第六幕 無明長夜(前篇) ②
「村雲、竜巻!」
「ぉおっ!」
「ぃよっしゃあぁ!」
紗綺の声に呼応し、鍋島村雲、
村雲は額に巻いた包帯を破り取る。竜巻も腕や脚に包帯を巻いていた。先日殺人バットと戦った際の傷がまだ癒え切ってないのだろう。それでもそんなことはお構いなしと言ったふうに、ふたりの総身から《
容赦なく燃え上がるそれは、彼らの鎮まらぬ闘志が可視化したようだった。
そして彼らに続く赤い軍服の面々も、既に夜闇を払わんばかりに《冥浄力》を滾らせている。
竜巻がいち早く地面を蹴って先頭に飛び出した。
青色に襲い掛かっていた
禍鵺の巨体が傾いだ。振り返って腕を伸ばそうとするのを、素早く身を捻って追撃の蹴りを腹に叩きこむ。
「——どらあああぁァァッ!」
まさに馬に蹴られたように、2メートルを超す巨体が宙を飛んだ。
だが無防備になった竜巻に別の禍鵺が襲い掛かる。
カマキリのような鋭い切っ先を持つ腕が彼を死角から薙いだ。
が、切っ先が当たる前に太い腕がそれを掴む。
村雲が掴んだ腕を引き寄せ、拳を固める。
「ふんっ」
瞬間、木石も粉砕しそうな鉄拳が化物の仮面に叩き込まれた。
禍鵺の仮面は砕け——と言うより、顔面ごとめり込んで顔だった部分ごと破壊された。到底人間相手には向けられない剛力の鉄拳——しかも《冥浄力》に強化されたそれは、周囲の赤色や先達さえ戦慄させる一撃だった。
だが他の赤色たちも傍観しているわけではない。
主に村雲や竜巻が『下拵え』した化物に、とどめを刺しに鉄刀を振るっている。
次々に鉄刀が仮面を壊し、禍鵺たちの体から
禍鵺が死んだ際に起こる黄色い炎が、周囲を照らし出した。
先達はすっかり呆けたようにその様子を見ていることしかできなかった。
黄色い炎が広場の商店を、崩れかけた噴水を映す。
そしてまた紗綺を筆頭に、戦う彼らの姿をも映している。
それは化物が死んだということへの安心感さえいっとき忘れさせるほどの、何とも言い難い——つまりはとても綺麗な、不思議な光景だった。
「ずいぶん手間取ってたな馬更。やはり手負いには厳しかったか?」
「はァ~? 寝言言ってんじゃねェよこのウスラトンカチ。まだ寝惚け足りねぇならもう一回病院行くかァ? 俺のどこが手間取ってたッてんだ、てめぇこそ動き鈍ってたんじゃねぇのかよデカブツ!」
「馬鹿言え。まだ怪我してる奴が何を言う」
「俺だってこんなもんもう痛くも痒くもねぇよ。見ろオラァ!」
そう言いながら竜巻が自分の頭の包帯を力任せに引きちぎった。
「いてっ」という小さな声が聞こえた気がするが、知らん顔で変わらず村雲に突っかかって行く。村雲も腕を組んだまま言い返している。
彼らがこの場に到着して数分。
禍鵺はすべて物言わぬ炎と化していた。
赤色たちは口論(?)する竜巻らを尻目に青色の怪我の手当てをしていた。幸い致命傷を負った者は出なかったようだ。
その様子を見て紗綺が言う。
「ここはもう十分だ。竜巻は東側、村雲は西側へ他を率いて行ってくれ」
「いやいや待てよ会長。そうは言ってもまだ
竜巻が広場の向こうへ顎をしゃくって言った。
確かにこの広場周辺は霧が晴れているが、その向こうは未だ赤い霧の領域にある。うっすらと蠢く異形の影も見えてきた。
奴らが姿を見せるのも時間の問題だろう。
だが紗綺は首を左右に振った。
「ここは私一人で受け持つ。それより群れを逸れた禍鵺がいることが心配だ。一体でも残せば被害が出る」
「そりゃまァ、そうだけどよぉ……」
器用に足で頭を掻く竜巻に、村雲が肩を叩いた。
「会長がこう言っている。従おう」
「あーはいはい、お前はそう言うよなぁ、分かってんだよ畜生。これじゃ俺が駄々っ子か? おい、無茶はすんなよな会長! ザコの片付けが済んだらすッ飛んで戻ってくるからよ!」
竜巻はそう言うと他の赤色生徒会に声を掛け、数人を率いて霧のなかへ行く。村雲も同様にして竜巻とは逆方向へ走って行った。赤色の生徒たちも紗綺を心残りそうに見たり、声を掛けたりしながらも彼らに従う。
瞬く間にそこには紗綺だけがひとり残された。
「沙垣先達」
紗綺に声を掛けられて先達は跳び上がるほど驚いた。
「あっ、はい!」
そうだ。自分もまだここにいた。
呆気に取られていて自分の存在さえ忘れていた。
「ここは危険だ。彼らと同じように避難していてくれ」
応急処置を受けた蜂寺たちは近くの広場に向かっていた。他の島民の多くもその広場に集まっているようだ。
「えっ、いや、でも僕は……」
「どうした? 何か事情でもあるのか?」
「その……行かないといけないところがあるんです」
「危険じゃないのか?」
「——それでも」
先達はぎゅっと拳を握り締めて紗綺の目を見返した。
