2章 エスプー

第十一怪 白鵺の夢① The dream of white manticore

「おいら、ただいま帰参したっすよ~!」

 静寂な洞窟に、元気溌溂な嵐が帰ってきた。

「お帰り、シックル」

 見れば、シックルは何かの動物の毛皮で作った袋に何やかんやと詰め込んで、背負ってきたらしい。

「おっ、良い匂いっすね~」

「良い匂いねー」

「良いねー」


 ・・・ん?

 いや、待て。

 洞窟に入ってきたシックルに続いて、シックルの三分の一くらいの大きさの鼬が二匹入ってくる。

 えっ、もしかしてシックルの子供!?


「えっーと、シックル。その子たちは?」

「はいっす。おいらの妹のオサキとイズナっす」

 親子ではなく兄妹だった。

「いや、聞いてないんだけど」

「へっへっへ。そこはまあ、寛大なご処置をば・・・。そら、二人とも早くご挨拶申し上げろ」

 何と言うか、シックルの奴、俺が押しに弱いというか、なんだかんだ言って色々許してしまう性質だと、見抜いている節がある。

 まあ、連れてきてしまったものを今更追い返せとも言えないし、シックルにはシックルの事情もあるだろうから、取り敢えずは黙認する。


 小さな二匹の鼬、つまりシックルの妹たちが前に出る。

「イズナです。こんばんは。兄がお世話になっております。今日から私たちもお世話になります」

 とても丁寧な挨拶だ。本当にシックルの妹なのか疑ってしまう。

 イズナと名乗った鼬はペコリと頭を下げる。全体が茶色の体毛の中、右耳だけが真紅の毛で覆われていて目立つ。


 すると、今度はもう一方の鼬がずいと胸を張る。こちらは左耳だけが黄白色だ。

「オサキよ。こんばんは。ふーん、あんたがスズカね。兄貴の言ってた通り本当に気持ち悪い見た目してるわ」


 オサキの暴言を聞いたイズナは硬直し、肉のつまみ食いをしていったシックルはブッハッと口中のものを吐き出し、慌てふためいて、俺の前に飛び出し平伏した。

「スズカさん、違うんです。誤解です。こいつは、オサキはちょっと頭が変なだけなんです。こういう病気なんです!おいらは決して・・・」

「兄貴、カッコ悪、ムグッ・・・」

 さらに何か言い募ろうとしたオサキの口を、慌ててイズナが羽交い絞めするようにして抑え込む。抑え込まれながらもオサキはまだムグムグと悪態をついていた。因みに俺は順風通耳のスキルがあるのでその気になれば、モゴモゴ言っている言葉も正確に把握することが可能である。


 しかし、ここまで来ると、確かにこれは病気の一種のように思えてしまう。悪態をつかずにはいられない病気・・・。シックルの口から出まかせ的な病気発言もある種の真実というわけだ。もっともモッケ爺の薬を服用した所で治らない不治の難病の類だろうが。


「良い。良い。シックル、俺は別に気にしないよ。モノの通り分別がつかない乳臭い子供が言う言葉に一々腹を立てたりしないから」

 俺は内心の苛立ちを出来るだけ抑え込んで、笑顔を作った。えっ? 表現に棘があり過ぎる? それは致し方ない。


「ありがとうっす。ありがとうっす。さすがは大恩大慈のスズカさんっす」

「本当にすみません。オサキお姉ちゃん、緊張すると思っても無いことをベラベラ言っちゃうんです」

「フングッ、ムググッ、ムグーーーッ」

 なんだか賑やかになった。

「それじゃあ、シックル。帰って早々悪いんだけど、俺はそろそろ寝るから何かあったら起こしてくれ」

「はいっす。夜中しっかり見張っておくっす」

 俺は夜の番人役をシックルに依頼して寝ることにした。今日も今日とて色々あって疲れていたのだ。

 虫除け香の置かれている石の周りに蜷局を巻くようにして首を巻き付け、頭を自分の首の上に置く。我ながら変てこな寝方だと思うが、Gの悪魔に夜襲をかけられる確率を少しでも下げたかったのだ。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 真っ暗な空間。真っ黒な水面。


