第二十一怪 魍魎の棺③

 ―――戦士とは畢竟、孤独な存在である。


 曲刀と飛行鎌が金属光沢を煌めかせて舞い踊る。


 ―――戦士の道とは、ひたすら勝利を求め、己の技量を磨く道である。


 大鎌が地を滑り、鉤爪が宙を薙ぐ。


 ―――しかし、戦士の生死など、所詮は武運の采配ひとつで決まる。


 シックルとテッチョのゾンビは激しい剣劇を繰り広げていた。

「チッ。なんで、こんな強え奴があんな性悪猫に殺されて、良いように使われてんだかな・・・」

 テッチョの繰り出した曲刀が、シックルの尻尾の大鎌を絡めとるように払いのけてシックルの背中をかすめる。


 武運。


 このグリフォンの変異種はそれが無かったのだ。あるいは尽きてしまったのだ。この強さに至るまでの道のりで、宿命の定めた量を使い果たしてしまったに違いない。


 だが、それは果たして、このグリフォンだけの話だろうか。


 否。


 シックルだって、そうに違いない。

 つい、ほんの三日前まで武運の女神はシックルに微笑み続けていた。それが突然、何の前触れもなく失われた。今まで死を覚悟するような強敵と戦った時も、武運は尽きることなく湧いてきた。

 それが、いつも通りの狩りに出て、気付いた時には使い果たしていたのだ。ストラスは知恵の廻るやっかいな魔獣だ。そんなことは勿論百も承知だったが、シックルは鳥の魔獣に負けたことは無い。百戦百食の相性。

 負ける道理は無かった。

 それは例え、戦闘の途中にラーミアの幼体だろうが、妖精の赤ん坊だかが乱入した所で引っくり返るはずもない道理だ。

 しかして、その道理を粉々に砕いてしまうのが、武運だ。武運が尽きれば勝利の道理を失い、武運に恵まれれば敗北の道理を退ける。

 磨き上げた戦士の技量も鋭利な刃も、宿命の定めた武運が尽きれば、錆び付いた鈍らな剣となんの違いがあろうか。


 そして、武運尽き、敗北したシックルは妖精の赤ん坊に首輪を嵌められ、良いように使われているというわけだ。


「へっ、そう考えると、おいらたちは随分と似た者同士だな」


 グリフォンのゾンビは答えない。眼光の無い無機質な瞳に感情は無い。返答する代わりに、翼を広げ、羽根の矢を飛ばしてくる。シックルは体をくねらせて避け、片手の飛行鎌を飛ばしつつ、回避できないものは尻尾の大鎌で叩き斬った。

 すると、今度はテッチョの首飾りの魔術石が光る。と同時に、曲刀に魔風が纏わりついた。シックルも尻尾の大鎌に旋風を巻く。

 風の魔術に、斬撃武器。全く以って似ている。


「嫌な話だぜ」


 まさしく風の速さで、魔風を纏う曲刀がシックルの胴体目掛けて切り込んでくる。シックルは尻尾の大鎌で迎撃・・・すると見せかけて、跳び上がる。


 が、それを予想していたかのように、もう片方の曲刀が空中のシックルを薙ぎ払いに来る。しかし、宙に跳んだシックルの足元には、飛行鎌の一つがクルクルと回っていた。シックルが飛行鎌を蹴り跳ぶと、さらにシックルの高度は上がり、その下をテッチョの曲刀が空振りして通過する。


 その瞬間、シックルは旋風を纏った尻尾の大鎌で、真下を通過する曲刀を上から強振した。曲刀は弾みで下がり、テッチョの腕もつられて下がる。僅かの落差。だがその僅かの差が強者の戦いにおいては致命の差となり得る。


 曲刀を強振した弾みを利用し、シックルはさらに上空へと跳びながら、両足の飛行鎌2本をテッチョの首元へと蹴り飛ばす。テッチョのゾンビは飛行鎌を回避しようと上体を傾けつつ、曲刀による防御のため腕を跳ね上げるようにして引き戻す。


