第三十七怪 鉄鼠の門②
「【遅延火球】」
キエンはイワザールの方へと火球を転がすが、イワザールの真下にあるものは敢えて発動させなかった。
イワザールが立ち位置を変えようとする。それを見たキエンは指をパチリと鳴らして、遅延火球の一つを発破する。慌てて別の方向に飛びずさるイワザール。キエンが罠を発動するのは、イワザールが炎罰獄刑の効果範囲から出る方向に動きそうになった時だけだ。もちろん露骨にやれば意図がばれるので、時折フェイクの発破も混ぜているが、何らかの誘導があることはいずれ気付かれるだろう。・・・いや、外周へ出ようとする動きが頻発しているので、効果範囲が存在するという絡繰り自体にはとっくに気付かれている可能性がある。
「【火球】」
キエンはイワザールに対して直接攻撃も試みるが、最大限に警戒しているイワザールの素早い回避によりダメージを与えられない。そして、浄花炎を使うには、火球が物体もしくは魔法に着弾するか飛散するかが必要となるので、全力回避で対応されると二の手が打てない。イワザールもそれを理解して雷槍での迎撃をしないのだろう。
「ま、それならそれでやりようはありますけどね。【火球】」
キエンはまたしても炎弾を放つ。ただし、イワザール本人ではなく、その真上の天井に対してだ。火球が巣穴の天井に着弾した瞬間、キエンはパチンと指を鳴らして【浄花炎】を発動する。途端、イワザールの頭上からたくさんの炎の花がヒラヒラと美しい花弁となって降り注ぐ。イワザールは頭上を雷槍で守りながら、時折発破される足元の遅延火球に気を配りつつ、キエン本人からの直接攻撃に警戒する必要もあって、てんてこまいとなっている。
そういうわけで現状は明らかにキエンが主導権を握っているが、イワザールの身代わり魔法のリキャストタイムが経過した途端、形勢がひっくり返る危険性がある。極めて濃厚に。
「ふぇふぇふぇ。坊ちゃん、拙僧が援護いたしましょうか? それとも最後までお一人で大将首をあげますかい?」
ライゴもリスクの高さを見切ったのだろう。見物に徹していたところから一転、援護を申し出てくる。
「・・・任務遂行を優先したいです」
「はいな」
キエンの返答に、ライゴは短く答えると、自分の体の毛を一本引き抜く。
「それじゃあ、サクッと狩ってやりましょうぞ。【鉄槍】」
ライゴが鋼鉄の毛を放つ。キエンの火球の倍ほどの速さで射出された鉄針はみるみる長く太く、槍と言って差し支えない大きさになってイワザールを襲う。
が、イワザールはその高速で飛来した鉄槍をいとも簡単に片手の杖で払い落してしまった。
「・・・・・・ライゴさん?」
「いやはや、これはこれは。実に、何という反射神経か! 魔術師タイプには珍しいですな」
「・・・・・・」
キエンの冷たい視線に慌てながら、ライゴは再び自分の毛を一本引きぬく。
「これはただ者では御座いません。坊ちゃんが苦戦するのも詮無いことですぞ。しかし、かくなるうえは、むしろこれが最適解。【避雷針】」
ライゴが再び鉄針を投擲する。今度は大きくならず、針のままイワザールの近くの地面に刺さった。
途端、浄花炎の花弁を撃退していたイワザールの雷槍が軌道を変え、全てライゴの避雷針へと殺到し、まるで吸い込まれるように消失する。
「すごいですライゴさん! 【火球】」
