第九怪 牛鬼の洞窟②
俺はその後は気を緩めることなく、周囲を観察し続けながら進んだ。魔獣が居れば避けて通り、安全第一でいく。
そうして観察力を高めながらニョロニョロと這って行くと、気付いたことがある。この密林には古代ロークビ帝国とやらの遺産や遺物が多量に転がっているという点だ。
明らかに人工的に形を切り揃えられたような石材が詰まれていたり、歩いていた場所が急に土から石畳になったりする。
「あれ? モッケ爺、これって何ですか? さっきも全く同じものが転がっているのを見ましたが・・・」
俺は地面に突き刺さった鉄の杭のような物の前で止まる。細身の鉄棒の先には虎か豹かネコ科の動物の顔が彫られた取っ手が付けられていて、その口に白い半透明の水晶のようなものが嵌まっていた。なんとなく、シュトラに見せて貰ったフレイムラットの魔石に似ている気がする。
「ふむ。それはジャガーの杖じゃな。この密林だけでなく、ロークビ高原一帯に刺さっておるぞ。そのジャガーの口に嵌まっておるのは光の魔石で、昼間日光を浴びて光を貯め、夜になると薄明かりが灯る仕掛けになっておる。古代ロークビ帝国の遺産じゃな」
「へぇー。まさか異世界の古代帝国では太陽光発電が実用化されていたとは」
ビックリだね! 素晴らしいエコ帝国だ。
「このジャガーの杖は全て長さが同じでな。しかも高原中に散らばっとるから、この高原に住む魔獣の間では共通の長さの単位としてよく使われとる」
そう言うと、モッケ爺は地面に刺さっていたジャガーの杖を引っこ抜く。
俺の長さ感覚に狂いが無ければ、たぶんジャガーの杖はおよそ1mほどだ。
「森を歩くだけでも色々勉強になりますね」
「そりゃ、お前さんは未だ生まれたてなんじゃから、当然のことじゃろうて」
まあね。
そんな風に時折古代遺産に好奇心を働かせながら進みつつ、昼過ぎに花の群生地で休憩を取り―――俺が一休みしている間、モッケ爺はいつの間にやらネズミを捕まえて食べていた。フレイムラットよりかなり小型だったが、角が生えていたからたぶんこいつも魔獣なのだろう―――俺たちは、急な斜面の丘陵地まで来ていた。
「ふぅむ。ここはなかなか」
斜面にぽっかりと暗闇の入り口が開いている。モッケ爺は満足そうに頷いた。
「でも、ちょっと大きすぎますかね? 俺たちにとっては・・・」
丁度いい具合の洞窟をさがそうとして、つい前世の感覚で人間が腰を屈めずに入れそうな大きさを探してしまったのだ。だが、俺はただの生首で、モッケ爺は足がちょっと長いだけのフクロウ、シックルはちょっとデカイだけのイタチだ。
「それは、どうとでもなるから大丈夫じゃよ。問題は先住民の方じゃな。こんな所を何者も利用せずにいるということはあるまいよ」
「ざっと見た感じ、今は何もいないみたいですよ」
俺は恐る恐る洞窟の中に入っていく。
そう。俺はこの時、見逃していたのだ。洞窟内に、恐るべき悪魔が虎視眈々と俺を待ち構えていたことに。
南向きの斜面のせいか、あるいは洞窟の入り口が直進的に緩く下へと傾斜しているせいか、思ったより洞窟の奥まで陽の光が入ってくる。しかし、途中で大きく右側へと伸びている横穴部分は、完全に暗闇だ。
「光よ暗き世界を見通す灯よ、即ち汝は光放つ聖者の慈悲なり、ヒーリングボール」
明かりが欲しくて、慈悲の聖球を発動する。
光球に照らされた洞窟内は、ゴツゴツとした岩に取り囲まれ、地面には砂利が堆積している。岩の一つには松明のようなものが差し込まれていて、裏側に数本の木炭が転がっている。明らかに何者かが生活している証だ。
さらに、藁束のようなものが近くに積み重なっていた。