 しかし、テッチョの腕の戻りは僅かに間に合わなかった。曲刀が首元のガードに差し込まれる前に1本目の鎌がテッチョの首の肉を斬る。浅くは無い切断だった。普通の生きている魔獣なら切り口から血を吹き出して死んでいるはずだ。だが、相手はゾンビだった。平然と動き続けている。


 そして2本目の鎌も曲刀を後ろ目にテッチョの首に飛来したが、目一杯広げた黒翼から多量の羽根の矢が放たれ、飛行鎌を撃ち落としてしまった。

 シックルは眉をしかめた。

 ただただ鎌を撃ち落とす為に首元へとしっちゃかめっちゃかに放たれた羽根の矢はテッチョ自身の首にグサグサと刺さっている。ゾンビでなければ無理な戦法だ。


 テッチョのゾンビは首に刺さった矢を無駄毛でも抜くようにして引き抜いていく。

 見れば、シックルの鎌が綺麗に切り裂いた首の切断線では腐肉が蠢いて再び結合し合っていた。


「チッ。肉を削げなきゃ、意味無いってか」


 ゾンビの特性に対して、シックルの磨き上げてきた技巧が仇となっていた。芸術的なほど美しい切断面は、魔術的作用によって腐肉を動かし結びつけているゾンビにとって斬られていないも同然だったらしい。


 戦い辛い。埒が明かない。勝ち切れる気がしない。


「そりゃそうだ。なんせ俺の武運は三日前に尽き果ててんだからよ」


 ―――戦士とは畢竟、孤独な存在である。

 ―――時には己の技巧にすら裏切られるのだから。


 再び、シックルとテッチョの間で始まる剣舞。まるで終わりが見えない。 

 シックルは、もういっそのこと逃げ出してしまおうかとも思う。・・・もっとも、そんなことをすれば、この首に嵌まっている黄金の輪がシックルの首を切り落とすに違いない。(まあ、シックルがそう思い込んでいるだけなのだが)


 シックルは剣劇の合間、無意識に首輪をコツコツと叩いた。 

 

