第四幕 最悪の教師 ②

 


 どう見ても逃げられる状況じゃなかった。

 雑喉ざこうの傍らには天代守護の男がふたりいる。ひとりが綺新きあらに近付いてその手を後ろに回して捻り上げた。「ちょっと!」という抗議の声が上がるが無視される。

 雑喉は康峰から少し距離を置いて立ち止まる。

 康峰は黙ってその目を見返す。

 数メートル向こうは夜の大海が広がっていた。漣の音が鼓膜を撫でる。

 雑喉が口を開いた。

「どうやらおとなしくしている気はないようだね」

「当然でしょう」

「仕方ない……」

 雑喉が懐に手を入れた。

 そこから金属の塊が取り出される。

 逆光にシルエットを浮かび上がらせたそれは、どこからどう見ても——拳銃だった。

 銃口が康峰に向けられた。


「……マジ?」

 綺新が呟く。

「もちろんマジだよ」

「いや、はったりだ」

 康峰は言った。「撃つはずがない」

 雑喉が鼻で笑う。

「分からないかね? いま街は禍鵺マガネが暴れ回ってる。私は火滾かたぎりたちが首尾よくやっているか確認のために出ていたんだよ。……こんな騒動の最中に白化病の男の死体がひとつ見つかったところで、たいした騒ぎにもならない。それに私には天代守護ともパイプがある。揉み消すことなど造作もない。——それでもはったりかどうか、試してみたいかね?」


 康峰の喉がごくりと鳴った。

 雑喉の眼は冗談を言っているように見えない。

「……貴方に銃口を向けられるのは二度目ですね」

「あのときのきみは勇敢だったね。正直感動したよ。生徒を庇って銃口の前に立つなんてそうそうできるもんじゃない。そんなきみを今度こそ撃たなきゃならないなんて非常に残念だ」

 雑喉は本気で残念そうに首を振った。

 康峰は彼に訴えかけるように叫んだ。

「学園長、もう一度考え直さないか⁉ いまならまだ間に合う!」

「間に合うものか。もう賽は投げられたんだよ」

「悔しくないのか?」

「なに?」

「天代守護のトップの一人娘だか何だかしらないが、あんな小娘にいいようにこき使われて、パシリ扱いされて、首輪まで嵌められて。そんな奴の言いなりになる必要なんてないだろ? あんたが火滾たちを騙すために言った嘘は本心じゃないのか?」

「生憎、以前きみに言った通り私は生き残るためには手段を選ばない人間でね。きみとは違うんだよ」

 駄目だ。

 この説得では雑喉の気持ちを動かすことはできない。

「ちょっと、いい加減にしろよこのデブハゲ学園長!」

 綺新が堪り兼ねたように罵声を浴びせた。

 その剣幕に天代守護がぎょっとする。

 構わず綺新が罵声のフルコースを浴びせた。

「この変態! 脳無し! クソザコ! 隠しハゲ! 中年! アホ!」

「鵜躾……」

「……ザコ!」

 最後っ屁のように綺新は言った。

——もう少し語彙力がないものか。

 だが罵声のフルコースを浴びた雑喉は水を浴びた蛙のように平然としている。口元には小馬鹿にしたような笑みさえ浮かべていた。

「悪いね。その手の罵声は慣れているんだ。むしろ物足りないくらいだよ。そよ風を受けているようだったね」

「得意げに言うことじゃないぞ、学園長」

「時間が惜しい。そろそろタイムリミットと行こうか。遺言でもあるかね、軛殯君?」

 綺新が焦ったように康峰と銃口の間に視線を行き来させたが、言葉は出てこないようだった。

 ふたりの天代守護の男も警戒を解いていない。いささか緊張した表情はしていても、隙はなかった。逃げたり暴れたりしてどうにかなる状況ではない。

 ここまでか——

 康峰は一度唇を噛んで俯く。

 だが意を決して顔を上げた。

「遺言を聞いてくれるのか、学園長」

「ま、そのくらいはね」

「だったら聞いてくれ」

 雑喉は黙って康峰の言葉を待つ。

 綺新や天代守護も康峰に注目していた。

 夜の漣がしばらく響いた後、康峰は言った。

「あんたが以前学園長室で言ったこと、概ね正解だ。流石は鴉羽からすば学園学園長というだけのことはあるな」

「……何の話だ?」

「使徒の目論見だよ」


『武器を持つ者同士が反感を抱き、自分たちに敵意が向かないようにすること——これこそが使徒にとって最も都合のいい状況だ』


「あんたは使徒が青色と赤色の生徒会同士の対立を放置している原因をそう分析していただろう。あれが概ね正解だと言ったんだ。正直あのときは驚いたよ。流石だ——それを伝えておきたかった」

「ま、待て」

 雑喉が少し声を上ずらせた。

「——なぜいまそんなことを? いや、と言うより……その言い方は何だ? まるで自分が……」

「ああ」

 康峰は小さく息を吸い込むと、言った。


「俺も《使徒》のひとりだ」


 

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