二、聖人
【3−5
水向晴は、僕なんかにも構ってくれる、聖人みたいな人でした。僕にとっては、学校で唯一心を許せる人でした。
彼とは1年次からずっと同じクラスでした。ただ最初の方はそんなに話をする仲じゃなかったんです。消しゴム落としたら拾って、ありがとう、とかそのレベルの会話くらい。と言ってもこれは彼に限った話じゃないです。僕は、クラスの皆とそういう関係でした。嫌われてるわけじゃなかったと思います。ただつまらないから、じゃないでしょうか。僕と話しても楽しいことなんて何もないし。
会話が続かないんです。気の利いた返事ができないっていうか。今日雨だね、に、そうだねくらいしか反応できない。本当はもっと話したいと思いますよ。雨だけど傘忘れたんだよね、とか、相合傘しよーぜ、とか。そんなことが全くできない。どうでもいい時に、こんな風に一人芝居はできるんですけど。いざ誰かと話すってなると続かないんです。どうしても僕は話を断ち切ってしまう。つまらない奴なんです、僕。僕は別に友達なんかいなくていい、って思ってたんで、授業とか、本当に必要最低限の時だけ会話に入れてもらってました。僕には、それで充分だったんです。コミュ力があれば、とは思ってましたけど、ないものねだりは虚しいだけです。ないならないで、やっていくしかないか、ってそんな感じですよ
……すみません。脱線しちゃいましたね。水向くんのことですよね。ごめんなさい。自分の話ばかりしてしまって。陰キャ特有の悪い癖です。
まぁ、そんなこんなでほぼ空気として扱われていた僕ですが、唯一僕を人間として見ていたのが水向晴でした。
最初は、彼の方からです。体育の時間。僕にとっては地獄の時間でした。運動ができない云々の話ではなくてですね。それよりも恐ろしいもの。ペア活動です。小中では、背の順で前後ペア、という感じで決まってましたが、高校では違います。何せ取ってつけたような自主性が重んじられるので。体力テスト、ご存知ですか。そうそう、シャトルランとか反復横跳びとか。自由にペアを作って互いに記録し合うわけですが、その自由というのが僕にとっては大変恐ろしいものでした。何せ、1人ぽつんと残される可能性があるわけですから。僕は1人でいたいと思うくせして、独りになるのを恥じていました。笑いものにされたらどうしよう、そんなことばかり考えていました。
そんな時です。持ち前の愛嬌を振りまいて、彼は僕の方に寄ってきました。勿論、最初は断ったんです。だって、彼には先約があったんですよ。晴、俺とやろーぜ、って声が聞こえてたので。それなのに、彼はそれを振り切って僕とすることを選びました。不思議なやつでしょ。どうして僕なんかにって。そう聞いてみたら、静かそうだからって。どういう意味だよって、自然にツッコめました。
それ以来、彼は事ある毎に僕のところに来るようになりました。他のグループで話した後、僕の机の方にも寄ってきて、ちょっかいをかけてきました。最初こそ、関わるなオーラを出して机に伏せたり勉強したりしてたんですが、それでも彼はしつこく絡んできて。2年生にもなると、僕も、気づけば彼を受け入れていました。彼となら、自然に話せたんです。僕だけが特別じゃなくって、多分、皆そう思ってるんじゃないでしょうか。処世術みたいなものなのかなって今になって思います。
その誰しもに与えられた慈愛につけあがった僕は愚かでした。
文化祭は大嫌いな行事です。あんなの、陽キャのためのお祭りじゃないですか。陰キャは隅っこの方で指くわえて見てろって感じ。大嫌いでした。1、2年とずっと教室にいたと思います。休むって手もあったんですが、こんな馬鹿騒ぎも出席日数に入れられちゃうので。
2年の時、水向くんが教室まで誘いに来てくれたんです。一緒にカレー食おって。行きたかったけど、ここで天邪鬼が発動してしまって、断っちゃったんです。もう一回聞いてくれることを期待しました。馬鹿なことに、彼を試すような真似をしたんです。それが間違いでした。2回目はなかった。彼は追っかけてきた同じクラスの連中に連れて行かれてクイズ大会に参加してました。2階の窓から中庭を見下ろすと、彼とその連中は非常に盛り上がっていて、やっぱり僕は彼に相応しくない、そう思いました。
だけど、そんな僕も少しは変わろうとしたんです。やっぱり、心持ち次第なんじゃないかって。多分彼に憧れていたんでしょう。彼が近くにいると、やっぱり思うんです、彼みたいな人種が羨ましいと。変わりたい、と思った。そうして、ようやく過去の自分に見切りをつけ、新しい自分になろうとしたんです。
文化祭の日。僕は午前にシフトが入っていて、午後はフリーでした。水向くんを誘おう、と思ったんです。なかなかチャレンジャーでしょ、僕。彼がいたから、変わろうと思えた。去年は彼が誘ってくれたから、今年は僕が……そう思って昼前に彼と会った際に聞くことにしました。正確な時間、ですか。うーん、多分、ですが、11時ちょうどから10分くらいの間です。彼と入れ替わりで模擬店のテントに入った時に、勇気を振り絞って聞きました。
「シフト終わったら、一緒に回らない?」
それに対して彼はこう答えました。
「他の奴に頼まれちゃってさ、ごめん」
断られました。彼はすまなさそうな顔をして、それからあっという間に人混みの中に消えていきました。笑っちゃいました。そりゃそうだよな、って。こんなにいい奴なんだから。僕以外にも優しいんだから。僕だけが特別じゃないんだから。きっと色んな人に誘われてるんだって想像がつきました。そこに僕が入る余地はない、そういうことです。悲しかったし、悔しかったけど。僕が思い上がっていただけなんでしょうね。彼の一番の友達になった気でいました。正直、浮かれていたんだと思います。ちょっと話しかけられたぐらいで調子に乗って、イタい奴ですよね、ほんと。あっちからしたら、僕は二番目、いや、それ以下だったのかも。はなから友達とも思ってなかったりして。グループを渡り歩く時の繋ぎ、ある種休憩みたいな、そんな感じだったんでしょうね。今となっては彼の腹の内は分かりませんけど。
かき氷?買うわけないじゃないっすか。たかだか氷に400円とか、アホらしい。溶かしたらただの砂糖水ですよ。茅野さんは1人1つは買ってね、って呼びかけてましたが僕は買いませんでした。
え、違う?水向くんのことですか。うわ、恥ずかしい。また自分語りをしちゃいました。もっと早く言ってくださいよ。彼が買ったかどうかは分かりません。僕はテントの奥の方で飾り付けをやってたんで、接客してないんですよ。だから、来てたとしても分かんないです。
シフトが終わってから何をしてたか?ずっと教室で本を読んでました。中庭はうるさすぎて、人の話もかき消されちゃうほどですよ。あんな騒音をずっと聞いてたら耳がぶっ壊れます。なーにが楽しいんだか。勿論独りぼっちでいましたけど、それが何か?
彼のことを快く思ってない人物がいたか……これ、僕が証言したって言わないでくださいよ。同じクラスに、
あ、勘違いしないでくださいね。別に、僕は悲しくなんかないですから。そんな、友達っていうほどの関係じゃないですし。目が赤いのはさっき痒くて擦ったせいですから。
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