 なぜだろう。これは夢だとすぐに分かった。


 俺は生首のまま、なぜか真っ黒な水面に浮かぶ蓮の花の上に転がっている。周囲には正確に正八角形を形作る8本の白い柱が立ち並ぶ。

 なんだここは?と思うも束の間、光が生じ、パリパリと空間が横一線に裂けたかと思えば、中空に巨大な眼が出現していた。


「なんなんだ、いったい?」


 巨大な眼が俺を見る。俺も睨み返す。巨眼の瞳には俺の姿が映って・・・いなかった。

 映っていたのは森だ。切り立った崖だ。何かの遺跡の廃墟のような石造りの場所だ。そこにミノタウロスがいる。しかも一匹ではない。大中小、様々なサイズのミノタウロスがいる。おそらく、この石造の史跡を拠点にしているミノタウロスの群れなのだろう。

 もしかしたら、俺たちが洞窟を奪い、殺したミノタウロスの親戚だったりするのだろうか。


 と、そこに一匹の化け物が現れた。顔は毛深い猿―――もしくは極端な猿顔の人間の顔か―――体は黄色と黒の縞々の虎皮、尾は緑色の蛇が牙をむく、即ち、これは鵺と呼ぶべき存在だ。


 鵺はミノタウロス達の集落に押し入ると、体の小さな子供のミノタウロスに襲い掛かる。慌てて体が大きなミノタウロスが応戦するも劣勢だ。そこへ他のミノタウロスも駆けつけてきて鵺を追い払うことに成功した・・・かに見えた。

 しかし、鵺は一頭ではなかったのだ。今度は何頭もの鵺が現れ、ミノタウロスに襲いかかる。ミノタウロスはまだ数では勝るも、種族の強弱の差は如何ともし難いらしく、再び劣勢となる。


 かと思えば、一際特大のミノタウロスが現れて―――明らかに他のミノタウロスと纏う雰囲気が異なっている―――鵺を一匹、石斧で鎧袖一触に真っ二つにした。

 こいつは相当強いから襲ってきた鵺を一掃できるだろうと思っていると、鵺たちの奥からもノッシノッシと異様な鵺が現れる。大きさは他の鵺より少しばかり大きいくらいだが、他の鵺が黄色に黒の縞模様なのに対して、こいつは白地に黒の縞々で尾は血のように赤い蛇だ。圧倒的風格。両者は互いに睨み合う。


 勝負は一瞬。

 白い鵺が口を大きく開けた途端、電撃の嵐が巻き起こり、無数の雷に撃たれた特大ミノタウロスが麻痺して硬直する。そのわずかの硬直が命取り。白い鵺の尻尾の蛇の口中に不気味な光が灯ったかと思えば、長く鋭い棘のようなものが発射され、無防備なミノタウロスの胸を穿つ。たまらず、特大ミノタウロスがどうっと地に倒れたところへ、白い鵺が飛び掛かり、あっという間にその首をへし折ってしまった。

 勝ちかちどきをあげた鵺どもは哀れにも残っているミノタウロス達を追い回し、大小構わず捕らえて嚙みつき、泣き叫ぶ子供のミノタウロスだろうと容赦なく引き裂き、地面を血染めに変えながら食い散らかしていく・・・。


 気づけば、巨眼の瞳は真っ黒な空間に俺の姿を映していた。


「は? なんなんだよ! いったい! 今のは何の映像だ!?」


 俺の問いに対して巨眼の瞳に文字が映る。

 【三日後】

「三日後? 未来に起こることなのか?」 

 【北西】

 【ジャガーの杖1万本】

 それだけ映すと、瞳は再びすーっと真っ黒になる。

 わけがわからない。


「俺に何かさせたいのか? 何もしないぞ。するわけないだろ。だって今のは単なる自然の摂理だ。弱肉強食だ。俺には一切これに介入する権利も理屈も無い! 哀れな野牛達が虎の群れに食われるからどうだと言うんだ!!」


 しかし、巨大な眼は何も答えない。


「おい、お前なのか? 俺を転生させたのは? いったい俺の体をどこへやったんだ? ・・・お前は、お前は邪神テスカトリポカか?」


 巨眼は俺の問いかけに呆れたような色を浮かべると、まるでヤレヤレとため息をつくかのように左右にフリフリと動いてから目を閉じていく。


「おい、待てよ。分けわかんないだろ。答えろ。逃げんな、ふざけんな!」


 だが、俺の憤りは虚しく宙に消えていき、瞳は閉じられ、光は失せる・・・。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