キエンは興奮しながら再びイワザールの真上の天井に火球を放ち、同時にイワザールの退路を断つため指を鳴らして全ての遅延火球を発破させた。あとは、浄花炎を発動すれば、身を守る術を失ったイワザールに焼死以外の結末は無い。
が、イワザールは自身の雷槍が封じられたのを悟った瞬間、同じく死を悟った。少なくとももはや無難な道での活路は存在しないことを悟った。
一番危険なのは追い詰められた獣である。窮鼠が猫を嚙むように。今この瞬間、この戦場においては、間違いなく鼠たるキエンが猫であり、巨体のマンティコア、三杖流のイワザールこそが窮鼠であった。
イワザールは両手の杖を地面に深く突き刺し、どっかりとその場に腰を下ろす。そして手で印を結ぶと莫大な魔力が練り上げられていく。頭上で火球が破裂し、炎の花を咲かせた。直に、全てを焼き尽くす業火の花弁がイワザールの体に降り注ぐことだろう。だが、それへの対処法をイワザールは持たない。持たない以上、気にしても詮無いことである。
炎の花弁がヒラヒラと舞い降り、イワザールの体表を焼き焦がしていく。だが、気にするだけ無駄なのだ。イワザールが今やるべきことは熱さに苦しみ叫ぶことではないのだから。
心頭滅却すれば火もまた涼し。
そして、イワザールの9つ目の魔法【氷虎雷竜・六命召喚】が発動した。
右の杖から雷光を発する魔法体の竜が電撃を放出しながら現れ、左の杖からは白霧の冷気を伴った氷の虎が現れる。いずれもイワザールの倍ほど大きい。
同時に【氷虎雷竜・六命召喚】は水属性を含む大魔法であるため、イワザールの体は浄花炎の花弁に包まれるのを待たずして、炎罰獄刑により全身から炎が迸って吹き上がる。
「むっ、あれが奴の最後の隠し玉ですな? しかし、召喚魔法は術者が死ねば消失する。であれば、奴が焼き殺されるまで、拙僧らは逃げに徹すれば良いだけのこと」
ライゴは雷竜の方へと【避雷針】を何本か投擲しながら、呑気なことを言う。
そう。あとは時間との勝負に思える。
だが、時の軍配はイワザールの方に上がった。
炎罰獄刑の炎の罠の中で黒い影が崩れ落ちる。しかし、氷虎、雷竜ともに健在。見れば、崩れ落ちたのは炭化した木偶人形だった。
「・・・想定していたよりも、リキャストタイムが短かったようですね」
キエンの計算では、もっと余裕があるはずであった。
「ぐぬぬっ、あやつめ、もしかしたらリキャストタイム半減の能力を持っておったのではないか?」
悔しがるライゴだったが、今更言っても詮無いことだった。
身代わり魔法で難を脱したイワザール本人は、全身火傷を負い息も絶え絶えという様子で地に横たわり、立つ元気も無いようだったが、それでも目の光だけは爛々と輝いていた。彼は今しがた自分が瀕死の重傷を負いながらも攻守逆転の主導権を握ったことを悟っていた。
雷竜と氷虎がキエン達に襲い来る。
しかし、雷竜はライゴがばら撒いた避雷針に体を引っ張られるためか、動きが鈍く雷撃も避雷針に吸収される様子だった。それを見たイワザールはすぐさま雷竜を己の元へ呼び返して、自分の周囲で蜷局を巻かせる。防御用に徹した運用だ。
「チッ」
キエンは思わず行儀の悪い舌打ちをした。強力な召喚獣を相手にするくらいなら、隙をついて術者本人を仕留めに行く方が良いに決まっている。だが、その道は早くもイワザールに潰された。
―――まあ、いいですよ。それなら各個撃破で一体ずつ処理するだけのこと。たぶん、あんたもう体力だけでなく、魔力も底ついてるんでしょう?
