第七幕 無明長夜(中篇) ②

 


「何だと?」

 康峰は問い返す。

 殺人バットはにやにやと笑っている。

 血に濡れた表情はいっそう不気味で悍ましかった。

「あいつ——レンが自分で『もういい』ってよ。こっからはこの体は俺のモンだ。もうこの前みたいにあいつが出てくるのには期待しないほうがいいぜ」

——どういう意味だ。

 そう訊くより早く、殺人バットは踏み出した。男の足元で瓦礫が悲鳴を上げる。

「ま、あんたはそこで黙って見物してな。俺はまず——そこで寝てるクソ女をぶっ殺さなきゃならねー」

 殺人バットはそう言いながら先達らのほうへ足を進める。

「クソ女……?」

「さっきは手が滑って殺り損なっちまったけど、次は脳天をカチ割ってやる」

 先達の足元に寝かされた人物にようやく気付いたのはそのときだ。

 あれは——

——天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろ

 全く気付かなかった。だがそこで顔面からどくどくと血を流して気を失い、痙攣しているのは間違いなくあの少女だ。康峰がここまで追ってきた、この騒動の元凶と目されるその人物だ。

 気付かなかったのは殺人バットのインパクトもさることながら、彼女がそんな大怪我をして地面に伏していたからに他ならない。まさかこんな形で遭遇するとは思わなかったが——


「待て」

 殺人バットの前に立ちはだかったのは紗綺だった。

 殺人鬼の足が止まる。

「何だよ、美人の会長さん。まさか邪魔する感じ?」

「こいつを殺させるわけにはいかない」

「よせって、いい子ちゃんづらは。お前らも正直見たいだろ? そいつのぶっ殺されるところ。あっ! それとも一撃で殺しちゃ勿体ないってコトか? そんなら心配すんなよ、ちゃんと甚振って殺してやる」

「そうじゃない。……いや、ある意味で——その通りだ」

「か、会長……?」

 紗綺の後ろで先達が思わず声を上げる。

 康峰もまだ状況が整理できず様子を見ていた。

 紗綺は舞鳳鷺に鉄刀の切っ先を向けて言う。

「私はさっきこいつと話した。多分こいつの話には嘘がある。私はこいつがこの禍鵺マガネ襲撃の糸を引いた可能性が高いと思っている」

 それはまさに康峰が突き止めた通りだった。

 とはいえ、康峰も学園長の雑喉ざこうからそう聞かされただけだ。何か証拠を持っているわけではない。

 いずれにせよ、彼女をここで殺されては真相は永久に闇の底だ。

「もしそうなら——必ず公の場で裁きにかけなければならない。ここで私刑に処すなんて私が認めない。こいつにはちゃんと責任を取らせるべきだ」

「……っはぁ~~、分かってねぇな、このイイトコ生まれの会長さんは。そんなうまくコトが運ぶわけねーっての。絶対そいつは罪を逃れるぜ。世の中そういうもんだ」

「そうはさせない。私が誓う。それに」

 ぎゅっと口を結んだ紗綺は鉄刀を握り直した。

 その切っ先を今度は対面する殺人鬼に向ける。

「お前をこれ以上野放しにするわけにいかない。殺人バット。お前にも、裁きを受けてもらう」

「へぇ?」

 殺人バットは値踏みするような目を紗綺にじろじろ向ける。

「出来ると思ってんのか? 正直俺はあんたを気に入ってる。後ろのそいつも、そこのセンセーも、殺す《順番》に入れてねーけど……邪魔すんなら殺すぜ」

「順番だと?」

「ああ。俺は順番を守れねえ奴が大嫌いなんだ」

 殺人鬼はよく分からないことを言いながらバットを構えた。


 傍らで話を聞きながら。

 康峰は状況を整理する。

 周囲はまだ深い霧に包まれている。更に禍鵺の死体がそこら中に転がり、鵺火を上げていた。さっき見た禍鵺もどきに似た死体もある。だがいま重要なのは死んだ者じゃない。いま実際に生きている、この殺人バットだ。

 彼がどういう経緯でこの場にいるのか、煉真がどうしてまた殺人バットに肉体を乗っ取られたのか分からない。

 この状況で間違いなくはっきりしていることは——

——限りなく、絶望的。

 ここにいるのは紗綺、先達、康峰の三人だけ。

 一番戦力として期待できる紗綺は《冥浄力めいじょうりき》しか使えない。《冥殺力めいさつりき》を使える殺人バット相手にあまりに分が悪い。先達は鉄刀を持っているが戦力として正直あまり期待できない。康峰自身については言う間でもない。情けないことだが、はっきり言って先達と康峰ふたりがかりでも紗綺の片腕ほどの役にも立たないだろう。

 いま殺人バットと戦って勝てる見込みはほぼ皆無だ。

 何としても奴との戦闘は回避しなければならない。


「俺のことを誰彼構わずぶち殺すイカれた殺人鬼と勘違いしてるかもしれねえから教えといてやるがな、俺はちゃぁ~~んと死ぬべき奴から順番に殺してきたんだ」

 康峰の思考をよそに、殺人鬼は滔々と語り続ける。

「俺とレンが初めて入れ替わったのは数か月前だがな、俺の意識はそのずっと前から目覚めてた。レンのなかで俺はあいつと同じものを見てた。誰がクソで、誰から殺すべきかしっかり見極めてたんだ」

 殺人鬼は自分の眼を指さしながら言った。

 血塗れの顔には薄気味悪い笑みを浮かべたまま。

「最初は弱い者いじめをするクソどもからだ。何だっけ、こないだあんたらと一緒に猫工場にいた……名前は忘れちまったが、あいつもそのひとりだったからな」

漆九条うるしくじょう先輩か?」

「そう、そんな名前だった! その前に殺して行ったのも夜霧よぎり七星ななほしって女をイジメてたクソどもだ。けど悪の元凶はあいつらじゃねえ」

 殺人鬼はボロ雑巾のように転がっている舞鳳鷺まほろにバットの先端を向けた。

「そいつこそこのガッコーの病原菌だ。こいつの所為でガッコー中に腐った臭いがプンプンしやがる。正直真っ先に殺したかったが、流石にガードが堅かったからな。ようやく殺せるチャンスが来て清々するぜ」


「……猫工場で紅緋絽纐纈べにひろこうけつや俺を殺さなかったのもお前の言う《順番》になかったから、ってことか?」

 康峰は静かに口を挟んだ。

 殺人鬼の目がこっちを向く。

「そーゆーこと。これで俺が無差別なイカれた殺人鬼じゃねえって分かったか?」

 康峰は答えなかった。

 こいつがこいつなりに法則性を持って凶行に及んでいたのは分かった。確かに噂で囁かれているような無差別な殺人鬼ではないかもしれない。

 だが順番がどうとか、わけの分からない理屈で人の命を奪っている人殺しには違いない。

「つーわけで——」

 殺人バットが再び舞鳳鷺に向けて踏み出そうとする。

 紗綺が再び身構えた。

——駄目だ。

 戦っては駄目だ。必ず負ける。

 康峰が何か言って牽制しようとしたそのとき、

「あっ!」

 沙垣先達が声を発した。

 その目は殺人鬼の背後、霧のほうを見ている。

 不意にその霧の奥から、不気味な影が殺人バットに襲い掛かった。

 そいつも倒れている禍鵺もどき同様、気味の悪い装飾の施された仮面を被っている。尤もその仮面も体もぼろぼろで動けるのが不思議なくらいだ。

 化物の口から獰猛な声が漏れた。


「邱ДЖ9$Я——」


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る