第六幕 無明長夜(前篇) ④
少女のような背丈の仮面を付けた《聖者》。
そのシルエットにかつて学園で見た白衣の少女が重なる。
眼鏡を掛け、先達には理解できないような難解な言葉を使い、常に飄々として
あれは——あの
——
先達は先ほどまで感じていた違和感の正体に気付いて慄然とした。
「禍鵺は死ねば火柱と化す。お前も知る
紗綺が淡々と言った。
感情を殺した声で舞鳳鷺に迫る。
手には愛刀 《
「ご名答」
舞鳳鷺は呆気なく、悪びれることもなく答えた。
「仰る通り、彼らは元人間——我々の同胞です」
『何といっても最大の課題は研究材料の不足なんだよ。奴らの生体は捕獲が難しい。死体は燃えカスとなって用をなさない。人間の体で代用するには自ずと限界がある。これでは到底僕の進めているプロジェクトは完璧と言えない』
『冗談はやめてくれよ。奴らが機能停止すれば燃えカスとなるのを知らないきみではないだろう? 何としても生きた禍鵺を集めたいんだ。私利私欲ではない、人間への犠牲を最小限に抑えるためだ』
かつて先達も耳にした兵極廻理の言葉。
それが次々に脳裏で蘇り、結びつく。
人間の体で代用する。人間への犠牲を最小限に抑える……あれは、そういう意味だったのか!
廻理の言う《プロジェクト》とはこのことだったんだ。
先達はごくりと喉を鳴らした。
かつて、禍鵺にも誰にも感じたことのない恐怖を舞鳳鷺に感じた。
この《プロジェクト》を発案したのが舞鳳鷺か廻理か知らない。だが少なくともこの場で嬉々として指揮を取っているのは舞鳳鷺だ。
元々何を考えているか分からない、得体の知れない相手とは思っていたが——その正体は禍鵺などより余程禍々しい存在としていま先達の目に映っていた。
「自分が何を言っているのか分かってるのか? お前は仲間を——」
「もちろん《聖者》化する人材は厳選しましたわ」
紗綺の言葉を遮って舞鳳鷺が言った。
細く長い、異様なまでに綺麗な指を曲げながら言う。
「島に這入り込んだ犯罪者。生きていても何の役に立つことも期待できない浮浪者。或いは老い先の短い白化病の患者。あとは……不慮の事故によって鵺化が始まってしまった方もおりましたわね」
ちらりと視線が《聖者》の一体に向けられた。
だがその声は天気の話をするように淡々としている。
「何にせよ、決して未来ある罪なき学生や有用な人間を使うことはしておりません。これでご安心いただけましたかしら?」
「彼らの気持ちを考えないのか?」
「あらあら、何をおっしゃるのかしら。無論、考えてのことですわ。きっと彼らも喜んでくれているはずです! こうして《聖者》に
先達はかつて兵極廻理だったモノを見る。
青色生徒会の頭脳として舞鳳鷺と並び立ち何度も姿を見た少女が、いま目の前で禍鵺に向かって飛び掛かり、噛み付かれ、腕を捥がれながらも暴れていた。
あれが——
先達は直接彼女と口を利いたことはない。彼女に特別な感情はない。
それでも、そんな彼女の成れの果てとも言うべき姿を見ると、どうにもこころがざわついた。
「……道に外れている」
紗綺が呟いた。
舞鳳鷺が眉を顰める。
「何ですって?」
「一刻も早く彼らを止めろ、天代弥栄美恵神楽。こんなことは人間のすることじゃない。こんな戦い方は……してはならない」
舞鳳鷺は数秒黙って紗綺を見たあと、溜息を吐いた。
「惜しいこと……」
「なに?」
「私はずっと思っていましたのよ。紅緋絽纐纈紗綺。貴女はこんなところに、この鴉羽学園にいるべき存在ではない。どうしてですの? 貴女にはその資格がある。所詮成り上がり者のわたくしにはない。才能、美貌、家柄の全てを持っている。上に立つべき人間ですわ。にも拘らず貴女は自らこの学園に来た。鶴が進んで掃き溜めに落ちるような真似を……どうしてですの?」
紗綺は黙っている。
舞鳳鷺は続けた。
「貴女は《使命》という言葉をよく使いますわね。人はそれぞれ使命を持ち、その使命を全うすることこそ人の道であると」
「それが何だ?」
「私もその意見に全く同感ですわ」
「なに?」
「そうでなければ世界はたちまち秩序を失う。秩序の維持こそ上に立つ者、選ばれし者の責務——《使命》ではなくて? なのに、不思議ですわね。貴女がしていることこそその秩序を乱す、真逆の行為ですもの」
