第十三怪 白鵺の夢③

 オルトロスはモッケ爺に脳天を貫かれて絶命してしまった。


 俺はモッケ爺が相談も無くオルトロスを簡単に殺してしまったことに、ちょっとショックを受けていた。追われていたフレイムラットを助けるために、この二頭犬を追い払えればそれで良いと思っていたのに・・・。

 だが、良かれと思ってやったモッケ爺に文句を言うのも気が引けるし、そもそもモッケ爺の生きてきた世界はこういうものなのだ。予め戦略目的を設定して共有していなかった俺に落ち度があることなのだろう。

 たぶん、そうだ。

 ちゃんと慣れるべきだよなぁ。


 とは言え、何も言わないのもよろしくないかと思ったので、

「・・・モッケ爺。捕まえた相手はシックルみたいに恭順させることも出来るわけだから、そんなあっさり殺して回っちゃ、軍勢なんて増えないよ?」

 と、軍師気質のモッケ爺にも刺さる言い方をしてみたのだが、

「ホッホッホッ。分かっておるとも、スズカよ。心配せずともオルトロスのような雑魚でなければ殺しはせんよ」

 と、返されてしまった。

 なんなんだろうね? この辺の感覚の違いというか、価値観のずれと言うか。

 モッケ爺が俺には滅茶苦茶優しいからこそ、どうにも理解しかねる。


「って、そんなことより、火鼠ちゃんを助けてあげないと」

 俺はオルトロスをほどいて、フレイムラットに駆け寄る。死んでしまった者よりもまずは生きている者を!

 小さなフレイムラットは弱弱しい火花をあげながら氷雪を振り払い、俺たちから遠ざかろうとする。

「きぃ」

 フレイムラットがか細い声でなにか呟いた。


「多聞天。言語獲得!」


―――――――――――――――――――――――――――――――――

 【多聞天】4

 〔順風通耳〕4

  自身を中心に半径4㎞内一切の音声を聴覚する

 〔言語獲得〕4

  対象の言語脳をハッキングして、使用言語をコピー習得する

  従って、獲得能力は指定対象の言語習熟度に依存する(3/4)

 〔フェアリス語〕〔ムステリス語〕〔ゲッシー語〕

―――――――――――――――――――――――――――――――――


 どうやら、火鼠の使う言語はゲッシー語というらしい。

 って、そんなことより。


「あの、ちょっと待ってくれませんか。逃げなくても大丈夫ですから。俺たちはあなたに旦那さんの件で、お話があって助けに来たんですよ」

 フレイムラットは俺の言葉にビクッとして、振り返る。

 が、俺の姿を目にとめると、くるりと向き直って再びヨロヨロと進み始めた。

 ・・・俺の姿は、そんなに信用できんかね?


 ならば。

「【慈悲の聖球】《ヒーリングボール》」

 俺は癒しの光球をフレイムラットの頭上に浮かせる。

 フレイムラットは歩みを止めた。そして、頭上の魔法を見、俺を見、・・・再び俺を無視して歩き出す。


 ぐぬぬ。ならばー。

「【慈悲の聖球】《ヒーリングボール》 【慈悲の聖球】《ヒーリングボール》」

 俺はヨロヨロ歩きのフレイムラットの横にぴったり並走して這い進みながら慈悲の聖球をこれでもかと撃ち続けていく。

「【慈悲の聖球】《ヒーリングボール》 【慈悲の聖球】《ヒーリングボール》」

 そして、とうとう10個目を打ち上げた時、ついにフレイムラットが立ち止まって、俺を睨みつけた。


「お、お前、なんなんだよ、さっきから。・・・ふぅ、はぁ。ぼ、僕はお前なんかに助けられなくても、・・・はぁ、はぁ、オルトロスなんか、あんな雑魚に、負けたりしなかった」

 うーむ。これは意地っ張りさんですね。・・・というか、こいつもしかして息子の方か? てっきり外に出ているのは母親の方だと思ってたのだが。


「お若いの。そう強がるんでない。確かに大人のフレイムラットにとってはオルトロスなぞは敵でないじゃろうとも。しかし、どんな魔獣にも雛の時はある。雛の時分は弱くて当然なんじゃ。されば、己の弱さを認めて、なお生き延びることを考えよ」

