第十七怪 猫又の料理店③
円形劇場にしばし静かだが緊張した空気が流れる。
ミノタウロスの族長は俺たちを見降ろし、観察すると、深い腹の底に響くような重低音で唸り声をあげた。
「ブモー、デオロ、モッモー、ブーモ、メェェーーー、ブモブモ」
「『余はデオロ族の族長である。汝らの要件は何ぞ?』」
モッケ爺が族長の言葉を訳してくれた。どうやら、このミノタウロス達の集団はデオロ族というらしい。
さてさて、ここからは出たとこ勝負の口先三寸。
「お初にお目にかかります。族長殿。わたくしの名はスズカ、種族はろくろ首という妖精でございます。この度、お目通りを願ったのは、族長殿の配下アークトゥルス殿との約定を果たすためでございます。そして、今現在あなた方デオロ族に降りかかろうとしている災厄を回避するために尽力したいが故でございます」
モッケ爺は俺がしゃべるのに合わせて、ブモブモと翻訳してくれる。
「『詳しく話して聞かせよ』」
「まず先に言っておかねばならぬことがあります。あなた方のお仲間であるアークトゥルス殿は既にこの世におりません。不幸な衝突により我々の手で落命することとなりました。お悔やみ申し上げます」
周囲が殺気に満ち、怒号が飛んだ。まあ、そうなるわな。
「おっ、ヤルか?」
シックルが笑う。
だが、ミノタウロスの族長は冷静だった。ばっと手を大きく動かして合図を送ると、周囲のミノタウロス達は渋々鎮まる。
「しかし、私の予知夢によりミノタウロス族が邪悪な陰謀に飲まれ滅亡することが分かりました。そこで、わたくしの魔法によりアークトゥルス殿の霊魂と対話したところ、我々がかの吾人を殺してしまったがためにミノタウロス族は得られるべき情報を得られず、滅びを回避できなくなるのではと推察し、その帳尻合わせに参った次第です」
周囲の反応は一変した。漠然とした不安感と焦燥感。さらに強く反発されるかもと思ったのだが、ミノタウロス側もやはり凶事の前触れを感じ取っていたのだろう。
「『・・・わざわざ、か? 我らの不興を買う恐れを分かった上で?』」
「はい。わざわざ、ですよ」
純度100%の善意で、わざわざ情報をもたらしに来たのだ。
ミノタウロスの族長はしばし腕組みして唸ると、一つ頷く。
「『対価は何か? 余はお前たちに何を支払えば、お前たちから余の一族を滅びから救う情報を買えるのだ?』・・・ほっほっほ、ここは吹っ掛け甲斐があるというものじゃぞ」
「おっ、流石、族長は話が分かるっすねえ」
う、うーん、どうしようか。
正直、何か要求する気とか無かったんだが。俺としてはお仲間殺しちゃったからお詫びに皆さんを助けに来ました! これで許してね! という感じだったんだが。魔獣たちの常識ではそうはならないらしい。
よく分からん。
もちろん、俺のお気持ち優先で無償というのもアリではある。しかし、それでは俺の我儘に付き合って危険なことまでしてくれているモッケ爺とシックルは完全にタダ働きだ。
しかし困った。何も考えていなかったので、急に言われてもな・・・。
「スズカさん、生け贄を要求するべきっすよ! ミノタウロスの肉は美味いっす」
「ふむ。わしも賛成じゃな。族滅を回避できるんじゃ。10頭ほどなら差し出すであろう」
「スズカ様。こういう交渉はまず最初に大きく吹っ掛けてから、折り合いをつけていくものだと母さんが言っていました。まずは20頭ほど生贄を差し出すように言えば良いと思います!」
こ、い、つ、ら、はなんでこうなんだ・・・。
生贄を要求するのがさも当然のことのように言う。
皆がそんな雰囲気で言うものだから、まるで俺の方がおかしいみたいに感じてしまう。いや、おかしいんだろうか? 異世界には異世界の常識が。郷に入っては郷に従えと言うし? なんだか、分からなくなってきてしまう・・・。
「う、うーん・・・」
と、俺が混乱して悩んでいると、
「よし、ではまず20頭から要求といくかのう! ブッモモ、モーモー、モブメェーーーーー、ブモモモモ!」
と、勝手に興奮したモッケ爺が話し出してしまう。
「ちょっ、モッケ爺勝手に・・・」
「ふむぅ? 30頭からやった方が良かったかの? しかしな、スズカよ、あまりにも吹っ掛けすぎると相手を怒らせる危険があるでな」
当たり前だ!
