第十幕 黎明 ③
康峰に促されて、驚いたように煉真が息を呑んだ。
鬼頭は相変わらず黙っている。周りの生徒たちも固唾を呑んで見守っている。
それを見て煉真が話し出した。
「……こいつは、鬼頭は使徒の使う力の秘密を解き明かそうとしてた。そのために夜霧を利用しようとした。自殺って芝居を打たせて身を隠させ、そのうえで監禁して、ずっと研究してたんだ」
「……何のために?」
「さぁな、そいつは知らねえが、大方使徒をぶっ殺して自分がなり替わろうとでも考えてたんだろうよ」
「違う」
鬼頭がおもむろに口を開いた。
だがその口調は先ほどまでと違い、異様に冷たい。
煉真に集まっていた視線が今度は鬼頭に向く。
「お前は何も分かっていない。お前だけじゃない。お前たちは誰も理解していない。私がやろうとしたことを。私はお前たちのために犠牲になろうとさえしたのだ」
「鬼頭先生……?」
康峰の声さえ聞こえないように鬼頭は言葉を続けた。
その目はどこも見ていないような、どこか遥か遠くを見据えているような異様な光を帯びている。口調もまるで彼が喋ってるというより、勝手に口が動いているかのようだった。
こんな彼は見たことがない。
「……誰かが犠牲にならなければならない。そうでなければ現状は何も変わらない。子供たちを犠牲にし続ける残酷な世界を変えることはできない。そのためには使徒の秘密を解き明かすしかない。私は一度それを諦めていた。そこへ夜霧七星が訪ねてきたのだ。いじめがきっかけで《冥殺力》が使えるようになったという彼女の告白は、私の一度諦めていたこころを引っ繰り返した……」
康峰はごくりと唾を飲み込んだ。
それは紗綺や竜巻、村雲らも同じだった。綺新や夢猫さえ言葉を喪ったようにこの鬼教官と呼ばれた男の独白に耳を貸している。青色生徒会も、赤色生徒会も。
なおも鬼頭は語り続ける。
「今度こそ、使徒に支配されたこの世界に風穴を開けられるかもしれない。生徒たちを死の闘争から解放させられるかもしれない。その大義のためなら私は自らが犠牲となることも辞さない」
「はっ、よく言うぜ」
煉真が吐き捨てた。
「犠牲になったのはお前じゃねえ。夜霧だろうが!」
鬼頭が目を瞑った。
「大勢を救うため——やむなきことだ」
「この野郎——」
「お前にそれを
食って掛かろうとする煉真を遮って鬼頭は言った。
地面に這い蹲らされている煉真を冷ややかに見下す。
「青色生徒会に腹を立て、そいつらに勝つために力を得ようとして夜霧を脅迫していたお前に? それが失敗すると無責任に行方を晦まし、幻覚に隠れて人殺しをしていたお前に? 最終的に自棄になって自分から人殺しになった——そんなお前に、何ができた?」
「…………っ」
煉真が息を詰まらせる。
吐き捨てるように鬼頭は言う。
「お前みたいなのを屑と言うのだ。お前らは何も生み出せない。何も起こせない。ただ感情に任せて暴れるだけだ。……だが、そんなお前ら屑でも私は救おうとした。自分が犠牲になることも厭わずに!」
「先生」
康峰は思わず声を掛けた。
鬼頭がこちらを向く。
肩口を抑えていた手で康峰の肩を掴む。
思わず身を竦める康峰に、鬼頭は切々と訴えるように言う。
「
「そ、それは……」
康峰には——
答えられなかった。
紗綺や煉真たちなら迷わずノーと言えたのかもしれない。それが正解なのかもしれない。それでも康峰には、はっきりと彼の言葉を否定できなかった。
別に彼の言葉に納得したわけではない。
それでも。
康峰の脳裏には、かつて鬼頭と交わした会話が蘇っていた。
『私は
『だが生徒の前ではそれは言えない。あくまで使徒を崇拝し敬重する姿勢を貫かねばならん』
初めて出会った日、車のなかで鬼頭はそう言った。
その思いの根底には、こんな計画があったのだ。そしてそれを誰にも打ち明けられない、孤独と苦悩もあったに違いない。
『つくづく自分の非力さが恨めしい。生徒が登校しなくなるのも、教師を信用できなくなるのも私の力不足故です』
『マガネに襲われることなど何でもない。激務も重責もなんてことはない。ただ自分のやってきたことに全く意味がないという現実を突きつけられたとき、もう耐え切れなくなるのです……』
あの言葉も嘘だったと言えるだろうか。
あのとき流した涙も演技だったのだろうか。
康峰にはどうしてもそう思えない。どれも彼の本音——遠回しに共感し同調してくれる仲間を求める、彼の悲痛な訴えのように思えて仕方ない。
康峰には——
痛いほどよく分かる。
分かってしまっている。
彼がただ正しいと信じたことをしようとしだけだ。
例え結果として大きく道を踏み外したとしても——
そんな男を、自分に裁く権利があるだろうか。
ここにいる鬼頭と、自分と。
そこにどれだけの違いがあると言えるだろうか。
『ごめんね』
また目が霞む。
鬼頭の背後に、瓦礫のうえにいつか見た白い髪の少女の幻影が見えそうになる。
「……私を断罪するというのなら構わない。だがせめて分かってほしい。これは彼らのため——」
更に何か言おうとした鬼頭の言葉が止まった。
そう思った瞬間。
「ごふっ」
その口から鮮血が噴き出して康峰の胸元を濡らした。
「な——」
鬼頭が足を震わせてその場に膝を付く。
その背後にナイフを握った少年が立っていた。
ナイフは深々と鬼頭の背中に突き立てられている。
返り血を浴びた少年を康峰は見た。
「……先達?」
彼は黙ってナイフを引き抜くと、再びそれを振り翳した。
切っ先をまっすぐ鬼頭の頭に向けて——
「止めろ!」
誰かが叫んだ。
咄嗟に竜巻や村雲が立ち上がろうとする。
だが彼らからは距離があり過ぎた。到底間に合わない。
「待て、先達!」
康峰は鬼頭の背にぶつかるようにして飛び出し、先達のナイフを握った手を掴んだ。先達の力に押し負けそうになりながらも、何とかそれを抑えた。
「何のつもりだ! いきなりどうした⁉」
「どけ! どいてくれ!」
先達が血走った眼で叫ぶ。悲鳴のような声で。
その目尻から涙が溢れた。
「こいつが……荻納さんを——」
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