四、弱者
【養護教諭
水向晴は、弱い子でした。
こんな証言は、恐らくどなたも仰っていなかったでしょう?
やっぱり。あの弱さは、私だけに見せていたんですね。あたしは、彼のSOSに気づけなかった。養護教諭失格です。
彼が保健室に顔を出すようになったのは、2年になってからです。彼、一度熱中症で運ばれてきたことがあって。症状が軽度だったので、保健室で処置ができたんですが。ほら、この記録帳に書いてある。体育祭のリレー競技の練習で、代走として5周走った後、ふらりと倒れたって。代走で5周って、イジメなんじゃないかってその時思ったんです。それで、処置をしている際にそれとなく聞いてみたんです。そしたら、自分で引き受けたんだって。どれだけお人好しなんだって驚いちゃいました。ぶっちぎり1位で勝ったって自慢していたんですが、流石に笑えませんでした。熱中症を馬鹿にしちゃいけません、毎年500人以上が亡くなってるんですよ、っていつも以上に厳しく叱ったのを覚えています。それでも彼、懲りてなくって。仕方なく弟の話をしたんです。
私の弟は高校生、丁度彼と同じ年に亡くなりました。えぇ、熱中症で。部活で外周をやっていたそうなんですが、その時に倒れたみたいで。しかも運悪く、人気のない場所で倒れてしまったものですから。発見が遅くなってしまって。その日のうちに……。
私と弟は年子で、とても仲が良かったんです。だから尚更弟の死は堪えました。弟のような死者を学校で出さないようにしよう、というのも養護教諭を志した理由のひとつです。兎に角、私はあなた達のことを自分の弟のように思っているのだから、と真剣に諭しました。彼はその時ばかりは熱心に話を聞いてくれました。そしてその日を皮切りに彼は保健室によく訪れるようになりました。
怪我とかじゃなく、普通に友達のところを訪れる感覚で来るんです。前任校でもいたんです、そういう子。女子に多かったんですけど。何もないけど話し相手を求めてって感じなんでしょうか。友達だと上手く話せないようなことでも、少し距離の離れた人とだったら話しやすいってこと、あるじゃないですか。そういう目的で保健室を訪れる子も多いんです。彼の場合も、そうだったと思うんです。
保健室にはベッドが二つ設置されてるんですけど。目眩がするとか頭が痛いとか先程のような軽度の熱中症とか、用途は様々です。実際サボりに使うような人も多かったのですが。それは大丈夫なのかって?私は黙認してました。保健室は、憩いの場ですから。生徒たちだって疲れてるんです。気詰まりだって起こしますよ。そうした時にちょっとでも寄り添えたら、という所存です。彼もよく来てました。別に何か辛いことを話す、というわけでもなく、私が事務作業をする傍ら、ベッドに寝転んでるっていう。時たま、友達の話をしていました。いや、そんなに大勢の名前は出てきませんでしたよ。いつも、話に上がるのは2人だけでした。その話をする時、水向くんは何だか嬉しそうだったんです。私も、その純粋な笑顔を見ることができて、嬉しかった。でも、他にも話したいことは、沢山あったんだと思います。言葉に出来ないだけで。
いるんです。一人で抱え込んじゃう人。何が嫌なのか教えて、って言っても言えない。それは自分の問題だから、自分で解決しなきゃいけないからって思い込んでしまって、なかなか周りに助けを求められない。彼も、そうだったんじゃないかな。私が見る彼はいつも何だか弱々しかった。
彼が3年生になって、彼の担任の先生とお話する機会があったんです。私、驚いてしまって。
だって、先生が私に意気揚々と伝える彼の勇姿と、私が見てきた彼の姿が全く重ならないんですから。
あいつはクラス委員長に推薦されたんですが、謙虚なことに自分から蹴りましてね、と先生は誇らしげに彼のことを語ってくださいましたが、私はどうも納得いきませんでした。推薦って、それって面白半分に押し付けられただけでは、と思ってしまったんです。直接言ってしまっては失礼かと思ったので、その場では触れませんでしたが。
学生の頃、いたでしょう。所謂、いじられキャラ、みたいな人が。彼はそのキャラなんじゃないかって思ってしまったんです。そう考えると、何だかこれまでのことに納得がいくと言うか。彼が5周走る羽目になったのも、クラス委員長に推薦されたのも、全部そのせいなんじゃないかって。彼はそのキャラでいることが辛くて保健室に来ているんじゃないか、私に助けを求めるために。そう考えたんです。
いじられキャラって何かとスポットが当たるじゃないですか、あまり良くない意味ですけど。最初は、こういうのも悪くないと思ってたのかもしれません。だけど、そのイジりはエスカレートしていった。イジりが、ただのイジりじゃなくなっていたとしたら。それが当たり前になっていたら、どうでしょう。彼にとっては迷惑な話ですよね。彼はそうやって注目を浴びることが虚しくなってきたんじゃないでしょうか。イジられてもヘラヘラと明るく取り繕っていなきゃならない。そうしていなくては雰囲気が悪くなってしまう。その様子を楽しんでいるのだと解釈した愚かな人達がイジり続ける。最悪の循環です。彼はこの循環から抜け出したい、そう思っていたのではないでしょうか。
私の予想は、恐らく当たっていたようでした。当日、彼はかき氷を持って保健室に遊びに来たんです。昼前、11時過ぎです。えぇ、保健室は勿論解放してます。私にとっては文化祭は楽しいお祭りじゃないんですよ。彼はため息を吐いて入ってきました。どうしたの、と聞くと、シフトを沢山押し付けられたって。やっぱり、って思ったんです。皆彼をぞんざいに扱うようになってるんだって。彼はベッドに座ってかき氷を独りで食べてました。こんな肌寒い日によく食べるなって思って。これも押し付けられたのかと思ったのですが、クラスの人は1人1個強制だからと苦笑いしながら言っていたので、少し安堵しました。寒いから2個目は無理って食べながらぼやいてました。
え?彼が何味を食べていたのか?えぇっと、確か……メロン、だった気がします。
彼の恋人なんか知りませんよ、そんなの。亡くなった人のそういう事情に口を挟むのってナンセンスだと思いますよ、私。
まさか、私が彼の、それだと?
馬鹿も休み休み言ってください。
彼は私の大切な生徒です。そんな大事に思っている生徒を傷つけるようなことはしません。第一、私には夫がいるんです。今更若い子に目移りするほど尻軽な女じゃありません。
いくら何でもあなた、失礼ですよ。
彼は事故か、自殺か?それはあなた方がお調べになることじゃないでしょうか
私の見解、ですか。
彼は、自ら命を絶ったんだと思います。なぜ文化祭の日にそのような行為に及んだのか。それが、彼にできる最大の復讐だったから、ではないでしょうか。行き過ぎたイジりが辛くなって、文化祭という一番楽しい思い出を最悪の思い出にしてやろう、そしてイジりをしてきた奴らに一生消えない罪悪感を植え付けてやろう、とか。彼がそんな捻くれた発想に至るとは思えないのですが、あくまで素人の推理ですので。
ふと思うんです。私は彼を見殺しにしてしまったんじゃないかって。私がもっと早く彼の痛みに気づけていたら彼は死を選ばなかったかも知れない。私は養護教諭として、この十字架を背負って誠心誠意生徒たちと向き合っていくつもりです。
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