第三十六怪 鉄鼠の門① The gate of the Iron Rat

 時は遡って、出陣準備の物々しい雰囲気に包まれたトロツキの洞窟。

 フレイムラットのキエンは、アイアンラットのライゴと向かい合っていた。


「坊ちゃんがお元気そうで何より。ふぇふぇふぇ」

 ライゴは奇怪な笑い方をしながらも、優し気な声音である。

「ライゴさんもね。・・・父さんに負わされた傷はもう癒えたの?」

 キエンは上目遣いで問う。

「お陰様で。いやはや、キーチクさんは実に強くて苦心しましたよ。その上、敗走も許されず嬲られ続け・・・、まあ命を取らぬ主義だったのが、あの方の唯一の美点でしたね」

「美点だなんて、そんな前向きな主義じゃないですよ」

 苦虫を噛み潰したようにキエンは渋面を作った。


―――この獣は苦手だ。


 キエンはライゴとは旧知の仲である。といっても、親しいわけでは無い。ライゴと相棒を組んでいるボムンの方が母親のエンカの昔からの知り合いで、その関係で何度か顔を合わせたことがあるだけだ。

 そして、ライゴは顔を合わせるたびに、あの奇怪な笑い声をあげながらどこか相手を見透かすような深淵の黒を思わす瞳をキエンに向けてきた。その度に酷く居心地の悪い思いをさせられたものだ。


「おほんっ、ライゴさん、モッケ爺さんから割り振られた僕らの討伐対象は、キゾティー族の三近衛の一角、三杖流のイワザールです」

 自分から父親絡みの話を振っておいてなんだが、キエンはあまり世間話を続けて父親のキーチクの話をあれこれ聞かされたくはなかった。そこで、早速任務の話を切り出した。


「ほほう。三杖流・・・」

「両手に一本ずつ、さらに口にもう一本杖を咥えての三杖流。よって出逢えば直ぐに見分けがつくとのこと。なお、当然ですが口は使えないので、戦闘中もずっと無言。魔法は全て無詠唱という話です」

「なるほど。標的が分かり易いというのは良いですな。ふぇふぇふぇ」

 キエンも頷いた。

「ゴブリン達の観察によれば、三杖流のイワザールの使う魔法で分かっているのは、風の刃、腐食の水、吹雪、雷雲、雷槍です。このことから、使用属性として風と水と雷の三つを考慮する必要があると考えられます」

「他にも隠し持っている可能性はあるだろうがな。まあ、普段使いしていないという時点で他よりランクは低いはず。4つめがあったとしても威力は低かろうから考慮に値せんだろう」

「そういうことです」

 キエンは首肯した。


 対して、ライゴは顎を擦る。

「しかし、分からんな。なぜ坊ちゃんにこの仕事が回ってきたのかね? 敵が水属性を使うというのは、フレイムラットにとっては致命的では?」

 それは当然の疑問であった。しかも風属性持ちで氷雪魔法まで使えるのである。

「それは、僕がモッケ爺さんにこのガベルの説明をしたからですね」

 キエンは背負っている真紅のガベルを指さした。

「確か、伝家の秘宝であるという話でしたな」

「はい。この裁きのガベル【炎罰獄刑】は、撃ち付けて音を鳴らすと、一定範囲内における水属性の魔法使用をその強度に応じて罪となし、罪人自身の魔力を使用して罪人に炎獄の魔法を直接着火するという秘宝です」