紗綺も黙って見返してくる。まっすぐと力強い視線で。
黄色い炎に照らされて、揺れる緋色の髪が輝いて見えた。
「分かった」
やがて紗綺は言った。
「たぶん余程重要な目的があるんだろう。それなら止めるのはやめておく」
「会長こそ、本当にひとりで戦うつもりなんですか?」
紅い霧が次第に濃さを増す。それは禍鵺が近付いてきている証拠だった。
紗綺はそれを見ながらも一切たじろぐことなく頷いた。
「これが私の《使命》だ。このために私はここに、この島にいる」
「使命……ですか」
彼女が一度言い出せば聞かない性格なのは先達もよく知っている。
一歩も引かない覚悟はその両目に灯る光を見れば分かった。
「……その、気を付けてください。僕なんかが言うのもおかしいけど」
「そんなことはない。その気持ちだけでも嬉しい」
「何度も助けられてばかりですみません。本当に」
紗綺の目が先達を見た。
先達もその目を見返す。
わずかな沈黙が流れる。
鵺火を背に、こちらを向く漆黒の影——
あの日。
自分を禍鵺から救った人物。
『本当に気付いてない?』
「……気にすることではない。沙垣先達」
だが紗綺はそれ以上何も訊いては来ず、それだけ言った。
それは既に霧の奥から禍鵺の仮面が見え始めていたからかもしれない。
のんびりおしゃべりしている時間はもう残されていなかった。この場を離れるならいましかない。
紗綺は戦闘に備えて姿勢を低くした。
「さぁ、行け。ここは私が片付ける!」
「は、はい——」
そう言って駆け出そうとしたそのとき。
先達の目は確かに捉えた。
紗綺の背後。いつの間にか深くなり出した霧。
その霧の奥からゆっくりと歩を進めてくる軍団。
遠目にも明らかに人間離れした巨体に、異様な雰囲気。
——そんな。
どうしてあいつらがあの方角から?
紗綺や自分の来た、学園のある方角から現れるんだ?
「……か、会長! あっちからも奴らが!」
先達のただならぬ悲鳴に、紗綺も素早く反応した。《
「……何故」
紗綺の唇の間から掠れた声が漏れた。
禍鵺の群れは粛々と足を進め続けている。
それは対面から向かってくる一団も同じだった。
紗綺と先達はいわば挟み撃ちされた状況になる。
——まずい。
いくら紅緋絽纐纈紗綺といえどもこんな状況でひとり戦えるわけがない。自分が加わったところでほとんど助けにもならない。むしろ彼女の足を引っ張るだけだ。
——どうする?
考えている時間なんてなかった。選択肢もない。戦う以外に——
「来るぞ!」
不意に禍鵺たちが駆け出した。
先達は鉄刀を構えて歯を食いしばる。
が——
異様に気付いたのはそのときになってだった。
禍鵺たちはこっちに向かって駆けているが、紗綺にも先達にも目もくれない。奴らは一心に先達らの背後にいる禍鵺に向けて走っている。
それだけじゃない。
そいつらの風体も明らかに他の普通の禍鵺たちとは違った。確かに黒ずんだ肉体に顔の仮面といった特徴が彼らを禍鵺と判断させたが、よく見る間でもなく異様だ。恐怖と緊張が困惑と疑問に変わるまでそのことに気付かなかった。
「邱ДЖ9$Я——」
甲高い禍鵺の叫喚が夜闇にこだまする。
その声もやはり普通の禍鵺とは違って聞こえた。
だが先達たちが疑問を解くのを待つわけもなく——
禍鵺の群れが衝突した。
言い換えるなら、禍鵺が禍鵺を襲い出した。
見たことのない風景に紗綺でさえ口を開けて呆気に取られた。
見間違いじゃない。次々に学園側から来た異様な禍鵺たちが、反対から来た禍鵺の群れを攻撃している。襲われた側も反射的に反撃をする。たちまちその場には禍鵺の腕が飛び、足が千切れる、悍ましい戦闘が展開された。
それは人間同士では見られない凄まじい戦いだった。
何せ彼らには防衛本能がない。更に腕や足が千切れたくらいでは機能を止めない。仮面を砕かれ、首が胴から離れるまでひたすら標的に殺意のままぶつかっていく。
それは最早戦いなどと呼ぶのも憚られる、殺し合いそのものだ。
互いに肉を斬り、仮面を割り、そして倒れた者から炎が広がる。
まるで地獄の亡者同士が食い潰し合っているかのような光景だ。
「素晴らしい——」
場違いなまでに軽やかな声が響いた。
先達、紗綺は振り返ってその声の主を見る。
学園側、異様な禍鵺の群れが来たその後方より。
悠々たる足取りとともにひとりの少女が姿を見せる。
青色生徒会会長、
いつも通りの豪奢で華美な衣装に、高らかな靴の音が響く。
唇を歪ませた彼女はうっとりするような目で禍鵺を見て言った。
「実に見事な出来ですわ。ねぇ、貴女もそう思いませんこと? 紅緋絽纐纈さん」
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