 その時、トスンッとシックルの立っている場所近くに何かが放り出される。

「キ、キィィ・・・」

 見れば、フレイムラットのガキだった。

 遠くからバスンッバスンッと巨体を揺らして、ケルベロスのゾンビがこちらに迫って来る。

「チッ。お荷物が増えやがって」

 シックルはフレイムラットのガキを掴むと、後ろに跳んで一旦テッチョから距離を取る。


 最悪の状況だ。

 傍には使い物にならない子ネズミ。前方には腕利きのグリフォンのゾンビ、後方にはケルベロスのゾンビが迫る。

「前門のグリフォン、後門のケルベロスってか?」

 どう考えても詰んでいる。


 シックルは一瞬思考停止した。この状況での優柔不断は致命的とすら言える。

 迫るテッチョの曲刀。

 シックルの脳が再び起動した時には、もはや避けられない。


 が、

 のびていたフレイムラットのガキが曲刀の前に飛び出る。曲刀はフレイムラットの毛皮の上を滑り、軌道がずれて地面に衝突した。鈍い金属音が響く。

 そして、子ネズミは「キッ!」と一鳴きすると、パチンとシックルの手を叩いてテッチョの方へと走り出す。


 言葉は分らなかった。それでも子ネズミの意志は伝わった。選手交代ということらしい。直ぐ後ろから、バスンッバスンッと犬の足音とは思えないような重低音が鳴っている。

「あのガキ、大丈夫なのか?」

 シックルはフレイムラットのガキの方を見ながら、頭を掻く。その上からケルベロスの前足がシックルを叩き潰さんばかりに襲い掛かった。


「おいおい。そいつは悪手だろ」

 スルリと避けるシックル。と同時に頭を搔いていた手はその鎌を煌めかせ、光沢が一閃、二閃する。ボトリとケルベロスの右前足が切り落とされた。

 ケルベロスはでかい。子牛ほどにでかい。しかし犬にしては、である。シックルの胴体ほどの太さがあったが、それでもグリフォンの首に比べれば、その前足の方が細かった。


 バランスを崩すケロベロス。元来、ケルベロスは三つもの頭があるせいで、重心が前方にずれている。したがって、前足の負傷はちょっとした怪我なんかでは済まされないほどの問題を引き起こす。機動力の完全な喪失である。故に野生のケルベロスは前足の負傷を極端に嫌う。前足を負傷するくらいなら、頭を一つ切り落とされる方がまだましという風にだ。

 だから、シックルも初手は噛みつきか遠距離魔法攻撃が来ると思っていたのだが。


「・・・おおかた、子ネズミとの戦闘で勘が鈍ったって所か?」 

 ケルベロスの三つの頭がシックルの方を向くと、大口を開ける。喉の奥が光り、魔術光が溢れ出す。

 が、シックルはケルベロスの魔術が発動する前にその背後へと移動していた。そして、金属光沢を光らせクルクルと飛びいる飛行鎌を、その手にキャッチする。


 向きを変えようとするケルベロス。だが、体は全く動かない。いや、体を動かそうとした弾みに、残っていた三本の四肢が胴体から外れた。ドスンッとケルベロスの胴体が地に落ちる。


 破れかぶれで放たれたケルベロスの魔術―――氷球、火球、風刃―――は、あらぬ方へと飛んでいった。完全な空振りである。

 そして、次の瞬間にはシックルの尻尾の大鎌がケルベロスの頭上で魔術の旋風を纏い、振り下ろされた。


 ケルベロスの三つの頭は無惨に胴体から切り離されて転がっていく。


「おいおい。あのガキ。こんな雑魚に苦戦してたのかよ・・・。あの剣客相手にマジでくたばってないよな?」


 シックルはやはり心配になって、キエンとテッチョが戦っているであろう方を振り向いた。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 キエンがスズカに、ケルベロスは任せて下さいと言った時、はっきり言って彼は戦場の空気に煽られ、異常な興奮によりハイになっていた。魔獣の若人が初陣に出る場合、極度に緊張してしまうか、高揚感でフワフワするか、この2パターンが多いのだが、キエンは意外にも後者だった。


 オルトロス相手に苦戦したキエンが、ケルベロスのゾンビ相手にうまく立ち回れるはずもなかった。本当ならば、この戦場の責任者たるスズカが止めるべきだったのだが、なんせスズカは所詮戦のド素人である。自分の事で手一杯で、ややもするとマンティコア達の安全に気を割かれていたスズカに、適材適所の采配が出来なかったのは詮無いことである。


 まあ、そういうわけで、根拠のない万能感と高揚感でケルベロス相手に戦いを挑んだキエンは5分もしないうちに、己の無謀さに気付かされた。


 まず誤算は火魔法が想定以上に効果を発揮しなかったことだ。


 キエンはケルベロスに駆け寄り火球をいくつか放ったが、三つの頭がそれぞれ火球をパクリと一飲みするのである。ゾンビは全て匂い消しの為に酒を身に浴びせられていたはずだが、口の中は例外らしい。これが生きている魔獣なら口内を火傷して、痛みで叫びのた打ち回る所だ。しかし、相手はいかんせん痛覚などとは無縁のゾンビである。まるで平気の面だ。


 それではと、キエンは危険を冒してケルベロスの股下を走り抜けて後方に出て、振り返りざま火球をお見舞いする。

 が、ケルベロスも後方が己の弱点なのは百も承知。四肢を器用に使ってクルリと捻じれるように振り返ると、火球を再びパクリと喰らう。


「いや、僕の勝ちだ!」

 キエンは勝利を確信していた。なぜならキエンはケルベロスに対して、直線的に向かう火球の他に、放物線を描いて落下する火球も放っていたからだ。ケルベロスが飲み込んだのは視認し易い直線的な軌道の火球だけ。あとは着弾した火球が燃えれば、指パッチンで【浄花炎】を発動させて試合終了だ。・・・そのはずだった。