「ほうぅ、それは凄い!」

 ライゴはパチンパチンと手を打って感嘆する。

 フレイムラットが苦手とする水属性を使う敵を封じる道具だ。フレイムラットの弱点を完全にカバーする秘宝中の秘宝と言っていい。鬼に金棒である。

 とは言え、

「まあ、相手が水魔法を使わない敵だったり、炎耐性が極めて高い場合なんかでは、無用の代物なんですけどね。だから、フレイムラット同士の争いでは全く役に立ちません」


―――だからこそ、このような大秘宝を隠し持っていたにもかかわらず、母エンカは父キーチクにまるで対抗できなかった・・・。


「しかし、今回の敵はそうではない。故に活躍できるのだから良いではないか」

 ライゴの透き通るような眼がキエンをじっと見ている。

「まあ、そうですね・・・」

 キエンは背中から伸びるガベルの柄をそっと掴む。


―――ああ、その通りだ。【炎罰獄刑】、君も僕と一緒に誇りを手に入れよう。変えられぬ過去も血統もいくら嘆いたって仕方ないんだから・・・。


「弱点としては、そこそこクールタイムが結構長いというのもあるんですが」

「ほぅ・・・しかし、二の太刀は要らんのではないか? その小槌を打てば、一発で決着が着くだろう。敵は水属性の使い手。相手がフレイムラットと分かれば、一も二も無く反射的に水の属性を撃って来るはず。さすれば、自動的に敵は火達磨となり、その炎を消そうとさらに水魔法を使おうとして、尚ますます炎獄の炎は盛んとなるわけだ。とてもこの負の連鎖からは逃れ難い。パニックになって、そのまま焼け死ぬであろう」

「・・・まあ、相手の頭が悪ければ、確かに一撃必殺ですね」

 楽観的なライゴの意見にキエンは半ば同意してみせるも、果たして、常にそう上手く行くとは限らないのでは? とも思う。


「ふぇふぇふぇ。それでは敵が愚か者であることを祈ろうぞ」

「いえいえ、相手が賢かった場合にどう対処するか考えないと」

 それに例え敵が賢者で無かったとしても、こちらと同じように未知の秘宝を持っているかもしれない。

「ライゴさん、万一、三杖流のイワザールが、敵が火属性魔法を使う度に氷水が罰ゲームとして降ってくる秘宝を持っていた場合は、ライゴさんに戦闘を全てお任せして僕は応援席から見物に徹しますからね」

「ふぇ!? いやいや、流石にお互い、そんなピンポイントな秘宝を持ち合わせることなど無いとは思いますが・・・」

「でも戦場での状況は千変万化。何が起こるか分かりませんから、ライゴさんの能力を隠し玉も含めて教えておいてくださいよ?」

「そりゃそうですな。ふぇふぇふぇ」


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 キゾティー族の巣穴。

 キエンはライゴと共に、ワルガーとエルガーのマンティコア親子に続き、勇んで突入した。


 広場奥で大音声に自己紹介するキカザール目掛けて、ワルガーが突撃して行くのを横目に、キエンとライゴはとにもかくにもまずは標的を見つけねばと、走り回る。 

「やれやれ、ワルガー殿が羨ましいですな。なんせ拙僧らの標的は無口な三杖流のイワザール。視覚で探し出すしかありませんからな」

「言っても詮無いことだよ」


 味方のゴブリンや、敵方のマンティコアの足元を器用に走り抜け、横穴に何度も出入りして戦場の様子を確認していく。

 と、

「キエン君! こっちだ」

 キエンの耳にスズカの声が届く。はっと振り返って、声の方へと駆け寄ると、一つの横穴から突如暴風が吹き荒れ、キエンの目の前を横切るようにして全身に切り傷を負ったゴブリン達が文字通り吹き飛ばされていった。

 キエンは迷いなく、その通路へと飛び込む。

 見れば、大扉の前に両手に杖を持ち、口にも杖を咥えたマンティコアが一匹門番さながらに身構え、右手を前に突き出していた。

 強力な風魔法を放った直後のイワザールに対して、その隙をつきシックルが風の刃と手足の飛行鎌を放ち、同時にスズカが怪しげな霧を纏った風の矢と3本の雷の矢を弓から放つ。さらにモッケ爺が石弾を5つ時間差で発射した。

 この一斉攻撃に対して、イワザールは一瞬攻撃魔法で対抗しようとしたのか、ほんの僅か左手の杖に雷光が走ったが、直ぐにそれを消して氷雪魔法を発動させ、分厚い氷壁を上下四方に張り巡らせる。


「判断の修正が速いですな。もっとも、あの飽和攻撃の前では全周防御しかあり得ませぬが」

 キエンの後ろから駆けて来たライゴが感心する。


 しかし、結果的にはその判断は間違っていたかもしれない。

 スズカ達の放った攻撃は大半が、イワザール本人ではなく、彼の守る大扉に殺到したのだ。結果、まず大扉の蝶番が破壊され、そのまま扉は左右がひっついたままに後ろに薙ぎ倒される。

 唯一、イワザールの氷壁を狙ったのはスズカの怪しげな霧を伴った風の矢とそれに混ざりこんだシックルの飛行鎌の一つである。唸りをあげて高速回転するシックルの鎌が氷壁に穴を開けようと氷をガリガリと削り、氷塊の中にいるイワザールは大扉が破壊されるのを後ろ目に、シックルの鎌への対処に迫られる。なんせ、周囲には明らかにヤバい雰囲気の毒々しい霧が広がっているのだ。

