第8話 自販機の使い方

 極力、天乃川さんには近づかないようにしよう。面倒ごとはごめんだ。と思い、始業式から一週間ほどが過ぎた頃の昼休み。温かい飲み物でも買おうと赴いた自販機の前で偶然、天乃川さんに遭遇してしまった。


「なにしてるんだろう……」


「もう十分ぐらい? 自販機の前から動かないよ……?」


「なにか、俺たちには考え付かない考えがあるんだろ、きっと……」


 周りで天乃川さんを見守る生徒たちがヒソヒソと囁いている。十分も自販機の前から動かないとは何事だ。迷惑にもほどがある。


 とはいえ、下手なことをして注目を浴びたくはないので、今回は諦めて大人しく教室に戻るかと、踵を返そうとした時だった。


「ねえ」


 そういえば、今日の朝の占いで運勢が悪かった気がする。嫌な予感を抱えながら振り返ると、案の定、天乃川さんが私を見つめていた。どうして私なんだ。周りにクラスメイトが私しかいなかったから?


「……な、なにか……?」


 周りの視線に居心地の悪さを感じつつ、恐る恐る問いかける。すると、天乃川さんは自販機を指差した。


「これを飲みたいのだけど、どうやったら取り出せるの?」


「え?」


 天乃川さんが指さしていたのは、自販機のお汁粉だった。しばらく言葉の意味が理解できず、黙り込む。どういうこと? 自販機の使い方がわからないということ? そんな、まさか……いや、病弱で学校をずっと休んでいた美少女は世間知らずなのか?


「……えっと……お金持ってる……?」


「夜太郎にもらったものがあるわ」


 百円玉を見せながら、どこか得意げに天乃川さんが言う。それだけで絵になるのはいったいどうして?


「それをそこの穴に入れて、このボタンを押すの」


「……こう?」


 天乃川さんが恐る恐るといった様子で百円玉を自販機に入れ、ボタンを押す。ガタンッというお汁粉が落ちてくる音に驚いたのか、天乃川さんがビクリと肩を震わせた。


「そ、そこから取り出すの……」


「取り出す?」


「蓋を開けて、手を突っ込んで……」


 天乃川さんが恐る恐るお汁粉を取り出した。自販機に対してここまで怯えている人を私は始めて見た。まさか、自販機の使い方がわからなくて十分近くずっとここに立っていたというの……?


「ありがとう」


 お汁粉を両手で握りしめながら天乃川さんが言った。美少女はお汁粉を持って礼を言うだけで絵になるのだから羨ましい。近寄りがたい高嶺の花が自販機の使い方を知らないというギャップに、可愛いなと思ってしまった。


「ヨナ!」


 走って来たのは、始業式の日、天乃川さんが唯一話しかけた、私は名前も覚えていないクラスメイトの男子。確か、とくに目立つこともなく、教室でずっと大人しくしているような生徒だったはずだ。その男子は天乃川さんに呼びかけたことで一斉に周囲の視線を浴び、一瞬顔を引きつらせていた。


「全然戻ってこないから、どうしたのかと……」


「これの使い方がわからなかっただけよ」


「え? 自販機の使い方知らなかったの?」


「夜太郎が説明しないのが悪いのよ。お金があれば大丈夫だって言ったくせに」


 天乃川さんが歩き出し、男子が慌てた様子で天乃川さんの後を追う。一瞬、男子が振り返って私と目が合ったけれど、男子はすぐに天乃川さんを追って行って私に背中を向けた。周囲の騒めき声が聞こえてくる。


 「いいなぁ」と口からこぼれそうになった。圧倒的な美貌を持ち合わせ、人に可愛いと思わせる愛嬌もある。ああいう人は、自分自身が火の粉を浴びることはない。


 もし、あの一軍女子の彼氏だったという先輩が好きになったのが天乃川さんだったなら、一軍女子も「それなら仕方ない」と諦めてくれただろうか。

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