第四幕 殺人鬼の捜索 ①

 


「知ってるか? 猫には死神が見えるんだってよ。何かで聞いたことがある。幽霊とか霊魂とかが見えるってのはよく聞くけどな。まぁ死神もその同類だろう。猫が死に際に黙って人間の前から消えるのは、死神から逃げてるってことらしい」

 日は既に西に傾き始めている。

 康峰やすみねの言葉に前を歩いていた沙垣さがき先達せんだつが振り返った。

「なんでいまそんな話をするんですか?」

 荻納おぎのう衿狭えりさは黙って前を歩いている。

 その黒髪の向こうでどんな表情を浮かべているかは分からない。


 昨日——

 青色生徒会が荻納衿狭の連行に現れ、康峰の提案によって去ったあと、康峰は紗綺さきや竜巻らのために《裁判》についての授業を開いた。

 おかげで裁判の流れや、弁護士や検事の役割を彼らも理解したようだ。

 その後、では三日後の裁判にどう勝つかの話し合いが始まった。

 が——なかなかいい知恵は出てこなかった。

 まずは真っ当に、衿狭が殺人バットではない証拠を集めるか——

 と考えたが、そう都合のいい証拠などない。過去の殺人バットの出現時間からアリバイを証明するようなことが出来ればまだいいが、あいにくそんな都合のいい証拠はそうそうない。

 第一衿狭は日頃碌に登校せずふらふらしている。そんな彼女のアリバイを証明することはそれこそ野良猫の足跡を追うのに等しい。

 いっそ衿狭をこの三日のうちにどこかへ逃がそう——

 そんな悪知恵を提案する者もいたが、却下された。

 その程度でどうにかなる問題ではない。そもそも島の外へは出られないし、舞鳳鷺まほろも監視を付けている。監視の目を掻い潜って逃がしたところでその場しのぎにしかならないばかりか、青色と赤色の溝を深めるばかりだ。到底妙案とは思えない。

 その後も議論は白熱したが、時間ばかりが空しく過ぎるのみだった。

——仕方ない。

 そこで康峰は生徒たちに《提案》した。


 そして今日。

 生徒たちは数人ずつのグループに分かれ、殺人バットの足取りを追っている。

 康峰の《提案》は至極単純——本物の殺人バットを発見することだ。

 殺人バットが誰か分かれば、自ずと衿狭の潔白は証明される。これほど単純明快なことはない。

 紗綺たちもこの案に賛同し、今日から本格的な捜査を始めた。

 康峰らはいま《猫工場》の近くまで来ている。

 ここはかつて殺人バットが現れた場所だ。

 康峰もここで奴に遭遇している。

「別に。猫工場、っていうので、どっかで聞いた猫絡みの話を思い出しただけだ」

 康峰は言う。

 先達は眉を寄せる。

「でも結局猫は死んじゃうんでしょう。死神から逃げられてないじゃないですか?」

「それは結果論だ。何度かは逃げおおせてるのかもしれない。俺たちが知らないってだけで」

「ふぅん」

 感心したような声を発して衿狭が振り返った。

 しかしその目は康峰を通り越し、その後ろに向けられている。

「面白いこと言うね、先生」

 康峰たちの背後には距離を置いて青い外套の少女が付いてきている。

 昨日舞鳳鷺が言った衿狭の監視役だ。


 舞鳳鷺も本気で衿狭が逃走を図るとは思ってないのだろう。それでも念のため監視役を付けている。ひとりしかいないのも逃走阻止より監視報告を目的としている感じはある。

 彼女は付かず離れずの間隔を保ち、ときに無線で誰かと連絡を取っていた。

 まるで自分を追う死神のよう——

 衿狭はそう言いたいのかもしれない。

 しかし、鈍感な少年にはそこまで察することはできなかったらしい。

「そうかなぁ? 猫が隠れるのは弱っているところを飼い主に見せたくないからじゃないんですか?」

「知らねえよ。猫の気持ちが解読される日が来る前に俺は死神に捕まる自信があるね。そんなことよりいまは殺人バットに繋がる証拠を見つけることに集中しろよ」

「先生が言い出しっぺじゃないですか……」

 口を尖らせた先達は再び前を向いて歩き出す。


 夕日に照らされた無人の廃工場には鴉が鳴いていた。

 今日、他の殺人バット出現場所を回ったり、目撃者に聞き込みをしたりした最後にここに来た。紗綺や綺新きあらら他の捜査班とは無線で定期的に連絡を取り合っていた。

 が、ここまでの捜査に捗々はかばかしい成果はない。

 残るはここ、猫工場に賭けるしかない。

 そんな思いで康峰は無人の建物に二人——いや三人とともに足を踏み入れた。

 なかは以前見たときと同じように硝子や工具が散乱していた。ただ殺人バットが現れたのち天代守護てんだいしゅごが調査したから、少し片付いている。薄暗い工場のなかはどこかひんやりして、気味の悪い静寂に包まれていた。

 正直——

 康峰はこの探索がうまく行くとは思っていない。

 生徒たちに『仕方なく』提案したのもそれが理由だ。

 本当に妙案と思うなら出し渋らず最初から提案している。

 そもそも天代守護がこの数か月捜査を行いまだ尻尾を掴めていないのだ。素人がいくら必死になって捜したところで見つけられるようなら苦労はない。しかも三日という時間制限付きで。

 だがそれを先達たちには告げなかった。

 他に選択肢もないし、全く可能性がないとは言えない。だが、極めて危うい賭けになることは間違いない。

「沙垣君。そこ足元危ないから、気を付けてね」

 衿狭が先達に声を掛ける。

 一番せっせと歩き回り探索している先達は「ありがとう」と言って笑みを浮かべた。肝心の衿狭は明後日の方角を見たり指先で機械を突ついたりしている。

——本当に猫か何かみたいだな……

 康峰はそんな少女を見ながら腕を組んだ。


 彼女はこの騒動の当事者でありながら、こころここにあらず、というふうに見える。宛ら台風の目のようだ。

 今日だってそこまで真剣に捜査しているふうには見えなかった。先達や綺新たちのほうがよほど真剣だ。

 そもそも昨日の協議の場でも彼女は我関せずという態度だった。終始他人事のようなその態度に怒り出す者もおり、またそんな衿狭を庇う者もあり、協議は怒鳴り合い唾の飛ばし合いの体をなしていた。康峰が《提案》して口を挟まねば殴り合い掴み合いに発展しかねなかったほどだ。

——荻納衿狭は何を考えてるんだ……?

 康峰には昨日今日でそんな思いが膨れ上がっていた。

 何か——彼女には《何か》ある。

 そんな気がしていならない。

 

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