第三幕 殺人鬼の証明 ⑤
生徒たちにどよめきが広がる——
と言うほどの暇もなく、静まり返った廊下で
「……一週間でそれぞれ証拠や証言を用意したうえで、一週間後にここで裁判を開く。そこで公平公正に彼女が例の殺人鬼かどうかを議論しよう。そこであんたらの容疑が十分納得できるものなら逮捕するなり取り調べるなり好きにするがいい。だがあんたらの主張が的外れであることが証明されれば、二度と
生徒たちの間でようやくざわめきがさざ波のように広がり出した。
どういうことだ、なるほどな、そううまく行くのか、意味分からん——口々に思い思いに何か言っているのが先達の耳にも聞き取れた。
「もし俺たちが一週間のうちに荻納と殺人バットが赤の他人と証明できれば、あんたらはわざわざ調査する手間が省ける。逆にもし彼女が人殺しだった場合もな。まぁ、もしそうなら俺たちが堂々とそれを白状するとは信用しないだろうが——どっちにしろあんたにとって今すぐ彼女を連行するより賢い選択に思えるけどな。どうだ?」
追い打ちを掛けるように康峰が言った。
舞鳳鷺は黙って耳を傾けている。
いつしか《鴉》も静まり返っていた。
自然とその視線は舞鳳鷺に収束して行った。
この場には学園長の
その沈黙と視線の意味を知ってか知らずか。
やがて舞鳳鷺は口を開いた。
心なしか慎重に言葉を選ぶ。
「仮に、その案を採用するとして……誰が裁判長役を?」
「そこだな」
康峰が頷く。
「順当にいけばあんたか学園長ってことになるだろうが、それじゃ裁判の内容がどうあれどんな判決を下すかは予想がつく。悪いがそのやり方じゃ裁判はできない」
尤もだ。
どう考えたって証拠や証言に関わらず衿狭は連行されるだろう。
「かといって俺を裁判長にはしてくれないだろう、あんたらの立場からすればな。だから、判決は生徒の投票で決めるのはどうだ? それも誰がどっちに投票したか分からないようにしてな。でないと青色は必ずあんた側に入れるだろうし、赤色も……」
「無記名投票ということかしら?」
舞鳳鷺が遮って言う。
「ああ」
「それなら勝てるとでも?」
「勝てるか負けるかなんか分からない。俺がしたいのは——」
「公平公正な裁判。そういうことですわね」
舞鳳鷺の言葉に康峰も否定は返さなかった。
先達の理解が追いつくより早く、彼女は康峰の意図するところに到達しているようだ。
先達は改めてこの奢侈な格好をした青色生徒会の会長を見る。
彼女は横暴で傲慢だし、言葉遣いや風体もふざけたところがあるが、馬鹿ではない。むしろ計算高く狡賢い。そのことを先達はいま実感していた。
舞鳳鷺は人差し指を顎に添え、しばらく沈黙を続けた。
恐らく脳内でこの提案のメリットとデメリットを計算しているのだろう。
「——宜しいでしょう」
やがて沈黙を破って舞鳳鷺が唇を開いた。
そうして細長い指を顔の前で三本立てる。
「ただし一週間というのは悠長過ぎますわ。こちらはいますぐにでも連行出来るのを猶予を与えて差し上げるのです。待つのは三日。裁判を開廷するのは三日後とさせて戴きますわ」
「三日⁉ ごほっ、待てよ、そりゃいくら何でも短すぎる。せめて——」
「お生憎様、これ以上譲歩は出来ません。わたくしは忙しいんですの。それまでに彼女の潔白を証明できる証拠が揃わなければおとなしく彼女を差し出して戴きます。これは最終決定ですわ。——宜しいですわね、学園長?」
「ひょえっ、あ、はい!」
カツラを被った肥満体が跳ね上がるように声を発した。
「では手配、準備など任せましたよ。あぁ——それとひとつ。裁判までの間に荻納衿狭に逃亡を図られては敵いません。見張りをつけさせて戴いて宜しいですわね?」
先達はちらりと衿狭を見た。