 モッケ爺が世話焼き爺さんの調子で助言をする。


 が、火鼠少年には刺さらなかったらしい。チッと舌打ちしただけだった。

「たとえ不要の助けであろうと、礼を言うのがマナーじゃぞ!」

 明らかにイラっとするモッケ爺。無視する火鼠少年。


 俺は慌てて宥めるように割って入る。

「いやあ、済まないね。勝手に君の戦勝に茶々を入れてしまって。というわけで、余計なことをしでかしたから、せめてものお詫びにと、俺の魔法で君の体力を回復させているというわけだ。機嫌を直して、どうか俺のお詫びの魔法を受け取ってくれないだろうか?」

「・・・分かった」

 これでもかと低姿勢を貫く俺にようやく火鼠少年も面子を保たれたのか、素直に頷くと俺の慈悲の聖球の魔法の下で丸くなって目を閉じる。相当に消耗していたのだろう。

 モッケ爺はヤレヤレと首を振って、ため息をついた。


「ところで少年、もしかすると君はキーチクとかいう名の少々道徳心に欠けたフレイムラットを知っていたりするかな?」

 俺がキーチクの名を出した途端、火鼠少年は鋭い眼を開く。

「そいつは僕の生みの父親ですよ。・・・あなたはアイツに何かされて、息子の僕に慰謝料でも請求しに来たんですか? 悪いですが、払えるようなものは何もありませんよ。僕たち、あいつから養育費だってまともに貰っていないんですから」

「いやあ、そうじゃないんだ。むしろ逆でね。俺は、まあ、君のお父さんに襲われてね、それで、正当防衛なんだが、君のお父さんを・・・まあ、返り討ちにしてしまったわけで」

 言い淀みながらも説明する俺の言葉に、

「えっ・・・」

 と、火鼠少年は驚いた声をあげて呆然とする。

「その・・・、すまないね」

「えっ、いえいえ。むしろ、ありがとうございます。あのクソ親父がくたばったっていうのが本当なら、むしろ僕はお礼を言いたいです」

 なんか感謝されてしまった。

 父親を殺して息子に復讐されるどころか感謝されるって、あのキーチクはいったいどれだけ嫌われていたんだか。・・・とても居心地が悪い。


「・・・それでまあ、遺言を聞いてしまってさ。俺としては全くそんな義理は無いとは思ったんだが、一抹の憐憫があったから、払ってない養育費を肩代わりしてくれという虫の良すぎる遺言を叶えに来たんだよ」

 火鼠少年は目をパチクリさせる。

「あの、つまり、あなたはあのクズ親父を正当防衛で殺したけど、可哀想に思ったから僕たちを支援しにきてくれたということなんですか? ・・・世の中、案外お人好しって多いものなのかな?」

 そんなお人好しがいるなんて信じられないと拒絶されるかもと思ったが、意外なことにすんなり信じて貰えた。この子、大丈夫だろうかと逆に心配になるくらいだ。


「あの、僕はキエンって言います。母さんの名はエンカです。さっきは危ない所を助けて下さりありがとうございました。癒しの魔法もありがとうございます。僕もう平気です。親切なラーミアのお兄さん」

 火鼠少年―――すなわち、キエン君―――は今までの態度はどこへ行ったのやら、礼儀正しく立ち上がり、耳から吹き出る炎を左右にゆっさゆっさと振り動かす。

「ははは・・・、俺はスズカ。でもラーミアじゃないよ。こう見えてろくろ首っていう・・・まあ、妖精なんだ。蛇の魔獣じゃないからな?」

「えええ・・・」

 キエン君は、再び疑の眼を向けてくる。


 疑われるって、悲しいね。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 俺とモッケ爺とキエン君は揃って、例の滝壺近くの茨の元へやってきた。


 ちなみに、オルトロスの死体は放置された。モッケ爺曰く、オルトロスの死体は臭くて不味くて喰えたものでは無いらしい。食うためでは無い殺しに俺は後悔を覚えつつも、墓を作ってやるための手足も無いのでどうすることも出来ない。