「これが寝床であると推論して、この藁の沈み具合の癖からすると、相当の大きさのやつじゃな。身の丈はわしの5倍くらいかのう」
モッケ爺の身長はジャガーの杖と同じくらい、つまりおよそ1mだから、この洞窟の主は5mほどの巨大な化け物だ。
しかし、モッケ爺はまるで慌てる様子もなく飄々として調べていく。
「おお、これは良い。ホワイトナマズンが泳いでおるぞ!」
モッケ爺の喜ぶ声を聞いて、そちらを覗くと、洞窟のさらに奥には地底湖っぽいものが広がっていた。地底湖では真っ白い魚が何匹も泳いでいる。
俺は他にも横穴が無いか調べようと引き返そうとしたのだが、
カサカサ
何かが俺の前を横切った。
ゴクリっと俺は唾を飲み込む。そうだ。なぜ思い至らなかったのか。洞窟は適度に湿気ていて、常に暗闇で、快適な温度が保たれる場所・・・。そう、それはつまりヤツラ、黒い悪魔の魔窟になり得る。
ゾワゾワと頸筋に冷たいものが走る感覚に脅えながら、ソレが走って行った方向に光球を追加で一発撃つ。
しかし、
「あれ? いない?」
光に照らされたのは何かの毛皮と骨だけだった。
良かった、見間違いだったらしい。
と、思った束の間、
ボタッ
首の一か所に何かが落ちた感触。
振り返ると、光の中にハッキリと視えた。あの恐怖の悪魔、Gが!!!
「ぎゃーーーーーーーーーー!!!!!」
俺は悪魔の奇襲に絶叫して跳ね回った。
「うごっ、いっつてぇえ、な、なんだ? なにごとだ?」
当然、首の上に乗せていたシックルは跳ね飛ばされ、岩に思いっきり衝突した。
♦ ♢ ♦ ♢ ♦
「スズカや。もう落ち着いたかの?」
モッケ爺が虫除けの薬を練りながら、俺に尋ねる。
「もうヤダ。黒い悪魔がいない世界に転生したかった。お家帰りたい・・・」
「・・・これは重症じゃのう」
俺は首を地底湖に沈めて、頭だけ岸辺に出しながら悲嘆にくれていた。Gの連中も泳げるので完全に避難できるわけでは無いが、積極的には水辺に入ってこないようだった。時折、ホワイトナマズンが俺の頸筋をつつくが齧られたりはしないので気にしない。
「ふぁ~、良く寝たぜ・・・。いやぁ、しっかしスズカさんが虫をお嫌いだとは。おいらが洞窟中の虫を退治して回りますから、ご安心くださいっすよ」
早朝に邪神の祭祀場を出立して以来、ずっと俺の首の上で眠りこけていたシックルはすっかり目が醒めたようだ。
そして早速手足の鎌をブンブン洞窟中に飛ばして虫退治をやっている。
「ありがとう、シックル。でも俺は別に虫が苦手ってわけじゃなくてさ。そいつらだけは特別なんだよ。なんかもう見た目とか動きとか全てが気持ち悪い」
「そうっすか? 他の虫と大差ないように思うんすけど・・・」
シックルには理解されなかった。おそらく、この感性はたぶん人間特有のものだ。
「スズカよ。そろそろ夕刻じゃ。おそらく洞の主が帰ってくる頃合いじゃから、シャキッとしておくれ」
モッケ爺は練り上げた虫除け用の丸薬を岩の上に並べながら、俺に忠告する。
「・・・そうですね」
俺は光量による虫除けの為、やたらめったら周りに光球を打ち出していたのだが、そろそろ戦闘に備えて無駄な魔力消費は慎まねばならない。俺は片目だけ閉じて千里通眼を発動する。
「なあ、爺さん。この薬どう使うんだ?」
虫退治をしていたシックルがいつの間にか、モッケ爺の薬置き場の横にいた。そうして二つほど手にして不思議そうに眺める。
「これ、勝手に盗るでないわ。手癖の悪い奴め。その薬は火を付け香を焚くのじゃ」
「へぇー」
除虫菊的なものかもしれない。Gに効いてくれることを祈るばかりだ。
「んっ!?」
と、その時モッケ爺が入り口の方を見やる。
「あいつかな?」
