第十幕 黎明 ①

 



 海の底から急速に浮き上がるように——

 軛殯くびきもがり康峰やすみねは意識を取り戻した。

 首を振って周囲を見渡す。

 既に朝の光は柔らかく、瓦礫に埋もれた町並みを輝かせていた。あれほど立ち込めていた霧もすっかり晴れている。空の様子などから見てどうやら数十分は意識が途絶えていたようだ。


「気付いたか、先生?」


 声がした方に首を向けると、紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さきが担架に乗せられてこっちを見ていた。

 その周囲には鴉羽からすば学園の生徒が他にも集まっている。青色生徒会、赤色生徒会ともに入り混じっているようだ。誰もが包帯を巻いたり軍服は砂埃に塗れたりと酷い有様だが、その中心にいる紗綺はいっそう酷い。応急処置は施したようだがまともに歩ける状態ではなさそうだ。

 それでも彼女は気丈な笑みを湛えていた。

「先生のお蔭だ。この通り、殺人バットは拘束できた。ありがとう」

 そう言った紗綺の視線を辿ると、青色の軍服に囲まれるようにして灰泥はいどろ煉真れんまが地面に座らされていた。

 後ろ手に手錠を嵌められ、俯いている。

 まるで魂が抜けたかのようだった。

 これは——

「……何があった?」

「覚えてないのか?」

 康峰の声に、紗綺が驚いた声を返す。

 康峰は頭を抑える。

 立ち上がろうとしたが、体の節々に激痛が走って再び尻餅をついた。

 どうやらまた例の心臓停止が起こったらしいことは分かる。そう言えば意識が飛ぶ直前に殺人バットに殴られたような——だが、それでどうして奴を捕縛できているのか分からない。

 考えようとしたが、疲労感が脳まで圧し掛かるようで考えが纏まらなかった。


「オイオイオイ! 当の本人が覚えてねぇってのかよ?」

 ただでさえ頭が痛いのに、頭が割れそうな大声を誰かが出す。顔を見る間でもない。こんな煩い奴は——馬更ばさら竜巻たつまきしかいない。

 果たしていつものように両手をポケットに入れた少年が紗綺らの傍らに座っていた。隣には鍋島なべしま村雲むらくももいる。

 よく見ると、ふたりも腕や頭に包帯を巻いている。包帯には血が滲んでいた。地面に座って瓦礫に凭れた様子から見ても、余程激しい戦闘をしてきたらしい。

 平気そうに見せているのは他の生徒の手前か。或いはただの意地か。

「会長から聞いたぜ、センセーのお蔭でこのクソッタレをとっ捕まえたってな。やるじゃねぇか! 一体全体どんなマジック使ったんだ? 俺ァそれを聞くのが楽しみで待ってたってのに——」

