第七幕 無明長夜(中篇) ③

 


「おっと!」

 咄嗟に殺人バットが後ろに跳ぶ。

 さっきまで男のいた位置に禍鵺マガネもどきの化物が倒れ込んだ。

 先達が声を発したとはいえ、死角から攻撃されたとは思えない身の捌きだった。

 殺人バットは不敵な笑みを浮かべると、その体から赤い炎を立ち上らせる。

 そして禍鵺もどきの顔面に、力任せに金属バットを叩きこむ。

 間髪入れず再びバットを振り上げ、その頭を滅多打ちにする。一撃で弾けとんだ仮面に目もくれず、まるで狂ったようにその頭部に追撃を繰り返した。

 やがて禍鵺もどきはぴくりとも動かなくなった。


「危ねぇ危ねぇ~、まだ一匹残ってやがったか。《冥殺力めいさつりき》を発動させる前でよかったぜ。流石の俺も《冥浄力めいじょうりき》と《冥殺力》はすぐに入れ替えられねぇからな。……お前ら、残念だったな?」

 殺人鬼が血塗れの金属バットを担ぎ直して笑った。

 紗綺も先達も黙り込んでいる。

「《冥殺力》と、《冥浄力》か……」

 康峰は思わず呟いていた。

 分かっていたこと——話には聞いて想定はしていたが、こうして目の当たりにするとそれがいかに脅威であるか分かる。

 人間に対し特効戦力を発揮する《冥殺力》。

 禍鵺に対し特効戦力を発揮する《冥浄力》。

 使徒がその両方を同じ人間に与えなかったのも頷ける。もしこんな危険な奴がその両方を手にするようになったらどんなことになるか——想像するだけで恐ろしかっただろう。それは使徒にとっても人間にとっても脅威に他ならない。

 そして——

 その脅威と康峰たちはいままさに対峙しているのだ。


「……何でだ?」

 康峰は声を発した。

 殺人バットの目がこっちを捉える。

 紗綺と先達も訝しげな目を向けてきた。

 康峰は乾いた唇を舐めて言葉を続ける。

「どうしてお前が《冥浄力》と《冥殺力》の両方を使えるんだ、殺人バット? そんなこと使徒が許可するはずもないだろう?」


 いま奴と戦闘してまともに勝てる見込みは十に一つもない。

 となると少しでも会話を引き延ばし、突破口を探すしかない。

 はたしてこれで殺人鬼の注意を惹けるか不安はあったが——殺人バットは意外にもあっさり、康峰の言葉に反応した。

「そうだな。このまま簡単に殺したんじゃつまんねぇ。教えてやるよ」

 殺人バットは金属バットを肩に担ぎ直した。

「初めは俺もワケ分かんねーと思ってた。なんで俺がこんなスペシャルな力が使えんのか? 夜霧よぎり七星ななほしみたいに死にかけたってワケでもねーし」

「夜霧七星?」

 何の話だ。

 康峰の困惑した表情に殺人バットは額を抑えた。

「あーやっべ、そこから知らないんだっけ? めんどくせえ」

「どういうことだ。自殺した夜霧七星は《冥浄力》しか使えないんじゃなかったのか?」

「それは違います」

 指摘は意外なところから聞こえてきた。

 先達が眉を寄せ言い辛そうな声で言う。

「彼女は、夜霧さんは《冥殺力》も使えた。そしてそのことを偶然、灰泥は知った。他に知ってるのはきっと荻納おぎのうさんくらいです……」

「——本当か?」

 康峰は言った。

 紗綺は黙って唇を噛み締めている。

 どうして先達がそんなことを知ってるのか——

 いや、いまはそれより。

「どうやってそんなことが……?」

「それは……詳しくは知りません。けど、どうやら命の危険がその引き金になったことは間違いないみたいです。夜霧さんは死にそうになって咄嗟に攻撃したら《冥殺力》が使えるようになった——みたいです」

「そーゆーコト。でも俺は俺として目覚めた瞬間から《冥殺力》も《冥浄力》も使えた。レンは相変わらず使えねーのにな。これはおかしくねぇか? 俺とイジメられっ子ちゃんの共通点は何だ? そう考えてるうちにあることに気付いた。ピンと来ちまったんだ。やっぱ俺天才だわ」

 何だ。

 それは一体何だ?

 殺人バットは気味の悪い笑みを浮かべる。

「いいか、根本的なことを間違えてんだよ、お前らはな。俺だけがそれに気付いた。どいつもこいつも肝心なことを見落としてやがる。そんなんじゃ一生考えたって気付かねえ」

「どういう意味だ?」

「センセー、あんたはココがいいだろ。それでも気付かないか?」

 殺人バットは指先で自分の頭を突きながら言った。

「おかしいとは思わねえのか? いくら使徒が人間を超えた種だからって、チョイチョイと儀式を行うだけで《冥殺力》にしろ《冥浄力》にしろ人並外れた能力を使えるようになるなんて?」

「そんなことは——」


 考えたこともない。

 そう言っては嘘になる。

 むしろ幾度となく考えたことだ。

 だが使徒という超越種の存在のうえに、自分たちの付け焼刃の知識や常識など通用しないのだろうという結論に落ち着く。

 それは考えても仕方のないことなのだ。


 殺人バットが康峰の思考を読んだように鼻で笑った。

「やっぱ駄目だな、大人は。頭がカチンコチンだ。先入観に囚われ過ぎてんだよ」

「勿体ぶるな、殺人バット。お前は何が言いたいんだ?」

 先達も紗綺も黙って殺人鬼を見ている。殺人バットの言葉を待つように。

「だから最初から言ってんだろ? 《順番》が大事だって」

「順番……?」

 はっとした。

——まさか。

 そんな康峰の様子を可笑しそうに見ながら、殺人バットがその答えを告げた。

「使徒は俺たちに《冥浄力》も《冥殺力》も与えてねぇ。奴らは最初っから俺たちに何の力も与えてねぇんだ」

「それは——」

「ああ」

 殺人バットが言う。


「奪ったんだ。俺たちが元々・・持っていた力をな」


 

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