第七幕 ふたりの殺人鬼(後篇) ③

 

***


「先達? おい、聞こえてないのか? 誰かこの声が聞こえるか?」

 康峰やすみねは無線に向かって声を張り上げたが、依然として反応は何も返ってこない。


 いまから数十分前。

 学園内で荻納おぎのう衿狭えりさ捜索について天代守護てんだいしゅごに聞き込みをしていた康峰だが、そこへ殺人バットの目撃情報が入った。天代守護が車で現場に急行するのに同乗を頼み込んだ。

 鬼頭きとうでもいれば呼ぶべきだったかもしれないが、彼は用事で今朝からどこにもいない。自分が殺人バットに会ってもどうにもできないかもしれないとは思ったが——

——もし、俺の考えが正しいなら。

 確信があったわけじゃない。

 だが灰泥煉真は兄の幻覚を見ていた。そして彼は殺人バットに固執しているようだった。更に青色生徒会との確執や殺人バット自身の風体。それらを繋ぎ合わせて考えると——

——灰泥煉真は殺人鬼に人格を乗っ取られているんじゃないか?

 それも、無自覚のうちに。

 そう考えるといても立ってもいられなかった。

 天代守護は少し渋ったが、揉めている時間もなく、同乗を許してくれた。

 結果——

 康峰の不吉な予想は正しかったことが証明された。

 暴れていた煉真に自分が殺人バットという自覚はなかった。康峰の言葉でようやくそのことに気付いた彼は脱力し、あとは彼を逮捕して天代守護に預ければひとまず一件落着に思えた。

 だが、そのとき異変が起こった。

 煉真が突然逃走を図ったのだ。

 《冥殺力めいさつりき》を持つ青色生徒会もおらず、天代守護にはこれを止めるちからがなかった。すぐさま紗綺らが後を追おうとしたが、この雨上がりの濃い霧ではそれもすぐ断念せざるを得なかった。

 結局青色生徒会が駆けつけてからは、お前らが逃がしただのお前らが来るのが遅いだのという、いつもの口論に収束している。

 その口論を傍らに、康峰は無線で先達に呼び掛けていた。

 ここに向かう車中で、先達からも別の場所で殺人バット目撃の報せが入った。どういう事態か見極める暇もなく現場に到着し、ひとまず無線を切ったが——あれ以降何も情報が入ってこない。無線に向かって数分呼び掛けているが未だ返答は何もない。


「先生」

 傍らで様子を見ていた紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺が近寄ってきた。

「ああ、紅緋絽纐纈……馬更ばさらと鍋島の様子はどうだ?」

「大丈夫だ。あのくらいで音を上げるふたりじゃない」

 煉真——殺人バットによって致命傷を負わされたかに見えたふたりだが、既に救護班が到着して治療を受けている。流石にしばらく入院が必要というが、命に別状はないらしい。やはりとんでもなくタフな連中だった。

「そうか……灰泥の捜索の方は?」

「一旦切り上げるほかないだろうな。我々もまだ追える状態ではないし。いまは彼が次の犯行に及ばないことを祈るしかない」

「まぁ、その可能性は低いと思うが……」

 煉真が殺人バットということは分かったが、肝心なことはまだ何も見えてこない。

 どうして彼が殺人バットになったのか。

 どうして《冥殺力》と《冥浄力》を両方使えるのか。

 ——何を目的に人を殺しているのかも。


「それより先生は沙垣先達のほうへ行ってくれ。心配なんだろう?」

 紗綺の言葉に、康峰は逡巡した。

 だがここに残っていたところで康峰に出来ることは何もない。

「分かった。お前たちも無理するなよ。あと何か分かったら一応俺にも報せろ」

「ああ。分かっている」

 そう言って少し笑ったあと、紗綺は傍にいた赤色生徒会の男に声を掛けた。

 男はバイクを押して康峰たちに近寄ってきた。

「先生は運転できなかったな。彼に乗せてもらってくれ」

「生徒が運転できるのか?」

「この島じゃ移動はバイクが主流だ。禍鵺マガネ出現時に足で走ってては間に合わないしな。大体の生徒が使い方を教わる」

「そうだったのか……」

 そう言われるとそんなことも学園の資料には載っていた気がする。

 ともあれ、先達のいる学生寮近くまでバイクなら数分の距離だ。康峰は案内人の運転するバイクの後ろに跨った。

 バイクが町を駆ける。

 町にはまだ霧が広がっていた。

 案内人は慣れた様子で程よいスピードを出しながら車や通行人を追い抜いて行った。

 途中、サイレンを鳴らす救急車と擦れ違った。何とも不吉な響きに康峰の表情は自然と険しくなる。サイレンは次第に大きくなり、康峰たちの横を通り抜けた。

——よくないことが起きなければいいが……

 康峰は救急車を見送りながら、胸の内の暗い予感を追い払おうとした。



 サイレンが止まる。

 野次馬の群れを掻き分けて、救急車から降りた救護隊員が倒れている少女に駆け寄った。担架を下ろし少女を乗せようとしているのが遠目にも見える。

 その傍らには鬼頭きとう員敬かずたかが立っている。彼は苦悶に歪んだ表情で唇を固く結んでいた。

 辺りは血の海と言ってもいい惨状だった。

 少女の他にも重傷者がいるらしく、倒れている少年たちを慌ただしく救護隊員が助けている。地面は流血に染まっていた。

 その血溜りの中心に膝をついて俯く少年の背中があった。

「先達……」

 康峰は野次馬の後ろで聞こえるはずのない声を呟いた。

 一体何があった?

 何も分からない。野次馬は口々に好きなことを言っている。殺人バットとかナイフとか断片的な言葉は入ってくるが、康峰はほとんど聞き取れずにいた。救護隊員が先達にも声を掛けるが反応はない。

 康峰の傍らを少女を乗せた担架が走り抜ける。

 少女は真っ黒なスーツを纏い、あの殺人バットのような姿をしていた。その血に濡れ蒼白となって瞼を閉じた顔は康峰のよく知る少女のものだった。

 荻納衿狭——


 日が沈みかけている。

 康峰はもう一度遠くにいる先達の背中を見た。

 どうしたんだ、何があったと声を掛けるべきだ。それは分かっている。

 だがどうしてか康峰の足は動かない。

 動悸が激しくなる。

 俺はまた——とんでもない過ちを犯してしまったのか?

 俺がもっとちゃんと生徒に関わっていれば。もっと真剣に彼らの話を聞いていれば。何か状況は変わっただろうか。

 俺は——

 どうすればよかった?



 俯く少年の向こうにうっすらと白い髪が見えた。

 霧のなか、背中を向けた少女の姿はあの日見たあの姿のままだ。

 白髪の少女は振り返って、康峰に向かって何か呟くように唇を動かした。


『ごめんね』


 そうして少女の幻は霧の向こうへ消えて行った。





――――――――――――――――――――――――――――――


※次回よりChapter3に入ります。

 翌年1月上旬から投稿予定。

 宜しければ最後までお付き合いください。

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