幕間【Ⅱ】 銀の鋼

 ピレネスの戦業士ギルドは、最近新顔がひっきりなしに流入してくる。


 ロークビ高原という最凶の魔境の最前線として以前から賑わってはいたが、去年のゴブリン大戦を契機に、より一層に野心を持つ者たちを惹き付けているのだ。なんせ、ここには本物の英雄になれるチャンスが転がっているのだから。少なくとも、ゴブリンロード討滅作戦に参加して無事生還した面々は生ける伝説になったし、まがうこと無き救国の英雄だった。

 しかし何よりほうぼうの戦業士たちの心を揺さぶったのは、ミミット王国は彼ら救国の英雄達への謝意として、主だって活躍した者には、なんと爵位と領地を与えたことだ。

「剣一本で貴族になれる!」

 それは多くの戦業士にとってあまりにも甘美な誘惑だった。結果、まるで誘蛾灯に引き寄せられる虫の如く、ロークビ高原という魔境の恐ろしさを知らない戦業士たちが各地からピレネス目指してやってくることになったのである。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


「俺はヘキサ村出身、色彩剣のクロム! 一人で一度に10頭のオークの群れを倒したこともある魔剣士だ。俺と共に名を上げたいと欲するニュービーはいないか?」


 今日も今日とて、ピレネスの戦業士ギルドでは命知らずな愚か者が大音声でパーティーの募集を行っている。最近では見慣れた光景だ。

 まだ若い剣士の青年は拳を突き上げて、威勢よく周囲の戦業士に呼びかけている。


「オーク10頭だってよ。大したもんだな・・・よその魔境ならご立派にやってけるだろうよ」

「頭下げてベテランのパーティーに入れて貰おうって考えには至らんのかね?」

 そして、隅の方でそういった新顔たちを嘲る陰険な古株達が管を巻いているのもいつもの光景だ。彼ら古株達の間で近頃流行りの趣味は、夢と希望に眼を輝かせる若者たちが何カ月で帰らぬ人になるかを賭けるという、最低で下衆な賭博だった。


「ねぇ、あんた10頭のオークを単独撃破って、本当なの? 盛ってるんじゃないんでしょうね?」

 猜疑心の眼で見ながらもクロムに話しかけたのは、三つ編み赤毛にソバカスの弓使いの娘だった。腕組みをしてクロムを品定めしているようだ。

「盛ってねえ。本当だ。・・・数匹は子供のオークだったけどな」

「それは盛ってるうちに入るんじゃないの?」

「嘘は言ってない」

 クロムも赤毛っ娘に対抗する様に腕組みして胸を反らす。戦業士は舐められたらダメなのだ。強い、強そう、という評判がより良い仕事を持ってくる。


「そっ。まあ、いいわ。他のに比べたらあんたが一番マシに思えるし。わたしもいい加減早くパーティー組んで仕事しないと金欠だし。・・・わたしはシーボギー。よろしくクロム」

 シーボギーは腕組みを解いて、クロムに握手を求める。

「よろしく、シーボギー。しかし、最初のパーティーメンバーがこんなあけすけな女とは。先が思いやられるぜ」

 クロムは握手に応じたが、同時に愚痴とため息を吐き出す。

「あんたねぇ・・・人が折角組んであげようって言ってんのに」

 シーボギーの額に青筋が浮かぶ。


「すみませんが、魔法使いは入用ですか?」

 シーボギーが切れる前に、ローブ姿でハニーブロンドの髪の長い女が二人に話しかけてきた。金銀で装飾された高価そうな杖を片手に、優雅に微笑む。クロムの視線は思わず彼女の胸に鎮座する驚異的な双丘に引き寄せられた。

「あ、ああ、もちろん。魔法使いは大歓迎だぜ」

 クロムの方から握手を求める。

「ありがとうございます。私はタングーサ。ダブルキャスターのタングーサです。よろしくお願いしますね。クロムさん。シーボギーさん」

「・・・なんか、わたしの時と歓迎具合が違うように感じるんだけど?」

「気のせいだ。まな板」

「むっきー!」


「あ、あの・・・」

 またもやシーボギーが沸騰しそうになった時、小さな声がする。

「ん?」

 クロムが声のした方を振り向くと、煤けた様な灰色のローブを頭から深くかぶった小柄な奴がいた。杖を持っているのでタングーサと同じく魔法職なのだろう。ボサボサの灰銀色の髪が目元も隠してしまっていて表情はよく分からない。

