第六幕 無明長夜(前篇) ③
「……何をしていた?」
舞鳳鷺の陶然たる眼差しが紗綺のほうに向けられる。
人を小馬鹿にしたような笑みは浮かべたままだ。
「お前の
「それは失礼。何せドブネズミの始末に手間取っていたものでして」
舞鳳鷺が答える。
「ドブネズミ?」
「つい一時間ほど前にこの島でも最下層の連中が私たちの住む天代守護府を襲いましてね。ご存知でしょうか?
火滾真近——知っている。
先達は直接関わったことはないが、彼の在学中に見たことはある。かなり腕の立つ《
だが先達の見聞きする限りそんな悪人には見えなかった。
その彼がこの事件の首謀者——?
「本当か?」
紗綺が信じがたいというふうに目を見開いた。
「彼らはなぜお前を?」
「ほほほ、上に立つ者というのはいつだってあらぬ恨みを買うものですからね」
「彼らをどうしたんだ」
「もちろん
舞鳳鷺は芝居がかった動作で両手を広げて言った。「分別を弁えぬ者に相応の立場を教えて差し上げる。それが上に立つ者の責務ですから」
「……殺した、ということか?」
紗綺は低い声で訊いた。
舞鳳鷺は薄笑いを浮かべていた。自分の頬に指を添える。
「まぁ——死んでしまったとしても、やむを得なきことでしょうねぇ。降りかかる火の粉は払わねばなりませんもの」
紗綺は何か考えるように少し俯いたあと、頭を振った。
「腑に落ちない。火滾先輩とは多少の面識がある。そこまで無謀な男とは思わない。彼が勝ち目のない勝負を仕掛けるか? 《
「さぁ、ドブネズミの考えまでは分かりかねますわ」
ふたりの会話を傍で聞きながら。
先達は妙な違和感を感じていた。
——何だ?
この妙な違和感は?
それは舞鳳鷺の口ぶり、態度にある気がする。
これだけ禍鵺が街中を暴れまわっているというのに、或いは制圧済みとはいえ敵襲を受けた後だというのに、舞鳳鷺には一切動揺している気配がない。それどころかこの状況を楽しんでいるかのようだ。
まるで自分の描いた計画通り駒が進むのを見るように——
その違和感に紗綺も気付いているのかもしれない。
彼女は険しい視線を舞鳳鷺に向け続けている。
だが——
仮に彼女がこの状況を作ったとして、その目的が分からなかった。方法もさることながら、理由が思い当たらない。少なくとも先達には。
「さて」
ぱん、と舞鳳鷺が両手を合わせた。
「いつまでもにらめっこをしていても仕様がありませんわよ、紅緋絽纐纈さん。いま重要なのは——彼らの出来具合ですわ。どうかしら? わたくしの渾身の作品の出来は、ご覧になって?」
「そうだ!」
背後ではいまも禍鵺の群れが交戦を続けている。
紗綺はそれに《
「あれは何だ? なぜ禍鵺同士が戦っている? ……いや、お前はいま何と言った? 渾身の作品だと?」
「あらあらまあまあ、質問の多いことですわね。ふふふ」
舞鳳鷺は口元に手を当てて笑った。
「質問に応えろ、天代弥栄美恵神楽!」
「そう焦らなくても答えて差し上げますわ。しかしまずは彼らを呼ぼうにも名前がないと不便ですわね。そうですね……この子たちの名は——《
「聖者?」
「ええ。使徒に次ぐ位置で、人間を導く希望となる存在ですわ」
聖者——
先達は再び彼らのほうを振り仰いだ。
彼らの風体の異様さは主にその仮面にある。普通の禍鵺は白い仮面を被っている。それは死者の顔に掛ける布、打ち覆いを連想させる。だが舞鳳鷺が《聖者》と呼んだ彼らは、半分は欠けた白い仮面と、もう半分は鳥の羽根や煌びやかな宝石を散りばめたような装飾的な仮面を被っている。
ちょうどそれはテレビとかで見た、西洋の
そんなものを禍鵺もどきの連中が被っているのがまず異様だ。
更に、それが半分欠けた仮面と一緒になっている所為で異様さを増す。
恐らくあれは本来あった白い仮面が欠けた分を補おうとして後から被せたものだろう。
その他の風体は他の禍鵺とさして変わらないが、よく見ると腕や脚の形はかなり普通の人間に近い。黒ずんだ体にわずかに布を纏い人間の衣服らしい名残も見える。体型も比較的小柄だ。
それでも体の一部が隆起したり、刃や爪のように変形したりしているのは明らかに人間じゃない。
