第四幕 最悪の教師 ③
「……は?」
その声は
だが他の者も同じ気持ちだっただろう。呆気に取られた顔で康峰を見ている。
そんな彼らに向かって康峰は続けた。
「嘘だと思うだろうな。だがそう言い切れるか? 考えてもみろ。使徒ってのは天代守護に守られてる雲の上の存在だ。その姿を知る人はひとつまみしかいない。あんただって知らないよな? だったら俺でもおかしくない」
「何言ってんの、センセー」
雑喉が黙っているのに綺新が横から水を差してきた。
「そりゃ無理あるって。使徒って何かこう、人間離れしたエスパーみたいな奴らなんでしょ? センセー全然そんなことないじゃん」
「それは使徒が能力の行使を厳しく律しているからだ」
康峰は言下に言った。
「使徒の力は絶大だ。その能力を軽い気持ちでバンバン使うことが人間にとって脅威となることを使徒自身が誰より自覚している。使徒戦争という大きな前例があるしな。だから俺たち使徒は常に自制しなければならない——自分が使徒であることも忘れるほどに」
「いや、でも……」
綺新は困惑の声を漏らしたがすぐには反論材料が思いつかないようだった。
天代守護たちも少し動揺の様子を見せている。
雑喉は黙って康峰を見続けていた。
「じゃああたしらを騙してたってワケ、ずっと?」
「まぁそうなるな。ごめん」
「何のために?」
「ひとつは」
目は雑喉を見据えつつ綺新の問いに答えた。「
「この私も調査対象だったと?」
雑喉がようやく声を発した。
康峰は肩を竦める。
「まぁ、そうだな。これは非常にデリケートな問題だ。人間には任せられない。ましていまの堕落した天代守護には。だから俺が派遣された」
「他の目的は何だ?」
「なに?」
「ひとつは、と言っただろう。他にも目的があるのでは?」
「……いろいろさ。悪いがいまここで全部説明してる時間はない。ともかく調査はもう十分だ。で、いつまで銃口を向けてるつもりだ? 使徒に銃口を向けるなんて許されざる行為だぞ。長い物に巻かれるのが上手な雑喉学園長らしくないな」
雑喉に向かって踏み出そうとした。
天代守護が警戒するように身動ぎするが、制止の声は出てこなかった。恐らく康峰の言葉に少なからず動揺しているのだろう。雑喉の指示を待つようにその顔を伺った。
——もう一歩だ。
康峰と雑喉の間隔はかなり縮まっている。
もう一歩前へ出れば手を伸ばすと拳銃に届く位置だ。
その一歩を出しかけたとき——
雑喉が拳銃を握り直して言った。
「……証拠は?」
康峰の足がぴたりと止まる。「え、証拠?」
「ああ、そこまで言うなら証拠を見せてほしいところだね。いや、見せて戴けるでしょうか、
雑喉は気味が悪いほど慇懃な笑みを浮かべながら言った。
その間も銃口はしっかり康峰の額に照準を当てている。
綺新と天代守護が康峰に目を向ける。
康峰は乾いた唇を舐めた。
「馬鹿言うな。使徒ってのはそんな免許証に書いてあるようなもんじゃない。証拠と言われてハイどうぞと見せられるか」
「私から提案がある」
雑喉がどこか自信に溢れた声で言った。
「使徒は身体能力も人間を遥かに凌駕している。使徒戦争でも銃弾の軌道を見切ったように難なく躱したという目撃証言をいくつも聞いた。ここはひとつ、私に引き金を引かせてもらえないだろうか?」
「ま、待て待て待て!」
康峰は思わず一歩引きながら両手で制した。
「し、使徒にもいろんなタイプがいるんだ。確かに身体能力に優れた奴もいる。だが俺はそうじゃない。頭脳派なんだ。それに使徒に向けて撃つなんてご法度だろ?」
「それでは証拠にならんなぁ」
雑喉は勝ち誇ったように鼻の穴を広げた。
とどめのように更に言う。
「さっきのあんたの言葉を借りようかね。——はったりだ。使徒のはずがない」
天代守護も雑喉に便乗するように不敵な笑みを浮かべた。侮るような、蔑むような目を向けてくる。
既に康峰の言葉を信じてないのは明らかだ。
——やっぱり駄目か。
もちろん——
康峰は使徒でも何でもない。
出任せだ。方便だ。嘘っぱちだ。
とはいえもう一歩で雑喉を騙せた気がする。だがこうなってはもう仕方がない。
康峰は縋りつくような声で言った。
「なぁ頼むよ学園長。よく聞いてくれ。俺は使徒なんだ!」
「しつこいね。楽しいおしゃべりはいい加減——」
「いいやそうじゃない。よく聞いてくれ!」
「何だと言うんだね?」
「俺は使徒なんだ。あんたは使徒には逆らえない。そうだろ?」
雑喉が口を結んだ。
康峰は続ける。
「あんたは俺のお願いを聞いたわけじゃない。俺が強行突破するのを防げなかった無能ってわけでもない。ただ、使徒に逆らうことはできなかった。それならあの天代守護の娘だってあんたを咎めはしない。使徒に従っただけなんだからな」