「巣はこっちです」

 俺たちを先導するキエン君は茨の方へ向かうが、すっと脇にそれて裏の岩陰に突然姿を消す。

「んっ?」

「ほっ?」

 俺とモッケ爺が戸惑っていると、すいっと、岩の表面からキエン君が顔を出した。

「ちゃんと、通れますからついて来てください」

 言われたとおりに、えいっと岩にぶつかってみると、すっと岩を通り抜けて気づけば穴倉の中だった。内部は、ぼうっと壁に不可思議な火が灯っていて明るい。巣穴は曲がりくねりながら、いくつもの小部屋に分岐しているようだった。


「ふぅむ。てっきり茨の方に巣があるとばかり思っておったが」

 モッケ爺も入ってきて怪訝そうにする。

「二重の隠蔽結界なんです」

 キエン君が自慢げに説明をはじめる。

「何もない茨の方に少し緩めの隠蔽結界を張って囮とし、本命の巣穴がある岩の方に段違いの強力な隠蔽を施してあるんです。例え隠蔽を見通す者がやってきても、みんな茨の方の隠蔽結界に気を取られるので、本命のこちら側には気付かないんですよ」

「なるほどのう。やられたわい。言われてみれば確かに不審な点もあったが・・・、不覚じゃのう」

 モッケ爺が唸る。


「しかし、お主の母上は素晴らしい術者であるな。こんな結界を張れるとは。・・・まさかとは思うが、暴君のような父親の技とは言うまいな?」

「いいえ。まさか。クソ親父でもないし、僕の母さんでもありません」

「ふむ、ではいったい誰が?」

「それは・・・」

 キエン君が術者について説明しようとしたところ、


「キエンッ! どうして、こんな人たちを巣穴に通したのですか!」


 巣穴の奥からキエン君より少しだけ大きいフレイムラットが現れて、叫んだ。おそらくは、母親のエンカだろう。見れば、足を引きづっている。


「母さん。この人達は大丈夫だよ。さっきも僕の事を助けてくれたし、信用できるよ」

 キエン君はそう言って俺の首を前足でポンポン叩く。

 えらい気安くなったもんだ。

「そんな簡単に他人を信じてはいけません。より大きな裏切りと収穫の為に、小さな援助を見せびらかすなんて、よくある手口です」

 うん。俺もそう思う。


「でも母さん。ハクタ様の時も同じようなこと言ってたけど、結局本当に親切な人だったじゃないか」

「例外中の例外です。あんな聖人様が立て続けに現れたりするものですか。さあ、キエン。早くこっちにいらっしゃい。逃げますよ。ここはもう駄目です」

 参った。個人的には母親の言葉に共感できるものの、今はとても困る。実の息子の説得にも応じないとなると・・・。

 いや、待てよ。


「キエン君、キエン君。なにか器のようなものはあるかい?」

「器ですか・・・これで良いですか?」

 俺の頼みにキエン君が差し出したのは、何かの小さな木の実の殻だった。

「これで十分」

 俺は殻の上に屈みこむ。


「【悲嘆の冥河】《アケローン》」

 俺の眼から一滴の涙が零れ落ち、木の実の殻を満たす。

「本人から聞くのが手っ取り早い。あっちで君の母親といっしょにこの水に触れてくると良いよ」

「はぁ・・・」

 キエン君は首を傾げながらも俺に言われた通り、木の実の殻を捧げ持って母親の元へと向かった。


 俺がそれを眺めていると、

「スズカよ。どうもこれが仕掛けのようじゃ」

 と、モッケ爺に突かれる。

 モッケ爺の言う「これ」とは、巣穴の入り口に突き刺さっている黒色の水晶のようだった。時折水晶内部で白い光が稲妻のように走り抜けていく。

「これが隠蔽の魔術具ってことかな?」


「キャーーーー」

「ウ、ウワーー」

 背後で悲鳴が聞こえ、振り返ると、どうやらキエン君とエンカママさんが悲嘆の涙に触れ、キーチクの幽霊を見ているらしい。二人とも腰を抜かして驚いている。ちなみに、俺にはキーチクの幽霊は見えない。涙の河に触れたものだけが観るのだろう。

