第七幕 無明長夜(中篇) ⑤
「使徒は最初その優れた能力のお蔭で救世主だ神の使いだと有難がられた。だがしばらく経つとかえって危険な存在だと恐れられ、それが使徒戦争に繋がった。連中の能力の恐ろしさは連中自身が一番よく知ってる。そんな連中がさぁ戦争が終わって世界の玉座に座ったとして、次にやることは何だ?」
康峰には殺人バットの言わんとするところが理解できた。
そう、使徒は第二の使徒たちが現れるのを何より恐れたのだ。
自分たちと同じように偶発的に生まれた超越者が平穏を乱し、自分たちや人間を巻き込み最悪再び戦争の引き金になることを真っ先に封じようとする。それが当然の思考だろう。
だが力ずくでこれを制御するのは難しい。反発も起こる。
だから彼らは工夫を凝らした。
それが鴉羽学園と
そういえば使徒戦争が終結して十数年、新たに使徒が現れたという報道はほとんど耳に入ってこない。元々使徒の発生自体人類の理解を超えていたとはいえ、考えて見ると不自然だった。
だがその後も依然継続して発生を続け、しかし裏で隠されていたと思えば余程道理が通る。
「本当か、先生」
ふと顔を上げると、紗綺が康峰の顔を凝視していた。先達も。
こっちを見つめるふたりの目は不安に揺れているように見える。
「あいつの、殺人バットの言うことは……本当なのか?」
「それは……」
康峰だって何とも言えない。
だが、彼の言うことが限りなく反駁しにくいものであることだけは間違いない。
「真実だって言ってんだろ、お人形の会長さん」
殺人バットが口を挟んだ。
「お前らは全部騙されてんの。まだ分からねえのか?」
「そうとは限らない」
康峰は言った。
「ま~~だ言うかよ。こんだけ証拠が揃ってんのにまだ真相から目を背けるかぁ? 俺はこうなると禍鵺って存在も使徒に都合がよすぎると思ってるぜ。使徒が作ったんじゃねえか、って」
「それこそお前の憶測だ」
康峰は言下に言い放った。「仮に使徒の言葉に嘘があったとしても、全部が嘘とは限らない。使徒だって神様じゃないんだ、何でもかんでも知ってるわけじゃないだろ?」
それは殺人バットというより、紗綺や先達に向けた言葉だった。
殺人鬼がちっと舌打ちする。
「つくづく大人ってのは現実逃避が好きなんだな。それともこれ以上俺に無駄口叩かせて時間稼ぎがしてぇか? 悪いがこれ以上は付き合えねぇ。そいつを殺した後はさっき殺り損ねた
「なに、鬼頭先生? どうしてあの人まで殺す? あの人が何かしたか?」
「ぶはっ!」
殺人バットが噴き出した。
憐れむような、蔑むような目を康峰に向ける。
「笑っちまうぜ。あんた、まだ気付いてねえんだな? ……なぁおい、お前はいいのか?」
不意に男は目を先達に向けた。
先達が面食らった顔で眉を寄せる。
その先達に面白そうに殺人バットが淡々と言った。
「お前の彼女ちゃんに薬キメて人殺しの恰好させてたのはあのクソ親父だぜ。しかもさっきも盾にして殺そうとした。あの様子じゃもう死ぬんじゃねーの?」
「——何だって?」
先達が反応した。「
殺人バットはそれ以上何も言わず、にやにやと笑っている。
先達が身を乗り出した。
「どういうことだ! 荻納さんに何があった? 答えろ!」
「さーねぇ。知りたきゃ俺をぶっ殺してから行けば?」
先達の眼が泳いだ。
その目が殺人バットの向こう、恐らく病院のある方を見て揺れる。
殺人バットは相変わらずにやにやと笑ってはいるが、決して隙は見せていない。肩に担いだ金属バットから血が滴り落ちた。
「先生」
静かな声とともに紗綺が一歩踏み出した。
「ここは私に任せてほしい。先生は逃げてくれ」
「
「おいおい、悠長に作戦会議——」
殺人バットが紗綺と康峰に意識を向けたからか、その隙を掻い潜るように先達が地面を蹴った。
殺人バットの横を擦り抜けて脱兎の如く霧の向こうへ走ろうとする。
が、それを見逃すほど殺人バットは油断してはいなかった。
殺人バットとの距離は十分あったように見えたがそれでも彼にとって何も問題ではなかった。即座に地面を蹴り、瞬時に先達との距離を詰めた。
殺人バットの足が先達の背中を蹴った。
「はい、残念~~~!」
「ぐぅっ……!」
いままでの奴の動きから見ればそれほど本気の蹴りには見えなかったが、それでも先達の体は派手に瓦礫の上に崩れ落ちた。そのまま動かなくなる。
康峰は声を掛けることもできなかった。
正直先達が飛び出したときも反応が遅れた。
それだけ先達が意外に早かったからというのもあるが、普段冷静な彼がこんな無謀な動きをするとは予想しなかったからでもある。
「弱ぇえ~~……やっぱ遊んでくれるならあんたくらいじゃないとなぁ、会長さん?」
殺人バットが再びこっちに向けて歩いてきた。
瓦礫のうえの硝子や木片が踏まれて割れたり潰れたり音を立てる。そのわざとゆっくりした足取りはいまの康峰にとって死神の足音に聞こえた。
紗綺が再び康峰を庇うように前に立つ。
これだけ不利な状況でも戦うつもりだ。
唾を飲み、康峰はその背中に囁いた。
「紅緋絽纐纈、頼む。時間を稼いでくれ」
紗綺がちらりと背後の康峰を見た。
「何か考えがあるのか?」
「ああ」
康峰は掠れた声で呟いた。「……期待は薄いけどな」
「じゅうぶんだ」
紗綺は愛刀 《
「先生にすべて委ねる。失敗したって構わない。元より私は、あんな人殺しに負けるつもりはない」
「無理はするなよ」
「分かっている」
紗綺はそう言って息を吸い込んだ。
ぱきり、と殺人バットの足元で音がする。
それを合図にしたかのように紗綺は地を蹴った。
殺人バットに目にも止まらぬ速さの剣戟を繰り出す。正面から振り下ろす一撃を殺人バットは手にした金属棒で受けた。
だがそれを見越していたかのように素早く刀を構え直した紗綺が今度は横薙ぎに殺人バットの横腹を切ろうとする。しかし《冥殺力》を覚醒させた男はそれより早い動きで紗綺の脇腹を力任せに蹴った。
紗綺の体が後ろに跳ばされる。
だが紗綺は全く勢いを休めることなく、士気を失うことなく瓦礫のうえで身を翻し、再び刀を構えた。
その身のこなしや素早さは尋常な人間の、それも少女のものとは思えない。
殺人バットはそれを愉しむように笑みさえ浮かべたまま紗綺に襲い掛かった。
康峰は彼らの応酬から目を離さないようにしながら、静かに手を動かした。
白衣の襟を持ち上げ、口元をそこに近付ける。
「……聞こえるか、先達」
康峰から見て数メートル向こう、紗綺たちが戦う背後の地面に相変わらず地に伏した先達の姿がある。蹴られた衝撃でポケットに入っていたらしい無線が少し顔を覗かせていた。
康峰は胸元の無線に向かって囁き続けた。
「起きろ、先達。……起きてくれ」
紗綺の額には既に汗が光っている。掠った一撃が肩を切った。
それでもまだ先達の体が動く気配はない。
頼む——
康峰は唇を舐め、祈りを籠めて言った。
「お前が荻納を救うんだ」
少年の指が、ぴくりと震えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます