第三十四怪 鵺の親子③
「契約ハ成ッタ」
そう言うと同時にムラサメはひとつピョンと跳ねると、次の瞬間、その刃をエルガーの胸に深々と突き刺していた。
「えっ?」
流石に驚くエルガー。まさかいきなり胸をぶっ刺されるとは予想していなかった。
しかし、それは勿論ミザールも同様だった。
「なっ、馬鹿な。自殺だとぉおお!? いや、しかし、なるほどなるほど。私に嬲られながら解体されるくらいなら、己の命の最後は己で終わらせる・・・ということですか。やれやれ、私としたことが盲点でしたよ。いえ、考えてみれば、内通者としてスパイ教育を受けているのですから、敵に情報を渡す前に自害するよう調教されているのは当然のことですね。・・・とても残念だ」
全くの見当違いである。
エルガーは何が起こっているのか分からなかったが、それでも抵抗したり、ムラサメを引き抜こうとはしなかった。よくは分からない。分からないが、きっと必要な事なのだろうと。
エルガーの胸に刺さったムラサメは、そのままズブズブと沼に沈み込むかのようにエルガーの胸の中に深く潜っていく。そうして、あっという間に刀身は全てエルガーの体内に溶け込んだ。
そして、
「うっ、熱い・・・」
エルガーの全身に焼けつくような痛みと熱が走り回り、その体表から眩い光が放たれる。
「何!? まさか、自爆か!? ゴブリンどもめ、いったいどんな調教を施したというのだ!?」
ミザールはエルガーが謎の発光をした瞬間、慌てて後ろに跳ぶ。そして、自身とエルガーの間に、魔法で作り上げた鉄の楯を出現させた。
結果的に言えば、このミザールの見解と判断は誤りであった。彼はすぐさま鎖鎌をエルガーに叩き込むべきだったのだ。とは言え、それは結果論に過ぎない。合理的に考えれば、ミザールの判断と行動は非難されるべきものでは無いだろう。
ミザールが防衛態勢に入ると同時に、エルガーの身には急激な変化が起こった。いや、それは変化というよりも、むしろ「変身」であった。
骨格が、肉が、皮膚が、毛皮が、まるで蝶が蛹の中でドロドロに溶けて芋虫から体を作り替えるかのように、変質していく。熱と光の放出が終わった頃には、エルガーはすっかり変身していた。
エルガーは二足歩行の姿ですらりと直立していた。上半身は人間の少年。下半身は虎。尻尾の蛇は変わらず、背中に小さな蝙蝠羽、頭上に捻じ曲がった山羊の角。黄色と黒の縞模様の髪がフワフワと柔らかそうに揺れる。
きっとスズカがここにいたら、虎タイプのサテュロスかな? とでも感想を言っていただろう。
「なんだこれ? 毛が生えてない・・・俺の手、禿げてる」
放心しつつ、エルガーは己の手と思しきものを握ったり開いたりしながら、黒い瞳でしげしげと見つめる。腹と思わしき場所も撫でてみるが、鎖鎌で切られた傷は消失していた。
『契約獣形態だよ。君の本性にして精神であるマンティコア、魔剣の体にして本質たるバフォメット、そして僕の記憶における最高の技量の持ち主だった人間の姿、それらが混合された結果だね』
突如エルガーの脳内に声が響く。
「えっと、もしかしてムラサメ師匠?」
しゃべり方があまりにも異なっているが、他に可能性が無かった。
『その通りさ! えっへん』
やはりムラサメらしい。
「これどうなってんだよ?」
『だから、契約獣形態だって言ってるじゃないか。君は飲み込みが悪いなぁ。そんなことより、さあ戦おう。僕らの初陣におあつらえ向きの大将首だよ』
「いや、戦うのは
エルガーはその手で自身の裸の上半身をさする。無毛でツルツルスベスベだ。
「こんな禿げた体、防御力ねえって。体毛が無いせいで心許無いっつーか、ちょっと肌寒いんだが」
『ははは、当たらなければ、どうということは無い』
「無茶苦茶言いやがって・・・」
エルガーは苦い顔をした。もっとも彼は自分の顔が猿から人間の少年の顔に変身していることを未だ知らなかったが。
「いったいぜんたい、これはどういうことか・・・」
