第十怪 牛鬼の洞窟③

 シックルの飛行鎌はミノタウロスの右腕を深く傷つけたものの、切断には遠く及ばず、クルクルと戻っていく。

「どうすっかな」

 シックルは戻ってきた鎌を受け取ると、そうぼやいた。

 素人目には、さっさと近寄ってあの尻尾の大鎌で左腕やら右腕やらを切り裂いてしまえば良いように思うのだが、シックルはミノタウロスの背中を駆け上がった時以外は遠距離戦に徹している。パワータイプとの接近戦が危険なのは分かるが・・・。


 と、シックルは少しだけ後ろに下がると、そっと後ろ足の飛行鎌を岩陰に飛ばす。そして、何事も無かったようにすっと立ち上がると、モゴモゴと念じ始める。シックルの周りには風の渦が出来始め、魔力が両手の飛行鎌へとうなりをあげて収束していく。俺たちと戦った時にも見せた動きだ。

 ミノタウロスも大技の気配を感じ取ったのだろう。

 そして、賭けに出た。虎視眈々と逆転の時機を待っていたのだ。


 ミノタウロスの頭の上の両角が光る。

 と、次の瞬間、牛角の先端から太く白い糸が飛び出し、シックルへと襲い掛かる。シックルの周囲に吹き荒れる魔力の風をものともせず、突破してシックルを巻き取ろうとするが、

「ようやく、その気になったかよ」

 シックルの冷笑の声と同時に、岩陰を廻って旋回してきた両足の飛行鎌がミノタウロスの放った糸に横から突撃する。衝撃で射線がずれた糸はシックルの隣にあった石に当たって、巻き付いた。

 ミノタウロスは慌てて糸を巻き取るかのように、先端に石が巻きついたままの糸を回収していく。だが、その回収速度よりも早く風の速さでシックルがミノタウロスの喉元に駆け込み、尻尾の大鎌で右腕を下から上へと切断し、返す刀で左肩をもなで斬りにする。

 もはや、ミノタウロスは両腕を失った。足も使えない。糸の奇襲も不発に終わった。

「ブ、ブモーーーッ」

 ミノタウロスは洞窟の入り口の方を振り返ると、再び角から糸を発射する。糸は洞窟の壁面にぶつかり、そこに張り付いた。その状態でミノタウロスが糸の回収を強引に行うと、動かない洞窟の壁の代わりに、手も足も動かないミノタウロスの体がズルズルと壁面へと引っ張られていく。

 そう。ミノタウロスはここに至って、ついに逃亡を選択したのだ。


「今更、遅いんだよ。キッシッシッシ」

 シックルは笑って、ズリズリと逃げるミノタウロスの足を一本ずつ切断していく。

「シ、シックル! 俺達はこの洞窟を強奪しにきただけで、先住者が逃げて出ていくというなら、それでもう良い」

 満身創痍でただただ必死に逃げるミノタウロスの哀れな姿に、俺は思わずシックルを引き留めた。


「・・・スズカさん、それがご命令とあらばおいらは従うっすけど。ただ、おいらは肉食魔獣なんっすよ。花の蜜さえ吸ってれば生きていけるお気楽な妖精のガキと違って、肉を喰わなきゃいけないんす。それが、昨夜はクソ爺を喰い損ねたせいで正直腹ペコなんすよ~。もしも、スズカさんの御趣味が、可哀想な奴隷が飢え死にするのを眺めることだってんなら、おいらの命運もここまでと諦めるっす」

 そこまで言われてしまっては、俺にはもはや何も言えない。

「分かったよ。食べる為なら、仕方ない」

 俺はもう後は地底湖に引き籠ろうかとも思ったが、思い直してその後もシックルがミノタウロスを解体して肉の塊に変えていく所を黙って見つめていた。


 シックルは久々の大物にありつけたと、とても喜んでいる。解体された肉の山が洞窟内に積み上がっていた。

「本当にこんな大量に食べられるのかい?」

「食べらるっすよ! それに日干ししたら長持ちするっす。岩塩で塩漬け肉にしても保存が効くっす」

「わしの丸薬のおかげで勝てたんじゃから、わしにもちょっと喰う権利があると思うんじゃが?」

「業突く張りのクソ爺め。お前は物乞いか」

 モッケ爺が羨まし気に口を出すと、シックルはぴしゃりと要求を跳ね除ける。

「・・・シックル。君が昼間ぐーぐー寝ている間、君を背負っているせいで何かと不便だった俺のため、この洞窟に来るまでモッケ爺が色々と俺の世話を焼いてくれたんだが?」

「ご老体! どうぞ、こちらミノタウロスのタン肉でございますっす。差し上げるのでご賞味あれっすよ」

 俺の言葉にシックルの態度は風の速さで様変わりし、モッケ爺に牛タンを譲った。もっとも俺の言葉に理を感じたからか、はたまた単に俺の機嫌を損ねないためだけなのかは分からないが。


