第六幕 ふたりの殺人鬼(前篇) ④

 



 ゆっくりと——

 目を開く。

 台所の床には変わり果てた姿の父が転がっている。頭が割れ、おびただしい鮮血が床を濡らしている。自分の手には父の持っていた金属バットが握り締められていた。

 酩酊し殴り蹴る父親に対し、命の危険を覚えた煉真は咄嗟にバットを奪って反撃に出た。

 その後のことはよく覚えていないが——

 目の前の遺体が何より雄弁にここで起こったことを物語っていた。

 意識がぼんやりしていた。

 まともに思考が働かなかった。

 しばらく突っ立っていると腹が鳴った。ずいぶん何も食べていないことに気付いて、おもむろに冷蔵庫に向かった。

 父の食べ残したピザがあった。

 それを取り出してレンジで温める。

 点けっぱなしのテレビでは妙な番組が流れている。金属バットを振り回す怪人が人を殺して回っていた。

 間抜けな音とともに加熱が終わり、煉真はそれを食べ始めた。

 なるべく足元の死体に目を向けないように。

 外ではしとしとと小雨が降り続けていた。

 やがて煉真はぽつりと呟いた。

「兄ちゃん……」



「父親の殺害後、保護されたお前を精神鑑定した医師の見解では、お前は幻の兄に自分の罪を着せることで精神の安定を図ろうとしたと考えられている。本来なら精神病院辺りに送られておかしくないところだが……鴉羽からすば学園では、ここではそんなことは関係ない。そうしてお前はここに送られた。幸いと言うべきか、その後お前は兄の幻覚を見ることもなければ本当の記憶を呼び覚ますことなく何年も過ごしてきた。それが《殺人バット》として数か月前に覚醒した原因と経緯はまだ分からないが——お前がずっと《兄》と思って見てきていたものは、お前のなかに住む幻なんだよ、灰泥」

 軛殯くびきもがり康峰やすみねが喋り続けている。

——幻……?

 何言ってる。

 そんなわけが。

 じゃあ俺が——



 山道を歩く煉真は何者かを見つけて立ち止まる。

 禍鵺マガネだ。

 煉真はすぐさま《冥浄力めいじょうりき》を発動させた。腕に赤い炎を纏う。

「繧Дke☆7——」

 向こうもこっちに気付いて唸り声を発した。

 だが様子がおかしい。こいつはただの禍鵺じゃない。

 白い能面、人外の声、しかしそれ以外は白衣を着た華奢な体つきの少女。

 煉真も学園で何度も姿を見た生徒によく似ている。

——まさか。

 兵極ひょうごく廻理めぐり鵺化ぬえかしたと理解が及ぶより早く、そいつは襲い掛かってきた。

「くそっ……!」

 考えている暇はない。

 咄嗟に反撃に出た。

 

 攻防は数秒だった。

 足元には兵極廻理だったものが倒れ伏している。

 煉真も脇腹を蹴られ、落雷を受けたような痛みが内臓を反響していた。

 その脇腹を抑えながら言った。

「……殺したのか?」

 誰もいない藪を睨みつける。

 あの音だけが聞こえ続けていた。

 山の奥から繰り返し聞こえてくるあの音。

 どこか物悲しく、冷え冷えとした音——



 猫工場で漆九条うるしくじょうらを襲ったのも。

 鵺化した兵極廻理を殺したのも。

 それ以前に何人もの青色生徒会の連中を殺してきたのも。

 全部——全部俺が。

「……とにかく、武器を棄てろ灰泥。もう誰も殺さなくていい。おとなしく捕まってくれ。お前の処遇がどうなるか俺にもはっきり言えないが、ただの殺人犯として処分されることはないだろうし俺も出来る限りの力になる。だから——」

 康峰の声はほとんど煉真の耳に届いていなかった。

 ごうごうと頭のなかを濁流が響いている。

 その音に混じって口笛のような、鳥の囀りのような甲高い音が反響してやまない。

 ふらふらと足を動かし、傍らの欄干に近付いた。遠巻きにこっちを見る群衆は恐れるような或いは憐れむような目を向けている。

 あの日見た大人たちと同じ視線。

 あれは兄に父を殺された憐れな子供に向けた視線ではなかった。

 欄干から下を覗き込んだ。

 静かな川面が血塗れで呆けた男の顔を映していた。


『だから言っただろ?』


 兄の声がした。

 欄干に足をついて座った男は金属バットを肩に乗せたまま口笛を吹く。

 調子っぱずれないつものあの口笛。

——いや、違う。

 あれはトラツグミとかいう鳥の鳴き声。

 いつも山の奥から繰り返し聞こえてくる。

 ただの——鳥の鳴き声に過ぎないんだ。

『今頃やっと気付いたのか? 散々俺が言ってやってただろ? なぁ?』

 黙れ。お前は幻覚だ。存在しない。

 俺は——

 ずっと何をやってきたんだ?

 俺は何を追いかけ、何から逃げようとしてたんだ?

——夜霧よぎり七星ななほし……

 何故かこのとき思い出した少女の顔は、悲しそうにこっちを見ていた。

「ぅうっ……!」

 煉真は頭を振って唸った。思わず両手で頭を抑える。手元から離れた金属バットが甲高い音を反響させた。

 その場に両膝をつき、頭を抱えたまま蹲った。

 ずっと抑え続けてきた感情が、頭を爆発させないように——


「灰泥! しっかりしろ、灰泥!」


 康峰の声を遠く聞きながら、煉真は固く瞼を閉じた。



 

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