第六幕 ふたりの殺人鬼(前篇) ③
それだけで満身創痍といった顔色で、彼は膝に手を着いた。
しばらくぜぇぜぇと息をして呼吸を整える。
——なんであいつが……
煉真も呆気にとられた思いでそれを見ていた。
殺人バットも黙って成り行きを見ている。
「先生。下がっててくれ。危険だ」
紗綺が殺人バットから視線を動かさず言った。
「そ……、わ……」
新任教師はまだ喋れそうにない。
本当に何をしに来たのか分からなかった。
とは言え——
煉真は、意を決して康峰のほうに怒鳴った。
「センセー! おい、こっちだ!」
康峰の顔が上がる。ようやく息が整ってきたらしい。
「こいつは、殺人バットは——俺の兄貴だ!」
煉真は叫んだ。
正直この男は戦力としては全く期待できない。そういう意味では鬼教官の
そんな思いで煉真は叫んだ。
康峰は黙って殺人バットを正面から見据えている。
「どうやってこの島に入ってきたかは分からねぇ。何で人を殺してたかも。それでもこいつが犯人なのは……」
そこで煉真は言葉を止めた。
康峰の視線は動かない。地面に倒れている煉真に対して一切視線を向けようとしない。霧がまだ晴れ切っていないとはいえこの距離で自分が見えないとも思えない。
そういえば紗綺もそうだ。周囲の群衆も。一切自分のほうへ目を向けない。さっきの竜巻と村雲も自分など視界に入らないかのように声も掛けず戦っていた。
そのことに、今更ながら気が付いた。
煉真の頭にちくりと針が刺さったような感触が走る。
何か致命的な見落としを、間違いをしているような、そんな予感が胸を刺した。
『お前はそもそも一番大事なことを履き違えてんだよ。分かるか? いっつも俺が言ってるだろ。なぁ、おい。分かるか?』
いや。あれは兄の出任せだ。
俺を動揺させるための。
或いは、いつもの意味不明な——
——意味不明?
それは——
それはつまり、俺が何も理解できてないだけで。
もしそうでなかったら。
『俺はずっとこの島にいる』
『じゃ俺は運が良かったな。こっそり這入るのに成功したぜ』
何かおかしい——
だが、煉真にそれを考えている時間はなかった。
ぽつりと康峰が口を開いた。
「やっぱりお前だったんだな、灰泥」
聞き間違いじゃない。
その声は低く落ち着いていたが、どこか憐れむような響きがあった。
「あぁ……?」
煉真は眉を顰めた。
康峰が続ける。
「あの日、先達たちを捜して校舎内を歩きながら話したときからおかしいと思ってたんだ。俺はあの日の朝、学園内のデータベースで生徒に関する情報を調べてた。お前の情報もそこで見た。お前が何をやってこの島にやってきたか、そこには詳しく書かれていた。そこで読んだ話はお前の話と大きく食い違ってた」
何の話だ。
一体こいつは何の話をしている?
「灰泥、お前は兄が父を殺したせいで
ちくちくと頭のなかの針が増えて行く。
煉真は苛立ちを抑えきれず声を荒げた。
「おい! いつまでぐだぐだ話してる? 早くしねぇとこいつが——」
煉真は殺人バットを指さそうとした。
一瞬呼吸が止まった。
殺人バットは——兄は煉真の視界のどこにもない。
それどころかついさっきまで地面に伏していたと思った自分はなぜか地面に両足を付いて立っている。
慌ただしく周囲に視線を巡らせる。
紗綺がこっちに向けて刀を構えている。康峰も正面からこっちを見据えている。通行人が遠巻きにこっちを見ている。足元には血塗れの鍋島村雲と馬更竜巻が転がっていた。
煉真は腕を動かそうとして重たい感触に気付いた。
ずりずりと金属バットの先端が地面を擦る。もう一方の手は鮮血で赤く濡れていた。服も、きっと顔も同じように血で汚れている。鉄の臭いが鼻について頭の芯がぼんやりした。
「え……」
掠れた息が喉から流れ出た。
康峰が静かに言った。
「灰泥、お前に兄はいない。最初からそんな奴はいなかったんだよ」
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