俺も千里通眼で片目の瞼の裏に、この洞窟に近づいてくる影を見つけた。洞窟の傍を通る魔獣、怪物の類は色々いたがこちらに向かって進んでいる感じがあるし、モッケ爺も反応したということは当たりなのだろう。
「来たんすか~?」
シックルが緊張感のない声で問いかけてくる。
「来たよ。牛頭の怪物で、デカイ石の斧みたいなのを手に持ってる・・・のは良いとして、なんか胴体の下に足が8本あって、蜘蛛っぽい感じなんだが」
「そいつはミノタウロスじゃな。怪力無双ゆえ、小手先の罠などは力でねじ伏せられてしまうのう」
どうやら、こっちの世界のミノタウロスは二足歩行じゃないらしい。むしろ、俺の中のイメージでは妖怪の牛鬼に近い気がする。あるいは、そのハイブリッドというべき存在か。
「今なら、まだ洞窟から飛び出て逃げ出せると思うけど、どうする?」
俺はモッケ爺のコメントで不安になって、二人に問うが、
「あ~、はぐれミノタウロス一匹だけなら心配ないっすよ。おいら、狩ったことがあるっす」
と、シックルが気安く請け合う。
「本当に?」
「本当っす。大船に乗ったつもりでいて欲しいっす」
「本当に大丈夫かの?」
「狩ったことあるって言ってんだろが、クソ爺!」
俺とモッケ爺の疑問にも自信満々な様子だ。それが逆に不安にさせる。
俺は万が一に備えて、雷帝の弓矢を準備しておくことにした。
「雷よ立ち塞がる者に告げよ、即ち汝は雷撃つ皇帝の弓矢なり、トニトルアロー」
俺の頭上にバチバチと雷光を放つ弓矢が現れるが、
「あ、それはやめて欲しいっす」
「えっ」
「明かりは全て消しといて欲しいっす」
「お、おう」
俺は渋々、慈悲の聖球も雷帝の弓矢も消す。洞窟内は暗闇に閉ざされる。千里通眼にはある程度の暗視能力もあるのか、暗闇でも俺には隣のモッケ爺も、洞窟の中央に鎮座するシックルも視認できた。
「じゃあ、水魔法なら良いかな? 光を放たないから。前もって準備しておけばいざという時役に立つし」
「・・・スズカさんの水魔法って、あれっすよね。おいらと戦った時の。おいらが間違って踏んじゃうかもなんで、やめて欲しいっす」
「お、おう」
確かにフレンドリーファイアは起こりやすいかもしれない。つまり俺の所持魔法は全て邪魔な子だった。なんだか虚しい・・・。
そうして、息を潜めて待っていると、まず灯りがぼわっと差し込む。それに続いてガツンガツンッと重い足音を響かせてミノタウロスが洞窟内へと入ってくる。右手に巨大な石斧、左手に火を灯す松明だ。
そして、ミノタウロスが俺たちのいる横穴へと足を踏み入れると同時に、シュルシュルという風の音をさせてシックルが飛行鎌を2本放った。一本はあっという間に松明を横真っ二つに切断すると、もう一本が切断された松明の火のついている方を突き刺しそのまま洞窟の端へと放り捨ててくる。
「ブモッ!」
突然の奇襲により光源を断たれたミノタウロスは慌てて石斧を構えながら、左手は握っていた松明を放り出し、前方へと掲げた。
しかし、ミノタウロスが次の行動に移るより前に、シックルの攻撃は続き、8本の蜘蛛足の内、4本の関節を鎌が抉り取る。
「ブモッーーー!」
苦痛に悶絶しながらも、ミノタウロスは生への執念で魔法の発動に成功した。
バッとミノタウロスの左手から火球が飛び出し、洞窟内を光が満たす。
ミノタウロスの目の前には、丁度戻ってきた飛行鎌を全て回収し終えたシックル。ミノタウロスに比べればあまりにもちっぽけな魔獣がいた。
「モッモー・・・」
ミノタウロスから漏れる鳴き声には先ほどまでの恐慌のそれとは違う、怒りの空気を感じる。そして、ミノタウロスはなぜかスッーと息を大きく吸い込んだ。
「むっ、いかん」
隣にいたモッケ爺がそう呟くと、さっと翼を広げて俺の両耳を覆う。
何だ、いきなり?
