第七怪 鎌鼬の夜③

♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 バリンッと、投げつけられた酒瓶が壁に当たって割れる。同時に、意味をなさないヒステリックな喚き声が小さな家の内側で響き渡る。


「出てきちゃダメよ。鈴鹿、琴鹿」


 慌てる母親はそう言って、俺たち兄弟をクローゼットに閉じ込めた。

 扉の隙間から見ていると、丁度、酔った父親が兄の晴鹿の顔面を殴り飛ばしていたのが見えた。うぐっ、と小さく呻き声をあげる兄。だんだんと顔が蒼くなっていく。


「やめてー、あなた。死んじゃう。死んじゃうから」

 母親が悲鳴を上げて兄を庇おうとする。

「ふざけるな! お前はー。こいつはー、俺はなビールを盗んで来いって言ったんだろうが。それがよー、ノンアルビールだと? ふざけてんのか。酔っぱらってる親父がそんなに恥ずかしいか!? ああ?」

「私が、私が取ってくるから! もうやめて。本当に死んじゃうわよ」

「馬鹿言え! 盗みは子どもにやらせなきゃダメだろが。馬鹿な女だなぁ! どけよ、お仕置きだ。この阿呆にお仕置きして分からせるんだよ」


 母親の必死の頼みも甲斐なく、父親は母を引っぺがすと、どこから持ってきたのか先端にフクロウの飾りがついたマゴノテで兄の頭をぶち始める。

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 謝る兄。覆いかぶさって兄を庇う母。喚く父。

 俺は何もできず、弟といっしょに、ただじっと隠れて見ているしかなかった。

 だって、仕方ないじゃないか。俺に一体何が出来たと言うのだ。下手に動いて父の眼に留まれば、ぶちのめされているのはきっと俺だったはずだ。


 いや、本当に出来ることは無かったのだろうか?

 確かに、あの頃の小さかった俺に父に拳を振り上げて戦う力なんてなかった。俺には手も足も出しようがない状況だった。

 でも、例えば、クローゼットを飛び出して玄関を開け放ち、近所の人に助けを求めるとか、あるいはいっそ警察署にでも駆け込めば良かったのかもしれない。きっと戦う方法はあったはずだ。

 そうすればきっと母は覚醒剤に手を出さなかっただろうし、兄は家を飛び出してアングラな世界に拾われるなんてことにもならなかったはずだ。


 あの時、行動していれば。そんな後悔は幾億千もある。これは夢だからもはや変えようもないことは分っている。それでも、記憶の通りに震えてクローゼットの中から出ようとしない自分にただただ腹が立って仕方がない。


 ゴリゴリッ、ゴリゴリッ。


 同じクローゼットに隠れている弟の方から異音が聞こえてくる。

 見れば、ハンガーの先で蜘蛛を潰していた。ゴリゴリとすり潰している。ただただ無心に。

 だめだ。父に音が聞かれてしまう。弟の手を握って止めさせようとすると・・・、ばっと俺を振り向いた弟はニカニカと気持ち悪い笑みを向けていた。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


 ゴリゴリッ、ゴリゴリッ。


 ハッとして目が醒めた。

 花の香りと硬く丸みのある壺の感触。

 俺は茫然とした頭で、自身がクローゼットの中ではなく、壺の中にいることを何とか認識する。

 異世界転生して以来、過去の記憶という悪夢しか見ていない気がする。


 ゴリゴリッ、ゴリゴリッ。 


 しかし、さっきからこの音は何だろうか?

 俺は壺からのっそりと頭を出す。外はまだ薄暗い。夜明けは未だらしい。


「おや、スズカよ。もう起きたのかの?」

 音の正体は直ぐに判明した。モッケ爺が何やら草花など諸々を石ですり潰していたのだ。長い足を使って実に器用なものだ。

 モッケ爺はしばし足を止めて、俺の様子を伺う。

「それは?」

「クスリを作っておるんじゃよ」

「クスリ・・・覚醒剤?」

 ぼんやりした頭でアホなことを言う俺をモッケ爺は胡乱な目で見る。

「・・・内丹薬じゃよ。外表の傷はお前さんの魔法で癒えておるが、だいぶんと出血したんでな。お前さんも後で飲むと良い」

 そう言うと、モッケ爺はまたゴリゴリとやりだした。

 俺は周囲を見渡す。

「あいつは?」

「薬の材料を取りに行かせた。直に戻ってくると思うが・・・、あるいはそのまま逃げたか」


「おいおい。そいつは聞捨てならねえな。クソ爺ィよぉ!」

 モッケ爺の言葉に被せるようにして、声が風に乗ってやってくる。

 あいつこと鎌鼬の登場である。

「てめえがスズカさんのために取ってこいつったから、おいら、わざわざ西の池まで走って菱の実を取ってきてやったんじゃねーか。何疑ってやがんだ!?」

 そう言って、鎌鼬はバラバラと菱の実をモッケ爺の足元に投げつけるようにして放り出す。

「ふんっ」

 モッケ爺はそっぽを向く。

「はぁ」

 俺はため息をついた。まあ、つい数時間前まで互いに殺し合いをしていた間柄だ。いきなり仲良くすることなど出来ようはずもないし、それを無理強いするのも一つの傲慢だろう。


