第14話 初恋だった
次の日。教室で顔を合わせた樒は、一瞬俺とヨナの顔をチラリと見ただけで特になにも言うことはなかった。昨夜の出来事などまるで夢だったかのような態度で、俺自身、夢だったのではないかと思うほどだ。俺の後ろの席に座るヨナの存在が、昨夜のことが現実なのだと嫌でもわからせるのだけど。
その日はクラスの担任教師が結婚し、それを期に県外の学校に転勤になったという話をショートホームルームでして、クラスメイトたちが「え~⁈」「先生、来年からいないの⁈」「結婚相手、誰⁈」と騒めいていたが、特に興味がなかった俺は話半分でそれを聞いていて、結婚するという担任教師よりも、一番前の窓際の席に座る樒が、ずっと窓の外を眺めていることの方が気になった。
放課後、先生に呼び出されていたヨナは気が付けば教室を出て行っていて、樒もすでにいなくなっていた。いつものように部室に向かい、扉を開ける。
先客がいた。
「天体研究部の部室って、こんなところにあったんだ」
部屋の中にいたのは樒だ。埃臭い部屋の中で、樒がキョロキョロと部屋の中を見回している。
「……なんで……」
「先生に聞いたら、玉野なら天体研究部だって言われたから」
「いや、まあ、それは……そうだけど」
「だって気になるでしょ? 昨夜、あんなことがあったんだよ」
「夢だったんだ、とか思わなかった?」
「思おうかなって思ったけど、今日、玉野と天乃川さんの顔を見たら、ああ、現実だったんだなって」
樒が微笑みを浮かべながら言う。樒蝶羽と言えば、クラスであまりいい噂を聞かない女子だったが、こうやって話しているとまったくそんな気がしない。ただの気のいい、可愛らしい女の子だ。どこか、大人びているけれど。
「玉野だけだったら夢だって思ったけど、天乃川さんを見てると現実だなって思えちゃった」
「失礼だな……」
「現実味がない方が都合がいいんだもの」
樒の言葉の意味が分からず首を傾げる。樒はふっと笑うと、不意に俺に背中を向けた。
「好きな人がいるの」
「え?」
「誰だと思う?」
突拍子が無さ過ぎて思わず黙り込んだ。ここで自分の名前を出すほど自惚れてはいない。かといって、心当たりなんてない。
「白詰先生」
その名前が自分のクラスの担任教師の名前だと気が付くのに数秒かかった。
「初恋だったんだよ」
過去形で締めくくられた言葉。なんて言えばいいかわからず、ただ息を呑んだ。「どうして俺にそれを?」とか、聞くのもなんだか違う気がして、でも沈黙に耐え切れなくて、なにか口にしなければと口を開きかける。
その時、部屋の扉が開けられた。
「おや。また新しい部員さんかな?」
扉を開けたのは、天体研究部顧問の森下先生だった。小太りで、朗らかな雰囲気を漂わせる、ちょび髭がトレードマークのお爺ちゃん先生。たしか、科学の先生だったはず。森下先生が唐突に入って来たことで緊張した部屋の空気は一気に気の抜けたものに変わり、俺に背を向けていた樒が振り返った。
「……せ、先生……」
「今年は新入部員が多くて嬉しいねぇ! 玉野君もひとりじゃ寂しかったろう」
「い、いや……新入部員って……」
森下先生の後ろからヒョコッとヨナが顔を覗かせた。
「天乃川さんが今日から正式に天体研究の一員になったよぉ。入部届書いてもらったから」
「え……」
いつの間に……ていうか入るつもりだったのか⁈ 当の本人であるヨナはさも当然というような顔をして、部屋の中にいる樒のことを不思議そうに見つめていた。
「私も」
口を開いたのは樒だった。ギョッとして樒を見る。
「私も入ります」
「え⁈」
「おお! じゃあ、さっそく入部届持ってくるねぇ」
「一緒に行きますよ」
樒が森下先生についていって部屋を出て行く。その背中をポカンとして眺め、樒の姿が見えなくなったところで我に返った。ヨナがじっと俺を見ている。
「仲がいいのね?」
「い、いや、ほとんど話したことなかったよ……」
「じゃあ、どうして?」
「昨日あんなことがあったら、話し聞きたくもなる……だろ……?」
「そうかしら。いいわ。よかったわね。廃部の危機が救われそうよ」
「なんで……」
「都合がいいからよ。この部屋は静かでいい。それだけ」
ヨナが不敵な笑みを浮かべた。
「それ以外の理由が必要?」
その表情にドキリと心臓が高鳴る。うるさい鼓動がヨナに聞こえないように願いながら、脳裏をよぎるのは、「初恋だった」と言った樒の少し震えた声だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます