第二十怪 魍魎の棺②
いきなり現れてキエン君の火球の魔法を喰らったのは、三つの頭を持つ犬だった。子牛ほどの大きさがあるその三頭犬は、口の中から煙をプスプスと出しながらも平然としている。
まあ、ゾンビだから火傷の痛みも何も無いのだろう。
「子ネズミちゃん。あんさんの相手は、このケルベロスで十分やね」
「んんっ」
キエン君が少し苦しげに唸る。そう言えば、つい昨日二頭犬のオルトロスに殺されかけていたばかりだ。明らかにこっちの方がやばい感じがする。
「キエン君、アイツの相手は俺が・・・」
「いえ! スズカ様。あの犬っころは僕が倒します!」
キエン君は俺の言葉を振り払った。そして両耳からゴウゴウと炎を吹き出す。どうやらヤル気満々らしい。
と、またバァンと大きな音がすると、再び別の棺桶の蓋が吹っ飛ぶ。
すると今度はカッポカッポと蹄の音を鳴らせて、馬の魔獣とそれに乗る首無しの騎士のゾンビが現れた。そして、ノクスはひらりと宙に舞うと、首なし騎士の前に乗り込む。
「この子は、結構大規模な人間の集団のリーダーだった子らしいよ。デュラルクとか言う名前やったかな? 殺すときにハンターが頭を潰しちゃったせいで首無しなのが残念やけど、とっても強くてお気に入りなんよ。・・・最近妖精市場によく人間を出荷してくれるミノタウロスのハンターさんがおるんやけど、どうも、すぅぐに頭を潰しちゃう癖があるみたいで、かなんわぁ~」
余裕をかましているノクスは、まるで世間話のノリで自身が操るゾンビについてわざわざ解説してくる。
首なし騎士は背中に背負った鞘から左手で純白の輝く長剣を引き抜くと、俺の方へと真っ直ぐその切っ先を向ける。そして、右手にはめた大楯でノクスを庇う。どうやら、この騎士は生前左利きだったようだ。
「それじゃ、最後の子にはワルガーをやって貰いましょ。クスクス」
ノクスの嫌な笑い声と共に、四度目の棺が開く音がする。その棺から出てきたのはマンティコアのゾンビだった。
「な、なぜ・・・、キャサリン。そんな・・・ああ、そんなことが!」
マンティコアのゾンビを見て、ワルガーが絶望的な悲嘆の声を出す。
「ククッククッ。どうおぉ? ワルガーちゃん。行方不明になった奥さんとの感動的再会は?」
ノクスの愉悦に満ちた嗜虐的言葉に、ワルガーは声にならない叫びをあげていた。
「・・・嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ。キャサリンは俺様がボスの座から転落したから愛想を尽かせて出て行ったと・・・。俺様が再びボスの座に返り咲けば、戻ってきてくれるという話ではなかったのか!?」
「やだわぁ。ワルガーちゃんってば、あの話ほんまに信じてたん? 超うける~」
ノクスの邪悪な笑い声が地下牢に響く。
呆然とするワルガーの元に、そんなことは一切構わず、マンティコアのゾンビ、キャサリンが駆け寄る。
「お、おお、キャサリン」
ワルガーは全くの無防備な態勢で、キャサリンを迎え入れよとしてしまう。
「っ! おい、ワルガーしっかりしろ! そいつはもうお前の嫁じゃない。ただの死体だ」
慌ててしまった俺の乱暴な言葉遣いがワルガーに届くはずもなく。
「ウゴォォッ。や、やめるんだ、キャサリン」
ワルガーはキャサリンに思いっきり殴られ、吹っ飛ばされる。
「ワルガーさんっ!」
「おじさんっ!」
「・・・親父。・・・母ちゃん。・・・どうなってんだよ。いったい何がどうなってんだよーーー!」
マンティコアの子供たちが叫ぶ。いけない、彼らは大事な証人だ。万が一にも彼らだけが殺されてノクスを逃し、俺たちだけが現場に残るなんてことになったら、もう最悪だ。助けに入らないと。
「ちょっとー。あんさんの相手はウチとデュラルクちゃんよ?」
ワルガーの方へ行こうとした俺の後頭部に首なし騎士の長剣が迫り、間一髪で避ける。
「チッ」
俺は巨大ミノタウロスのゾンビの体を操り、左手に握った大斧で首なし騎士に切りかかる。しかし、楯で防がれると、騎士の長剣が再び俺を襲い、俺は大斧を打ち合わせた。が、がら空きになったミノタウロスのゾンビの腹に楯の切っ先が撃ち込まれてしまい、肉が削げる。別に痛くは無いのだが、この調子では腹筋を全て抉られて、姿勢を保てなくなるだろう。
助けに行くどころの話ではない。自分の身すら危うい。
