んでいる。全身傷だらけだが、視認出来る範囲では無事なようなだ。エルガーはほっと胸をなでおろす。
エルガーと目が合った総長は、エルガーに向けて片手を差し出し、親指を天に向けて見せた。聞くところによると、これはゴブリンたちが互いを誉めたり評価したりする時に使うジェスチャーらしい。
とりあえず、エルガーも同じジェスチャーを総長に返した。
きっと総長はエルガーの戦いを―――途中からはムラサメと入れ替わっていたが―――見ていたのだろう。ぶっちゃけ、エルガー自身での戦闘は良い所無しだったので、高評価されても居心地が悪いのだが。
と、その時ふとどこからか、シクシクと泣き声が聞こえて来た。
『エルガー、あっちの奥の部屋に誰かいるみたいだ』
ムラサメの言葉に従い、エルガーが改めて周りを見渡すと、確かに奥に続く部屋がある。もしかしたら本当に喧騒の中で迷子になってしまったマンティコアの子供がいるのかもしれない。そう思ったエルガーだったが、予想は外れた。
奥の部屋に入ったエルガーが見つけたのは、水で割った果実酒の入った鍋、血糊がべったりついた巨大な出刃包丁に、まな板とその上に横たえられた生き物だった。その生き物は頭部のハニーブロンドの髪以外は全身がツルツルで毛が無かった。腕と思わしき部分がまな板に釘で打ち付けらえて固定されている。足は切り落とされていた。どうやら、鍋の中に浮いているのは、この動物の足の肉らしい。
泣き声をあげていたのはこの動物だったようだ。しきりに涙を流しているが、その源泉たる両目は潰されていた。
「全身禿げてる・・・毛を毟り取った後かな? なんの魔獣だろう?」
『っ! エルガー、助けてあげよう! この子は魔獣じゃなくて人間、ヒュムフだよ。しかも女の子だ。よくもこんな惨いことを』
「へぇー、これが人間なのか。初めて見た。・・・えっ、なんか体が禿げてる感じが今の俺とちょっと似てない?」
『後で鏡を見ると良いよ。・・・それより速くこの子を助けてあげよう。まずは釘を外してあげなきゃ』
「・・・えっ、なんで??」
エルガーは不思議そうな顔をして首を傾げた。途端、エルガーの腹がぐぅううと鳴る。
「ただの食材じゃないの?」
『・・・・・・』
前述したが、ムラサメは人間の国、古代ロークビ帝国の遺産として、その価値観は極めて人間的である。ロークビ帝国流儀の「人間」的価値観であるから、ここで言う人間的とは人道的という意味合いではない。少なくとも、人間の感性に近い価値判断を持つという意味である。対してエルガーは、契約獣形態となった今、顔かたちこそ人間の少年のものだが、彼の価値基準はマンティコアのそれである。
エルガーには、この光景がどう見えているか?
もしあなたが人間ならば、想像して欲しい。
例えば、あなたが友人といっしょに誰かの家にお呼ばれしたとしよう。で、家に上がったら台所に煮立つ鍋と、まな板の上に七面鳥が毛を毟られて縛られている。そこで、急にあなたの友人がこう言い出す。「わお、可哀想に。この子はまだ若いメスの七面鳥だ! 助けてあげよう!」・・・あなたはどう思うだろうか?
『是非も無し』
ムラサメがそう呟くと、エルガーの胸元が光り、ムラサメがエルガーの中から飛び出る。
「ちょっ、ムラサメ師匠!?」
驚くエルガーを無視して、ムラサメは跳ね回りながら、全身禿げ動物をまな板に固定している釘を器用に抜き去り、返す刀で、巨大な果実のような丸い双丘を避けて胸元にグサリと突き刺さる。動物は苦悶の声を上げた。
「なんだかなぁ」
エルガーは台所の片隅に積まれていた大きな丸い果実を一つ失敬した。かぷりと噛り付くと甘く柔らかい果肉が口の中に広がった。
「・・・なあなあ、ムラサメ師匠。師匠が抜けたのに、俺の体、元に戻る気配無いんだけど」
果実についた歯形を見ながら、エルガーが問う。
「戻らないよ。一生そのままだから」
「えっ・・・」
ボトリ。エルガーの手元から果実が転げ落ちる。
「っていうか、今忙しいから話しかけないでくれる?」
「・・・・・・スミマセン」
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