「ところでスズカさん、アジトが決まり先住者も始末したので、おいら一旦巣に戻って家財道具諸々一式もってこちらに引っ越したいんっすが、良いっすかね?」

 シックルが俺の顔色を窺うように尋ねてくる。

「良いけど。時間がかかりそうか? 引っ越し作業となると大変だろ?」

「いえいえ。家財道具と言っても魔獣の身の上ですから、は足りますし、時間もかかりません」

「それなら、早くいっておいでよ。俺が寝ちゃわないうちにね」

「はいっす」

 そう言って、シックルはすっかり陽が落ちた夜の森に飛び出していった。


 俺はシックルを見送ると、洞窟内で照明用に慈悲の聖球を打ち上げる。

 しばらく戦闘やら何やらで騒然としていたからか、虫の類は見えない。

「そう言えば、来るときずっと寝てたのにあいつ道は分かるのか?」

 ふと疑問に思う。

「特に迷う素振りも見せなんだから、なんらかのスキルがあるんじゃろう」

「なるほど」

 森の獣だ。そういった特技があっても不思議ではない。

「ところで、モッケ爺、虫除けの香はもう使えますか? さすがに虫除けに光魔法を夜中ずっと使う魔力は無いので」

「ちぃーと待て」

 そう言うと、モッケ爺は中央が少し窪んだ石の上に丸薬をいくつか置く。それから丸薬の上に、おが屑のような物を乗せた。と思うと、モッケ爺は肉の解体場へとチョコチョコ歩いていき、ミノタウロスの魔石を失敬してくる。


 カッカッカッ

 と、モッケ爺は器用に魔石を、おが屑を敷いた石にぶつける。火打石というわけだ。硬質な高い衝突音と共に火花がパチパチと跳ぶ。

 程なくして、おが屑から煙が上がり、その中に独特なハーブの香りが混じりだした。良い森の香りだ。香気を含む煙は、洞窟内に広がり、しかし沈滞する様子は見せずに洞窟の入り口へと抜けてく。煙の流れから察するに、地底湖近くの横穴から空気が入り込んでくる流れがあるらしい。


 お香についた弱い火が音もなく、ぼうっと微かに洞窟内を照らす。ミノタウロスの骨が壁面に恐ろしい怪物のような影を伸ばした。耳を傾ければ地底湖のホワイトナマズンが水面をパチャリと叩く音が響いている。なんだか嵐が過ぎ去った直後のような静けさだ。


 俺はミノタウロスの骨を見上げた。


「俺たち、よくシックルに勝てましたよね」

「相性の問題もあるじゃろうが・・・戦の勝敗を決めるのは半分が武運じゃよ」

 モッケ爺はしみじみとそう答える。

「・・・・・・」


 少しばかりの静寂を置いて、俺は一呼吸するとモッケ爺に向き直る。


「モッケ爺。お尋ねしたいのですが。本当の所、あなたは俺がこの森を征服しようなんて思っていないと分かっていましたよね?」

「・・・・・・」

「どうして、シックルの世迷言に乗っかったのですか?」

「・・・・・・ホゥ」

 モッケ爺は俺の質問に対してしばし目を閉じ、一つため息をついた。頭の王冠のような飾りが香の灯をチラチラと反射し、赤い羽根毛が微かに揺れる。


 モッケ爺に関しては色々と違和感が募っていた。この爺さんはどうもおかしいのだ。最初一目見た時は恐ろしい怪物の雰囲気を確かに感じたが、言葉を交わすことで印象が一変し、ただの好々爺と言うイメージが俺の中で固定された。人の印象は最初の30秒で決まると言うが、その短い中でもギャップ的印象付けが為されていたわけである。猫を拾う不良理論というべきか。

 しかし、その好々爺がシックルと歴戦の強者然とした戦いを演じ、勝てば敗者を徹底的になぶろうとした。そして、しまいにはシックルの本気か道化かも分からない征服話に乗っかる始末。最初の好々爺のイメージからは随分とずれている。

 こいつは果たして何者だ?


「つまらぬ見果てぬ夢。それが墓場へ向かう老人の道に落ちてきたんじゃよ」

「・・・・・・」

 モッケ爺の抽象的返答に俺は口を挟まず沈黙を続けた。


 すると、モッケ爺は目を閉じたまま静かに語り始めた。

「別に面白くもない話じゃて。聞き流してくれれば良い。・・・もともとわしらストラスという魔獣は、他者に知識を披露し、知恵を貸して対価を得ることに喜びを感じる性質でな。そのため、野心ある魔獣怪物から助力を求められることも多い。時には自分から売りい込んでいく若いストラスもおる。親子兄弟で相争う対立陣営の軍師になるなども平気なものだ。まあ、血を流すのは別種族の木っ端兵士どもで、当の相争う種族にとっては運命を掛けた一戦であろうと、わしらにとってはただの遊戯も同然じゃったがな。もちろん、遊戯だからと言って手は抜かん。むしろ知恵を振り絞ることこそ快感である故に」