いつまでたっても起こらない爆風に焦れて、ミザールが鉄の楯の裏から顔を出す。
エルガーのすっかり変貌してしまった姿に動揺しながらも、ミザールは己の中で推論を高速で積み重ねていた。
「・・・・・・なるほどなるほど。・・・謎は全て解けました。あなた、それが真の姿ですねぇええ! 即ち、あなたの正体は半人半魔。呪詛か奇跡により、人間と魔獣の間に偶然生まれた存在。おおかた、人間たちの間で芝居小屋の見世物とされるのが我慢ならずに逃げ出したのでしょう。そして、魔獣相手なら本当の仲間として受け入れてもらえるとでも勘違いしてこのロークビ高原に来た。くくく。きっとそんな世間知らずの貴方をゴブリンどもは言葉巧みに取り込み、便利な駒として調教したというわけだ。実に小賢しい奴等ですねぇゴブリンというのは」
なぜか、ミザールによってエルガーの壮大な半生が勝手に作られていく。エルガーは呆気にとられて聞いていた。
「そして、貴方の特殊能力は変幻自在に他の魔獣の姿になれること。実にスパイにもってこいの能力だ。とは言え、その能力には欠点がある。そう、戦闘力が大幅に下がる! おかしいと思ったのですよ。いくらクソガキとは言え、スパイとして調教されているにしては弱すぎるなと。くくく。しかし、この頭脳明晰なる私に正体を見破られてしまった以上、虚偽の姿でいる意味は無くなった・・・。故に、今こうして本来の姿に戻ったというわけです。くくく。この三雷鎖のミザールの眼を以ってしても解けない謎など無いのですよぉおお」
ミザールはビシッと右手で自分の目隠し覆いを指差して自分の叡智を高らかに自慢してみせる。
・・・全くの見当違いなのだが。
「何言ってんだ、コイツ」
呆れて気が抜けていたエルガーだったが、
『右に跳べ!』
いきなりのムラサメからの指示に、反射的に従う。右側へとエルガーが跳躍すると間髪を入れずに、元居た場所に鎖鎌が突き刺さっていた。
「あ、あぶねえ・・・」
よく見ると、鎖鎌の鎖は鉄の楯の左側から伸びている。ミザールは鉄の楯の裏から体を出していたが、それは全身ではなかった。右側から体を出し、さも推理に夢中になっている風を装って、裏側から隠れて鎖鎌をエルガー目掛けて放っていたのだ。
「おや、勘の良いクソガキですねぇ。私の推理ショーにも油断することなく警戒していたとは・・・」
『エルガー、絶対に油断しちゃダメだ。コイツは馬鹿だが狡猾だ』
「分かった。すまん。・・・そういや、親父もなんかブツブツ言ってたな。よくしゃべる奴は詐欺師だから、気を付けないといけないとかなんとか」
そして、エルガーは気合を入れ直そうとしたが、
「そもそも、どうやって戦えば良いんだ、この体・・・」
無毛でスベスベの拳は爪まで柔らかい。とても戦闘向きの肉体とは思えなかった。
『もちろん、剣で戦うのさ』
「いや、剣って。ムラサメ師匠は今俺の中じゃんか。出て来れんの?」
『出られるけど、出る必要が無いね。さあ、唱えて。剣の1《ソードのエース》』
謎だらけだが、言われた通りやるしかない。
「ソードのエース!」
エルガーが叫ぶと、もわもわっと白い靄が手の周りに漂い、次いでその靄の中からジャガーの杖1本と半分くらいの大剣が現れた。というか、今のエルガーの背丈とそれほど変わらない。ズシリと重い。だが、重すぎるということは無い。細腕にもかかわらず、不思議とエルガーはこの大剣を片手で持つことすら出来た。
まあ、それは良い。だが・・・。
「あー、ムラサメ師匠。言わなくても分かってると思いますがね、俺は剣で戦うなんて初めてというか、そもそもまともな戦闘経験自体が無いんだが?」
エルガーに分かるのは、取り敢えず刃の無い部分を握って振り回せば良いのだろうということくらいだ。
『むしろ、好都合だよ。君がマンティコアとしてマンティコアの戦い方に熟達していたら、かえってこの形態での戦い方に違和感が生じて苦労したろうさ。だが、君は言わば真っ白な布。何色の染料でも自由に染め上げ、模様を創り出せる偉大な白だ。だから本能のまま振るうと良い。剣の技は僕の記憶の中から引き出せる』