 驚きが冷めると、今度は二人して何も無い空間に向かって怒鳴り始めた。「さっさと地獄に落ちて」だの「誰がお前が死んで悲しむもんか」とか、まあそんな感じだ。

 そうして怒りを吐き出し切った後は、落ち着いたようで、二人して苦い顔をしながらぼそぼそと何か言っていた。


 と、母親の方が足を引きづりながら、こっちへやってくる。

「どうも疑って済みませんでした、スズカ様。事情はよく分かりましたから。うちの息子を助けてくれてありがとうございます。それと、あの下衆をこの世から消してくれて助かりました。以前、鉄鼠アイアンラット小玉鼠バーストラットのゴロツキに暗殺を依頼した時は失敗してしまったので、どうしたものか、ほとほと困っていたんです」

「あー、いえ、どういたしまして?」

 この火鼠ママさん、暗殺者雇ってたんかい!? よほどDVに耐えかねていたのかもしれない。


「あ、そうだ。こちらどうぞ」

 俺はモッケ爺に目配せをする。モッケ爺は頷くと、長い足を使って器用に俺の髪の中に結いこまれていたヒスイ豆を一粒取り出した。

「い、いえいえ。そんな、頂けませんよ。あの恥知らずの言葉なんか忘れて下さい」

「いやいや、そうはいきません。例え幽霊でも約束した以上は守るのが俺の主義ですから。受け取ってくださいな」

 俺がなおも勧めるも、

「しかし・・・」

 と、エンカさんは渋る。

 それを見てモッケ爺が口を挟んだ。

「お嬢さん。あんた、その足では数日は外に出られんのだろう。それで息子が危険を承知で遠出して餌集めをしておるんじゃろう? 今日なんぞ、わしらがおらなんだらあの子は死んでおったぞ。・・・息子の為にと思うならば恥を忍んでも、財物を掻き集めるのが母親の務めではないか」

 エンカさんはちらりとキエン君の方を振り返った。

「それは、・・・確かにそうですね」

 一つ頷くと、エンカさんはモッケ爺からヒスイ豆を受け取る。

 これでようやく俺も肩の荷が下りたというものだ。


「ところで、お嬢さん。わしはこの仕掛けを施した者について尋ねたいのじゃが」

 モッケ爺は、黒水晶の魔術具を足の爪先で指さす。

「あ、ああ、それですか。それはハクタ様が施してくださったもので」

 そう言えば、さっきもハクタ様がどうとか言ってたな。

「そのハクタ様と言うのは、どういう方なんです?」

 そう尋ねると、エンカさんはぱっと目を輝かせる。


「それはもう、とてもお優しい方ですわ! 魔獣の身ですのに、肉を食べるのは好まず、普段は果実や木の実を食されていて、必要な肉は専ら肉綿花バロメッツを食べて補っていらっしゃるんですよ! 他のお仲間は肉が好物だというのに。まあ、たまに魚も食べるそうですけど、少なくとも私達のような小さな魔獣を襲って食べるようなことはしたくないんですって! それどころか、私どものように困窮している小さく弱き魔獣に出逢うたびに、隠蔽の水晶を与えて隠れ家を作れるようにして下さっているんです」

 エンカさんは溢れ出す泉のようにコンコンとハクタ様とやらの聖人ぶりを説明する。


「モッケ爺、肉綿花バロメッツって何さ?」

「ふむ、肉綿花バロメッツとは、変わった植物でな、フワフワの白い綿毛に包まれた実の中に血肉を生じるのじゃ。血肉の実によって肉食獣を呼び寄せることで、草食獣に食われぬようにしておるのではないかという話もあるのう。ただ匂いは良いのじゃが、味は正直あまりなくてな。わしもひもじい時に仕方なく齧ったことがあるんじゃが、積極的に喰いたいものではないのう」

 ということは・・・、そのハクタ様とやらは、元来肉食もしくは雑食の魔獣であるにも関わらず、獣を殺めるのが嫌いで不味い肉の実を喰ってるというわけだ。しかも高度な術を惜しげもなく使い、小さき魔獣たちにわざわざ隠れ家まで作ってやるなんて、これは確かに聖人と呼ばれるに値する。よっぽど何か裏でもあるのではないかと勘繰ってしまうが。


「それで、そのハクタ様とやらは、何の魔獣なのですか?」

 是非、そのハクタ様とやらに会ってみたいものだ。


「ハクタ様は、珍しい白毛のマンティコアですよ」

 エンカさんの答えに、俺とモッケ爺は顔を見合わせた。

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