「ちっーす、スズカさん。もうお目覚めっすか?」

「おはよう。シックル。良い子にしてた?」

 俺は目の前で挨拶してくるイタチを薄明りの中で眺めながら、問う。

「そりゃもう。へへへ。薬の材料を集めて東奔西走。・・・それに加えて、そこのクソ爺がスズカさんに悪戯しないようによっく見張っておりましたんで」

「わしが何じゃと!?」

 いらんことを言う鎌鼬―――その名はシックル―――に激高するモッケ爺。シックルは尚煽るようにベッと舌を出す始末。


 俺は険悪な両者を見ながら、寝る前の出来事を思い返した。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


「どうか、命だけは御許しを! 何でもするっすから!」

 俺が鎌鼬の言語を習得して言葉を交わすと、モッケ爺が言った通り彼は命乞いをしていた。


「アホ戯けめ。これでもくらえ。エィッ、エィッ」

 モッケ爺は尚も容赦なく鎌鼬の頭をぶちのめし続ける。

「モッケ爺。まあ、その辺でよしなよ。彼が本当に死んでしまう」

「何を言うか、スズカよ。わしは殺す為にやっておるんじゃ」

「モッケ爺。少しばかり俺の我儘に付き合って、慈悲を垂れてはくれまいか?」

 俺の我儘に対して、モッケ爺は、

「そんなものは無いんじゃよ」

 と、清々しいまでに無慈悲な回答だった。

 仕方ない、こういう言い方をするのは卑怯で気が引けるが。


「・・・モッケ爺。あの時、俺がモッケ爺を助けて外に飛び出し、慈悲の聖球の魔法を使わなかったら今頃モッケ爺は死んでるよ」

「むぅ。・・・それを言われては仕方ない」

 モッケ爺は大人しく引き下がってくれた。反論の余地は幾らでもあると思うが、一応俺の顔を立ててくれたのだろう。


「ああ、人面蛇の聖者様! ありがとうございます! ありがとうございます!」

 生きる活路が見えた鎌鼬は俺を伏し拝む。

「いや、俺は人面蛇ではないから。ろくろっ首、って言っても通じないか。まああれだよ。こう見えて妖精の一種らしいよ」

「妖精じゃと!?」

 脇で聞いていたモッケ爺が素っ頓狂な声をあげる。

「わしはてっきり、人面蛇ラーミアの特殊個体だとばかり思っておったわい」

「・・・妖精です」

 まあね。俺はモッケ爺に自分の正体について何も話してなかったからね。・・・しかし、そんな状態で即興の共闘態勢を取れたのは奇跡だったように思う。


「おお、妖精の聖者様。おいらの命を救って下さるなら、妖精の仕獣となることも厭いませんっすよ~」

 鎌鼬は三拝九拝する。

「仕獣?」

 聞きなれない言葉に俺は首を傾げる。

「ふむ。妖精の仕獣というのは、妖精の飼う番犬のようなものじゃ。クー・シーやバーゲスト、ブラックドックなどが定番の有名どころじゃのう。もっとも犬に限らず魔獣の類なら、妖精は秘法を用いて己の使い番として契約を成すことができると伝え聞くが。しかし、スズカがそれを知っているようには見えんのう」

「知らないね」

 こちとらこの世界に生まれてからまだ一日すら経っていない赤ん坊妖精である。シュトラとナバクに会えれば対価次第で教えてくれそうな気もするが。今は無い物ねだりだ。

「ならば、やはり殺すしか道はないんじゃよ」

 モッケ爺は再びその長い足を振り上げる。

「ひえぇ、妖精の聖者様。お助けー」

「ちょっと、待った待った。確かに仕獣の契約は知らないけど、似たような秘法は使えるから!」

 俺は慌ててモッケ爺を止めに入る。

 

 そう。俺にはスキル持国天の調伏明王があるのだ。例の孫悟空の頭の輪っかならぬ、首輪を嵌める能力だ。


「まあ、そういう秘法を持っているなら、殺すには及ばずじゃな。だが、そやつがそれを拒むならば死刑じゃ」

 モッケ爺は渋々妥協を選んだ。

 俺はほっとして鎌鼬に向き直る。

「そうだ、聞き忘れていたけど。君の名は?」

「はい。聖者様。おいら、シックルと言う名前っす」

「じゃあ、シックル、俺に帰順して妖精の仕獣? とかいうやつになることを誓うなら、命を助けてあげられるよ」

 なんだか忠誠を強要しているようで、居心地が悪い。しかし、こうでもしないとモッケ爺はとても納得しないし、そうなれば死刑しかない。

「誓うっす。誓うっす。どこまでもお供するっす、聖者様」

「分かった。それじゃあ、調伏明王!」


 スキルの発動と共に、金色の光がシックルの首の周りで光る。

 光がやめば、金の首輪がしっかりと嵌まっていた。シックルはカチカチと爪で首輪を叩く。首輪は少しもズレず、外れる気配も見せない。


「スズカよ。この首輪、本当に大丈夫じゃろうな? 例えば、お前さんの命令に逆らったりしたらどうなるんじゃ? そもそも逆らえんのかの?」

「えっとー、俺への忠節を裏切ったりしたら・・・、首が切断されて死ぬ、みたいな?」

「ひょえ」

 俺の言葉にシックルは恐れ戦く。

 いや、本当のところどうなるかは知らないんだが。使うの初めてだし。でもまあ、さすがに、いきなり首チョンパみたいなことにはならないと思う。しかし、ここは嘘も方便。勝手に刑罰を軽く見積もり叛乱されても困るので、少し脅かしておいた。