 ケルベロスの背に放物線軌道を描いて火球が着弾する。

 が、ケルベロスも自身の背中が弱点であることは知っている。火球の着弾と同時に中央と左側の頭がオオォオンと吠える。途端に青い魔術光が口内より溢れ、着弾した火球が燃え広がる前に氷雪を己の背に降らせる。

 ケルベロスの背は火球の熱で溶けた氷雪でグショリと濡れ、冷気が水分を冷やし固める。それはまるで、ケルベロスが霜の装甲を纏ったかのようだった。


 キエンはそれを見て、焦りだす。彼の想定では、今の一撃でケルベロスは火達磨になっていたはずなのだ。しかし、キエンは諦めず、ケルベロスの周囲を走り回りながら、火球を放つ。直線的な物と放物線軌道の火球にまぜて、足元へと遅延噴火する火球を転がしいれる。


 しかし、ケルベロスもじっとしているわけではない。キエンに噛みつこうと追いかけ回す。キエンの放った火球は大半はパクリと飲み込まれ、それを回避したものも霜の装甲に当たってジュと消火してしまう。まるで効いていない。有効打を与える方法が無い。

 キエンは自分が詰んでいるのを感じた。


 そして、キエンが火球を放つたびに足が止まり、ケルベロスの牙がキエンの毛皮をかすめる。ケルベロスは必死に噛みつこうとするが、フレムラットの毛皮の特性により中々上手くいかない。しかも、口を近づけるたびにフレイムラットが全身から発する炎に己の頭を炙られる。単撃の火球魔法攻撃と違い、持続的な炎に炙られては霜の装甲もあっという間に溶け乾く。ついに、頭の一つに染みついていた酒気に引火してしまい、ケルベロスは慌てて己の頭部に風雪魔法を再び降らせるハメになった。


 キエンは火球の無駄打ちを止めた。ケルベロスは噛みつき攻撃を止めた。


 ケルベロスは立ち止まり、三つの頭の口内に魔術光を灯す。

 それを見たキエンはパチンと指を鳴らした。ケルベロスの真下に転がっている遅延噴火の火球が一斉に炎を噴き上げる。


 ケルベロスはその場を飛びずさると、中央と左の頭が腹部に氷雪を吹かせる。同時に右の頭が火球を放った。キエンは無視した。ケルベロスの放った火球はキエンの毛皮に当たり何の効果も現さず消えた。フレイムラットに炎攻撃など意味はない。むしろ燃料補給になるくらいだ。


 再びケルベロスの中央と左の頭の口内に魔術光が灯る。キエンはわざと火球を中央の頭に放る。中央の頭は反射的に火球をパクリと飲み込んだ。結果発動したのは左の頭の風魔術だけだった。風の刃がキエンに殺到するが、当然キエンは無視する。フレイムラットの毛皮に風の刃は何の意味も無い。


 ケルベロスのゾンビは、キエンに向かって走り出した。キエンは逃げる。時折、遅延噴火の火球を転がして噴火させるが、走り抜けられたり、避けられたりと、あまり効果が無い。

 だが、噛みつき攻撃をしてくるなら、また頭を炙ってやるだけだとキエンが思っていると、ケルベロスはキエンに向かって飛び掛かるようにして前足を振りぬいた。


 キエンは強打された。壁に叩きつけられる。ケルベロスが頭で噛みつこうとする時は、どうしても首のリーチが無い分姿勢が崩れて減速していた。さらに牙での噛みつきに効果は無かった。結果、ケルベロスは、首よりもリーチに優れ、打撃攻撃を与えられる前足での強振を選択したのである。

 実に的確な戦術変更だった。


 壁際でヨロヨロと這うキエンを再びケルベロスの前足が襲う。

 再度の強振は、キエンをホームランボールのように振っとばした。・・・シックルのいる元へと。

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