急. 聖者の行進

第一幕 雨 ①

 



 雨が降っている。

 まだ昼過ぎというのに町は夜のように暗い。

 軛殯くびきもがり康峰やすみねは窓際で雨粒が窓を濡らすのをじっと見ていた。

 ここは四方闇島よもやみじまでも最も大きな総合病院だという。それでも本土にある病院に比べればずいぶん古くて貧相に見える。

 だが、重傷を負った荻納おぎのう衿狭えりさを運び込むのに、島内でここ以上の場所はなかった。


 二日前衿狭はここに運び込まれ、そのまま緊急手術が行われた。

 康峰も待合室でしばらく経過を待っていたが、沙垣さがき先達せんだつが治療室の前の椅子に座ったままほとんど微動だにしなかったのが瞼に焼き付いている。鵜躾うしつけ綺新きあら早颪さおろし夢猫むねこら衿狭と仲の良かった子たちも交代しながら様子を見守っていた。

 そうして、いまも彼らはこの待合室にいる。

 本来なら鴉羽からすば学園の生徒である彼らを帰すべきだが——康峰にはそれが出来ずにいた。尤も、いま学園は到底まともに機能できる状態ではなかったが。


 結局のところ——

 康峰にはまだ何が何だか分からない。

 灰泥はいどろ煉真れんまが本物の殺人バットなら、殺人バットに扮した衿狭は偽物ということになる。だがなぜ彼女が殺人バットの恰好をしていたのか。

 医師によると彼女は薬物を投与された形跡があったという。誰が何の目的でそんなことをしたのか。

 そもそも——衿狭は康峰たちと猫工場で別れたあと、どこへ消えたのか。

 分からないことばかりだ。

 先達は時折倒れそうな体を起こして水を飲みに行ったり用を足しに行ったりしている。彼とはほとんど口を利いていない。話しかけられない——どうにも言葉を掛けづらい、というのが正直な気持ちだ。教師としてあるまじき姿勢かもしれないが、どうしようもない。

 昨日手術を終えた医者はまだ不安そうな面持ちをしながらも首を左右には振らなかった。衿狭は一命を取り留めたのだ。それでもまだ当面意識は戻りそうにないと言う。

——とにかくいまは衿狭の回復を祈るしかないか……

 そんな思いで窓の外を見続けている。

 ふと、硝子窓に反射して誰か近づいてくるのが見えた。

 鵜躾綺新だった。彼女は康峰の後ろに来て言った。

「ねぇセンセー。あっちの方はどうなってんの?」

 あっち——というのは灰泥煉真の捜索のことだろう。

 康峰はこの二日間、主に病院にいながらも学園と連絡を取り、煉真捜索の状況も聞いていた。

 康峰は振り返る。待合室には綺新以外に夢猫もいた。いまは疲れて横になっているようだ。

 その向こうには先達が座っている。彼の目は縫い付けられたようにどこか一点を見たままだ。口は固く閉ざされ、顔は青ざめていた。

 康峰は綺新に視線を戻し、口を開いた。

「灰泥は相変わらず逃げ回ってるそうだ。何度か天代守護てんだいしゅごがそれらしい姿を見つけたが、あいつはそのたび霧を利用して身を晦ませてる」


 煉真の件もまだ謎が残っている。

 あいつがどうして殺人バットになったのか。

 あいつ——と言うか《殺人バット》は、なぜ《冥殺力めいさつりき》と《冥浄力めいじょうりき》の両方を使うことができるのか。使徒を除けば本来誰にも不可能なはずだ。

 やはり、何も分からない。

 ともかく煉真を捕まえないことには話は進まない。

 とは言えこの四方闇島の限られた領域のなかでは、彼が捕まるのも時間の問題だと康峰は思っている。天代守護は青色生徒会と連携しいまも彼の足取りを追っていた。

 赤色生徒会の紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さきもいまは煉真捜索に協力している。二日前怪我を負った鍋島なべしま村雲むらくも馬更ばさら竜巻たつまきはまだ入院中だが、既に病室で将棋を差せるほどに回復しているらしい。


