第十四怪 白鵺の夢④
真昼の太陽が惜しげもなく光を降り注ぐ森の中。一陣の冷涼なる風が俺の髪を揺らす。俺とモッケ爺は、火鼠母子の住処を発ち、
風が気持ち良い。
そして、手足で地面を蹴る感覚も悪く無い。なんだか野生に帰った気分になる。
「・・・スズカよ。わしは長らく生きてきたが、人面犬というのは今日初めて見たのじゃよ」
モッケ爺が横を歩きながら俺の方をチラチラ見る。
そう。俺は今、モッケ爺が殺してしまったオルトロスの体を使っていた。例の持国天のスキル【奪体支配】の能力である。
俺はやはりモッケ爺が食うわけでもないのに徒にオルトロスの命を奪ってしまったことが心残りだった。無意味な死程哀しいものは無い。だから、俺はこう考えた。
よし、こいつは何か必然的理由、つまり俺が【奪体支配】の能力で快適な移動手段を得るためという理由があって殺したのだ、ということにしよう。
因果関係が逆転していて変な話ではあるが、俺は俺の中で一応の納得感が欲しかったのだ。
というわけで、俺は火鼠の巣穴を出た後、モッケ爺に頼んでオルトロスの首を切り落として貰い、その体を有り難く利用させてもらうことにしたのである。なお、切り落とした首は穴を掘って埋めた。これもオルトロスの体を俺が得たからこそ出来たことであるから、例え逆転的であろうと因果は正しく機能している・・・と思う。
ついでに、単に埋めるだけでは芸がないので、土盛りを作って上にジャガーの杖を刺しておいた。この棒はほんとにどこにでもある。古代ロークビ帝国の国力は凄まじいものだったに違いない。
「俺も自分が人面犬になるなんて思ってませんでしたよ・・・」
人面蛇が人面犬になったところで、絵面は気味が悪いままだろう。
「その姿の方が走りやすいかの?」
「まあそうですね。移動という観点では間違いなく蛇体でニョロニョロやるよりは快適です。でも、冷たい体を無理矢理動かしているのが気持ち悪くて、違和感は凄まじいですが。それになんというか・・・体が脆い感じがあって」
オルトロスという種自体が耐久性が低い魔獣なのか、俺とモッケ爺で痛めつけてしまったせいか分からないが、こうして走ってる間にも、体がボロボロと崩壊しそうなのだ。
「ふむ。なるほど。では
「
「いや、聞いた話ではネクロマンサーは死体の耐久性を維持する呪法を心得ておるらしいからの。まあ、わしも専門ではないから詳しいことは分からんが、お前さんがやっているのは、死体を操るというより、本当に単に死体を動かしているだけということなんではないかの?」
「・・・・・・」
なるほど、分からん!
「そんなことよりも、じゃ」
頭がこんがらがっている俺を見て、モッケ爺は話題を変える。
そうだ。そんなことよりも、今はもっと重要な懸案事項があるのだ。
「のう、スズカや。お前さんの夢とやらは・・・本当に予知夢の類であるのかの?」
「・・・だいぶ自信が無くなっている所ですよ」
モッケ爺の遠慮がちな質問に対して、俺は正直に答えた。
エンカさんの話が本当なら、例の白毛のマンティコアはたいそうな聖人である。とても牛鬼の群れを嬲り殺しにするような未来が訪れるとは思えない。これはもう直接話してみて本性をみるしかないと思った俺は、エンカさんからハクタ様とやらが居そうな場所を聞き出したのだった。それが今向かっている
「しかし、慎重に行かねばならんぞ。そのハクタとやらが気性穏やかな獣であろうと、取り巻きのマンティコアがいた場合は双方無事には済まんじゃろう」
「ええ。他のマンティコアがいた場合は、今日の所は撤退です」
エンカさんによると、ハクタ様はもっと西から最近こちらに越してきて、あっという間にここらのマンティコアの集団、エスプー族のボスになったそうだ。一人きりの時は小動物を保護してくれるものの、ボスとなってしまった以上はマンティコアのボスとしての務めや面子があり、配下のマンティコアたちの狩猟や肉食を止めたり邪魔したりすることは決してないという。
自分の趣向を他人に押し付けようとしないあたり、ますます以って聖人だ。
「なんにせよ、危ない場合は直ぐに逃げるんじゃよ」
「分かってますって」
森を進んでいくと、ふと開けた草地に出る。
そこは白一色だった。
まるで緑の大地に雪が降り積もったかのように、フワフワの綿毛が草地を埋め尽くすように風に揺られている。背の高い茎と言い、白い綿毛と言い、何となくタンポポっぽい感じがする。だが、綿毛の球が揺れるたびに、どういう原理か分からないが、メェーメェーと羊の鳴き声に似た音が出るのは実に奇怪だ。
「これが
「うむ。それよりも、あっちじゃ」
俺が異世界らしい光景に見惚れていると、モッケ爺が小声で注意を促す。