 キエンの推測が正しければ、あの霧はおそらく幻覚香だろう。


「それじゃあ、キエン君。あとは頼んだから!」


 ゲッシー語でキエンにそう言い残すと、スズカはシックルとモッケ爺を両肩にそれぞれ乗せて、氷塊の中にいるイワザールの横を走り抜けていく。よく見ると、三匹とも鼻の下に若草色の葉っぱを当てていたので、あれが幻覚香のフレンドリーファイア対策なのだろう。

 三匹が駆け抜けていくと、シックルの鎌もそれを追いかけるようにして、イワザールの氷塊から飛び去る。同時に幻覚香の霧もすぅっと薄れていった。あまり持続時間がないタイプの魔法なのかもしれない。


 キエンは背中から裁きのガベルを引き抜き、イワザールの方へと走り出す。炎罰獄刑の射程は、ガベルを打ち鳴らした所を中心にジャガーの杖6本分を半径とする円形範囲内だ。体の小さなフレイムラットからすれば広大な広さだが、巨体のマンティコアのリーチからすれば、一瞬で距離を詰めることも、逃れることもできる広さと言えるだろう。


―――小さいというのは、それだけで不利だ。


 走り寄るちっぽけな鼠を無視し、イワザールは氷塊の魔法を解くと、スズカ達を追いかけようと後ろを向く。

「【火球】」

 キエンはその背中に炎弾を撃ち込む。火の単属性持ちであるフレイムラットの火魔法は単なる火球であってもその威力は複属性持ちの魔法使い達とはわけが違う。

 流石に無視するわけにはいかなかったか、イワザールは鬱陶しそうにキエンが放った炎弾に杖を向けた。


―――今だ!


「【炎罰獄刑】」

 キエンはガベルを地面に打ち付ける。カァーンンと小槌の小気味いい音が響くと、その地点を中心に赫々たる炎が直系ジャガーの杖12本分の円形魔法陣を描いて燃え走る。


 同時にイワザールの杖から、炎弾を打ち消す軌道に吹雪が放たれる。吹雪はキエンの炎弾を掻き消すと、勢いを弱めて幾筋かの涼風となりキエンの横を吹き抜けていった。

 この時イワザールは、キエンとの距離ジャガーの杖にして4本分。しっかりと炎罰獄刑の効果範囲内にいた。

 イワザールの両足が突如炎の渦を巻きあげて燃える。

 イワザールは目を見開くと、すぐさま杖を足元へと向けて吹雪の魔法を放った。その途端、足元は氷雪により鎮火するも、今度は両腕がより大きな火炎の渦を吹き出し燃え出す。


「【火球】」

 キエンはそれを見ても油断なく、追撃する。両腕の炎への対処に気を取られたイワザールに追撃の炎弾に対処する余裕はない。そのまま火球は胴体に着弾する。

「【浄花炎】」

 キエンが指を鳴らすと、イワザールの胴体に着弾した火球は弾け飛び、炎の花を咲かせてイワザールを包む。

 必死のイワザールが天高く杖を突きあげる。すると豪雪を吹き付ける凄まじい吹雪が吹きおろし、一旦はイワザールの体中の炎を消化した。が、次の瞬間、その豪雪を全て蒸発させて、特大の業火の渦がイワザールの全身から吹き上がる。

「オオオオォォオォオ」

 ついに無言のイワザールが口に咥えていた杖を落として、苦悶の声をあげる。


「勝負ありですな、坊ちゃん。ふぇふぇふぇ」

 駆けつけて来たライゴが満足そうに笑う。ライゴの言っていた炎罰獄刑の『負の連鎖』が見事に嵌まっていた。

 そして、ついに業火の中ボロリと真っ黒な影が焼け落ち、火が鎮火する。

 が、

「むっ、これは!?」

 イワザールの焼死体かと思ったそれは、真っ黒に焼け焦げた木偶人形だった。

「これはしたり。木魔法の【身代わりの木偶人形】ですぜ。あやつ、このような稀なる木魔法も使えおったのか」

「・・・・・・」

 キエンは実を言うと少しばかり安堵していた。口には出さなかったが。勿論、これだけで勝負が決まれば良いとも思っていたし、惜しいという気持ちもある。だが、同時に炎罰獄刑だけで勝利しては、ただただ秘宝の力で勝っただけであって、それはキエン自身の勝利とは言い難い。