っていうか、20人でも怒るわ!
しかし既にモッケ爺がこの狂った要求を出してしまった以上、もはや詮無いことである。俺は激怒したミノタウロス達が飛び掛かってくるのではと恐れ、気が気ではなかった。
しかし、あにはからんや。
ミノタウロスの族長は腕を組み、しばし沈思した。
「『お前たちの話がどこまで真実か、あるいは有益か、分からぬ。現状でそのような要求は約し難し。もし全て真実にして、その利益が対価を上回ると明らかにならば、誠心誠意以って生贄を差し出そう。ただし、出すのは12人までだ』・・・妥当な所かの」
ミノタウロスの族長は、生け贄の要求を飲んだ。もはや、俺には全く理解できない交渉である。いくら弱肉強食の世界とは言え、仲間の命を売り渡すだろうか?
俺はひどく頭がクラクラした。
それ以降は、カルチャーショックでクラクラしたまま、俺が今のところ分かっていることを全て説明した。そして、俺の魔法なら死者の声を聞いて前の族長の墓を暴いた下手人を捕らえることが出来るだろうことも。
族長は静かに俺の話に耳を傾けていた。唯一例外は、俺が予知夢によりマンティコアの現在のボスであるハクタにミノタウロスの族長が一瞬で敗北するのを見たと言った時か。さすがに、眉をひそめて指をピクリと動かしていたが。怒鳴ったりもせず、謹聴を続けたのは流石である。
♦ ♢ ♦ ♢ ♦
とまあ、ミノタウロスの族長の懐の広さのおかげで交渉はまとまり―――モッケ爺達が手付金として前もって3頭ほど死体を並べさせるべきと主張するのを、なんだかんだ理屈をつけて抑え込み―――俺は早速悲嘆の冥河で作った魔法の水を用意された容器になみなみと注ぐ。
容器は古老のミノタウロスが受け取って、円形劇場の外へと持って出っていった。あとは、遺族たちに触って貰えば犯人が分かるだろう。
「でも、念のため荒らされた墓地も見ておきたいな。ひょっとすると何か他にも分かることがあるかもしれない」
俺の望みをモッケ爺が伝えると、族長はそれを許した。
さらに族長自ら俺たちを先導し、来た時と同じように厳重な警備の元、俺たち一行は墓場へと案内された。ずいぶんとサービスが良い。特別信頼されるようなことはまだ何もしていないのだが。
墓地は巨大な大樹の根本付近に作られており、そのうちの一か所に大穴が開いている。おそらく、暴かれた前族長の墓であろう。
ピリピリした空気を醸し出して、見張りの兵たちは落ち着きが無い。
「何か、新しく発見できるものがあれば良いんだけど・・・」
「基本的にはミノタウロスどもが調べ尽しておるじゃろうが、よほど細かい物か、呪術的な物は、見逃されておる可能性も在る」
そう言うとモッケ爺はひょいひょいと墓地へ入っていく。
「おいら、探索とかはあんまり得意じゃないんっすけどね~」
シックルは頭を掻き掻き、大穴へと飛び降りた。
「俺たちもダメもとで調べてみようか、キエン君・・・キエン君?」
俺がうしろを振り向くと、キエン君がいない。
おやっ? と思って見渡せば、なぜかキエン君はクンクンと鼻を鳴らして、近くの樹に登っていた。
何かあるのかと、俺もクルクルと巻き付いて樹を登る。キエン君はずんずんと登っていき、太い枝まで来ると入念に調べ始めた。
「キエン君。キエン君。何か手掛かりかい?」
「・・・どうも匂うんですよ。微かですが、お酒の匂いです。でも、なにか他に凄く嫌な匂いが混じっていて・・・腐敗臭?」
また、酒の匂いか。
枝から下を覗くと、丁度真下をイライラした様子で警備役のミノタウロスが通過していくのが見えた。