騒動の渦中にいながら他人事のように衿狭は黙っている。俯き加減の表情もひどく窮屈そうだ。
だが話はしっかり聞いていたらしい。呟くように彼女は言った。
「……好きにすれば」
舞鳳鷺がそれを見て頷き、再び康峰に目を向けた。
「決まりですわね。宜しくて?」
「……分かったよ。それで手を打とう」
「ふふ、思いがけずなかなか面白い余興が出来ましたわ。ねぇ——?」
舞鳳鷺は振り返って紗綺を一瞥する。
紗綺も変わらず敵意を剥き出したまま彼女を睨み返す。
「言っていろ。裁判では必ず勝つ。誓っていい」
「おやおや。ずいぶんな自信ですわね。では楽しみにしていますわよ。さて……」
すっと青色の面々を振り仰いだ舞鳳鷺は言い放った。
「——引き上げますわよ」
「……終わった、のか?」
先達は無意識に呟いた。
舞鳳鷺が踵を返したのち、青色生徒会の十数人もそれに続けて去って行った。腹立たしそうな、或いは物珍しそうな目を康峰にちらちら向けながら。
紗綺や村雲たちも拘束を解かれた。
学園長の雑喉は慌てて舞鳳鷺を追って行き、何事か訊いている。
鬼頭は舞鳳鷺の背中をしばらく睨んだあと、身を翻して消えた。
嵐が去ったあとように、その場には先達ら数人が取り残された。
「エリ! だいじょうぶ?」
そのとき、野次馬に混じっていたらしい
その後ろから少し遅れて
走るたびに大きな胸が揺れ——いや、そんなことより。
「うん。平気」
衿狭が本当に平然と答える。
「あームカツク。あのエロ生徒会、好き放題やりやがって」
「さっきはありがとね。綺新、ムーちゃんも」
「んーと、何かよく分かんないんだけどぉ……助かったってことぉ?」
夢猫が訊く。
「まぁ、ひとまずはってとこかな……」
康峰が答えた。
衿狭が俯いて呟く。
「頼んでないのに。……どうせ三日先延ばしになっただけだよ」
「確かに三日程度じゃたいしたことは出来ないが、後はお前らの頑張り次第だな。裁判に備えええぇっ」
背後から飛び掛かってきた竜巻に尻を蹴られ、康峰は悲鳴とも嗚咽ともつかない声を上げた。
「やるじゃねえかキモガリ! 何だかよく分かんねぇけどあの青ビョータンどもを追っ払っちまうなんて見直したぜ。一体どんな手品を使ったんだァ?」
紗綺と村雲も康峰のほうに近付いてくる。
紗綺が言った。
「ああ、私からも感謝させてほしい。私はてっきり先生が青色に味方するのかと早とちりしてしまった。……済まない」
「裁判は三日後と言ったな」村雲が重々しく口を開いた。「準備が必要だろう」
「ああ」
紗綺が頷く。
——その通りだ。
まだ終わったわけじゃない。
むしろこれからが本番だ。
三日後の裁判次第で結局衿狭は舞鳳鷺に連行されてしまう。
そうなると今度こそ奪い返すのは難しくなるだろう。
先達はその事実に全身が引き締まる思いだった。
不意に竜巻が紗綺を見て言う。
「ところでよぉ会長」
「何だ?」
「俺ぁイマイチ分かんねぇんだが、《裁判》ッてのは何だ? いやまぁテレビとかで見たこたァあるが、とどのつまり何すりゃいいんだ?」
「お、おいおい……」
康峰が呆れたように言った。
「何だ、竜巻。知らないで聞いていたのか?」
紗綺も驚いたように言う。
そして彼女は康峰に体を向けて言った。
「実は私も『何をするんだろう』と思いながら勝利を誓っていた。——先生、《裁判》とは具体的に何をするんだ?」
「ぐふぅっ」
「ちょ、ちょっと先生⁉」
康峰が立ち眩みを起こしたようにその場で崩れるのを、先達は慌てて支えた。
体調を取り戻した康峰が裁判について《授業》を開いたのは、それからおよそ一時間後のことだった。
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