とは思うものの、
「【火球】」
キエンが放った炎弾は、氷虎に当たると盛大な湯気を噴き上げながら消失する。ダメージは通っているようだが、氷の体を削りきる前にキエンの方が撲殺されてしまうだろう。
「ライゴさん、僕にはあの氷虎はどうにもならないので、お任せします」
キエンは火球のダメージを物ともせず迫りくる氷の虎を見てライゴに丸投げする。
「いやいやいや、坊ちゃん。拙僧一匹ではどうにもなりません」
「何言ってるんですか。ライゴさんの例の秘儀とかっていう能力を使えば楽勝のはずですよね?」
「しかしですな、坊ちゃん・・・【洗礼の門】《ハイエロファント》は拙僧のいわゆる奥の手という奴でして」
「その奥の手を出し渋って落命したら元も子もないですよ。ほら」
キエン達の眼前にまで迫った氷虎が躍り上がって、キエンとライゴの真上から巨大な氷の前足を打ち下ろしてくる。
ひょいと飛びずさるキエンと「ひえっ」と小さな悲鳴を上げて転がり逃げるライゴであった。
「【火球】・・・なんで、そんなに使いたがらないんですか? ・・・よっと」
モグラ叩きの様に連続して打ち下ろされる氷虎の前足を華麗に躱しつつ、キエンは火球を放って応戦・・・しながらも、ライゴに対してイラつかざるを得ない。
「それはですな、拙僧には拙僧の・・・うひゃぁ・・・事情というものが・・・ひえっ・・・あってですな」
と、ライゴは奥の手を出し渋る。出来れば使わずにこの場を凌ぎたいらしい。
が、氷虎は俊敏なキエンを追い回すよりも、やや鈍重でみっともなく転がりながら逃げ惑うライゴを優先的に攻撃することにしたらしい。キエンの火球による牽制も無視してライゴを集中的に狙ったものだから堪らない。
「グヘッ」
ライゴはとうとう氷虎の打撃をまともに受けてしまう。しかもそのまま巨大な氷の手に抑え込まれて身動きもできない。しかもその上から、もう片方の腕がハンマーのように打ち下ろされた。
「【火球】・・・ライゴさん!」
流石に慌てたキエンは注意を引こうと炎弾を放つが、氷虎はまずは各個撃破で一匹仕留めることを優先しているらしく、火球の当たった体表からジュージュー湯気を出してその身が溶けることも無視している。
「くっ、流石にこれはマズイですな」
一方、ピンチのライゴは意外としぶとかった。元来、
「かくなるうえは、やむを得なし」
ライゴは氷虎に圧し潰されながらも、己の毛を一本引き抜く。今はライゴが文字通り窮鼠であった。
「【洗礼の門】《ハイエロファント》」
ライゴの持つ鉄の毛がみるみる鍵の形になる。
「解錠」
ライゴが鉄の鍵を捻ると、そこには突然白く輝く門が現れる。大きさは氷虎が優に潜れるくらいある。
「開門」
出現した魔法の扉が開くと、中から鐘の音が鳴り響き、色とりどりの花弁と香しい薫りが漏れ出す。そして、扉の内側から、トコトコと一匹の子羊がやってきた。
「めぇー」
あんなか弱そうな子羊を呼び出して一体どうする気なんだと思うキエンだったが、今は見守るよりほかにない。
キエンの懐疑に反し、ライゴを抑えつけタコ殴りにしていた氷虎は子羊を見た途端、まるで金縛りに合ったように動きを静止させてしまった。その目に映るのは恐怖か畏怖か。いずれにせよ、そんなことには頓着せず、トコトコと可愛らしく氷虎に近寄っていった子羊は、そっとその前足を掲げて氷虎に触れる。
パリンッと何かが割れる高く透き通るような音が響いた。
途端に、氷虎の体は粉々に砕けて崩壊する。かと思えば、グルグルと魔力の渦が巻き起こり、氷が再集結していく。そして、あっという間に氷虎と同じくらいの大きさの氷の鼠の姿になっていた。
「さあ、行け。敬虔なる信徒よ。異教徒を撃ち滅ぼすのだ!」
ライゴの命令に従い、氷の鼠は踵を返して雷竜に守られているイワザールの方へと駆け出す。
「相手の召喚獣を奪い取る。凄い技ですね、ライゴさん」
「そうであろう。これで決着はついたも同然」
ヨロヨロと起き上がったライゴは胸を張る。