「……しつこいぞ」
雑喉は低く声を絞り出した。
「どうしてそこまでする? 今更何ができるって言うんだ? 言っただろう、軛殯君。これは怨嗟の歴史が生み出した因果なんだ。避けられない運命なんだよ。それに、禍鵺との戦いにうら若い命を追いやってきたのは私自身だ。今更善人づらが罷り通ると思うかね」
雑喉は訴えるように言う。
拳銃を握りしめていても、その声は弱く、救いを求めるかのようだった。
康峰はしばらくその目を見返していた。
夜の港に遠く波の音が運ばれてきた。
波の音は穏やかに、こんな人間の営為など気にしないように単調に続いている。
きっと何百年もそうしてきたように——
「学園長」
やがて静かに口を開いた。
「俺は以前ある生徒に言われたことがある」
雑喉は黙って銃口を構えたまま康峰の言葉を聞いている。
「俺たち鴉羽学園の生徒は禍鵺と戦うためにここにいる。お勉強ゴッコなんざしてる暇があったら訓練でもしてるほうが千倍マシだ、お前は俺たちを平和ボケさせたいのか、それとも世界を守ってほしいのかどっちなんだってな。そのとき何も言い返せなかったが——いまならその質問に答えられる」
「…………」
「ああその通りだ。俺はお前らを平和ボケさせたいんだよってな。あいつらが戦わずに、教室で馬鹿みたいに騒ぎながらでも授業を受けててほしいんだ。例え世界が化物に侵攻されてもな。間違ってるって思うか? そうかもしれない。けどこんな世界の方が間違ってる。あいつらを命がけで戦わせるような狂った世界なんだ、俺みたいなことを言う奴がひとりくらいいてもいいだろ? 俺は多分、そのためにこの島に来たんだと思う」
雑喉の指先が震え出した。
「あんたはこれが《
雑喉は泣き出しそうなくらいに眉を寄せている。唇を噛み締めている。
銃口は相変わらず康峰を向いていたが、とても当たりそうにないほど震えていた。
康峰は言葉を重ねた。
「だからこれは俺が止める。どこかの誰かじゃない、いまここにいる俺だ。そのためには学園長、貴方の協力も必要なんだ。分かってくれ」
「分かっているのかね、自分が何を言っているのか?」
雑喉は辛うじて言った。
「彼らが戦いを放棄すればたちまちこの島は禍鵺を抑えられなくなる。この島が終われば次は本土だ。そうして溢れ出した悪魔はもう歯止めが効かない。……分かっているのかね、軛殯君? きみの思想はこの世界を破滅に導きかねないんだよ。後悔どころで済まなくなるぞ。その覚悟はあるのかね?」
「そんなものは——ない」
康峰は言った。
「でも、あのときのあんたみたいな顔はしないで済む」
『少し……疲れてきたよ』
かつて学園長室で話したとき、この男はそう言って何とも言えない表情を見せた。
それはお嬢様の言いなりになる憐れな道化でもない。生徒に銃口を向けて脅迫する卑劣漢や悪党でもない。
ただの、罪悪感や無力感に打ちひしがれる、ひとりの男の表情だった。
雑喉は黙っている。
康峰も黙ってその目を見返し続けた。
やがて——
ふぅ、と空気の抜けるような溜息が吐かれた。
「私の負けだ。そこまで言うなら——」
そのとき。
倉庫のなかから急に一台のバイクが飛び出してきた。
バイクは一直線にこっちに向かってアクセルを踏む。
「あぁっ、危ない!」
天代守護が真っ先に気付いて雑喉に飛び掛かった。
雑喉が振り仰ぐと同時に天代守護のタックルを受けて横に倒れる。その拍子に引き金が引かれた。夜の空に発砲音がこだました。
突っ込んできたバイクは康峰の目の前を掠めながら叫んだ。
「うおらあああぁぁぁぁ隙ありいぃぃ!」
そんな威勢のいい声とともに雑喉らに襲い掛かり、と思った途端大きくバランスを崩して横転した。乗っていた人物はアスファルトのうえにごろごろ転がり、放り出された格好のバイクが見事に雑喉らの乗ってきた車に突っ込んだ。
「チチ子⁉」
綺新が叫ぶ。
派手な衝突音が響く。硝子の破片が飛び散って康峰の頬を掠めた。
一瞬の出来事に康峰は呆気に取られて目を瞬かせる。
——何が起こった?
雑喉や天代守護が倒れている。その傍に早颪夢猫も倒れ、彼女の後ろではバイクが雑喉の車にめり込むようになっていて——ぽたぽたと液体が車両から漏れていた。雑喉の放った銃弾が車体を貫いたらしい。
はっとして反射的に叫んだ。
「逃げろ!」
驚いて綺新や夢猫らが顔を上げる。
ぼっ、と音を立ててバイクが燃え上がった。
「爆発するぞ!」
その数秒後——
爆発音が辺り一面を覆い尽くした。
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