「あんさん達、全員ウチの新しいゾンビコレクションに加えてあげる」
ノクスは余裕綽々だ。クソッ。
騎士の長剣が、ミノタウロスのゾンビの胸の肉を抉る。
「おい! ワルガー! お前の事情は知らんが、死んだ嫁より、今は生きてる自分の息子を守ることを考えてやれよ! 俺から言えるのはそれだけだ」
俺は大声でワルガーに向かって発破をかける。正直、これ以上ワルガーに気を回す余裕はない。なんとか生き残ってくれと願うだけだ。
「ふんっ。無駄無駄無駄ぁよぉ。なんせ、あの馬鹿は自分の栄光の為、自分へ疑いを向けさせないためだけに、自分の息子をこんなろくでもない計画に加えてしまった父親として最低のクズなんだからぁ~」
「どうせ、そんな精神状態に追い込んだのも、お前だろうが」
俺は首なし騎士が乗っている馬の頭めがけて斧を振り下ろすが、滑るようにして差し込まれた長剣に軌道を変えられてしまい、空振りする。
「心が弱いことこそ、罪なんよ?」
嫌なことを言う奴だ。俺はノクスの台詞に思わず眉をひそめる。そういうのは正義の味方が悪役を成敗するときに言う台詞だろうに。
いや、余計なことを考えるんじゃない。今は戦いに集中しなければ。
俺はだんだんと俺の操るミノタウロスゾンビの肉を削がれ斬り飛ばされながらも、精神を集中させる。物理戦はジリピン。ならば、魔法だが・・・、ここで慈悲の聖球を出したところで意味は無いだろう。俺のミノタウロスゾンビに対して回復効果があるとは思えない。雷魔法も無駄だ。ワルガーの雷魔法はゾンビに効果が無いようだった。ノクスに直接当てることが出来れば有効だろうが、それには首なし騎士の大楯が邪魔。悲嘆の冥河も使い道がない。床を水浸しにするのが関の山。馬のゾンビに死者の声を聞かせた所で、まさに文字通り馬の耳に念仏というわけだ。
詰んでいる。俺の魔法は悉くゾンビ軍団と相性が悪い。
有効そうなのは、首なし騎士の首元に飛び込んで持国天の【奪体支配】を使うことなのだが・・・。かの騎士の剣技から見て、俺がスキルを発動する前に頭を真っ二つに斬られそうだ。それに何より、本当に奪えるのか保証が無かった。千里通眼が隠蔽や結界に何度も跳ね返されている以上、奪体支配もノクスのゾンビ操作技術との力比べ次第では弾かれる危険がある。ミノタウロスゾンビの時とは違って、今は術者本人が直ぐ傍にいるのだから。
しかし、だからと言って何もしなければ、本当にノクスのゾンビコレクションの仲間入りだ。何とかするしかないのだ。
「【悲嘆の冥河】《アケローン》」
俺の両眼から悲嘆の涙が流れ落ち、ミノタウロスゾンビの体の表面を伝っていく。
「あらあら。坊や。恐怖で泣いてるん? お可愛いこと!」
ノクスが煽ってくるが無視する。
涙の幾筋かは、足を伝って地に落ちるが、大半は俺の魔力の誘導で腕を這い、大斧に纏わりつく。俺は首なし騎士が長剣を突き込んでくると同時に、迎え撃つようにして涙の膜を張った大斧を振りぬいた。長剣と大斧が衝突する瞬間、大斧が纏った大量の涙への誘導を切る。魔力的な操作から解放された水は慣性の法則にしたがい、与えられた運動量のまま、斧の表面から飛び出す。そのまま大斧とかち合う長剣を素通りし、首なし騎士の両腕の内側で守られているノクスへと水飛沫が殺到した。
「ニャッ!?」
ノクスは意表を突かれたようだったが、しかし首無し騎士は右腕を大きく左に振って、大楯でノクスを水飛沫の被弾から庇う。楯の表面はびっしょりと悲嘆の涙で濡れたが、ノクスは守られてしまったらしい。実に優秀な騎士だ。
が、
「とりゃあぁぁ」
俺は渾身の力を籠め、左側の足を2本も使って首なし騎士の無防備になった右腕を蹴り上げる。首なし騎士には、ノクスを庇うために左側へ差し込んだ楯を回頭する暇はない。余計なお荷物を庇うためにひどく歪な態勢となってしまった首無し騎士の右腕は、俺の攻撃を避けられなかったのだ。俺の操るミノタウロスゾンビの鋭利で重厚な足先の爪が、首なし騎士の右腕の肘を引き裂くようにして砕く。馬上の騎士の腕の関節を蹴り飛ばすなんて巨大なミノタウロスの体でなければとても不可能な芸当だったろう。
ドッスーーンッと轟音を立てて大楯と騎士の右腕が地に落ちる。
「・・・・・・」
「さっきまでの饒舌っぷりはどうしたんだ? 急に黙り込んで」
「・・・チッ。クソガキが」
ノクスは舌打ちして悪態をつくと、両手をパチリと合わせる。