「真逆——だと?」
紗綺の声が震えた。
その瞳が微かに揺れるのを先達は見た。
「私のしていることが秩序を乱していると言いたいのか?」
「ええ」
たじろぐこともなく、舞鳳鷺が両手を空に向けて仰々しく言った。
「教えて差し上げますわ、紅緋絽纐纈紗綺。上に立つ者の責務とは秩序を守ること。そして民衆を、人間を正しい未来へ導くこと。そのためには不用で悪質な因子を取り除くことも必要です。そうして有用で良質な因子を残すこと——それを繰り返すことで人類は発展してきた」
何か言おうとした紗綺を人差し指で制して舞鳳鷺は続けた。
「きっと貴女はそれを否定したいでしょうね。けれどこれは長い人類の歴史で繰り返されてきたことですわ。そうしなければ進化も発展もない。おためごかしの人情や正義も結構ですが、それは二の次。情に流されて誰でも救う、みなを平等に扱うことなどエゴに他ならない。精々下々の間でのみ赦されるお遊戯です。上に立つ立場に生まれた以上、その人類普遍の真理を理解し、己の責務を果たさねばならない。そして……」
憐れむような、蔑むような目を紗綺に向けて言う。
まるで母親が駄々を捏ねる幼児を諭すように——
「……その使命を頂点に立つ使徒が果たさないならば。貴女のような最も頂点に近い人間が使命を履き違えるならば。誰かが代わりにこれを担うしかない。貴女ではなく、
「——違う」
しばらくの沈黙のあと。
紗綺は舞鳳鷺を睨みつつ言った。
「お前の言うことは間違っている」
「あらあら。それはどうして?」
「……どうしても、だ。小難しい表現を使っても、分かる」
紗綺の言葉は苦しげに軋んでいた。先ほどまでの鋭さもない。
「会長……」
先達は何か言おうとした。
だが何と言っていいのか分からない。
少なくとも——
先達も舞鳳鷺の言葉が正しいとは思わない。こんなことをする彼女に正義があるとは到底思えない。
だが、ある意味では——或いはこころのどこかで、彼女の言うことを認めているのも事実だった。
きっと紗綺もそうだからこそ反論に力がないのだろう。
「ふん。結局そうなりますのね。まぁ、結構ですわ。この議論はお預けとしましょう」
舞鳳鷺が《聖者》を振り仰いだ。
いつしか戦闘の狂瀾はやんでいる。
火柱となった禍鵺がそこら中に散乱していた。
そして——
「あらまぁ。これは少々残念な結果ですわね」
舞鳳鷺が地面に倒れた《兵極廻理》の傍に屈んで言った。
聖者の群れもほとんどが壊れて——死んでいる。彼らは火柱とならない。ただ物言わぬ骸としてその場に横たわり、伏していた。
廻理だったモノの仮面は無残に粉砕され、全身血を流している。
残された数体の聖者も壊れた人形のように歪な動きをしていた。
ふぅ——と舞鳳鷺が溜息を吐く。
《兵極廻理》の頬に指を添えた。
「この程度で壊れてしまうようではまだ実戦に投入できませんね。まぁ、使い捨てでも無いよりマシ、というところでしょうか。改良の余地ありですわ。やはり天才兵極廻理の頭脳を失ったのは痛手でしたわ。……もう少し生かしておくべきだったかしら?」
「なに?」
舞鳳鷺が最後に呟いた言葉に、紗綺が言った。
「いま、何と言った?」
「あら、何か聞こえました? ほほ、気になさらず」
舞鳳鷺は振り返って流し目で紗綺を見た。
「どういう意味だ天代弥栄美恵神楽。まるで——」
紗綺が舌鋒鋭く舞鳳鷺に迫ろうとする。
そのとき、恐らく先達だけが見た。
睨み合う舞鳳鷺と紗綺の傍ら。
既に機能停止した《兵極廻理》の成れの果てが。
その粉砕された仮面の奥で、眼窩がきらりと光るのを。
「会長っ!」
咄嗟に先達は叫んだ。
その言葉がどっちに向けたものか。或いは何を警告しようとしたものか。それは先達自身にも分からない。
ふたりの目が同時にこちらに向けられた。
《兵極廻理》の顎が外れたように大きく開き、悲痛な叫び声がその場に響いた。
「Яユw9繝%*@/蜍#——!」
はっとして舞鳳鷺がそっちを見る。
次の瞬間、《聖者》の腕が宙を薙いだ。
鋭い爪が舞鳳鷺の顔の肉を、顎から額に掛けて容赦なく裂いた。
夥しい鮮血が宙を舞った。
「……ユЯサ繝nイ……」
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