第五幕 犯人か悪人か狂人 ③

 


——幻覚だ。

 煉真は自分に言い聞かせた。

 さっき先達にはああ言ったが、本当はあれ以降も煉真にはこの声が聞こえていた。その声はどんなに追い払おうとしても執念深くついてくる。

 煉真に、もう一度殺人鬼となることを囁いてくる。


 確かに殺人バットになれば《冥殺力めいさつりき》をまた使えるだろう。《冥浄力めいじょうりき》も扱える。煉真がずっとほしかった能力だ。

 だが——

 そうなったとき自分は。

 もう『灰泥煉真』じゃない。

 そんな気がする。

 この幻覚に、亡霊に自分を引き渡すようなものだ。

——それだけはできねぇ。


 煉真が無視するのを構わず、《兄》は今度は鬼頭の横に立った。

 鬼頭の肩に腕を乗せる。

『このクソ野郎を殺したいんだろ? こいつはお前がもう《冥殺力》を使えないと見てナメてんだ。このナメたツラをぐちゃぐちゃにしてみようぜ、レン! ちょうどあの日俺が——いや、お前がクソ親父にやったみたいになぁ。俺たちふたりでやるんだよ!』

「黙ってろ」

 煉真が吐き捨てた言葉に、鬼頭が反応した。

「何だ、その口ぶりは? 俺に言ったのか? それとも——まだ幻覚でも見えてるんじゃないのか?」

 煉真は鼻で笑った。

 何とかして平静を取り繕い、口角を上げる。

「そこまで手の込んだことやっといて、結局何か成果はあったのかよ? 見たところてめえの体から青い炎は出ねぇみたいだけどな。結局夜霧を死なせただけでお前は何も分からなかったんじゃないのか?」

 鬼頭の眉間がぴくりと震えた。

 畳みかけるように声を荒げる。

「何だかんだ言ってお前は生徒を無駄死にさせた。人のことを偉そうに屑扱いできんのかよ、鬼頭!」

「……まだ準備が終わっていないというだけだ。いずれ俺がこの世界をひっくり返す。必ず使徒を殺せる能力——第三の波長・・・・・を見つけてな」

「なに……?」

「お前らは何も分かっていない。夜霧はこれまで使徒に思い込まされていたもの、気付かなかった真実をいくつも俺に教えてくれた。彼女の死は決して無駄ではない」

「なに勝手なことを——」

「この際だからひとつ教えておいてやる。鴉羽からすば学園の教官として、お前に最後の教育だ」

 鬼頭はあくまで平静な口調を崩さず、言った。

「《冥殺力》も《冥浄力》も存在しない。すべてまやかしだ」


 暗闇に包まれた廊下に静寂が流れる。

 外では相変わらず禍鵺マガネに追われた人々の怒号や悲鳴が聞こえていたが。

 遠く潮騒のようにそれは鼓膜を素通りしていた。

——何を言ってる。

 こいつはいまなんて言った?

 そんなわけがないじゃないか。現に俺は、俺たちは何度もこの能力を使っている。《冥浄力》を使ってきた。《冥殺力》を見てきた。

 そう言おうとした。言ったつもりだったが、煉真の唇は動かなかった。

 同じように衿狭でさえ魂を抜かれたような目で鬼頭を見ている。

 鬼頭が淡々と言葉を継ぐ。

「無論、力そのものは存在する。だが厳密にはこの違いはなく、同じ原理だ。《冥殺力》・《冥浄力》は俺たちにこれが全く別個のモノという先入観を植え付けるための使徒の方便・・に過ぎない。夜霧を使って実験するうちに俺はそれに気づいた」

