第七幕 無明長夜(中篇) ①
——霧が深くなってきたな。
町に入るまでは後ろの康峰を振り落とさんばかりの勢いだったが、流石に彼女もここまで来ると
予想通り——
寝込みを襲われた島民は逃げ惑うほかない。その背を化物が追撃した。
だが、どうやら
ともかく町中はかつて見たことのない混沌の渦中にある。
こんな状況で
そしてこの騒動を収拾することができるのか——
見当もつかない。
「待て早颪!」
不意に康峰は怒鳴った。「止まれ!」
「ぁあっ⁉」
「誰かいる」
康峰はそう言って指を指す。道端の瓦礫に誰かが倒れているのを見て夢猫もブレーキを踏んだ。
ふたりはバイクを降り、そいつに近付いて行った。
「おい……何だありゃ? マガネか?」
夢猫が不審げに言う。
無理もない。近づくにつれ、それがまともな人間じゃないことは分かった。どころか禍鵺の姿かたちに近い。しかし、普通の禍鵺とも何か違う。
突然起き上がり襲ってこないか警戒したが、どうやらすっかり息絶えているらしい。ぴくりとも動く気配はない。
康峰は傍らでその禍鵺もどきに触れて確認した。
顔半分には禍鵺特有の白い仮面。だがもう半分は妙に装飾を施された仮面を付けている。どちらも罅割れ、血で汚れていた。背格好はあまり人間と変わらないが肩や腕の隆起、刃のように尖った腕を見るにやはり人間では有り得ない。
——どうしてこんな化物が……
周囲は相変わらず気味の悪い霧が立ち込めている。
だがうっすらと他にも瓦礫の地面を転がる死体が見えてきた。
どうやら化物の死体はひとつやふたつではないらしい。それを見て夢猫でさえ言葉を失ったように唾を飲んだ。康峰ももしこの場にひとりきりなら恐怖と困惑で眩暈がしそうだった。
まるで冥界に足を踏み入れてしまったような感覚。
幽明境に迷い込んでしまったような現実感の無さ。
本当にこの先に進んでいいものか——
「おい、そろそろ行こうぜ、センセー」
夢猫が辺りを警戒しながら言った。
「ああ……」
そう言って康峰は立ち上がろうとして、ふと別のものを見つけた。
正体不明の死骸の傍らに、それは返り血を浴びて落ちていた。闇のなかでもわずかな光を反射している。髪飾りのようだ。やけに場違いに華麗で高価そうなそれに康峰は手を伸ばした。
「何だよ、センセー。火事場ドロボーか?」
「そんなんじゃない。これは……見覚えがある」
「見覚え?」
「確か——天代弥栄美恵神楽舞鳳鷺が身に着けてたやつだ」
「はァ? あのオホホ女が? なんでそんなもんがここに?」
確かではないが——
もしかしたら彼女はこの近辺にいるのかもしれない。
不気味な禍鵺もどきの死骸があることも無関係とは思い難かった。
康峰は少し考えたのち、顔を上げて夢猫を見た。
「ここからは俺ひとりで行く。早颪はさっき見た連中と一緒に隠れていてくれ」
「何ィ?」
先ほどバイクで走っているとき、広場に何人かが走っていくのを見た。恐らくそこを避難場所としているのだろう。鴉羽学園の生徒も集まっているに違いない。
「これ以上バイクで走り回ってりゃ禍鵺に見つかる可能性は高い。ここまで来たら足であの青色の会長を探してみる」
「マガネに出くわしたらどうすんだ? 一瞬で殺されんぞ」
「それはお前が一緒にいてもたいして変わらないだろう?」
「そりゃぁ……そうだけどよぉ~」
「心配するな。俺は身を隠すのがうまいんだ」
何よりこれ以上生徒を危険に巻き込むわけにいかない。
しかし夢猫は納得いかない様子で頭を掻く。
「ンなこと言ってセンセーをひとりで放り出したってバレりゃ、あたしが
「頼むよ、早颪」
康峰は早颪の肩に手を置いて言った。
しばらく少女が康峰の目を見返す。
やがて眉を寄せて踵を返した。
「しょーがねぇな。分かったよ。——けどくたばんなよ、センセー。次はもっと楽しいドライブに連れてってやるからな!」
「あ、ああ……」
本当に昼間と別人だな——と思いつつ康峰は夢猫が走り去っていく背中を見送った。やがて夢猫の背中は霧に隠され、康峰はひとり残された。
さて——
行くか。
霧の深いほうへ踏み出す。
辺りは不自然なまでに静かだ。深夜だから当然と言えば当然だが、さっきまで禍鵺から逃げ惑う人々の悲鳴や怒声が響いていたのを思うとぞっとする不気味さがある。まるですべてが死に絶えたような、そんな悍ましい妄想さえ引き立てる。
霧のなかを歩いた。
恐らくここは噴水広場の辺りだろう。
おぼろげに鵺火の黄色い炎が辺りを照らし出す。
霧を抜けた先に立つ誰かが見えた。
その顔が見えてくる。
「先生……?」
彼だけじゃない。
その少し向こうに緋色の長髪を靡かせた少女も立っている。
赤色生徒会会長・
——どうしてふたりがここに?
そう声を掛けようとして、喉が締められたように言葉を失った。
紗綺より前方、瓦解した噴水広場の中央に更に立つ誰かがいる。
「よお! また会えたなぁ、おっさん?」
男はそう言った。
血塗れの顔に、額から頬に掛けて走る切り傷。
肩に乗せた金属バットは鮮血を呑んで不気味に光っている。
いや、その顔は。表情は。違う。
「……殺人バット、か?」
「正解!」
男が指を鳴らして言った。
「悪いな、センセー。『灰泥煉真』は
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