が、異変が起きた。イワザールへ突撃して行った氷の鼠が突如苦しみだし、次の瞬間破裂した。
「むっ、馬鹿な。自爆だとぉ」
そして、破裂した氷の鼠の中から、一回り小さい氷虎が白い冷気を吹き出しながらむくりと起き上がる。
「あれはいったいどういうことですか!?」
「ぐぬぬっ、自爆と再生。流石は隠し玉。あの氷虎、複命召喚であったか・・・問題は何重か、だが・・・んぬぬぬ、こっちも回数を浪費したくないというのに」
ライゴが唸っている間に、一回り小さくなった氷虎が再び、ライゴたちの方へと駆けてくる。子羊はライゴの方を向いて小首を傾げた。ライゴは苦い顔をする。
「ライゴさん、もう一回だけお願いします」
キエンは渋っているライゴをガベルで突っつく。
「そんな殺生な・・・拙僧はもう嫌ですぞ。閉門!」
キエンの頼みを挿げなく断り、洗礼の門を閉じようとする。
が、
「めえぇー」
ライゴが閉じようとする門を子羊が蹴っ飛ばして、ガバリと開くと、すぐさま踵を返してキエン達の方に襲い掛かる氷虎を凝視する。途端、停止してピクリとも動かなくなる氷虎。
「あ、こら! また勝手に! なぜ毎度拙僧の言うことを聞かんのだ!」
しかし、ライゴの怒鳴り声も馬耳東風と、子羊はトコトコと氷虎に駆け寄ると再び前足でちょこんと触る。結果、前回と同じ現象が生じた。氷虎は粉々に砕けて、氷の鼠に再結晶する。
また、同じことの繰り返しになるのかとキエンが思った矢先、
「めぇっ」
子羊が華麗な後ろ回し蹴りを味方化したはずの氷の鼠にぶちかます。氷の鼠はそのまま吹っ飛ばされて子羊が出て来た門の中に蹴り込まれた。門の内側で自爆と氷虎への再生する様子が遠目から見えたが、子羊は氷虎の再生が終わる前に門に駆け込むと同時に洗礼の門がバタンッと勢いよく閉まる。
そして、するすると消えてしまった。
「拙僧、まだ鎖錠の呪語を言っておらんのに!」
シーンと静まり返った戦場にライゴのいじけた様な愚痴が寂しく響く。
まあ、とにかくキエンからすれば結果オーライだ。氷虎が何度蘇るか不明だった以上、子羊のとった戦略がベストだったようにも思われる。
「ふぅ、なにはともあれ、これでようやく僕らの勝ちですね」
勝利宣言するキエンに対して、
「・・・何を言うておられる。まだイワザールも雷竜も健在ではないか」
ライゴがやや恨みがましい声で諭す。
「氷虎がいない今、もはや障壁は有りません」
しかし、キエンはそう言うと、ずんずんと雷竜に守られるイワザールの方へと向かっていく。
「ライゴさん、お忘れになっては困りますよ。僕がフレイムラットだってことを。そしてフレイムラットの毛皮の特性は、強力な耐斬性、耐熱性、耐毒性、耐電性の四耐性です。氷の物理体を持つ氷虎は僕にとって脅威でしたが、魔法体で雷属性の雷竜は僕に傷一つ付けられません」
「そう言えばそうでしたな」
高い麻痺能力と高速の機動力を持つ雷竜は強力な召喚獣である。特に人間の間では金属製の楯や鎧の上から感電攻撃を通せる雷竜の召喚はやっかいな魔法として評価されていた。決して弱い魔法でも無意味な魔法でもない。
まあ、それは置いといて。
ずんずん向かってくるキエンに無駄と知りつつも、イワザールは雷竜を使って電撃を浴びせたり、雷槍を撃ち込んだりと必死に抵抗する。だが、それはキエンのスピードを緩め、動きを鈍くするくらいの効果しかない。氷虎が健在であれば、そこを叩いてぺしゃんこにすることも出来たが、今更言っても詮無いことだった。
キエンは雷竜の妨害を鬱陶しそうに手で払いのけ、払いのけしつ、ついに浅い呼吸を繰り返すばかりで動くことも出来ないイワザールの顔の前に到達する。
「あなたの負けですよ。三杖流のイワザール」
キエンはガベル炎罰獄刑をイワザールの首元に差し向けて、ペチペチと当てた。
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