第五幕 雨 ①

 



「知らねぇもんは知らねぇって言ってんだろうがしつけぇな、そんなに疑うなら俺の部屋でも男子トイレの裏でも焼却炉の燃えカスのなかでも首突っ込んで捜しやがれ、おおかた誰かの隠したエロ本の一ページでも見つかるだろうぜ、その代わり何も見つからなきゃ今度こそ分かってんだろうなァクソッタレの腰抜けの唐変木トーヘンボク末成うらなり青ビョータンども!」


 朝っぱらから馬更ばさら竜巻の気風きっぷのいい怒声が響いている。

 校舎の入り口に集まる生徒たちは口々に罵り合ったり囁き合ったりと騒がしいが、彼の声は際立っていた。

 竜巻と向かい合う青色生徒会の男たちは気色ばむ。彼らの傍には青色生徒会のトップである天代弥栄美恵神楽あましろいやさかみえかぐら舞鳳鷺まほろもいた。

 一方の竜巻の傍には赤色生徒会のトップである紅緋絽纐纈べにひろこうけつ紗綺さき、更に鍋島村雲らが並び立つ。その傍らには白髪白衣の新任教師、軛殯くびきもがり康峰やすみねもいた。衿狭えりさと仲の良かった鵜躾うしつけ綺新きあら早颪さおろし夢猫むねこも赤色生徒会に混じり、衝突を辞さない構えだ。

 だが、そんな彼らと離れて——

 沙垣先達は、窓から遠くを見ていた。

 今日も四方闇島よもやみじまは霧が濃い。


「ふざけるな! どこに荻納おぎのう衿狭を匿ったかさっさと吐け」

「知らねぇッつってんだろ! まだ言わすか⁉」

「そんな言葉信じられ——」

「もう結構ですわ」

 舞鳳鷺が口を開いた。

 青色の言葉をぴしゃりと遮る。

 注目が一気に彼女に集まった。

 今朝、ここに集まって以来舞鳳鷺はほとんど口を開いていない。

 そもそも、衿狭が消えたことは昨日のうちに監視役を通じて彼女に伝わっているはずだ。

 それに対し彼女がどんな対応を見せるか——注目が集まるのも当然だ。


 不意に、舞鳳鷺が意外な行動に出た。

 彼女は突然拍手をし始めたのだ。

 訝しげに紗綺が眉を顰める。

 その紗綺に向けて舞鳳鷺が言う。

 高らかに、校舎上に響くような声で。

「お見事ですわ、紅緋絽纐纈さん! 見事わたくしをたばかりましたわね?」

「なに……?」

「いえいえ、何もわたくしも予想していなかったわけではありませんのよ。何だかんだと言を弄して三日の隙を作り、その間に荻納衿狭の逃亡を手引きする——当初からそれが目的だとね」

「——何だと?」

「ただわたくしは、流石にそんな見え透いた姑息で卑怯な手段をあの高貴で高潔な紅緋絽纐纈さんが実行に移すことはないだろう、と見くびってしまいました。三日前にあれだけ啖呵を切ってみせたあの紅緋絽纐纈さんがね。貴女は見事その裏を掻きました。お見事ですわ! あら、あの啖呵ももしかして計算だったのかしら?」

「てめぇオイ——」

「よせ、竜巻!」

 竜巻が噛み付こうとするのを、紗綺が制した。

 真剣で斬りつけるような鋭い声で。

 彼女は刀身よりも鋭利な視線を舞鳳鷺に向けていた。

「……天代弥栄美恵神楽、いまの発言を取り下げろ。いまのは到底無視できない」

「あらあら。だったらどうするつもりで? またその腰の野蛮な棒切れでわたくしたちを虐めようとする気かしら? あぁ恐ろしい!」

「二度も言わせ——」

「落ち着けよ、紅緋絽纐纈。何も相手にすることはない」

 静かな声が割り込んで紗綺を制した。

 軛殯康峰だ。

 彼は今度は舞鳳鷺たちのほうに向かって言う。

「こいつらはともかく俺は確かにそういう策も考えた。荻納を逃がしたとしたら俺だ。だがあいにくそれはしてない。そうする前にあいつが勝手にひとりでに消えちまったからな。もちろん証拠もない。だからどこを捜してもらっても構わない、だが馬更の言う通り徒労に終わるだろう。……お前たちも居もしない人間を相手にすることはできないはずだ。ここはおとなしく帰ってくれないか?」


「ふん」

 舞鳳鷺は顎を上げ、興醒めしたように言う。

「もちろん、そのつもりですわ。ここで被告不在の裁判を押し切っても結構ですが、それではあまり面白味がありませんもの。新任教師さんに進言されなくとも立ち去るつもりでした。さっきのはほんの冗談——戯れですのよ、紅緋絽纐纈さん?」

「……とてもそうは聞こえなかったぞ」

「あら。貴女にはちょっと余裕がないのではなくて?」

「誰の所為でこんなことに——」

「おい、よせ紅緋絽纐纈!」

 康峰が紗綺の前に腕を突き出した。

 踏み込もうとした紗綺がぎゅっと唇を噛み締めて踏み止まる。

 舞鳳鷺は可笑しそうに紗綺らを一瞥したあと、踵を返して歩いて行った。青色の生徒たちがそれに続く。竜巻らは彼らの背を睨んでいたが、紗綺同様に気持ちを堪えたらしい。


 やがて舞鳳鷺たちの姿は消えて行った。

 先ほどまでの喧噪が嘘のように静かになる。

 不意に紗綺が踵を返して大股で歩き出した。

「おい、紅緋絽纐纈、どこへ行く?」

「捜してくる。もう一度、荻納衿狭を」

「もう当てがないだろ?」

「だからってここでこうしてはいられない」紗綺は腰の愛刀 《破暁はぎょう》を固く握りしめて言った。「私一人でも捜す。必ず見つけ出す、そのときまで」

「待てよ会長! 俺もついて行くぜ」

 竜巻がその背後に続く。

「む、む、む」

 村雲もそれに続いた。

 他にも数人の生徒が紗綺に同調するように校門を出て行く。そのなかには綺新や夢猫も混じっていた。

 康峰はそれを止めるでもなく黙って背中を見守っていた。

 その間も先達は窓に寄りかかって外を見ているだけだった。

 紗綺が横を通る間際にちらり、と先達のほうを見た。だが何も言わず出ていく。綺新や夢猫ら他の生徒もそうだった。

 やがて校舎入り口周辺は、康峰や先達ら数人を残すのみとなった。

 ぼんやりした薄紅の霧は何事もなかったように静寂を湛えていた。



 

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