「えっと、ボクはモリアンです。バッファーなんですけど・・・必要ですか?」

 自信無さげに、クロムに問うてくる。

「支援職か。・・・まあ、どの程度使い物になるか次第だな」

 クロムが考えこむポーズを取ろうとするが、その頬をシーボギーがグイッと抓る。

「何言ってんのよ。バッファーよ。貴重だわ。モリアンちゃん、よろしくね。わたしはシーボギー。ねっ、精度強化か命中強化は使える?」

「えっと・・・・・・ボクのバフは全能力を底上げするので・・・」

 モリアンの呟くような小声の返答に、シーボギーは目を丸くする。

「えっ、嘘!? やばいじゃん。大当たりのメンバーね。わたし、クロムがモリアンちゃんを要らないって言ったら、一緒に出ていってあげる」

「おい。誰も要らないなんて言ってないだろ! パーティーの運用とかをどうするか考えてただけだ」

「モリアンさん、よろしくお願いしますね。私はダブルキャスターのタングーサです」

「こちらこそ。よろしくお願いします」


 かくして、その日、魔剣士クロム、弓使いシーボギー、魔法使いタングーサにバッファーのモリアンの四名で即席のパーティーが組まれたのだった。


「・・・ところで、モリアン。お前ってさあ、男だよな?」

「えっと・・・」

「ちょっと、あんたこんなに可愛い女の子に向かって何言ってんの!? 失礼千万よ!」

「えっ~? 男の子じゃなかったんですか~?」

「・・・紛らわしくて、ごめんなさい」

 モリアンは恥ずかし気に、更にローブを目深に被ったのだった。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 クロム達の結成したパーティー「銀の鋼」は、それから一カ月ほどは順調にクエストをこなしていった。高難度の依頼を受けようとするクロムをシーボギーが頬を抓って阻止し、おっとりしたタングーサが仲裁に入って、モリアンがそんな難しそうなクエストは自信がないと震え、結果彼らは自分たちの実力を超えたクエストは避けることが出来ていた。新人パーティーとしては中々上手くやれていたと言える。クロムが若干不満を抱えていたが・・・。


「あの銀の鋼って新顔のパーティー、結成してそろそろ一カ月だぜ」

「へぇー。なら魔の二カ月目突入だな。かははは」


 ピレネスの古参の戦業士達の間では、とあるジンクスが噂されている。ロークビ高原デビューの新顔には、ロークビ高原の洗礼が3度降りかかる。一度目は最初のクエスト。二度目は一カ月経って慣れ始めた二カ月目のクエスト。三度目は一年経って自信が付いた二年目のクエストにやってくると。だから、彼らは3年目を迎えることが出来た戦業士だけを真の生き残りとして歓迎するのだ。それまでは、ロークビ高原という魔境の気紛れで生かされているに過ぎない・・・。


「馬鹿なジンクスね」

 シーボギーは古参達から洩れ聞こえる嘲笑を一笑に付す。

「全くだな。別に俺たちの最初のクエストも大変なことは起こらなかった」

「ええ、そうね。でも、それはわたしがロークビ原産種の危険な魔獣をいち早く発見して出くわさずに済んだからってことをお忘れなく!」

「へいへい」

 クロムは肩を竦める。シーボギーの索敵能力により安全にクエストを遂行できるのは良い。だが、結局それは強い敵から逃げ回っているのと同じだ。早く名を上げたいクロムにとっては非常にじれったい一カ月だった。


「まあジンクス云々はおいておくとして、そろそろ私達も依頼の難易度のランクを上げてもいい頃かもしれませんよ。クロムさん。シーボギーさん」

「おっ! タングーサもそう思うか?」

 タングーサの言葉にクロムが逸る。

「うーん、まあ、わたし達の実力的にちょっとぬるい感じが続いてるのはそうだけど・・・モリアンちゃんはどう思う?」

「えっと、ボクは今のクエストレベルだと、あまりお役に立てていないというか。何もしないこともあるくらいなので・・・もう少し上を目指しても良いかなと」

 パーティーで一番消極的なモリアンも、流石に自分の仕事が無いほど安全なレベルでのクエストを続けるのは気が乗らないらしい。

「よしっ! 決まりだな。深層の依頼を受けよう!」

「調子に乗んな!!」

 シーボギーがクロムの頬を抓る。

「じょ、じょうだんだ。いたいいたい」


 結局、銀の鋼は今まで通りの浅層の依頼で、今までより一回り報酬の良いクエストを受けることにした。場所はいつもと同じ浅層。ただちょっと、いつもよりも、ほんの数キロ森の奥に入るだけだ・・・。だから、いつもと大した差はない。


