第32話 蛇
「な、なんで先輩たちが……?」
蛍の後ろで爛々と目を光らせている、巨大な蛇のような顔。四階建ての屋上に届くほどの巨体を有しているのは一目瞭然だ。よく見れば、夜の闇に紛れ、いつの間にかに巨大な蛇の化け物は校舎に巻き付いていた。
「ほんとに連れて来たぁー⁈」
美玲が樒にしがみつきながら叫んだ。ヨナがすごく嫌そうに眉を顰める。俺もため息をつきたい気分だったが、あまりにも大きな化け物の姿に息を呑んだ。
「え? なんですか?」
「後ろ、後ろ‼ 蛍ちゃん後ろ‼」
「後ろ?」
樒の声に蛍が振り返り、大きな口を開けている化け物を見て悲鳴を上げた。蛇のような巨大な化け物は、いまにも蛍を呑み込んでしまいそうだ。
俺の横に立っていたヨナが素早く走り出し、悲鳴を上げながら頭を抱えてしゃがみこんだ蛍の前で飛び上がると、蛍を呑み込もうとしていた化け物を、スカートから飛び出した影で切り刻んだ。
「えええ⁈」
自分の目の前に着地したヨナに蛍が悲鳴を上げる。ヨナに切り刻まれた化け物は悲鳴を上げ、身体がザラザラと夜の闇に溶けていった。
「これで信じないわけにはいかないでしょう。聖星石の欠片を返して」
振り返ったヨナが座り込んでいる蛍に言う。驚き過ぎて腰が抜けたのか、蛍は立ち上がることも出来ずに呆然とヨナを見つめていた。
ヨナの後ろで、闇に溶けようとしていた化け物が、その巨体を持ち上げようとしていた。
「ヨナ‼」
思わず声を上げる。俺の後ろで抱き合っていた樒と美玲も「後ろ‼」と声を上げた。気が付いたヨナが振り返る。
ヨナの攻撃を受けて若干姿が小さくなったが、化け物はその巨体を有したまま、大きな口を開けてヨナに迫っていた。ヨナがギョッと目を見開き、すぐに逃げようとしたが、後ろにいる蛍に気が付いたのか、逃げるのを止めて迫って来る蛇の顔をキッと睨みつける。その瞬間、ヨナのスカートから飛び出した影が化け物を斬りつけたが、先ほどとは違い、斬りつけられた化け物は悲鳴を上げず、一瞬顔が崩れただけですぐに元に戻った。
「⁈」
化け物はまるで邪魔だとでも言うように頭を振り、ヨナの身体が吹き飛ばされた。ガシャン‼ と大きな音がして、吹き飛ばされたヨナの身体が屋上の柵に叩きつけられる。
「ヨナ‼」
慌ててヨナに駆け寄ろうとした時、鋭い視線に気が付いてハッと前を見ると、巨大な化け物の赤い目が俺をじっと見つめていた。その視線に思わず立ち止まる。
「動かないで、夜太郎。守れない」
ヨナがヨロヨロと立ち上がろうとしているが視界の端で見えた。俺はいつもただ襲われるだけで、なにも出来ない。ヨナに守られているだけだ。
「きゃあっ⁈」
聞こえた悲鳴に蛍の方を見る。座り込んでいる蛍の身体に黒いなにかが巻き付いていて、蛍が「いやあっ⁈」と悲鳴を上げていた。それは、巨大な蛇の化け物の黒い尻尾だ。それに気が付いた瞬間、尻尾は蛍の小柄な身体を持ち上げて、空高くに投げ飛ばした。
「なっ⁈」
宙に浮かんだ蛍の真下で、巨大な蛇が口を開けて待ち構えている。あのまま落ちれば、化け物の腹の中だ。
ダンッと近くで大きな音がしたかと思うと、宙に浮かんでいる蛍をヨナが空中で抱き留めていた。助走も付けず、飛び上がっただけでそこまで到達する跳躍力はあまりにも人間離れしているが、感心している場合ではない。蛍を抱き留めたところで、落ちれば二人とも化け物の口の中に真っ逆さまだ。
「夜太郎‼」
そう思った次の瞬間、俺の名前を叫んだヨナは空中で素早く身をねじると、蛍を投げ飛ばした。
「嘘だろ⁈」
もはや悲鳴すら上げていない蛍の身体が屋上から投げ出されようとしている。樒と美玲が悲鳴を上げた。ここは四階建ての校舎の屋上だ。落ちたら死んでしまう。蛍を投げ飛ばしたヨナが、化け物の口の中に落ちていくのが一瞬、視界の端で映った。
気が付けば俺は屋上の柵を超え、屋上の際で手を伸ばし、屋上から投げ出された蛍の手を掴んでいた。
「玉野‼」
「夜太郎‼」
蛍の手を掴んだ瞬間、バランスを崩して俺の足が地面から離れた。樒と美玲が柵から身を乗り出して手を伸ばしているが、その指先は俺の腕を掠めるだけで掴み取れない。
フワリと身体が浮いたように感じたのは一瞬で、身体はすぐに重力に従った。
とにかく蛍を離さないように抱きしめる。蛍はもはや息をしているのかすらわからないほど静かで、悲鳴を上げようともしなかった。どうにか出来ないかと頭の中がフル回転したのはおそらく一瞬にも満たない時間で「無理だ」という答えが出るのは早すぎた。身体が落ちていくのを感じる。その時間はまるでスローモーションのように、ゆっくりに感じた。
目の前に、矢の形をしたキーホルダーが現れるまでは。
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