「・・・だと良いんだがな」
いまいち自信の無いエルガーである。
「それは・・・魔法剣か・・・いや、創造召喚の類か? なるほど、それがあなたの隠し玉だったというわけですか。しかし、果たしてその特異な能力に見合うだけの技量はお持ちかな?」
エルガーの自信の無さが伝わったのか、ミザールはややもすると嘲るような雰囲気で煽る。
「ふっー」
対するエルガーはミザールの煽りを聞き流して、深く息を吐いた。
そのまま、エルガーは大剣を両手で握って正眼に構える。姿勢は何かに導かれるように自然とそうなった。
その佇まいを見て、さっきまであれほどおしゃべりだったミザールが押し黙る。そして、鉄の楯に半身を隠しながら、鎖鎌を構え直す。
空気が張り詰めた。
エルガーの心拍数は急激に上がっていく。まともな真剣勝負が初めてのエルガーにも分かる。敵から、ミザールから遊びの雰囲気が消えたことが。
その緊張を、エルガーは我慢できなかった。
ジリっとエルガーの右足が急くようにして半歩前に滑り出る。
途端。
エルガーが瞬きをしたと同時に、左側の地面に突き刺さっていた鎖鎌が跳ね上がるようにして、エルガーの喉元に飛び込んできた。
「なっ」
それに対して、エルガーの肉体は自動的に鎌の刃を正確無比に叩き落とそうとする・・・が、エルガーの恐怖が、焦りが、反射的に剣を引き戻して防御しようと働く。その異なる意思の狭間で大剣はひどく中途半端な軌道を描いてしまった。
「ぐっ・・・痛っえええ」
直撃は防いだが、左肩をザクッと切られる。だが、それよりも深刻なのは中途半端な大剣の振り回しにエルガーの体が引っ張られてしまったことだ。
『だめだエルガー! 体の動きに呼吸を合わせるんだ。逆らっちゃいけない!』
ムラサメの焦り声と共に、2本目の鎖鎌が間髪無く、体勢の崩れたエルガーの背後から回り込むような軌道で襲ってきた。そもそも最初の一撃は当たることを想定しておらず、体勢を崩すことが目的で放たれていたのだ。
「くそっぉおお」
焦れば、焦るほどエルガー自身の意思が、最適な剣技の動きを阻害する。
鎖鎌は、エルガーが体を捻って剣で防御するより速く、エルガーの体に到達した。
「っ! 【岩爪】!」
咄嗟に、土魔法を使って手を岩で覆い、鎖鎌と自分の肉体の間に差し込む。おかげで胴体をすっぱり切断されるのは防いだが、その瞬間エルガーの体を電撃が襲う。
「ぐあぁあああ!」
苦悶の声を出しながら、エルガーは地に伏す。直撃は防いだにもかかわらず通電したということは、短い距離なら電撃を貫通させる能力をミザールは保有しているのだろう。
一連の様子を見ていたミザールは、素早く鎖を引っ張って回収しながらも口を歪ませて笑った。
「くくく。少々驚きましたが、姿形が変わった所で、中身はただのクソガキのままのようですねぇええ。一瞬強者の雰囲気を感じてしまいましたが、ただの勘違いでしたか・・・。くくく。本物の格の違いというものを思い知らせてあげましょう」
ミザールの雰囲気が元に戻った。遊びの余裕が滲み出ている。
エルガーは歯を食いしばった。痛みも気にならなくなるほど、怒りがふつふつと湧き上がる。己の情けなさに対して。
なんせムラサメの与えてくれたこの体のポテンシャルは、少なくともミザールが本気を出す必要を感じ取るほどのモノだったはずなのだ。
「馬鹿野郎。俺自身が足を引っ張ってるんだ・・・」
エルガーは自分に対して悪態をつきながらも、なんとか気力で立ち上がる。
『ん~~。まあいきなりは無理だったか~。詮無いね。しばらく僕と変わろうか』
「は? 変わるって・・・」『・・・どういう意味だよ? っ!?』
「こういうことだよ。エルガー君」