 無いはずだ。


 ・・・いや、本当に差が無いなら、一回りも報酬が良くなったりはしない。

 新人達は知らないのだ。そのたった数キロの違いが、森の奥からひょっこりやってくる凶悪な魔獣と出くわす確率を激変させることを。不運と出会う確率の違いこそが、クエストの難易度に反映されているということを。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


「なんでこんな浅層に、あんなのが出てくるのよ」

 大樹の裏に隠れて様子を伺いながら、シーボギーがぼやく。

 その視線の先には、身の丈4mを超える巨獣がいた。顔は牛、体は筋骨隆々で石の巨斧を担いでいる。そして、腰から下は8本の蜘蛛足。ロークビ高原原産種の魔獣ロークビ・ミノタウロスである。そんな奴が何かを探すようにしてウロウロと歩きながらブモッブモッと鼻をならしている。


「ロークビ・ミノタウロスって初めて見ましたけど、本当に足が蜘蛛なんですね~」

 シーボギーの隣でタングーサが実に暢気なことを言う。実にマイペースだ。

「シーボギーさん、いつもは索敵で回避できるのに、今日はどうしてあんなでっかいのを見逃しちゃったんですか?」

 モリアンが震え声でシーボギーに尋ねる。責めている・・・というよりは、何か話していないと恐怖でおかしくなりそうなのだろう。緊張する程に饒舌になるタイプだというのは、一カ月も共に行動していれば分かる。

「たぶん、わたしの索敵のスキルを無効化する能力を持ってたんだろ。・・・あんなデカ物に気付けなかったとか自分でも信じられない!」

 一部のロークビ・ミノタウロスは【偽装石像】《フェイク・スタトゥア》という能力で他者の感知スキルから自身の生命反応を隠蔽することができる。巨体が目立ってしまうロークビ・ミノタウロスが待ち伏せの狩りをする時に使う技であった。シーボギーの索敵スキルも見事に騙され、巨大な岩があるだけだと勘違いさせられたのである。


「良いぞ。俺はああいうのとやりたかったんだ」

 クロムが興奮を抑えられないように自身の魔剣を握りしめる。

「だ、ダメですよ。クロムさん。やりすごしましょう」

 モリアンがクロムの袖を引いて、自制を促すが・・・。


 プェエーーーと笛の音が鳴る。ミノタウロスが小さな角笛を吹いたのだ。


「何の合図か分からないけど、このまま隠れてやり過ごすのは悪手ね」

「ですねー。仲間を呼ばれたのだとしたら、じきに見つかりますし、その場合は逃げるにしても戦うにしても複数の敵を相手にしないといけなくなるので」

「今直ぐ逃げましょう」

「・・・仲間を呼ばれんたんじゃ、仕方ないか」

 クロムは握りしめていた剣の柄から手を離す。

「モリアン。全員にバフだ。奴が北を向いたら、南に全力疾走だ。殿しんがりは俺がやるが、シーボギーとタングーサも適宜に奴の足を妨害して欲しい」

「「「了解」」」

 全員即答した。


「それじゃいきます。【結ばれる愛】《ラバーズ》」

 モリアンのバフスキルが全員の能力を底上げする。

「よしっ、今だ!」

 クロムの合図とともに、銀の鋼は南へと死に物狂いで走る。先頭はシーボギー。その後ろにタングーサ。少し遅れてモリアン。その後ろにクロムが文句も言わずにぴったり張り付いて走る。


 が。


 地が爆ぜるような爆音が鳴り、土埃が巻き上がる。先頭を走っていたシーボギーの目の前で。

 燃え上がる石の巨斧だった。人間たちが逃げ出したことに気付いたミノタウロスがその進行方向を防ぐために投擲したのである。石斧の周囲には陥没した地面とそこを満たすように飛び散った炎と石が広がり、とても通れそうにない。


「ちっ、でもこんなの避けて進めば良いだけだし」


 少しばかり迂回して走るだけのことだ。シーボギーは楽観視してしていた。獲物に追いつけそうにないミノタウロスが自棄になって己のメイン武器を放り投げるなんて暴挙に出たのだと。