「ねぇ、兄貴。やっぱりアイツが寝入っている内に、私がやっちゃって良いかな?」

「ちょっとオサキ姉、それはさっきも話した通りリスクが大きいってば」

「おう。こういう契約は大抵主人が死ぬと奴隷も道連れになるパターンが多いんだぜ」

「でも、やってみないと分かんないじゃん。意外とあっさり、アイツが死んで兄貴が無事に解放されて万々歳ってことも?」

「この馬鹿! それで、万が一おいらが死んだら、どう責任取ってくれんだ!?」

「オサキ姉、早まっちゃダメよ。それは最後の手段に取っておきましょう? 少なくとも無理難題を吹っ掛けられないうちは、大人しく従うふりをして、その間にお兄の首輪を解呪する手段を模索するのよ」

「それが一番穏当で確実だからな」

「でも、さっきから色々試してどれも上手くいかなかったじゃない!」

「この馬鹿! そんな一日や二日でどうにかなるもんじゃないだろが」

「ふんっ。二人とも臆病なだけよね・・・」

「おいら達は賢いんだ!」

「もう! 二人ともやめて。とにかく、じっくりいきましょうよ。もしかすると長く過ごす内に、あの人面蛇がうっかり口を滑らせることも在り得ると思うの」

「いいわ。でも兄貴がとんでもない命令で酷い目に合わされるようなら、私はイチかバチかでやるからね!」

「や、め、ろ。全く短気だけは起こすなよ・・・」


 覚醒しきらぬ頭にヒソヒソ話の声がぼんやりと聞こえてきた。


 どうやら、鎌鼬の三兄妹は密かに俺を殺す謀議をしていたらしい。まあ、当然のことだろう。困った話だが、別に腹を立てるような気にはならない。腹を立てるというなら、むしろ、あの夢の中の眼の方がよほど苛立たせる。


 俺はしばらく寝たふりをしておこうと思ったのだが、なんだか体がムズムズする。動いてはいけないと思う程に、どうも首やら髪やらが痒い。そう言えば、転生してからこっち風呂に入ってないどころか、まともに顔も髪も洗っていない。手が無いというのは本当に不便なことである。


 ダメだ。もう我慢できない。

「んんんー! ふんんぬっ!」

 俺はへんてこな声を出しながら、頭を振るった。


 当然、慌てふためいたのは鎌鼬三兄妹である。

「あばばb、スズカさん!!! ち、違うっす。誤解っす」

「き、聞かれてたの!? こうなったらもうイチかバチか・・・」

「お許しをお許しを・・・」

 いや、釈明とか要らないから。というか、今俺はそれどころじゃないというか、痒くてたまらん。痒い。痒い。痒い。俺は必死に首や頭を岩に擦り付けた。


 あ、なんか来る・・・。

「ふんぎゅううー」

 奇声と共に、俺の頭や首に光の筋が無数に走り、その筋に沿ってパリパリと皮が裂けていく。なんだか、生まれ変わったような心地で気持ちが良い。

「ふぅ~」

 気づけば、古い皮がごっそり抜け落ち、痒みも無くなっていた。


「こ、これはスズカさん、脱皮っすか! おめでとうございますっす! いやあ、めでたいっすね。今日は記念日にするっすよ。記念日っすよ。記念日」

 シックルはひたすら目出度いだの記念日だのと言い立てている。何とかさっきまでの会話を誤魔化しきろうという作戦らしい。さすがに無理があるだろ・・・。

 というか、これが脱皮か。なるほど・・・。いよいよ前世の人間としての常識が遠のいていくように思える。しかしなんでこのタイミングで脱皮したのやら。成長期だからか? 寝る子は育つ的な?


