第四幕 殺人鬼の捜索 ④


 

 先達と衿狭えりさがしばらく無言で室内を探索している。

 康峰もなるべく彼らが見てなさそうなところを探していた。

 部屋の窓から四角い夕日が降りてきている。

 次第に視界が悪くなってきていた。

 やはり空振りか——そう思い始めたとき、衿狭が「ねぇ」と声を発した。

 見ると部屋の隅を指さしている。

「あそこ、何かない?」


 先達が目を向けた。

 よく目を凝らすと作業机の下のほう、床板が剥がれた辺りに何かあるように見える。ずいぶん埃やゴミを被り見え辛い。

 先達はそこへ近づいて床に片膝をついた。

 机の下を覗き込んで言う。

「確かに何かあるね。調べてみる」

「おい、やめとけよ。そんなところに殺人鬼の免許証でも落ちてると思うか? 精々誰かの隠したエロ本くらいしかないだろ。それともそっちが狙いか」

「想像もしてませんでしたよ、そんなこと……あっ」

「どうした? エロ本か?」

「死体です」

「えっ?」

 先達が慎重な手つきで何かを手繰り寄せた。真っ黒い何かが先達の手の上にある。康峰は覗き込むようにしてそれを見た。

 黒猫の死骸がそこにあった。

 まだ息絶えて日が浅いのか、腐った様子はない。眠っているようにさえ見えた。

「何だ、猫の死体か……脅かすなよ」

「先生が言った通りなら、死神が来てここに逃げ隠れたんですかね。可哀想に」

「おいおい、そんな死体持ってどうする気だ?」

「埋めてあげないと可哀想かなって」

「ほっとけよ、そんなの。俺は手伝わないからな」

「いいですよ、僕ひとりでやるから」

「ちゃんと死んでるか確認したか? まだ生きてるかもしれないぞ」

「死んでますよ、見りゃ分かります。先生じゃないんだから」

「教師をナチュラルにゾンビ扱いするんじゃない」

「荻納さん、ちょっと待ってて——」

 先達が猫の死体を持って外に出ようとして、ふと停止した。

 訝しげな目を康峰の後ろに立つ衿狭に向けている。

 康峰もそれに釣られるように振り返る。

 衿狭の向こうには屋外に繋がる窓がある。夕日を背にしているせいで衿狭の表情を読み取ることはできない。

 だが無言で立っている衿狭は、さっきまでと様子が違う。

 どこか異様な雰囲気でこっちを見ていた。


「……荻納さん?」

 先達が少し声を落として彼女に近づいた。

「どうかした? あ、もしかして荻納さんも死体イヤだった?」

「そりゃ嫌だろ」

「別に——ただ」

 衿狭が口を開いた。

 何か言おうとして、かぶりを振る。

「……何でもない。ちょっと考え事してただけ」

「そう?」

「沙垣君は優しいよね。私なら猫の死体なんて放っておくけど」

「あ、いや、それは……」

「どこに埋める? 手伝うよ」

「いいよ、荻納さん。僕がひとりで済ませるから。早く捜索しなきゃいけないし」

「今日はもう無理。でしょ? 日も暮れちゃうし。だからそれだけ一緒にして帰ろう」

 確かにそうだ。

 夕日の色が残酷にタイムリミットを告げている。

「そうだな——今日は引き上げよう。明日また他の場所を探すとするか」

 康峰も言った。


 康峰は無線機で紗綺たちに今日の捜索を切り上げる旨を告げるとともに、彼らの方で収穫がないかを聞いて回った。

 断片的に新たな目撃情報や手掛かりらしいものもないではなかったが、やはり目ぼしい発見はないようだ。

 青色の少女も康峰たちが探索を切り上げるのを見て無線で連絡を入れている。

 そうしている間に先達と衿狭は工場の裏の空き地を猫の墓場と決めたようだ。

 工場内にあったシャベル代わりの工具を使って穴を掘り、そこに黒猫の死体を埋葬した。

 康峰がふたりのもとに行った頃には工場裏に小さな砂の山が出来上がっていた。ふたりは並んでしゃがみ、両手を合わせていた。


 ふたりが黙祷を終えたところで康峰は他の捜索隊も収穫が乏しかったことを彼らに告げた。案の定とは言え、ふたりの顔が暗くなる。

「いよいよ残り一日になりましたね。やっぱり殺人バットはそう簡単に見つけられないのかな……」

「まぁ、予想はついていたけどな」

「先生、他にいい方法はないんですか? 荻納さんの潔白を証明する何か別の方法」

「それはまぁ、俺も考えてはみたが……」

「もういいよ、沙垣君」

 衿狭が先達に言った。

「これだけみんなが私のためにやってくれただけでも、私、嬉しかったよ。ここまでやって無駄だったらもう仕方ないよ。別に諦めるつもりはない。あのムカつくお嬢様には唾でも飛ばしてやるんだから」

「荻納さん、でも……」

「それに、私気付いたことがあるの」

 康峰はその言葉に衿狭へ視線を向けた。

「気付いたこと? 何だ?」

「それはまだはっきりと分からない。でももしかしたら私、最初っから間違えてたのかもしれない」

「……どういう意味だ?」

「ごめん、私もまだ整理できてないから」

 そう言って衿狭は不意に先達の手を握った。

 先達の肩がびくりと震える。

 それが歓喜か驚愕か傍目には分かりづらいが、きっと両方のないまぜになったものだろう。

「また明日までに整理して話すよ。それまで待ってくれる?」

「ままままま、待つ! 待つよ、いくらでも!」

「明日までって言ってんだろ。明後日には裁判だ。しっかりしろ、沙垣弁護士。——おい荻納、本当に任せて大丈夫か? 俺も一応何か考えてはみるが、正直たいしたアイディアは思いつきそうにない。お前の考えに期待していいのか?」

「うん。たぶん」

 何ともあやふやな回答だ。

 だがいまはこれ以上彼女を追及しても仕方ない気がした。やれるだけのことをやるしかない。

 衿狭が先達から手を離した。

 先達はまだ名残惜しそうに指を動かしかけたが、衿狭はその手を擦り抜けるように地面を蹴っていた。

 再びちりん、という甲高い鈴の音が鳴る。

 彼女の持っている猫のお守りに付いた鈴だろう。

 衿狭は振り返り、先達に向けてひらひらと手を振った。

 その横顔が夕日に輝く。


「それじゃ——また明日会おうね。沙垣君」



 翌朝。

 約束の待ち合わせ時間になっても衿狭は現れなかった。

 その後どれだけ先達や康峰や紗綺らが捜しても彼女の行方はようとして知れなかった。監視役の少女も一晩中目を光らせているわけではない。彼女の慌てた様子から見て衿狭を見失ったのは間違いないようだった。

 残された一日は急遽殺人バットではなく衿狭の捜索へと切り替えられたが、ただいたずらに時間を空費するだけの結果となった。

 無情にも夕日が西の空に落ちていく。

 無為のまま三日目の捜索が終わった。


 荻納衿狭は——

 消えた。



 

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