「シーボギー! 上だあああ!」


 クロムの叫び声に、シーボギーは慌てて上を見る。

 ミノタウロスが宙を飛んでいた。

 いや、飛行しているわけでは無い。頭の両角から発射した蜘蛛糸を大樹の高枝に括りつけて、自身は振り子のように風を切って高速移動していたのだ。そして、次の瞬間にはシーボギーの真上から降って来た。

 シーボギーは必死に逃げて距離を取り、上から圧し潰されることは回避した。しかし、両者の距離は絶望的なほど近かった。しかもミノタウロスは今南側に陣取っている。

 まあ、このミノタウロスにとっては、いつものこと、だった。

 隠れている人間を見つけられない時はこれ見よがしに笛を吹けば、面白いように隠れている所から走り出してくる。しかも、決まって南へだ。だから、石斧を投げる準備をしながら、わざと北を向いてやるのだ。

 実にいつも通りの狩りだった。


「全員戦闘配置。覚悟決めろ!」

 状況を理解したクロムは方針をすぐさま変更する。そして、足の遅いモリアンを追い抜き、魔法の準備を始めたタングーサを追い越し、シーボギーに迫るミノタウロスへと突撃した。


「【青炎剣】」

 クロムの魔剣に青く輝く炎が灯る。あらゆる魔物を一刀のもと焼き切ってきたクロムの必殺技だ。

 ミノタウロスはクロムの青炎剣をちらと見ると目を眇め、首を地面に突き刺さっている石斧へと向ける。途端に角から発射された糸が石斧の柄にくっつくと、ミノタウロスは首を振りかぶった。石斧は糸に引っ張られて、宙を飛び、そのままクロムへと驚異的速さで投げ込まれる。


「そんな石ころがどうした!」

 クロムは燃え盛る魔剣で石斧を迎え撃ち、ぶった切る。だが、石斧は破壊された途端、爆発して石と炎を榴弾のように振りまいた。

「ぐっう・・・」

 クロムは膝をつく。

 一つ一つの威力は大したことが無かったが、クロムの全身が打撲傷だらけになった。咄嗟に頭だけは守ったのは好判断だったろう。

 それでもヨロヨロと立ち上がると、クロムは剣を構え直した。早く応戦してシーボギーを助けなければ・・・。


 だが。


「あああぁああ!」

 シーボギーの絶叫が響く。ミノタウロスはクロムに石斧を投げ込んだ後も、目標を移してはいなかった。クロムの目の前で、ミノタウロスは捕まえたシーボギーを逆さ吊りにしたかと思うと、その片足にムシャリと噛みつき、引き千切った。そしてバリバリと咀嚼音を響かせながら食べてしまった。


「うおおおぉおお」

 クロムが雄たけびを上げて、ミノタウロスに突進する。ミノタウロスも片足を千切って機動力を失ったシーボギーは放置し、クロムへと向き直ると、魔法で石の巨斧を再び顕現させる。


「クロムさん、しゃがんでください!」

 タングーサの掛け声に、クロムが身を低くする。

「【徹甲炎弾】×2」

 クロムの頭上をタングーサの魔法が爆速で通過する。魔法耐性のある鉄の大楯すらも貫通するタングーサの必殺魔法だ。ミノタウロスに当たれば、肉片に変える事ができるだろう。

 ミノタウロスは思案気にブモッと一鳴きすると、蜘蛛糸を頭上に放って、空中へと回避する。

「無駄です! 【追尾】×2」

 タングーサが杖を振るうと、2つの徹甲炎弾は空中に逃げたミノタウロスを追いかけた。だが、タングーサは勘違いしていた。ミノタウロスは逃げたのではなかった。最初と同じである。移動するためだった。


 身を屈めて走っていたクロムの頭上を、蜘蛛糸の振り子となったミノタウロスが逆方向、即ちタングーサの元へと飛んで行く。タングーサの方へミノタウロスとそれを追尾する魔弾が迫る。

「これは・・・やむを得ませんね。追尾解除。【鉄鋼箱】」

 鉄の箱が出現し、タングーサをその内に入れて守護する。この鉄の箱は防御力の高さもさることながら、杖眼も開いており中から魔法を撃つことも可能で、攻守一体の魔法だった。オーガの棍棒の乱打撃にだって耐えられる頑強さだ。ミノタウルスの石の斧程度では突破できまい。