エルガーとムラサメは、体を操作する意識の表層と深層とで反転した。エルガーは自分の体が自分の体であって、かつ、そうではないような感覚に陥る。いましゃべってるのは、エルガーの肉体の口を開け閉めしているのは紛れもなくムラサメの意識だった。
エルガーはグリグリと首を回す。・・・いいや、もはやそれはエルガーではない。ムラサメだった。
ムラサメは左肩の傷口に右手をそっと当てる。
「【自己修復】」
傷口はみるみると塞がっていく。
「まあ、エルガー君。ものは考えようだよ。君の不味い戦いぶりのおかげで、奴は油断しきっているからね」
『・・・嬉しくない』
「まあまあ、拗ねない拗ねない。それよりも中でしっかりと戦闘を追体験して、君自身の血肉に変えるよう意識することだね。・・・そうすれば、いずれ君自身が、君だけの力で、あんな雑魚は鎧袖一触で倒せるようになるさ」
ミザールには聞こえないようムラサメは小声でエルガーを諭す。
『・・・雑魚?』
エルガーには、ミザールを雑魚と言ってのけたムラサメが信じられなかった。
ムラサメはすっと大剣を正眼に構える。
最初のエルガーと全く同じポーズだ。・・・まるで、それしか構えを知らないかのように。
「ほほうぅ、回復魔法が使えるのですか・・・まあ、それなら何度も切り刻んであげるだけですがね。くくく」
笑うミザールに対して、ムラサメは半歩だけ、すいっと右足を前に動かす。それはさっきエルガーが焦りからしてしまった動きと同じだった。いや、まるで同じようにしか見えなかった。
途端。
鎖鎌が飛んでくる。が、するりと軽やかに振られた大剣が正確に鎌の付け根部分を一突きする。鎖鎌は、遠くへと跳ね飛ばされた。そして、もう一本の鎖鎌が先ほどの様に背後から襲ってきたが、ムラサメは無視して前へと、ミザールの方へと背を低くしながら駆け出す。2本目の鎖鎌は掠ることすらなく、ムラサメの背中の上を通過していった。
「何!?」
ミザールは慌てて鎖鎌を引き戻すが、ムラサメの突撃には間に合わない。
が、ミザールは直ぐに冷静になり、魔法を発動する。
「【雷槍柵】」
ミザールの周囲の地面が、環状にバチバチと放電しうねり出す。そして、無数の雷槍が柵のようにして地面から突き上がった。
「ふんっ、馬鹿め。近接戦闘屋が中距離武器使いの私に突撃してくることなど、いつものことなんですよぉおお」
だが、ムラサメはそれを見ても走る速度を僅かも緩めない。
『ちょっ、おいどうすんだよ! あれに突っ込んだら、死んじまうって!』
エルガーは恐怖で叫ぶ。
「【魔法斬り】」
ムラサメが雷槍柵の直前で大剣を天に掲げてから、振り下ろす。
大剣に切り裂かれた雷槍柵に、ムラサメが通れるほどの隙間が空いた。ムラサメはそのまま柵の中に走り込む。そのままの勢いで、鉄の楯の裏側へと回り込んでしまった。どうやらミザールの鉄の楯は防御力優先で、自由に稼働できるタイプではなかったらしい。
即ち、もはやミザールとムラサメの間には何も無い。鎖鎌の一本がようやくミザールの手の中に戻ろうとしていたが、しかしムラサメの踏み込み速度の方がそれよりも速かった。
『勝った!』
エルガーはそう確信した。誰だってそうだろう。ミザールの唇が歪んだ笑みを作っていることに気付けはしまい。
だが。
「ちっ」
ムラサメは踏み込んだ足を戻すと、跳ねるように後ろに飛びずさり大剣を幅広の面を縦にして何も無い空気中を薙ぐ。
途端、甲高い金属の衝突音が鳴り響いた。
『えっ』
困惑するエルガー。
「・・・・・・」
ミザールは口をへの字に引き結び、ムラサメがバックステップしている間に鎖鎌を両手に回収した。
「おしゃべりは無しですか? 三雷鎖のミザールさん。いや、あなたは改名すべきですよね? 四雷鎖のミザールさん、それとも四本目は透明のミザールさんとお呼びした方が良いですか?」
『・・・どういう、ことだよ』
三雷鎖のミザール。その通称こそが彼の最大の詐術であった。
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