 さてと、まあ、それは置いといて。

「シックル」

「っ! ・・・はい」

 俺の真面目なトーンの呼びかけに、お道化てみせていたシックルはビクッと震えてからさっと平伏し神妙な態度になる。後ろで二匹の鎌鼬が緊張して固くなっている。そんなに怖がらないで欲しいものだ。


「もしも、俺と君が、心から共に信頼を分かち合える仲になったら、その時には君の首に嵌まっている輪は自然と外れて消え失せるはずだ。つまり・・・逆に今なおその首に輪が嵌まっている理由は、今の話で以って、君自身がよく分かったことだと思う」

 俺の話を聞くシックルは徐々に蒼褪めていく。

「シックル。俺はさ、君のことを虐めたり、粗略に扱ったりする気は無いんだ。だから、必死に媚びへつらってお道化てみせる必要は無いんだよ。そもそも、どんなに媚びてみたところで、その首に嵌まっている輪が燦然さんぜんと君の叛意はんいを明かし続けているからさ」

「・・・・・・」

 持国天の調伏明王が首輪を嵌める条件は面従腹背だ。つまり腹の中では背信しており、首輪が外れた途端に敵となることを意味する。故に首が嵌まっている限り、どんなに媚びへつらって見せても意味がない。


 しばしの沈黙。

 シックルは動かず平伏を続け、妹たちは互いに体を寄せ合い固唾を飲んでいる。

 虫除け香の灯に照らされるのは、ただシックルの後頭部の美しいダークブラウンの毛並みだけだ。香気を含んだ煙は微かな空気の動きに翻弄され、右へ左へと惑いながら昇っていく。


 ようようシックルはゆっくりと頭をもたげた。

「スズカさん、それじゃあ、おいらの首輪は一生外れそうにないっすね。おいら、自分の性格を知ってるんすよ。おいらには無理っす。ははは・・・」

 シックルは力無く自嘲的に笑う。

「最初っから諦めることは無いだろう? 俺はいつの日か外れることを願っているし、それが近い日であれば良いなと思ってるよ」

 だって、俺は意志を捻じ曲げられた奴隷じゃなくて、本気の味方が欲しいから。だから、俺はシックルにも奴隷から解放される道を諦めて欲しくないし、そういう道が確かに存在すると分かって欲しかった。


「無理だっつってんだよ!」

 しかし、俺が宥めるつもりで言った言葉に、シックルは激高した。


「お前みたいなお人好しのクソ赤ん坊には分かんねんだよ! 昨日今日出会ったばかりの何考えてるかも分かんねぇ他人に生殺与奪の権を握られて。そいつの気分次第で虫けらみたいに縊り殺されるかもしれねぇ。恐怖と猜疑に四六時中、苛まされて。それで、心からの信頼だの、馬鹿じゃねえのか!? 媚びへつらって何が悪い? お道化てみせるのはそんなに浅ましいか? 当たり前の行動だ。当たり前の心情だ。媚びる必要はないだ? 媚びるのはお前の心証を良くするためだ。お道化るのはお前の性格と許容範囲を図るためだ。どっちも必要不可欠だろうがよ。それを媚びる必要もお道化る必要も無いだの、奴隷たんに優ちいご主人ちゃまプレイで、無自覚に上から目線で話すお前みたいなのは大っ嫌いなんだよ。反吐が出るぜ!」


 一気呵成にしゃべり尽したシックルはハァハァと荒い息を荒げる。


 俺の前で付けていた心の仮面を取り払っての罵詈雑言は、俺の心にチクチクと棘を刺してきて痛かったが、それと同時に、その痛みを凌駕するほど俺は嬉しかった。まさかこれほど早くシックルの本音を聞けるとは思っていなかった。実に望外の幸運である。


「シックル。嬉しいよ。それだけの罵倒を放っても俺に殺されることは無いと、俺の事を『信頼』してくれたんだね? 俺への恐怖と猜疑を超えて」

 俺が嬉し気にそう言うと―――言っておくが、俺は別にドМとかではないからな―――さっきまで怒り狂っていたシックルは今度はひどく困惑した顔になる。

「あ? なんで、そういう解釈になるんだよ!? クソっ、意味分かんねえ。いや、でも・・・、あれ? そういうことになるのか? そういうことなのか? え? いやいや、おかしいって、でも、そういうことに・・・?」

 混乱するシックルは顔を自分の両手で覆う。

「クソッ。ふざけんな。意味わっからねえ・・・・・・。スズカさん、もう起きたんなら、おいらが夜の見張りする必要も無いっすよね。おいら、一旦寝るっす」

 そう言い残すと、シックルはさっと身を翻し、藁束が積まれている中にするりと潜り込んでしまった。続いて妹たちも俺と取り残されるのはかなわんと兄の後を追う。


「おやすみー。シックル。オサキ。イズナ」

 まあ、今はこんなもんだろう。

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