「よし、タングーサ。挟み撃ちだ!」

 クロムはシーボギーに後ろ髪をひかれながらも、タングーサの方に取って返す。


 が。


「ブモォオオオオオオーーー!!!」


 突如、ミノタウロスが放った咆哮がクロムの鼓膜を襲う。

「うっ、くそっ平衡感覚が・・・」

 クロムの足がよろける。

 だが、深刻なのはクロムの方では無かった。ふらつくクロムの目の前でタングーサの鉄の箱が掻き消えていき、耳から血を流したタングーサが白目をむいてどさりと倒れる。鉄の箱の中で反響したミノタウロスの咆哮は、タングーサの意識を簡単に奪い取ったのだ。

 ミノタウロスは素早く石斧でタングーサの片足を切断すると、またムシャムシャと食べる。


「うわぁあああ」

 怒りで絶叫するクロム。


「クロム・・・あんただけでも逃げれば良いのに。・・・馬鹿」

 クロムの様子を見ながら、シーボギーは呟く。片足を縛って止血はしたものの、どのみちこの足では、あの高機動力を持つミノタウロスからはとても逃げられないだろう。


「シーボギーさん。回復します」

 小声で話しかけられて、シーボギーが振り向くと、モリアンがいた。こっそりと戦場を迂回して来たらしい。

「・・・いいよ、もう。その魔力は自分のためにとっておいて。回復してもらったところで、わたしはもうこの足じゃ逃げられないし。だから、あの馬鹿クロムと一緒に逃げて」

「そんなこと出来ませんよ! それに、倒す以外に逃げる方法なさそうですし」

 モリアンの懸念はもっともだ。しかし、獲物を通りすがりの他の魔獣に横取りされる危険と天秤にかけて、逃げる者は追わず確実に得た戦果を持って帰る方を選ぶかもしれない。


「わたしが時間稼ぎするから、逃げて」

「ダメです。・・・足が生えたら、逃げてくれるんですか?」

「えっ?」

「ボクの【結ばれる愛】《ラバーズ》を最高ランクで使えば、身体欠損も治せます!」

 そう言うとモリアンは、シーボギーに顔を近づける。だが、シーボギーはモリアンンの唇が自分の唇につく前に手を挿入して防いでしまった。

「ありがとう。モリアンちゃん。気持ちは嬉しいんだけどさ。それはモリアンちゃんが将来出会うもっと大事な人の為に取っておいてあげて。どうせわたしは先が長くないし。もったいないかな」

「諦めちゃダメですよ!」

「違うの」

 励まそうとするモリアンに、シーボギーは首を振る。

「そういう意味じゃなくて。わたし元から寿命が短いんだ。仮にここを乗り切ってもあと一年くらいで死ぬから。・・・わたしさ、ホムンクルス、人造人間なんだよね。研究室で作られたわけ」

「・・・え? え?」

 混乱するモリアンにシーボギーは微笑む。

「でも、逃げ出したんだ。わたし達は定期的に研究室で作られている特別なドラッグを摂取しないと、毒素が溜まって数年しか生きられないんだけどさ。でも、まあ、戦争の為の使い捨ての駒にされるくらいなら、短い寿命だろうと生を謳歌してやろうって・・・あんたたちのおかげでここ一カ月は凄く楽しかった」

「何、言ってるんですか?」

「で、まあ、どいつもこいつも考えることは一緒って言うか・・・わたしも体内にあるんだよね。自爆装置。陳腐だよなぁ」


 衝撃の告白にモリアンは頭が真っ白になってしまって、フリーズしている。シーボギーは苦笑いした。墓場まで持っていくはずだった秘密をついついベラベラとしゃべってしまった。