 酷薄なるフクロウの軍師。それが魔獣ストラスの本質。

 俺の中でモッケ爺に感じていたチグハグな部分がゆっくりと結び合わされていく。


「わしは、ここらよりもっと森の東の方の生まれでな。一族の中でも血気盛んな方じゃったので、あちこち精力的に飛び回って、軍師の売り込みをしておったんじゃよ。ただ家族はどちらかというと消極的な方でな、気性が通じているわしの爺さんがよく話し相手になってくれたものじゃ。で、ある時爺さんの伝手でゴブリン達の軍師に就くことになっての。まあ、これが弱いのなんの。腕っぷしが貧弱なのは仕方ないにしても、頭も悪いし、言うことはちっとも覚えんし、その上直情的で一度興奮すると火が付いたように感情的な行動をするわでな。さらに、見張っておかんとすぐ手を抜くもんじゃから、よっぽど辞職しようかと何度も思ったもんじゃ。ただ爺さんの顔に泥を塗るのもなんじゃからと我慢して、爺さんが死ぬまで百年ほど勤めあげた頃には、面倒を見ていたゴブリンどもも見違えるようになっておっての。爺さんもわしのことを立派、立派と褒めながら逝ったわい」

 モッケ爺は誇らしげに胸を張った。


「そうして、わしの育て上げたゴブリンどもは、トロツキ族と名乗って飛ぶ鳥を落とす勢いで勢力を拡大していっての。ついに、ゴブリンどもの悲願じゃったゴブリンロードの誕生を百年越しで叶えたんじゃが・・・わしの慢心が全てを壊してしまった。もっと用心深くロードの存在を秘匿するべきじゃった。しかし、わしはあろうことか逆に宣伝して回ってしまっての。そうすれば周辺のゴブリンの勢力は全て傘下に収まり、絶対的なゴブリン帝国の完成じゃと・・・。目論見は半ば上手くいったものの、ゴブリンロードの誕生を知った人間の精鋭部隊の強襲を受け、ロードを討伐され、トロツキ族も滅びつくされてしもうた」

 さっきまで胸を張っていたモッケ爺はホゥと小さく息をついて下を向く。

 遊戯だの何だのと言っても、百年かけて手塩に育てた存在が消滅したとあっては、その精神的ショックはいかばかりであろうか。


「爺さんの話をもっとよく聞いておくんじゃった。わしは人間を舐めておった。時折やってくる冒険者はわしらにとって装備や道具をただで持って来てくれる親切な獲物でしかなかったし、村や町を襲っても防衛に出てくる騎士団はさしたる脅威でもなかったんじゃよ・・・。全て慢心が為じゃ」

 ・・・モッケ爺、わりと酷いことしてきたな!?

 まあ、これも人間視点の感想に過ぎないが。


「わしはポッキリと心が折れてのう。若い頃なら奮起できたかもしれんが、年のせいか、もう良いかと、もう十分暴れ回ったではないかと、そう思った途端力が抜けてやる気も失せてのう。夢破れ、気力も失い、なかば死に場所を求めつつ食うや食わずで彷徨っておったんじゃ。そんな晩にふと食欲を誘う匂いに惹かれて飛んでいくと、あの霊安祭壇に肉塊が落ちておってな。あるいは毒餌かもしれんと思うたが、それならそれで良いわと食らいついて居ったら・・・」

 モッケ爺は言葉を止めて、大きく真ん丸な眼で俺の方を見る。

 自暴自棄の老軍師と生まれたての妖精はかくして出会ったというわけだ。


「シックルと戦ったのは?」

「良き死に場所と思ったんじゃよ。わしの人生の締め括りが戦で命の徒花を咲き散らすというのは相応しく思えたからの」

 そうだ。モッケ爺は俺と出会ってシックルと戦い始めた頃までは、生への執着の薄さから角が取れた好々爺だったのだ。


 しかし・・・。


「業の深きことよ。わしは久しぶりの戦に高揚したんじゃよ。命の危うさが、久しく生を感じさせた。そして、なお悪いことに勝ってしもうた・・・ホッホッホッ怪訝な顔をするでない。戦好きが戦勝の味を思い出すのは、幻覚茸を喰うに等しいんじゃよ。酔いの興奮が収まらぬうちに、あれよこれよと進み、昨日今日生まれたばかりの妖精の赤子があの森の死神とも呼ばれるデスサイズを配下に収めた」

 森の死神って、シックルにはそんな異名があったのかよ。

 勝てたのは本当に奇跡だったんじゃ・・・。


「つまり・・・、結局のところ、酔いどれ老人の戯言じゃ。頭上の幻覚茸から見果てぬ夢の雫が落ちてきて、偶然わしの口の中に入ってしまったというそれだけのことじゃよ。お前さんが、夢から覚めろというなら、醒めるとも。だが、今日くらいは気持ちの良い夢に眠りたいんじゃ」

「分かったよ。モッケ爺。なら今日くらいは、モッケ爺の作戦でみごと俺がこの森の支配者になるのを夢に見ながら寝ると良いよ」

「そうさせて貰おうかの」

 そう言って、モッケ爺は静かに両眼を閉じた。

 虫除け香の煙が洞窟内を微かに通る風に揺れ、モッケ爺の王冠に纏わりつき、ゆっくりと天井に立ち昇っていった。

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