見れば、少し遠い所に灰白色の巨石があり、その石の上に一匹の化け物が鎮座していた。猿の顔は両眼を閉じて深謀遠慮な雰囲気を醸し出し、白黒の縞模様の虎の胴体は伸びやかにかつ厳かに陽の光を油の如く身に受けている。尻尾の真紅の蛇はまるで置き物かのようにじっと岩肌に張り付き、身じろぎもしない。
白い野原に、白っぽい石、その上にいるこの鵺はほとんど全身白いから、風景の中に溶け込み、まるでこの草地の一部と化していた。
まるで大自然と一体化するために座禅を組んで瞑想する修行僧かシャーマンのような姿である。
「なるほど。これは聖者に相違ないな」
俺は感嘆して思わず感想を口にした。
が、その声に反応したのか、俺たちの目の前の
「あ? なんだぁ、おめえら。知らない顔だあね」
乱暴な物言いのでかい栗鼠だった。今のはゲッシー語だ。
俺とモッケ爺が突然のことで返事をしかねていると、
「ははーん。あれか、老いぼれフクロウと変わり種の
と、勝手に一人合点して、パッと身を振り返すと止める間もなく、白い鵺の元へと駆け出して行った。
「あれは、密林の使者。
「まあ、取り次いでくれるというんだから、任せましょう」
話しかける切っ掛けを探さずに済んで手間が省けたというものだ。
取次の栗鼠は、あっという間に鵺の所に辿り着き、耳元へと駆け寄ると何やら囁いているようだった。
すると、鵺はこちらを見て手招きする。
俺は招待に応じることにした。ゆっくりと
白い鵺は屈みこむようにして俺たちを見つめると、
「ヌッフ、ウヌ、ウッキヌ・・・」
と俺の知らない言語で話しかけてきた。後ろからモッケ爺が小声で「用は何だ、と訊いておるぞ」と通訳してくれる。
が、
「えっへん。おめえら、俺っちがハクタ様のお言葉を通訳してやるから、よーく耳をかっぽじって聞けよ」
と、例の自称取次役の栗鼠が前にずいと出てくる。
「あ、いや、俺たちには・・・」
「おい、人が話をしてる最中は黙って聞け!」
モッケ爺が通訳してくれるから不要だと伝えたかったのだが、この栗鼠は人の話をまともに聞かないらしい。
「えっへん。それでは・・・
とまあ、栗鼠は俺に向かって、通訳してくれたわけだが。
「・・・・・・」
俺は栗鼠の翻訳を聞いて、一瞬混乱する。
この栗鼠のフェアリス語はあまりに妙ちくりんだ。
いや、モッケ爺の翻訳と栗鼠の翻訳は、おおまかには同じ意味だ。だが、あまりに受ける感じが違い過ぎる。正しい言葉のニュアンスがどうなのか分からなくなる。
そして、こちらの言葉もこの栗鼠が翻訳して鵺に伝えるわけだから、二重に捻じれたりしないだろうか?
うーむ。多聞天の言語獲得の枠を使い切るのはどうも惜しい感じがするが、なんというか、これは直接話さないと、深刻な誤解を生む気がする。致し方ない。この栗鼠はあまりに信用できない。
「多聞天。言語獲得!」
―――――――――――――――――――――――――――――――――
【多聞天】4
〔順風通耳〕4
自身を中心に半径4㎞内一切の音声を聴覚する
〔言語獲得〕4
対象の言語脳をハッキングして、使用言語をコピー習得する
従って、獲得能力は指定対象の言語習熟度に依存する(4/4)
〔フェアリス語〕〔ムステリス語〕〔ゲッシー語〕〔ハヌ語〕
―――――――――――――――――――――――――――――――――
ハヌ語ね。よし。
「こんにちは。俺は妖精のスズカです。こっちはストラスのモッケ爺。俺たちはこの近くに住むフレイムラットの母子、エンカさんとキエン君の知り合いでして、彼らからあなたのことを聞き及び、是非一度お話を伺いたいと思って参上した次第です」
俺がハヌ語で一気に口上を捲くし立てたところ、白鵺は少し考えこむ仕草をする。一方、取次の栗鼠は最初呆然としていたが、次第に顔を真っ赤にして頬を膨らませていった。
「おい。おい。それは・・・それっはねえだろうがよー! 取次の俺っちがいるのに、頭越しに会話とは、礼儀作法も何もあったもんじゃねえ」
「すまないね。大変失礼なことをしているとは思うけど・・・、ぶっちゃけあなたの通訳は信用ならないんですよ」
「な、な、なんだと、この、こんの気持ちの悪い人面犬め!」
うわぁ、ひでえ。こいつ、俺のこと妖精だって知ってる風なのに、人面犬呼びしやがった。
「アオリー殿。随分、興奮していらっしゃるようですが、何のお話をなさっているのでしょうか?」
ゲッシー語でやりやっている俺と栗鼠の会話が分からなかった白鵺は、首を傾げて栗鼠―――アオリーという名前らしい―――にハヌ語で問う。
すると栗鼠の奴は手を摺り足を擦り、ニコニコ顔で、
「いえいえ。ハクタ様。儀礼上の問題について少々確認を取っていた次第ですので、ご心配なく」