「あ、あの・・・」

 再起動したモリアンが意を決したようにフードを脱ぐ。

「モリアンちゃん・・・?」

 そして、モリアンは自分の額にかかっている髪をかき上げた。シーボギーは目を見張る。額の中央に、眼が在った。第三の眼。つまり、モリアンは・・・。

「モリアンちゃん、トリノクルスだったんだ・・・」


 と秘密を晒し合った二人の元へ何かが吹っ飛んでくる。

 クロムだった。

「がはっ」

 大木に激突した衝撃で、クロムは吐血する。

「クロムさん!」

 モリアンが駆け寄り、クロムに回復魔法をかける。

「モリアンか・・・俺が時間を稼ぐ。だから、お前はタングーサを回収して、シーボギーと一緒に逃げろ」

「何言ってんのよ。逃げるのはあんたよ、クロム」

 片足で器用に飛び跳ねながら、シーボギーもクロムの側に寄る。

「馬鹿言え。俺にはパーティーのリーダーとしての責任が」


「ちょっと黙って」


 そう言うと、シーボギーはクロムの襟をひっつかみ、彼の唇に自分の唇を押しあてた。

「んぐ」

 クロムは目を白黒させる。


「わたしがあいつを倒すから、あんたはタングーサを背負って、モリアンちゃんと逃げて。私の遺体はたぶん残んないから気にしなくていいからね。それじゃ」

 シーボギーは一方的にそう言うと弓を構えて、銀色の不思議なオーラを醸し出す矢をつがえる。

「ちょ、待てよ。何言ってんだ。というか、今の・・・」

「わたしのこと、10年くらいは忘れずにいてね」

 それだけ言い残すと、シーボギーはこちらに向かってノッシノッシと歩み寄るミノタウロス目掛けて矢を放つ。その矢はミノタウロスよりもやや上に飛ぶ。ブフッとミノタウロスは外れた矢を嘲笑った。


 が。


「【配置交換】《キャスリング》」


 次の瞬間、ミノタウロスの真上にあった銀の矢とシーボギーの位置が入れ替わる。そのまま落下したシーボギーはミノタウロスの角にがっしりとしがみついた。

「ブモッ!?」

 さすがにミノタウロスも驚き、動揺する。

「散々やってくれたわね。道連れにしてあげる。【自爆起動】」

 シーボギーの体内で、自爆装置のタイマーが時を刻みだす。


「シーボギーーーーーーー」

 クロムが叫び、走り出そうとするのをモリアンが抱き着いて引き留めている。

「あの馬鹿。・・・ありがと、モリアンちゃん」

 最期に好きな人とキスできて、お互いに秘密を共有し合う女友達も出来た。

「わたしにしては、上出来よね」


 カチッ。


 爆炎と爆風が巻き起こった。

「シーボギー・・・」

 もうもうと土煙が上がるのを呆然と眺めながらクロムはガックリと項垂れ、座り込む。モリアンは涙を袖口でグシャグシャと拭きながら、タングーサの方に向かった。放心しているクロムには任せられない。モリアンは小柄な体に思いっきり力を込めて、気絶しているタングーサを背負う。


 薄れていく土煙の中からゆらりと人影が現れた。


「シーボギー?」

 クロムは期待を込めて問いかけるが・・・。

「ブモッブモッモホッホッホ」

 出てきたのはミノタウロスだった。死んではいなかった。いや、それどころか体中煤まみれになっていること以外は、傷らしい傷も無くピンピンしている。


「う、うう、うわあああああああああああ」

 怒りに支配されたクロムは魔剣に炎を灯して、ミノタウロスに切りかかる。

 だが、ミノタウロスは魔剣の炎が最初の時と比べて弱くなっていることを見て取ると、クロムに憐れむような目を向けた。

「死ねえええええ」

 ミノタウロスはクロムの魔剣を避けなかった。無防備なミノタウロスの肩にめり込んだ魔剣は、しかし堅い筋肉に阻まれ動かなくなる。

「くっそおおおおおお」

 クロムがいくら力を籠めようと、肉に埋まった魔剣はびくともしなかった。

「ブモッ」

 ミノタウロスはやれやれと首を振り、ただ唸り声を上げるだけのクロムの頭を鷲掴みにすると、まるで卵を割るかのようにグシャリと握りつぶしてしまった。

 魔剣の炎は消え、頭を失ったクロムの体はドサリと地に倒れ伏す。


「あ、ああ、嘘だ・・・そんな」

 モリアンは、タングーサを背負ったまま、地に座り込む。絶望が支配した。もはや、足に力は入らない。


「ブモホッホッホ」

 ミノタウロスはゆっくりとモリアンに近づいた。

 目を見れば分かる。この獲物はもう逃げない。


 さして珍しくもないロークビ高原の風景である。

 今日も又、森の奥からひょっこり出てきたハンターに新参の戦業士パーティーが狩られる。

 いつものことだ。

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