―――こんなことを思ってごめんね、炎罰獄刑。でも君だけが功績をかっさらうのは勘弁して欲しいんだよ。


「ブフォ、ゴホッ、ゴホッ」

 見れば、イワザールは火達磨になっていた位置から少し後ろにおり、口から煙を吐き出し咳き込んでいる。全身の毛は黒く焦げ、縮れ上がって巻いていた。

「ふむ。どうやら奴の【身代わりの木偶人形】のランクは大分低いものだったようですな」

「だろうね。たぶん他の三属性にリソースを集中させるため、意図的に木魔法のランクが上がらないように制限してきたって所かな」

 このあたりの多属性持ち特有の懊悩は、火の単一属性持ちであるキエンには縁遠い話だったが。


「【火球】」

 一息入れたキエンは、再び容赦なく黒焦げのイワザールに炎弾を放つ。イワザールはまだギリギリ炎罰獄刑の効果範囲内にいる。身代わり魔法の類はたいてい再使用時間がそれなりに長い。特にイワザールが【身代わりの木偶人形】のランクを低いままで抑えて来たなら、今すぐの再使用はまず不可能と推測できた。

 故に、再びイワザールが水魔法を使えば、今度こそイワザールは脱出不可能な炎の牢獄の中で焼け死ぬだろう。


「ナムナムチューチュー、使え使え、水魔法」

 小さな声でライゴが何やら祈念している。

 だが、キエンは・・・


―――使わないでよ。水魔法を・・・。


 全く正反対のことを考えていた。勝利の為に手を緩める気は無い。最適解を選び続けるつもりでいる。それでも、キエンは願わずにはいられない。炎罰獄刑だけで勝負が決しないことを。どれだけ苦戦することになろうとも・・・。


「ナムナムチューチュー、使え使え、水魔法」


 結果、祈りが通じたのは・・・、キエンの方だった。


 イワザールの両手の杖から雷光が輝き、二本の雷槍がキエンの火球と衝突する。雷火の火花が眩く散った。衝撃の様子から、イワザールの雷槍2本とキエンの火球はほぼ同威力だったらしい。

 しかし、その閃光を上手く利用したのはイワザールの方だった。彼は素早く屈みこんで、木偶人形近くに取り落としていた杖を拾い上げ、口に咥え込む。

 が、

「【浄花炎】」

 キエンはその様子を見ても慌てることなく、指を鳴らす。

 雷槍で相殺されたはずの火球は無数の火花を散らしていた。その火の粉が無数の炎の花を咲かせて、イワザールに襲い掛かる。

 イワザールは狂ったように速度重視の小型の雷槍の魔法を撃ちまくり、小さな炎の花を迎撃していった。

 その様子を見て、キエンはイワザールが風の魔法も使用しないように気を付けていることを悟る。自身の体に着火していない状態の浄花炎への対処は、例え吹雪魔法が使えなくとも、間違いなく暴風による吹き飛ばしの方が有効だからだ。


 要するに、イワザールには攻防のサンプル数が少なすぎて、炎罰獄刑の仕掛けの全容は分からないのだ。イワザールにとって分かっている事実は、水と風の属性である吹雪魔法を使うと己の魔力を消費しての業火が襲い、木属性の身代わり魔法にはその謎の仕掛けが適用されなかったということだけだ。

 故に、イワザールは仮の推論として、水属性もしくは風属性にトラップの誘発条件があると考えた。結果、思い切って使用してみた雷属性の魔法はトラップを回避して使用できたわけである。

 水と風、どちらが地雷か分からない以上、両方封印するより他なかったわけだ。


「【遅延火球】・・・・・・【遅延火球】・・・・・・【遅延火球】」

 キエンは、浄花炎の対処に夢中になっているイワザールの足元へと遅延火球をコロコロと転がしていく。

 その間もキエンの頭はグルグルと考えを巡らせる。

 ゴブリンから受けた報告を合わせて考えると、イワザールが使う魔法は、風の刃・腐食の水・吹雪・雷雲・雷槍とさっきスズカチームとの戦闘で見せた暴風に氷壁、そして木魔法の身代わりの木偶人形・・・。判明しているのは8つ。つまり九つ目がまだある。判明しているうち水と風属性を使用しないのは、身代わり以外は雷槍だけ。

 

―――勝負の行方は、イワザールの九つ目の魔法次第ですか

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