と、俺が疑問に思った次の瞬間には答えが返ってきた。
「ギュウーーーーゥオオオオーーー!」
魔力の籠った唸り声が洞窟中に響き渡る。
モッケ爺が塞いでくれた翼の上からも音は耳の中に侵入し、頭の中でガンガンと鳴り響く。
「ぬぐっ・・・、これは、平衡感覚を、破壊するスキル、じゃのぅ」
「モッケ爺! 大丈夫?」
「動けんだけじゃ。問題ない」
それは問題大ありなのでは・・・。いや、それよりも大問題なのはシックルの方だ。
見れば、咆哮の直撃をくらったシックルはバッタリと倒れ伏していた。
「シックル!?」
「ブモーーーモッホッホッ」
ミノタウロスはまだ使える4本の足で残りの足を引きづりながら、勝ちどきをあげてシックルにトドメを刺そうと近づく。
「早く何とかしないと・・・」
「いや、問題ない。あれは罠じゃの」
焦る俺に対して、モッケ爺は呆れたように言う。
「ブ、ブモーーッ」
ミノタウロスが苦しそうな声を出したと思ったら、右手から石斧が滑り落ち、洞窟内に重量物の落下音が響き渡る。さらに、ガックリと態勢を崩して前のめりになっていた。
ミノタウロスの右手の手首の腱を切り飛ばし、残っていた4本足の内の2本を切り刻んだ4本の飛行鎌は、シュルシュルと不気味な音を立ててシックルの方へと戻っていく。
そのシックルはというと、ひょいっと何事もなかったかのように起き上がり、耳の穴をかっぽじって何やら丸い物を取り出して放り捨てた。
「あ、あやつ、わしの丸薬を耳栓にしとったな!なんんという無礼千万!」
モッケ爺が大層お怒りである。
「モッ、ブモッブモッ」
ミノタウロスが唸ると、空いていた左手の中に石斧が生成されていく。さらに、手足の関節部分が石で覆われ始めた。とても動きにくいと思うが、防御力を優先したらしい。
シックルは、そんなミノタウロスの動きを放置し、跳び上がると洞窟内を煌々と照らし続けていた火球を尾っぽの大鎌で切り裂いた。途端に洞窟内は再び暗闇に戻る。
「ブモーッ」
ミノタウロスは叫び声をあげて左手の石斧を地面に叩きつける。自棄でも起こしたのかと思ったが、違った。石斧が地面に衝突した瞬間、火炎が巻き上がり、爆音とともに地面が爆ぜた。見れば、今や石斧は炎を纏い、炎の斧とでも言うべき様子だ。
洞窟内は再び明るくなったが、ミノタウロスの目前にもうシックルはいない。シックルはこの時既にミノタウロスの足元に滑り込んでおり、まだ辛うじて無傷なまま残っていたミノタウロスの2本の足を付け根から尻尾の大鎌で切り飛ばす。これで完全にミノタウロスは移動手段を失ったように見えた。
そのままミノタウロスの背後に回ったシックルは背中を駆けあがり、ミノタウロスの首を切り落としにかかるが・・・、
バァンンと衝突音をさせながら、ミノタウロスは燃え上がる斧を躊躇なく自分の背中に叩きつけた。しかしシックルはひょいっと交わして地面に着地する。
ジュージューと肉の焼ける音と匂いがした。しかし、ミノタウロスは己の背中の肉が焼けるのをも厭わず、斧を背中から離さない。
「グッ、モッ、ブモッ・・・」
「おっと、良いねー良いねー。その大胆さはよー」
シックルは愉快そうに笑いながら、両手の鎌を放つ。2本の飛行鎌は旋風を伴いヒュルヒュルとミノタウロスの首を目掛けて飛んでいく。左手は背後を守るために斧の柄を握りしめているから使えない。ミノタウロスは手首をブラブラとぶら下げたまま
筋肉の盛り上がった右腕を首に巻き付けるようにして防御した。
しかし、これではもはや詰んでいる。
あとは時間の問題でミノタウロスの負けは確定したのではないかと、俺は思ったのだが、
「あの牛っ子、まだ諦めておらんのう」
モッケ爺が怪訝そうに俺の隣で呟いた。
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