「ハイドはタフだし、そう簡単に捕まんないっしょ」

「ハイド? ああ……灰泥のことか。あいつとは親しかったのか?」

「親しいってか、まぁ同期だし。何年も一緒に訓練とか受けてきた仲だしねー。それなりに知ってるってだけ」

「もしかして知ってたのか?」

「何が?」

「灰泥が殺人バットだったってことだよ」

「まさか! そんなの知ってたら流石に言うって、相手は殺人鬼なんだし。……まーでも、そうじゃないかって話はあったけどね」

「どういう意味だ?」

「前に一回、ハイド君が殺人バットじゃないかって話は出たんだよぉ」

 いつの間にか起きた早颪夢猫が口を挟んだ。

 目を擦りながら言う。

「だって殺人バットが出たちょっと前にハイド君は学園から姿消したし、背格好も似てたし、何より……殺されてたのってハイド君と揉めたことある青色の生徒ばっかりだったしねぇ。むしろ怪しさ満点、って感じで。青色も真っ先に目を付けてハイド君捜したらしいよぉ」

 そうだ。

 康峰も学園のデータベースでその辺りのことは調べた。

 殺人バットと言われているが、彼は何も無差別な猟奇殺人鬼ではなかった。確かに数人を殺したが、大方は怪我を負うだけで命までは取られていない。そして殺された数人というのは共通して青色生徒会のメンバーであり、何かと素行が悪く灰泥煉真と揉めた記録が残っていた。

 そして彼らにもうひとつ共通点があった。

 夜霧よぎり七星ななほしのいじめに関与していたことだ。

「でもハイド君はすぐ容疑者の圏外になったの。だって、ハイド君が《冥殺力》使えるワケないしね。ハッキリ聞いたわけじゃないけど、殺人バットが《冥殺力》使ってたのは間違いないってことだと思うよ。でなきゃいくらアレな青色でも数人がかりで人間ひとり相手に負けるとかありえないしね~」

 もし煉真が嘘を吐いていて、実は《冥殺力》も使えたとしたら青色もそう簡単には容疑者の圏外にはしなかったかもしれない。

 だがあの通り煉真には自覚がなかった。実際に《冥殺力》を使っていたのは煉真ではなく彼のなかにあるもうひとつの人格だ。青色も煉真に疑わしい素振りが全くないので容疑を解かざるを得なかったのだろう。


『何つっても俺があの《殺人バット》だからな』


 初めて煉真に会った日の会話を思い出す。

 恐らく自分を追い払うために適当に言った嘘だろうと思っていたが、まさかあの言葉が真実とは——きっと彼自身が一番驚いているだろう。


 康峰は大きくひとつ空咳をした。

 そうして意を決して口を開いた。

「なあ、先達」

 ずっと黙ったまま話を聞いているのかいないのかも分からない様子だった先達が、少し頭を上げた。

 康峰のほうに視線を向ける。

 その彼に、康峰は言った。

「そろそろ話してくれないか」

「何をです?」

 掠れた声だった。

「お前たちが隠していたことを、だよ」

「…………」

 先達は黙って康峰の目を見返してきた。

「猫工場で何か話してたよな、荻納と? あのときは深くは訊けなかったが。というかそれ以前から不自然なところはあった。一番妙なのはお前たちが集団で不登校になった理由だ」

「それなら鬼頭きとう先生から聞いたんじゃないですか」

「ああ、殺人バットが原因の一端なのは分かる。俺もてっきり最初はそれが一番の原因と思って深くは追及しなかった。けどお前たちについて知れば知るほど、殺人バットについて調べれば調べるほどそれが不自然に思えてきた」

 そもそも殺人バットは青色の生徒しか殺していない。そんな相手に正体不明の化物も恐れないこの学園の生徒たちが怯えて登校を拒否していただろうか。もちろんなかにはそういう者もいるだろう。だがここにいる綺新や夢猫、衿狭、まして赤色生徒会の紗綺たちがそんなタマとは到底思えない。

「……灰泥が言ってたよ。俺たちはまじめに禍鵺マガネと戦ったところで卒業後はイワシ工場くらいしか行けない、そんな環境で真剣に戦う馬鹿はいねぇってな。もちろんそれもあるだろう。けど——それとこれとは別だ。これだけ一斉に不登校を始めるからにはそれなりのきっかけがあるはずだろ?」

 康峰はそこで一度唇を舐めた。

 三人は黙って次の言葉を待っている。

 恐らく——もう次に康峰が何を言うか察している様子で。

 そんな彼らに、康峰は口を開いた。

「お前たちが不登校を始めたのは、夜霧七星の自殺がきっかけじゃないのか?」

 綺新と夢猫が目を見合わせるようにちょっと身動ぎした。

 先達は相変わらず感情の籠もらない目をしている。

 その口が開いた。

「——その通りです」



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る