始まりの終わり
始まりの終わり ①
『もう俺は迷わない。
信じられる仲間がここにはいる。
見上げた空には、ひとつの雲もなかった——』
「何だそれ」
この留置場に放り込まれてもう三、四日経つ。
殺人鬼の片割れとしていずれ処罰が下されるのだろうが、いま
あまりに退屈で苛々していると、それを見かねたのだろう、見張りが適当な本を何冊か持ってきた。下手に退屈させて暴れられるよりは——という苦肉の策らしい。
小説なんてものをこんなに読んだのは人生初めてだ。
それなりに時間を忘れることはできたが——
読んで損した、とばかりに本を煉真は放り投げた。
——そんなに何もかも丸く収まったら苦労はねぇよ。
溜息を吐いて小窓から外を見る。
四方闇島は今日も薄気味悪い霧に包まれていた。
あの事件——
ちょっといろんなことがいっぺんに起こり過ぎて何と名付けてもいいか分からない、あの一件。頭は
青色も赤色も他の生徒も関係なくとにかく右へ左へ飛び回ったそうだ。もちろん教師もそれを主導した。
学園長の
だが、残念ながら。
その発表を生徒も島民もほとんど聞いてなかった。
と言うより復旧が忙し過ぎて、そんなことは後回しにされたそうだ。雑喉はやむなくいまも立場を保留して復旧の指揮を取っている。
まぁ、そう言いつつ彼が放任されたのは、彼もある意味で舞鳳鷺の犠牲者であることを多くの者が認めていたからだろう。
それに加えてこれだけ大きな被害を町に齎した事件だったのに、死傷者が奇跡的に少なかったことも彼の罪を軽くした。深夜に突然禍鵺が大勢攻めてきたとは思えない少なさだ。
何でも侵攻の直前、真夜中だというのにやたら騒ぎ立てる迷惑な車があった所為で大抵の島民が起きていたらしい。それが大勢の避難を助けた。
目撃者によるとその車には天代守護を連れたデブのおっさんが乗っていたらしい。
とはいえ流石に
——火滾か……
曲がりなりにも世話になった人だ。それを思うと流石に煉真もこころが穏やかではいられなくなる。彼は舞鳳鷺によって殺されたのだ。
もちろん彼が計画したことは赦されないことだろう。自分はそれに加担しかけた。
だが、やはり一番悪いのは——あの女だ。
青色生徒会会長
奴は一命を取り留めたが、まだ意識が戻らない。
ある意味、いま瓦礫を運んでる生徒たちのなかでも最も気掛かりなのは彼女の今後だろう。
果たして天代守護のトップの娘である彼女に断罪を下すことが出来るのか。それとも——
だが、その憂慮の暗雲を断ち切るように、とうとう《天》が動き出した。
使徒だ。いままで舞鳳鷺の横暴に、殺人バットの事件にも沈黙を保っていた使徒が事件後とうとう介入してきた。
彼らは天代守護を使い、舞鳳鷺の起こした今回の事件に関して厳正な処分を下すことを宣言した。事は舞鳳鷺だけでなく天代弥栄美恵神楽家そのものの進退にも波及するだろう。
これは長く続いた天代弥栄美恵神楽家の時代の終焉を告げるものと言えた。既に天代守護のトップには次の候補者が挙がっている。
ここまで使徒が表に出た以上、舞鳳鷺に関してなあなあで終わることはないだろう。
『騙されるな! これは最初から使徒の計画だ。奴らにとっても厄介な天代弥栄美恵神楽家と袂を分かつために最初から目論んでいたことだ!』
ということを言う奴もいるそうだが、正直煉真にはどうでもいい。
まぁ、天代守護の連中が泡を食っている様子は、見ていて悪い気分じゃない。
——というふうなことを、煉真は面会に来た
変な奴らだ。わざわざ殺人鬼の面会に来る奴があるか。
とはいえ退屈な獄中生活だったから、正直有難かった。
「センセーは?」
そのとき煉真は綺新に訊いた。
