第五幕 犯人か悪人か狂人 ②
頭の芯がかっと熱くなった。
怒りとか憎しみとか——そんな単純なものでない感情が、頭の奥で火を吹いたようだった。
だが、煉真はそれを押し殺して言った。
「罪を認めるんだな」
「罪?」
鬼頭は眉を寄せた。
「何が罪だ? 俺は常にやるべきことをやってきた。お前みたいに欲望のままに暴れ、何もかも壊し殺すだけの屑とは違う」
煉真の脳は益々熱くなった。それを知ってか知らずか、鬼頭は構わず話し続ける。まるで何かに憑かれているかのような口調だった。
「なぜ
……何を言っている?
こいつは何の話をしているんだ?
「——どういう意味だ」
「ある日、夜霧が俺を訪ねてきた。相談があるというので聞いたら、あいつはお前に脅迫されて困っていると打ち明けた。俺は当然なぜ灰泥がそんなことをするのか問い質した。あいつはなかなかはっきり話そうとしなかったが、最後には打ち明けた。数週間前に青色にいじめを受けていた際、偶然から《
煉真の喉がごくりと鳴った。
「それを目撃したお前が脅迫してきた。あいつはほとほと困り果て、とうとう俺を頼ってきた。親友の荻納衿狭は死体を隠蔽するのに迷惑を掛けた、これ以上迷惑は掛けたくないとか何とか言ってな。夜霧は自分なりに相当考えて苦肉の策として俺を選んだのだろう。俺が何度かあいつに目を掛けてやったこともあるからな」
その言葉に衿狭も反応した。
苦しげに眉根を寄せる。
「あのときの俺の驚きようは到底理解できないだろう。偶然から《冥殺力》を覚醒させただと? そんな事例は聞いたことがない。もしそんなことが可能ならすべてが引っ繰り返る。使徒が人間に力を付与していたというのが嘘という可能性も出てくる。この重大さが理解できるか?」
もちろん、煉真もその重大性は分かっている。
分かっているからこそ——彼女を脅したのだ。
自分もその力を使うために。
青色どもに復讐するために。
「だが同時に腹の底から湧き上がるような憎しみも覚えた。目の前の臆病で貧弱な小娘に。母親の形見とかいう絵本をいつも後生大事に持ち歩いているような軟弱者に。どうしてこいつなんだ? 俺ならこの力を存分に利用できる。《冥殺力》と《
鬼頭は演説でもするように大袈裟に手を振りながら吐き捨てた。
その目は血走り、目の前にいる煉真さえ見えてないようだった。
「結局、俺は説得を諦めた。あいつが自分の僥倖を有効活用しないなら、俺があいつ自身を有効活用してやるしかない。そう思って夜霧に嘘を吹き込んだ。まずは学園から夜霧が消えても自然な状況を作らねばならない。そのために——」
「——自殺って芝居を打たせたのか」
「そうだ。ほとぼりが冷めたら島外に出る便宜を図ってやると夜霧を言い包め、自殺の偽装に協力させた。どんな馬鹿でも死人を攻撃はせんからな。案の定、お前はあっさり騙されて都合のいいことに学園から出て行ってくれた」
「よく天代守護まで騙せたな」
「奴らの多くは鴉羽学園の卒業生だ。当然俺の教え子も何人もいる。卒業しても死体の横流しを手伝ったり、嘘の報告書を上げたりする奴には心当たりがあった。……そうして俺は表向き死人になったあいつを拘束し、力の研究を始めた」
「研究?」
「どうすれば《冥殺力》を覚醒させられるのか。同時に《冥殺力》と《冥浄力》は使えるのか。能力に代償はあるのか——ともかく使徒だけが知るこの能力の秘密を解き明かすために必要なことは何だってした」
そこで鬼頭はせせら笑った。
「監禁したあと、あいつはあっさり諦めたよ。自分が騙されていたと知っても怒って反撃するような根性もなかった。……まぁ——逃げ出さないよう、念のため足を折っておくくらいのことはしたがな」
衿狭が弾かれたように鬼頭に飛び掛かった。