と、馬鹿丁寧で流暢なハヌ語で答えた。
「そうでしたか。それならば良いのです。・・・して、スズカ殿。拙者に聞きたい話とは何でございましょうか?」
栗鼠野郎は一瞬不満そうな顔を見せるが、渋々と脇に引っ込む。どうもこのアオリーという奴、ハクタ様の前では余程猫を被っているらしい。栗鼠のくせに。
「フレイムラットの親子に聞いたところ、あなたは、獣たちの肉を食らうのを嫌い、むしろ小さく弱き者たちに施しもしているという話でしたが、それは真ですか?」
「真でございますよ」
「その聖者のような振る舞いをする理由をお聞かせ願えるでしょうか?」
白鵺はやや間をおいて、
「・・・大した理屈やら思想信条があるわけではございません。聖者などというのも甚だ不相応な評価でございまして。獣を殺すに憐憫を覚えると言いながら、魚を取って食うにはさして心痛めず、ただ己の気紛れな慈悲心が弱肉の者たちに向かうことしばしばというだけにございます。隠蔽の水晶の施しも、先年亡くなった母が大願成就の願掛けにと施しをしているのを見まして、ふと拙者もやってみようと思ったまでのこと」
と、しみじみと語る。
「では、なにかあなたにも叶えた願いでもあるのですか?」
「無いではないですが・・・笑わないでいただけますか?」
「他人の夢を笑ったりするものですか」
俺の真剣なトーンに、ハクタも感じる所があったのか、やや両目をつぶって何かを案じると、
「・・・
と、しずしずと答えてくれる。
「そうすれば、獣同士が殺し合わなくて良くなるからですか?」
俺の問いに、白鵺はふるふると首を振る。
「そうすれば、獣を殺したくない奇特な者や獣を殺す力を失った者に選択肢が出来るからでございますよ」
「なるほど」
おおよその人となりは分った。しかし、そのせいでますます分からなくなる。やはり、あの夢はとんでもない見当違いだったとしか思えない。
「ところで、逆にお尋ねしたいのですが。どういったわけでスズカ殿は拙者にそのようなことを?」
「・・・・・・」
俺は返答に窮した。さて、どう答えたもんだろうか。適当にお茶を濁して誤魔化すこともできるが、それでは俺の懸念の核心には近づけない。
そう迷っていた時、
「むっ」
とモッケ爺が俺をつついて、羽先を西へと向ける。俺は瞬時に合点して千里通眼を飛ばした。
見れば、一匹の魔獣が猛然とこちらへ向かって駆けてくる。
「片目に大傷のあるマンティコアが一匹来るようですね。すごい速さです」
俺の言葉に、白鵺は岩陰の背の高い草むらを指さす。
「お二方とも、こちらへ!」
俺とモッケ爺がその草むらに飛び込むと、白鵺はなにやら呪文を問えて、漆黒の水晶柱を複数本えいっと俺たちの周りに投げつける。その途端、まるで周囲を黒い薄布で覆われたかのように暗くなった。どうやら俺たちの気配やらを遮断する結界が張られたらしい。
結界の中で息を潜めていると、ほどなくして、草地の向こうから躯体の大きなマンティコアが現れた。そのままその魔獣は足元に生えるバロメッツをぞんざいに踏みつぶしながら白鵺の元に駆けてくる。
「これは、ワルガー殿。そんなに慌てて如何いたしましたか?」
「おおお、、我らがボスよ。大変なことになったぞ。何者かが我らエスプー族の巣を襲い子供をさらっていったのだ。ああ、これは必ず下手人を突き止め、報復せねばなるまいて。ボスよ。我らが同胞の為に務めを果たして頂けるであろうか?」
ワルガーと呼ばれたマンティコアは大袈裟に天を仰いだり、泣き伏す真似をしたりとしながら、ハクタに迫る。
「・・・まさか、グリフォンが? いえ、早合点はいけませんね。これは、ボスとなった以上は拙者の責任で始末を付けねばならないでしょう。分かりました。直ぐに現場に向かい、情報を集めましょう」
ハクタは一瞬だけ躊躇う様な仕草をしてから、きりりっと居住まいを正して巨石から飛び降り、西へ向かって駆けだした。
それを見送るワルガーは、直ぐには後を追わない。
そして、巨石の上を睨むと、
「アオリー! 来い!」
「はい! 只今」
あのぶっきらぼうな態度はどこへやら、アオリーがおずおずと石の上からワルガーの前へと降りていく。
「仕事だ。分かっているな?」
と、ワルガーはなんとアオリーに向かってゲッシー語で話しかけ、ニタァと笑う。
「も、もちろん。アオリーめにお任せくださいませ。ワルガー様」
アオリーは脅えながら、ワルガーの体によじ登る。
「さあ、行くぞ!」
ワルガーが駆け出す。
ワルガーの毛皮に必死に掴まっているアオリーは、一瞬俺たちが隠れている草村の方を見つめてきた。
とても泣きそうな表情で。
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