「如何ですか? 彼らの頼もしい戦いぶり! これこそわたくしの欲しかったものですわ。ああ、この日をどれだけ待ち侘びたことか!」
誇らしげに舞鳳鷺が謳った。
戦況はしばらく見ている限り、《聖者》が敵を僅かに圧倒していた。《聖者》のなかにも犠牲を出しながらも、確実に禍鵺を掃討しつつある。
当惑した目のままに紗綺が問うた。
「あいつらは……《聖者》とは、何だ?」
「ご存知の通り我々青色生徒会は《冥殺力》という対人間用特効戦闘力を有する代わり、禍鵺に対して対抗手段を持たない。そのことが長くわたくしを含め生徒会の足枷となっておりました。こんな状態では到底生徒の先頭に立って戦うことなどできません。そこで——彼らを作り出したのです」
恭しい動作で手のひらを《聖者》に差し向けながら、舞鳳鷺が言った。
「見ての通り、彼らは禍鵺に勝る戦闘力。そしてわたくしの指示に従います」
「作っただと……?」
いとも簡単そうに言う。
一体どうやって——と紗綺や先達が思うのを見越したように、舞鳳鷺が言葉を継いだ。
「ほほ、いい反応ですわね。無論わたくしひとりでこのような偉業はなしえませんでした。と言うより正直に明かせば、ほとんど
「
「ええ」
舞鳳鷺は尚も戦い続ける《聖者》を見ながら語る。
「生前彼女が研究していたのがこのプロジェクトです。《
先達もその現象は知っている。
いや、知っているどころじゃない。自分自身が鵺化しかけたのだ。下手すれば今頃禍鵺の一匹になっていたかもしれない。
だが自分は助けられた。
代わりに——兵極廻理が救出間に合わず、禍鵺と化したのだ。
そう思うと、何だかこころがざわつかずにいられない。
「そこで兵極さんは鵺化が起きた初期の状態を維持し、人間の命令を聞くように調教することを試みた」
先達の動揺に構わず、青色生徒会の会長は講釈を続けている。
「全く、こんな発想、やはり天才ですわね。最初はあまりに突飛で不可能と思われましたが、試行錯誤を繰り返すうち、奴らは命令を聞くようになってきた。きっかけはあのように仮面を半壊させた状態では攻撃性が抑止され、命令を聞きやすくなると分かったことですわね。……あとは基本的に動物の躾けと同じ——命令を聞かなければ罰を与え、聞けば次のステップに移行する。まぁ、この子たちは骨やジャーキーを与えても喜びませんけれども。ほほ」
舞鳳鷺はふざけるように言った。
紗綺はぴくりとも表情を動かさない。
構わず舞鳳鷺は続ける。
「彼女がほとんど研究を完成させてくれておいたお蔭で、私はこうして彼らを自在に操ることができるのです。——ああ、素晴らしき同胞に感謝! ああそれと、仮面にああした装飾を施したのは私のアイディアですわ。なかなか素敵でしょう?」
——やっぱりか。
仮面舞踏会は舞鳳鷺の趣味らしい。
先達にはそれは美麗どころかかえってグロテスクにしか思えない。いま《聖者》たちは禍鵺と殺し合い、その仮面に返り血を浴びている。更に反撃を受けて仮面が罅割れ、剥がれそうになっている。
「……?」
そのとき先達はまた別の違和感に気付いた。
禍鵺に飛び掛かり、斬り付ける《聖者》たち。
その化物たちをよく見るうちに——
ぞわっ、とこころの奥が騒いだ気がした。
——何だ?
見てはいけない。
気付いてはいけない。
何か、そんなものを目の当たりにしたときのような……
一体の《聖者》は少女ほどの背丈で、仮面は既に大きな裂罅を刻んでいる。
その罅はさながら涙の筋のようだった。
「天代弥栄美恵神楽」
紗綺が低い声で言った。
「いまのお前の説明を聞いた以上、どうしても確認しておきたいことがある」
「何かしら?」
「お前が《聖者》と呼ぶ彼らは——」
「
先達ははっとした。
涙を流す仮面の《聖者》。
白衣の名残がわずかに残る黒ずんだ肌。
華奢な少女に似た背丈。
あれは。
まさか。
——兵極廻理……?
天代弥栄美恵神楽舞鳳鷺の唇がまた歪められた。
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