だがその動きを予測していたように鬼頭は衿狭の腕を掴み上げた。
衿狭の喉の奥から押し殺した声が漏れる。
鬼頭は相変わらず能面のように無感情な目をして衿狭を見据えた。
「こいつが数日前俺の家に来たのは予想外だった。もちろん証拠など残していないが完璧には出来ない。何か勘づいた節があったからやむなく捕まえ、あいつと同じように拘束した。だが——ただ殺したのでは厄介だ。ちょうど殺人バット容疑でこいつは学園中の注目を集めていたしな。そこで思いついたのが逆にその噂を利用し、こいつを殺人バットに仕立て上げることだ」
突然暴れ出した殺人バットを自分が取り押さえ、殺す。
後からそれが偽物だと分かっても死人に口なしだ。どうしてそんな凶行に及んだか聞き出すことはできない。幸いその日衿狭が鬼頭を訪ねたことを知る者もない。
鬼頭はただ生徒を守るため殺人鬼を手に掛けただけ——
突飛なアイディアだが、現実にもう少しで成功していた。
——先達が邪魔に入らなければ。
「……それで現場にすぐ駆けつけられたってワケか。てめぇで解き放ったんだ、どこにいるかくらい把握してたよな」
「ああ。できれば生徒を直接襲う場面がいい。目撃証言にもなるしな。しかしその生徒がよりによってあいつだったとは……おかげで計算が狂った」
「——ナナは」
衿狭が掠れた声を発した。
「どうなったの」
そうだ。
煉真たちはまだそれを聞いていない。
拘束され、鬼頭に《研究》された夜霧七星がその後どうなったか。
もしかしたら——
衿狭の声には一縷の望みに賭けた悲痛な響きが籠もっていた。
「夜霧か。ああ、お陰でずいぶん研究ができた。感謝に堪えないよ」
鬼頭が吐き捨てるように言った。
「一か月近くもよく持ち堪えてくれた」
「……っ!」
衿狭の腕に力が込められた。
だが鬼頭は更に強い力で腕を掴み返してその手が自分まで届くのを防いだ。冷ややかな目を衿狭に向ける。
「どうしてっ……ナナ……」
衿狭の声は嗚咽に消え行った。
その表情は闇の向こうで見えない。
煉真は——
動かなかった。
動けなかった、と言った方が正確かもしれない。
「意外だな」
鬼頭が横目で煉真を見た。
「お前もこいつのように怒り狂って噛み付いてくるかと思ったが。どうした? 驚きで怒りも沸かないか? んん?」
違う。そうじゃない。
確かに怒りは沸いてくる。普段の煉真なら感情に任せて鬼頭に飛び掛かっても不思議じゃない。いまだってこの男に
こいつはずっと自分たちを騙していた。七星を利用していた。そして七星を死なせたのはこいつ自身だ。俺は的外れな後悔に時間を無駄にしてたんだ。
全部——全部、こいつが悪い。
それなのに——
何かもうひとつの感情が煉真の体を竦ませていた。
脳内でさっきから言葉が渦巻いていた。
『どうしてこいつなんだ? 俺ならこの力を存分に利用できる。《冥殺力》と《冥浄力》の秘密を解き明かし、使徒の玉座を引っ繰り返すことができる。』
『——何でこんな奴が。
こんな幼稚な絵本なんて持ち歩いている奴が……』
鬼頭の言葉と、自分がかつて七星に向けた思い。
そのふたつが脳内で渦巻き、交錯する。
これじゃまるで——
——違う。
それは断じて違う。
そう思いたいのに、何か空恐ろしい感情が煉真を引き留めて離さない。
拳を握り締めたまま煉真は固まったように動けなかった。足が震えた。
『やっちまえよ』
不意に耳元で声がした。
寒々しい口笛がまた鼓膜の内側で反響する。
消えたはずの声が、いまも脳内に鳴り響く。
金属バットを肩に担ぎ、煉真の傍らに立つそいつは言った。
『殺せよ、レン。また俺の力を貸してやろうか?』
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