「デュラルク! 【亡者昇格】《デス・プロモート》!」
ノクスの詠唱と共に、首なし騎士の周囲に黒い靄が発生する。深く、重苦しい、肌をチリチリと焼き付けるような濃密な気配。
俺の首筋に冷や汗が流れる。片腕をなくし大楯を失った首なし騎士だったが、ノクスの能力により更なる強敵へと変貌していることが直感的に理解できた。
どうやら、ここからが本番らしい。
♦ ♢ ♦ ♢ ♦
ワルガーはよろよろと立ち上がる。
が、そこを再びキャサリンのゾンビに張り倒されて、吹っ飛ぶ。
「ぐ、ぐぅ。キャサリン・・・。俺様が・・・分からないのか?」
ワルガーの縋りつくような声も、既に死んでいる亡者には届かない。キャサリンのゾンビはワルガーを再びぶちのめすと、今度は隅で震えているマンティコアの子供たちの方を向く。その目に光は無い。感情の無い。ただ操り主の命令に従う人形だ。
「きゃ、キャサリン」
ワルガーの口から洩れる声は弱弱しい。キャサリンのゾンビはもはやワルガーを脅威として計測していなかった。キャサリンのゾンビはゆっくりとマンティコアの子供たちの元へと歩を進める。
「う、嘘だ。やめてくれよ、母さん。俺、ずっといい子にしてたよぉ」
エルガーが泣きそう声で懇願する。
キャサリンの歩みは少しも遅くならなかった。
その時、ワルガーの元へ、一筋の水が流れてきた。
「なんだ?」
ワルガーが疑問に思うと同時に、その水はワルガーの尻尾の蛇に触れる。
途端に・・・、
ワルガーは目を疑った。
目の前に、半透明のマンティコアがいる。
「キャサリン! 今度は幽霊にされたのか!?」
「あなた、今は時間が無いの。よく聞いて。あれは、ただの死体よ。弱点は胸部の背骨裏に隠された魔術具なの。さっさと遠慮なく壊して頂戴。そして、私達のエルガーを守って」
「そんなこと、できない」
「やって! 私の死体があのバステトの支配下にある限り、私の魂は永遠に縛り付けられる。私を救って、ワルガー。あなたが、あの死体を壊せば、私は永遠の地獄から抜け出せる」
「お前の体を壊せば、お前が救われる?」
「ええ、そうよ! そしたら・・・あなたがボスの座から落ちたことも許してあげるわ」
「っ! 分かったぞ」
ワルガーは立ち上がった。
「ガゥルルゥー」
吠え声をあげ、今にも自分の子供たちに手を下そうとしているキャサリンのゾンビに飛び掛かる。
ワルガーは強かった。今まで一方的に嬲られていたのが嘘であるかのように、キャサリンのゾンビを張り倒し、殴り飛ばす。
「許すも何も、別にボスの座なんてどうでも良かったのだけど。結局あなたには、子供や私より、それの方が効き目があるみたいね。しょうがないひと」
戦闘に夢中のワルガーにキャサリンの幽霊の声は聞こえていない。
「・・・自分でお願いしといて何だけど、やっぱり自分の体が自分の夫に乱暴されるのを見るのって複雑な気分だわ」
「ラァァアアー」
ワルガーの渾身の強打がキャサリンのゾンビの頭を打ちぬく。ゾンビの頭部が吹っ飛んだが、動きは止まらない。
が、その首の切り口にワルガーの尻尾の蛇が突入する。背骨に沿って、ゾンビの体内へと突貫した蛇の尾はそのまま腐肉を食らい、掻き分け、ついに胸部、背骨裏に秘匿されていた魔術具にぶち当たり、嚙み砕いた。
キャサリンのゾンビは動きを停止した。
同時に、腐肉は重力に従って垂れ落ち、停止した時間を取り戻して早送りするかのごとく体が崩壊していく。
「「勝ったぞー! ワルガーさんが勝った!」」
「母さん・・・」
「キャサリン! 勝ったぞ。これでお前は救われるんだな? 俺がボスの座から落ちたことを許してくれるんだな?」
マンティコアの子供たちは歓喜の声をあげ、エルガーは涙をこぼし、ワルガーはキャサリンの幽霊の方を向いて満面の笑みを作った。
「本当にあなたはどうしようもない人ね。でも良いわ。約束だから許してあげる。でも、もう今後エルガーをこんな危ないことに巻き込まないでね」
「あ、ああ」
「・・・とは言ったものの、あの人たちがあのバステトのゾンビ軍団に勝ってくれないと、あなたもエルガーも生きてここを出られそうにないのよね」
キャサリンは祈るような目つきで、未だ激しい戦いを繰り広げている面々を見た。
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