「どういう……意味だ?」

「分かりやすく言ってやろう。あらゆる生物には特有の《波長》が流れている。気と言ったり、呼吸と言ったり、言い方は様々だが、動物だろうが虫ケラだろうが人間だろうがそれは変わらない。ちょうど無線のチャンネルのようなものだ。相手に合った波長でなければいくら声を張っても聞こえはしない。それは的外れな気の使い方をしても相手に響かないのと同じだ。そうすると《反動》も、正確には『相手に合わない波長で攻撃するために引き起こされる現象』——力の逆流のようなものと解釈するべきだろう。とにかく、本来不可視のこの波長を、使徒は恐らく人間より遥かにクリアに見透かし、操ることができるらしい。心を読んだり身体を強化したりできるのもその応用と見える。——そして当然、禍鵺にも禍鵺の波長がある」

「待てよ」

 煉真は口を挟んだ。

「あらゆる生物って言ったよな?」

「ああ」

「マガネは——」

「だからそれが間違い、奴らのまやかしのひとつだと言うのだ」

 鬼頭はきっぱりと断じた。

「奴らは、禍鵺は《怨霊》などではない。れっきとした生物だ。お前だって薄々気付いてはいるだろう? 正体不明の化物には違いないが、幽霊とか怨霊とかいった曖昧で全く無秩序な存在ではない」


 ある意味——それは納得のいく話だった。

 別に予想していたわけではない。そんなことは別に考えたこともない。

 禍鵺が生物か幽霊の類か——そんなことに煉真は興味なんてない。

 ただこれまで幾度も奴らと戦うなかで、相対するなかで、直感的に思っていたことではある。奴らは《怨霊》とかいうより、何かもっとこう、生物的な感じがした。そもそも怨霊なら壁を擦り抜けたり攻撃が擦り抜けたりしそうなものだ——知らないが。

 そもそもなぜ奴らは《怨霊》の類だなんて言われているのか。

——使徒がそう説明したからだ。

 だから人間はそれをそう思い込んだ。

 何か違和感を覚えても、誰も指摘せずに——

「使徒はよほど自分たちの能力の正体を明かされたくないものらしい。禍鵺を怨霊と言ったのもそのまやかしの一環と思われる。だが真実は、奴らも人間も生物であり、そして生きている限り必ず何らかの波長を持つ。《冥浄力》は使徒が禍鵺の波長を理解し、人間にその波長を無意識的に読んで攻撃できるようした——開いたチャンネルと言ったところか。《冥殺力》はその対象を人間に置き換えたものだ。……ならば」


「使徒にも必ず使徒に通用する波長があるはずだ」


 その言葉に煉真は目を見開いた。

 ようやくこの男の意図が見えてきた。

「お前……その波長を見つけて、殺そうっていうのか——使徒を?」

 それが、さっきこの男の言った《第三の波長》ということか。

 鬼頭はその言葉を否定しなかった。

「少なくともその力を解き明かすべきだ。それがこの世界をひっくり返す切り札となる。そのためにはもっと《研究》を進める必要がある。予断で行動は起こせん。それには生徒が必要だ。夜霧が死んだあとは何人か生徒を捕まえて《研究》したが、どれも思う通りの結果を見せる前に死んでしまった」

「なに?」

「とはいえ、いくら生徒がボイコットをしていてもそう何人も消息を絶っては不自然だ。これ以上は捕まえるのも難しい。不幸にもボイコットは終わろうとしているしな」

「おい——」

 こいつまさか。

 生徒たちが消息を絶っているという噂。

 この島を覆う霧に吸い込まれるように姿を消しているというあの噂は——

——それもこいつの犯行だったのか。

 鬼頭は悔しげに眉を寄せて喋り続ける。

 煉真たちに言っているというより、独り言のように。

「全く……何もかも思い通りに行かん。これでは生徒たちを戦いから解放してやれず、いつまで経っても犠牲が出るばかりだ……」

 

 こいつ——

 煉真はいままでにない恐怖にぞっとした。

 それは単純な暴力や敗北に対する恐怖とは違う。目の前の男に対して未だかつて感じたことのない異質感だった。本気で悔しそうに、腹立たしそうに言うこの男の目は乾いてどこも見ていないように見える。

 こいつは本気で気付いていない。或いは、分からなくなっているのか。

 生徒を守るために生徒を犠牲にする。その自己矛盾に——


 

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