綺新は黙って首を左右に振る。
「死んだのか……?」
「や、生きてるけど。意識はまだ戻んないみたい」
「紛らわしい反応するなよ……あいつじゃ洒落になんねぇだろ」
「そっちはどう?」
「どうもこうもねぇ」
煉真は首を回して留置場を見回しながら言った。「犬小屋の方がマシだ」
「ふーん。じゃ何で出ないの?」
「出られねぇからだよ」
「もう
煉真は押し黙った。
ここは仮に殺人バットになったところで出られるようにはなっていない。流石の天代守護もその辺りは十分警戒している。手足は錠が嵌められていたし、部屋の外には《
だが、そんなことはなくても——
煉真はここを出ようとする気になれなかった。
と言うよりも、いまは何もする気が起きないと言っていい。うまく言葉にはできないが。そういう意味ではこの檻はいまの煉真にとって都合のいいものだった。
「そういやさ、あのときなんて言おうとしたの?」
ひと段落着いたところで、綺新がそんなことを訊いた。
「あのとき?」
「センセーに言ってたじゃん。秘密はどうせバレる、俺が話してやろうかみたいな」
「ああ……」
煉真は宙を見つめる。
ふぅー、と息を吐き出してから言った。
「忘れた」
ひとりきりになった格子戸のなかで煉真は思った。
綺新があんなことを訊く以上、先達や紗綺は《秘密》をまだ話してないのだろう。康峰が秘密にしておきたがったからか。彼が目を覚ましたらどうするつもりか。煉真には分からない。
だが——
どうでもよかった。
彼らが秘密にしたいというのなら。
そもそも煉真には最初から話す気などない。
どうせ、殺人鬼の妄想だ。
——何でだろうな。
煉真はさっき放り投げた本をまた手に取る。
ぱらぱらと適当に頁を捲った。
やっぱりつまらない。人生はそううまく行かない。挫折して、藻掻いて、足掻いて努力して、それで結局何もかもうまく行くほど甘くはない。そんなことは分かってる。
『……分かりゃしねぇよ、あんたに。俺はあんたが羨ましいぜ』
あの日煉真が
あんなものは本心じゃない。咄嗟に口をついて出た嘘だ。
分かってる。あの男がどれだけ苦労してきたかを。あのぼろぼろの姿を、殺人バットに果敢に立ち向かって行った姿を見て、弱いなんて言う奴はそれこそ目が腐ってる。
あいつは弱くなんかなかった。
青色の連中も——全員ではないが、憎むほど弱い、悪い連中じゃない。
そして何より——
あいつもそうだ。
七星は自殺なんかしていなかった。煉真に脅迫されたくらいで死を選択するほど弱い女なんかじゃなかった。
本当はみんな分かっていたことだ。弱い奴なんてそういない。誰もが必死で歯を食いしばって、踏ん張って生きている。
だからって煉真が七星を追い詰めた事実に変わりはないが。
「……悪かったよ、夜霧」
誰もいない牢獄で、煉真はぽつりと呟いた。
今更謝ってどうにかなるわけもないか。
自嘲するように頬を吊り上げる。
「ホント嫌になるよな」
だってそうだろ。
視界が滲む。
手に取った本のうえに涙が一滴、零れ落ちた。
「俺が一番……クソ弱ぇんだから……」
堰を切ったように溢れ出して止まらない。
次々と溢れるそれを抑えることもなく、煉真は声を殺して泣き続けた。
『お前は俺の弟だろ』
耳障りなあの声が隣から聞こえてくる。
だがいまはそれが不思議と厭ではない。
それは煉真がいままで聞いた『彼』の声のなかで、一番優しい口調で言った。
『強くなれるさ』
小さな窓から差し込む鈍い光が、肩に手を置く。
ひとりきりになった煉真は、いつまでも泣き続けた。
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