第六幕 無明長夜(前篇) ⑤

 


「……ああああああああああぁっ!」


 舞鳳鷺まほろが悲鳴とともに顔を抑えて蹲る。

 一閃した《聖者》——《兵極ひょうごく廻理めぐり》の腕の爪が深々とその肉を抉り取っていた。宙を舞った鮮血が地面の瓦礫を濡らした。

「私の! 私の顔があああぁぁぁぁっ!」

 《兵極廻理》はゆらりと起き上がる。

 舞鳳鷺の差し出された頭に二撃目が振り下ろされようとした。

「止せっ!」

 だが間一髪で飛び出した紗綺が彼女に体当たりをする。《聖者》の体もろとも地面を転がった。

 だがすぐに起き上がった《聖者》は悍ましい獣のような叫び声をあげた。


「Яユw9繝%*#@……! Яユw9繝%*#@……!」


 それは最早人間だった頃の面影を微塵も残さない。

 ただただ化物の叫喚として先達らの恐怖を煽った。

 その声に共鳴するように立ち尽くし、壊れた人形のように動いていた《聖者》たちがこっちを向く。

 標的を失った化物は、新たな《標的》を見つけたようにこっちを向いた。

 そして舞鳳鷺や紗綺、先達に向かって駆け出した。

——まずい!

 こいつらはもう制御が利かない。

 理屈は分からない。だがそれでもその《殺気》としか言いようのない気配は、轟々と先達の本能の警鐘を鳴らしていた。

「会長! 逃げなきゃ……」

 先達は起き上がった紗綺に向けて怒鳴った。

 紗綺も《聖者》の様子が一変したことを悟ったのだろう。

「沙垣先達! 早く逃げるんだ!」

 それでも紗綺は刀を構えて《聖者》に向き合った。

 先達は刀を構えたまま紗綺と化物の間に視線を行き来させる。

「で、でも……」

「ここは私が食い止める! お前は逃げるんだ!」

「ぐ、うぐううううぅっ……!」

 そのとき舞鳳鷺が声を震わせながら奇妙な動きを見せた。

 鮮血が溢れ続ける顔面を抑えたまま、這い回るように屈んだ姿勢で右へ左へ駆ける。数歩走っては瓦礫に躓き、また方向転換しては転びそうになるのを何とか別方向へ舵を切る。

 殺虫剤をかけられた虫のように闇雲に足を縺れさせたあと、彼女は霧の濃いほうへと走って行った。

「待てっ!」

 紗綺が叫んだときには既に舞鳳鷺の姿は霧に呑まれていた。

 それを見ていた化物たちが舞鳳鷺を追う。

 逃げる者を見た本能か、或いは彼女への私的な感情が残っていたのか。彼女を標的に定めたようだ。

「くそっ——」

 紗綺も刀を握り締め、その後を追った。

 《聖者》に続いて紅霧に突っ込もうとしたそのとき——

 不意に、何かが霧のなかから吹き飛ばされてきた。

 それは紗綺の脇を抜け、激しい勢いで一直線に宙を舞う。

「……えっ?」

——こっちに来る⁉

 避ける暇もなく先達はそれを正面から受けて後ろに倒れた。

 辛うじて受け身を取り、頭から地面にぶつかるのを避けた。

「……っ⁉」

 自分にのしかかって来たものを見て先達は驚愕した。

 それはいま霧に飛び込んで行った舞鳳鷺そのものだった。

 舞鳳鷺は顔面を無残に血みどろにし、更にいま腹部を力任せに蹴られたらしく痙攣していた。

 甲高い口笛の音が聞こえてきた。

 調子っぱずれの旋律が霧の奥から響く。

 弾かれたように紗綺と先達はそっちを向いた。

 赤い霧のなかを、ゆらり、と深紅の炎が立ち上る。

 さっき舞鳳鷺を力任せに殴ったように、金属バットが今度は赤い炎とともに《聖者》たちを殴りながら近づいてきていた。そっちに狙いを定めた《聖者》たちは《冥浄力》の前に容赦なく粉砕されていった。既に手負いとはいえ、造作もなく禍鵺もどきの化物が壊されていく。

 やがて霧のなかから血塗れのバットを肩に担いだ男が姿を現した。


「見ぃ~~~つけた」


 男は聞き覚えのある声で、しかし聞いたことのない口調で愉しそうに笑った。

「灰泥……?」

 いや。

——殺人バット。

 顔中返り血でまるで赤い仮面を付けたようなそいつが、今度は青い炎を噴き上げた。

 殺人鬼が頬を釣り上げる。


「俺も混ぜてくれよ。折角の《祭り》だろ?」



 

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