「よせ、馬更」

 村雲が言った。「先生も疲れてるんだろう。いまはよせ」

「ウルセーな、お前に言われなくたって分かってんだよ。お前は俺の保護者かァ? だったらテメーが俺の養育費払ってくれんのか、おい!」

「ほう、ずいぶん元気が有り余っているみたいだな」

「お前よりはな。何なら試してみるか、え、大将?」

「お前がその気なら——」

「うわっ、怪我人だらけじゃん! ヤバぁ」

 竜巻と村雲の言い合いを甲高い声が引き裂いた。

 噴水広場の向こうから、瓦礫のうえを飛び跳ねて鵜躾うしつけ綺新きあらが近づいてきていた。その後ろには早颪さおろし夢猫むねこもとろとろ付いてきている。

 夢猫は——どうやら遠目にも眠そうだ。

 どうやらこの時間にはもう『夜型』が封印されるらしい。

「オイ、何しに来てんだ鵜躾。《冥浄力》も使えねーのにノコノコ出てくるなんてアホか?」

「何言ってんの、もうあんたらが片付けたんでしょ? やるじゃん、ね」

 そう言いながら綺新が村雲のどでかい肩にタックルをかます。

「む、む、む」

 村雲はびくともしなかったが、先ほどまでと別人のように押し黙ってしまった。

 少し遅れてようやく夢猫が近づいてくる。

「綺新ぁ、待ってよぉ。ひとりで先行かないでってば」

「知らねーし。チチがでかいのが悪いんだろうが、もぐぞ」

「こわ~い。鍋島君助けて~」

 大きな胸を彼に押し付けるように村雲の背に隠れながら夢猫が言う。

 こんな状況なのに一部の男子生徒がごくりと唾を呑んでいる。

 村雲は耳まで真っ赤になって何も言えないようだった。

——こいつらも二重人格じゃないだろうな……

 だとするとこの島は二重人格が多過ぎる。康峰は遠目に彼らのやり取りを見ながらそんなことを半ば冗談、半ば本気で思った。


「つーかセンセー生きてたの? いくら呼び掛けても返事ないから死んだかと思ったのに」

 綺新が離れたところにいる康峰に気付いて言った。

「呼び掛け……?」

 そういえば康峰が持っていた無線は殺人バットに吹っ飛ばされてしまった。いまは瓦礫の山のどこに転がっているかも分からない。

「そうか。心配掛けたな、鵜躾」

「……別に、心配とかじゃないけどぉ」

「あれ~? 綺新照れてんの? 珍し」

「は? 一生眠らせてやろうか?」

「それより町の状況はどうなってる?」

 康峰は訊いた。

「それならもう大丈夫だと思うよぉ~」

 夢猫が綺新の肩に凭れながら言う。

「避難してた人たちも天代守護てんだいしゅごに保護されたしぃー、まぁ流石に怪我した人はいっぱいいるみたいだけどぉ。いま余ってる生徒も手伝って助けに回ってるみたい」

「そうか……」

「まァ、センセーは心配すんなよ。あとはこの人殺しを牢屋にブチ込みゃ一件落着って寸法だ。俺らに任せてゆっくり寝てな」

 竜巻が煉真の方に顎をしゃくって言う。

 彼は相変わらず何も聞こえてないかのように俯いている。

「けどまた逃げられるってオチじゃねぇだろうな? 青色のボンクラどもに任せといて大丈夫かァ?」

 そこに青色がいるというのに——いやむしろ、わざと大きな声で言う。

 むっとした青色のひとりが口を開いた。怪我はしているが村雲にも負けない大男だ。

「既に天代守護がこっちに向かっている。今度は絶対に逃がさない」

「どうだかなぁ? お前らはいつもそう言うからな」

「甘く見るな。殺人バットは責任もって裁きにかける。会長——天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろもな」

「天代……」

 そうだ。確か彼女もここにいた。瀕死の重体だったが。

 学園長の雑喉ざこう用一よういちの言葉が正しければ今回の事件の首謀者は彼女になる。康峰は周囲を見渡したが、彼女の姿は見えない。

「あいつは?」

「彼女が死んでしまっては今度の事件の真相を暴くこともできない。一番に病院に運んでもらったよ。最も重傷だったしな。私たちも次の救急車を待っているところだ」

 紗綺が言った。

「……そうか」

 康峰は呟いてようやく肩の力を抜く。


——終わったのか。

 いろんなことが起きた夜だったが、どうやらひとまず一件落着と言えるだろう。

 尤も——

——殺人バットの言葉が本当なら、これからが大変かもな。

 康峰はその思いを口には出さなかった。


『俺が——この俺たちこそが《使徒》だ!』


 奴のあの言葉が正しければ鴉羽からすば学園の生徒の大勢が使徒ということになる。

 この事実が知れ渡ればその衝撃は計り知れない。そしてそんなことを知られたと使徒——つまり現在そう呼ばれている彼らが知れば、何もしないとは思えない。

——このことは秘密にすべきだ。

 少なくとも、いまは。

 康峰はそう判断した。

 紗綺や先達にも黙っておいてもらったほうがいい。


「……紅緋絽纐纈。その、さっきの話だけどな」

 康峰は紗綺に声を掛けた。

「分かっている」

 だが言葉を遮って紗綺は力強く返してきた。

 まだ何も言ってないのに、康峰の意図を察した声だ。

「私は何も言わない。何も聞いてない。先生の判断に任せる」

「——そうか」

 やはり彼女は普通じゃない。本人は頭はよくないと卑下していたが、何か本質的な知性を持っていた。本当に重要なことに対して正しくそして素早く、判断を下すことができる。

 それこそが彼女の芯の強さの秘訣のようにも思えた。

 どうやらこっちは心配なさそうだ。

 あとは病院に行った先達だが……


「無駄だぜ」


 不意に呟いた声にそこにいた全員が視線を向けた。

 俯いていた灰泥煉真が顔を上げて康峰を見ていた。

「秘密はすぐにバレる。何なら俺がここで話してやろうか?」

——しまった。

 そうだ。

 あの話を聞いていたのはもう一人いた。

 煉真は殺人鬼のなか・・でしっかり奴の話を聞いていたらしい。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る