「むっ! これはいかんぞ!」
急にモッケ爺が大声をあげる。俺とキエン君は顔を見合わせ、何があったのかと慌てて樹を降りた。
それと同時にミノタウロス達もざわざわし始め、見れば古老のミノタウロスがノッシノッシと大股でこちらへやって来る。
そして、手に持っていた例の悲嘆の涙が入っていた容器を地に投げ打った。
ガシャァアーン
と、大きな音を立てて、容器は粉々に砕け散る。
古老のミノタウロスは俺たちに向かって何かブモブモ叫び始めた。
「スズカ様。僕には、あの牛、なんか怒ってるように見えるんですけど」
「奇遇だな。俺にもそうとしか見えんよ」
雲行きが怪しい。
「やれやれ。困ったことになったのう」
モッケ爺が悩まし気にため息をつく。
「スズカよ。どうやら敵はよほど用心深い奴のようじゃ。まさか、【封赦霊却】《ゴーストデリート》の使い手がいたとはな」
「【封赦霊却】《ゴーストデリート》?」
「お前さんの【悲嘆の冥河】《アケローン》のような死者の魂と交信する魔法やスキルもなかなかに珍しい代物じゃが、しかしそうした交信を妨害する為に死者の口を塞ぐ極めて珍しい能力が存在する。それが【
どうやら、死人に直接聞けば、ミステリーもサスペンスもあるもんか~という俺のお気楽妄想は打ち砕かれてしまったらしい。
古老のミノタウロスは地面に砕け散った器を乱暴に踏み荒らして、俺たちを睨む。
「ちょっくら説明してこようかの」
モッケ爺はさしてビビった様子もなくひょっこひょっこと古老の所へ行き言葉を交わし始めた。
「まいったな。どうしたもんだろうか?」
と、俺は横を見るとまたもやキエン君がいない。探すと、今度は別の樹に登ってクンクンやっている。
すると、次はシックルが報告へとやってきた。
「スズカさん。おいら、樹の上に爪の跡を発見したっす」
「また、樹の上か・・・何の爪かまでは分からないよね?」
「ちょっと分かんないっすね~。感じからして鳥とかだと思うんすけど」
だめだ。それだけじゃ何も分からん。
ひしひしと絶望感が湧き上がっている時、
「これ! 見つけました!」
と、キエン君が慌てて樹の上から飛び降りてきた。
片手に一本の毛を握りしめていた。
♦ ♢ ♦ ♢ ♦
「ふぅむ。これはグリフォンの毛じゃな」
「グリフォン・・・。そう言えば、例のテオテカの料理屋がみかじめ料を収めていたのは確かマンティコアとグリフォンだったか?」
「っつーことは、真犯人はグリフォンで決まりっすね!」
「それは短絡すぎんかの?」
ひとまず、ミノタウロス達を宥めて戻ってきたモッケ爺はキエン君が発見した毛の正体をグリフォンのものだと看破した。キエン君によると、樹の浮き上がった皮と皮の間に挟まっていたので、ミノタウロスには見つけることが出来なかったのだろうとのことだ。
「やっぱり、当初の予定通り、テオテカの料理屋に突撃してみないことには、どうしようもないな」
「そうじゃな」
「そうっすね」
というわけで、再びテオテカの料理屋に向けて出発することにしたのだが。
「ブモーブッモ、ブモ、メェーモォー、ブッ」
「参ったのう。わしらが信用できんようじゃ」
大変機嫌の悪い古老のミノタウロスが威嚇するように俺たちを通せんぼした。
「何て言ってるんです?」
「わしもその店の調査に連れていけ、と」
俺はちょっと考えた。この老牛がチームに入ると空気が悪くなりそうだ。とは言え、大見え切って悲嘆の涙を振る舞い、敵の術でしくじった手前、あまり邪険にするのも気が咎める。