 まあ、ともかくそんなこんなで、鎌鼬ことデスサイズのシックル君は俺の配下的なポジションに収まり、命拾いしたというわけである。


♦ ♢ ♦ ♢ ♦


「丹薬ができたわい」

 モッケ爺がヤツデの葉っぱの上に赤い丸薬を6つほど乗せて持ってくる。

「ありがとう、モッケ爺。1つ頂くよ」

「お待ちください、スズカさん。毒かもしれないから用心した方が良いっすよ」

 薬を飲もうとする俺をシックルが制止する。当然モッケ爺は激怒した。

「貴様という奴は。何と言うことを・・・。見ておれ!わしが先に飲んでやるわい。ほれ、ほれ、ほれ」

 モッケ爺は見せつけるようにして、丸薬をほいほいと3っつほど口に放り込んで飲み下す。

「ははあん。解毒のスキルを持っている奴が毒味の真似事をして相手を油断させるという古典的手口だな。分かり易いぜ!」

「キ、キサマ~、もう許さんぞ」

「はあ? 手口がばれて逆切れとか、だせえんだよ」

「シックル! もうやめなよ。じゃないとモッケ爺の血管が破裂しちゃうだろ」

 俺はシックルをたしなめ、さっさと丸薬をパクリと食べて、飲み下す。もちろん、毒薬の心配などはしていない。

「はい、スズカさん。おいら良い子にするっす」

「・・・全くなんという輩じゃ。危うく憤死するところじゃったわ」


 モッケ爺の丹薬は、食べた直後からじんわりと体内がぬくもっていく感覚があって心地よかった。

 俺が気持ちよさに浸っていると、コソコソとシックルが寄ってくる。

「ところで、スズカさん。おいらが思うに西側から征服するのが良いと思うっす」

「・・・え?」

 いや、急に何の話だよ。


「北は確かに獲物も豊富っすが、やっかいなのも多いんすよ。特にワイバーンどもとやり合うには戦力がしっかり整ってからでないと。東はコボルトどもが最近とにかく威勢が良いので、こちらも手勢が必要っす。南は人間の国が近い分、人間の冒険者どもが踏み込んでくることがあるので、面倒っすね。西側はミノタウロス、マンティコア、グリフォンが三つ巴でオークの生息地を争っているので、きっと付け入る隙があるっすよ!」

「地勢情報をありがとう。でも、征服だの付け入る隙だの、何を言ってるんだ?」

「何って。はっはっは、スズカさんの今後の計画っすよ。この森全てを支配して頂点に立つという」

「いったい、いつ、だれが、そんな計画をしたんだよ!? 俺は身に覚えがないぞ」

 それとも、何だ? 寝言か? 寝言でそんな物騒なことを言っていたのか? 俺は疑問符だらけで少々混乱する。

「え? 違うんすか? おいら、てっきりこの森を征服する為に手駒を集めているものとばかり。それでおいらのことを生かしておいたんじゃ? ・・・いったい、スズカさんは今後どうするつもりだったんすか?」

 今度はシックルの方が混乱の様相を見せる。どうやらシックルは、俺が自分を生かしてくれたのは征服事業の為の配下集めが理由に違いないと思い込んでいたらしい。


 しかし、改めてシックルに問われて、俺は黙してしまった。


 結局、あれやこれやと心をかき乱すことが多かったせいで、俺は将来の展望というものをゆっくりと描く精神的ゆとりが無かったのだ。

 俺が完全な人間体で転生していたら、きっと今頃近くの町に行き、冒険者ギルドに登録して、可愛い女の子のピンチを助け、無双チーレムでウハウハやっていたに違いない・・・まあ、それは妄想が過ぎるにしても。


 さて、どうしたものか。


「ふんっ、自分の主人の考えも分からんとは愚か千万じゃな」

 困った顔をする俺を見かねたのか、モッケ爺が割って入ってきた。

「な、だったら爺には分かんのかよ!」

「当然じゃ。全くこれだからド素人は困るのう。スズカも困っておるじゃろうが。征服事業には、まずは拠点作りが肝要。つまり、最初にやるべきはこの遺跡の要塞化じゃ!」

「そ、そうだったんすねーーー!?」

 ドヤ顔を決めるモッケ爺と感銘を受けるシックル。

 今更、将来についてなんて、何も考えてませんと告白する空気でもなく。


「・・・まあ、寝る所は出来るだけ安全にしたいよね」

 この言葉は、一応嘘ではないから!!

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