「まあ、良いんじゃないか」
俺は老牛を連れていくことにした。
♦ ♢ ♦ ♢ ♦
「ふっ、ふうっ、あ、あのミノタウロス。足速くないですか?」
キエン君が息を切らしながら話しかけてくる。
「はぁ、はあっ、そ、そだな」
俺もあまり返事をする余裕が無い。蛇行速度を上げるのに必死だ。
「ふ、ほっ、ろ、老体に鞭打たせおって」
モッケ爺も文句を垂れながら、ひょこひょこと走っている。
息絶え絶えな俺たちを尻目にして、元気に先頭を駆けていくのは先導役のシックルと意気軒昂な老牛鬼だ。八本の蜘蛛足は想像以上に機動力があったらしい。
「もうすぐ、着くっすよ~」
シックルの間延びした声が前方より聞こえてくる。
俺は必死に首をねじっては縮ませ、ねじっては伸ばしと繰り返しながらも、地面が石畳に変わっていることに気付いた。道幅もそこそこあり、もしかしたらこの石畳は古代の幹線道路の一部だったのかもしれない。
周囲にも木々に侵食された石造りの構造物がちらほら見える。大部分は緑に飲み込まれているようだったが、それでも背の高い建物は未だ崩れず残っているものも多いようだ。
「ここっすね!」
ようやく強行軍が終わり、俺とモッケ爺とキエン君は息を荒げながらへたり込む。その様子を見た老牛鬼はチッと舌打ちした。やな奴だ。
見上げれば、そこは古代の砦跡のようだった。下の方は緑に覆われ、所々崩れてはいるが、高い石壁に、アーチ状の門、丸みを帯びた物見の塔は健在だ。雨露のせいで黒ずんでいる所も多いが、元は白一色だったのだろう。大昔には存外優雅な建造物だったのかもしれない。・・・今は廃墟然としているが。
居酒屋があるには、少々物騒な居住まいだが、それも単に前世の感覚を俺が持ち越しているからか。
「なんか、ものものしい雰囲気の所ですね・・・」
キエン君が息を飲む。
「たぶん、古代には戦争の拠点に使われていた所だろうね。地下牢とか、秘密の脱出口とかもあったりするかも?」
「料理屋を開くような場所じゃないですよね」
「地下は冷えているだろうから、食糧の保存とかには向いてるんじゃない?」
俺とキエン君がグダグダ感想を述べあっている間に、シックルはアーチ状の門から砦跡地に平然と入っていく。
「うーん。一応安全確認をしておきたいな。千里通眼!」
俺は砦内部を調べようとしたが、バチンッと何かに弾かれる。
「ま、た、か」
「そりゃそうじゃよ。ここは古代の軍事施設の名残じゃ。遠視や透視など、観察系の魔法や能力を弾く機構は最低限備わっとるじゃろうて」
モッケ爺はそう言うと、こちらもシックルに続いてひょいひょいと中へ入っていくのだった。
仕方なく俺も意を決して入っていけば、内壁に赤い矢印が何かの塗料でバカでかく描かれているのが見えた。矢印は、上に向かう階段を指し示している。とは言え、この矢印がなくても客が迷うことは無いはずだ。他にも通路はあるにはあるが、どこも崩れてしまっているのだから。おそらく元々の砦内部は複雑な迷路になっていたのだろうが。
階段を登ると、開けた空間に出た。
俺は勝手にテーブルやら椅子やらがあるのを想像していたのだが、そんなものは一切ない。ただ奥に板で区切られた空間があり、そこに瓶やら、食器やらが積まれているだけだ。見渡す限り、お客も店員もひとっこひとりいないようだが・・・。
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