第三幕 殺人鬼の証明 ③
***
突然トイレから現れた白衣白髪の新任教師・
群衆の誰もが呆気に取られるなか、一番に状況に対応したのはやはり
彼女は薄ら笑いさえ浮かべながら康峰に歩み寄った。
「あらあらあら、これは失礼! こちらは貴方の素敵なお住まいでしたかしら? ずいぶんお似合いなところにうってつけの住人がお住まいでしたわね。あら、よく見ると貴方は確か新任教師の——ええっと、何と仰いましたっけ? こちらに表札はまだないのかしら?」
少女はちらちらと男子トイレに表札を探すように目を動かす。
康峰が眉をハの字に顰めた。
「軛殯康峰だ。初めてなのにずいぶんな口振りだな、青色の会長さん」
「まぁそうですのね。覚える気はございませんけれども社交辞令的に申し上げておきますわ。宜しくお願いします、クサキドロカビ先生」
「軛殯だ。わざわざトイレに相応しい蔑称を作るな」
「おい、邪魔だ! さっさとそこをどけ!」
青色の生徒のひとりが康峰に詰め寄った。
康峰がじろりと彼を睨み上げる。
「おいおい、俺は教師だぞ? 一応」
「ふん、この学園じゃ偉いのは教師じゃない。お前が俺たちをマガネから護れるのか?」
傍にいる
だが康峰は落ち着き払って言う。
「図体に似合わず可愛い科白だな。護ってほしいのか?」
「役立たずは引っ込んでろと言ってるんだ」
「戦闘がすべてじゃないだろ。お前たち青色だって俺の授業に来ていいんだぞ?」
「はぁ? ふざけるな、誰が——」
「まぁまぁまぁまぁ」
舞鳳鷺が青色を制して一歩進み出た。
「楽しいおしゃべりも結構ですけれど、わたくしたちには時間がございませんの。早々にそこをどいて下さいませんか、先生? それとも——」
康峰を見る目を細める。
その胸中を見透かすように——
「……既にその奥は
青色たちに緊張が走る。
紗綺や周囲の群衆にもそれはさざ波のように伝播した。
しかし康峰は、落ち着いた顔——と言うか、いまいち何を考えているか分からない顔のまま言った。
「何か勘違いしてないか?」
その言葉に舞鳳鷺が訝しげに眉を寄せる。
「お前たちが捜してるふたりなら——ほら」
康峰が背後に向かって目配せした。
——やむなく、先達は一歩踏み出した。
男子トイレの外、群衆の見る前へ。
それに続いて——
俯き加減のその表情は前髪に隠れて見えない。
ふたりを見た群衆にまたどよめきが広がった。
「てめぇオイ、キモガリ!」
カッとして踊り出そうとしたのは馬更竜巻だった。
「どういう了見だ? まさかそいつを、その女を言われるがままに青色のクソッタレどもに引き渡すつもりか? てめぇまで学園長よろしくクソ青色どもに尻尾振るつもりかよ、ぁあ⁉」
村雲や他の拘束されている赤色の生徒たちも、竜巻と似た思いだろう。
康峰を見る目は戸惑いから怒りに移りつつあった。
そんな視線を受けて康峰は淡々と言う。
「落ち着けよ馬更。俺がいつ荻納を引き渡すなんて言った?」
「だったら——」
「竜巻!」
鋭い声を発したのは紗綺だった。
その声に竜巻も言葉を呑み込む。
だが、彼女の康峰を見る瞳も困惑と疑念に珍しく揺れていた。
「先生、私からも訊きたい。荻納衿狭を引き渡すつもりがないならなぜ彼女がここにいる……?」
康峰はじっと紗綺の目を見返した。
それから舞鳳鷺に目を移して言う。
「それをいまから説明する」
先達は固唾を呑む。
ちらりと衿狭の表情を見る。
彼女の落ち着いた視線からはその感情の機微を読み解くことはできなかった。
——大丈夫だ。きっと……
いまはそう自分に言い聞かせるしかない。
そうしてさっきトイレでした康峰との会話を思い出した。
「……説明してる暇はありません。黙って荻納さんと一緒に後ろの窓から外へ逃げてください。そしてどこかで隠れてください」
「はぁ?」
「何を言ってるのか分からないと思いますが、とにかくそうするしかないんです。お願いします、先生!」
「ちょっと、沙垣君」
衿狭が先達の腕をぎゅっと握った。
先達は何とか衿狭に笑みを向けようとしたが、頬の筋肉は言うことを聞かなかった。
「大丈夫、無理はしないよ。外の連中をちょっとでも足止めできるように時間稼ぐだけだから。本当に」
——衿狭を逃がすにはこれしかない。
自分とふたりで逃げても追手にすぐ捕まるだろうが、自分がここに残って出来る限り時間を稼げば彼女が逃げられる確率は高くなる。どれだけ頼っていいか未知数だが康峰もいる。危うい一手だがこれ以外もう思い浮かばない。
もちろん自分が衿狭と逃げたいけど——
この状況では仕方ない。
「でも……」
衿狭は困惑したように呟く。
だがそれ以上言葉は出てこなかった。
「おいおい、勝手に話を進めるなよ。え? どういうことだ?」
傍で様子を見ていた康峰が言った。
残る障害は彼——やはりこんな無茶ぶりにすんなり応じてくれるほど馬鹿じゃない。どうにかして説得しなくては。
「先生、とにかく時間がないんです。荻納さんを逃がさなくちゃいけない」
「逃がすって……どこへ?」
「とにかくどこかへ」
「それで青色が納得するのか? おとなしく引き下がる相手か?」
「それは……そんなことはやってみなくちゃ分からないじゃないですか!」
苛立ちからつい声が荒くなった。
「それとも先生は荻納さんが奴らに連行されていいって言うんですか⁉」
「まぁ落ち着けよ先達。誰もそうは言ってない」
「だったらこうするしかない。僕だって覚悟はしてます。たとえどんな結果になったところで後悔はしませんから」
「……なに?」
康峰は改めて先達の顔を見た。
先達も黙ってその視線を見返す。
康峰の目はなぜか凄く驚いたような、戸惑ったような色に揺れている。
「……先生?」
黙っている康峰に、先達は言った。
「あ、いや」
康峰はようやく呟いて、トイレの外へ目を遣った。
そして何か考えるように少し黙ったあと、再びこっちを見て言った。
「分かった」
「ありがとうございま——」
「そうじゃない。お前の気持ちは分かった、と言ったんだ。けどお前の賭けに乗るわけには行かないな」
「そんな……」
正直、彼は聞いてくれると思っていた。
これまでの付き合いから、どこかで信用していたのかもしれない。
だがいまは嘆いている暇はない。こうなったらやはり自分とふたりで窓から逃げるか。だがそれでどれだけ逃げ切れるか——
思考を巡らせる先達に、康峰が手を翳して制した。
「俺に任せてくれないか。うまく行く保証はないがただ逃げるよりマシだと思う。まぁ、これも結局賭けにはなるが」
「えっ?」
「俺に《考え》がある」
そうして——
先達と衿狭はトイレから出てきた。
正直不安だ。だが康峰が腹案を説明する時間なんてなかった。
一か八か賭けてみるしかない——そんな思いで先達は康峰の《考え》に乗っかることにしたが。
——大丈夫かな、本当に……
トイレを出るなり咳き込んだ老人のような背中を見て、先達は紙風船のように不安が膨れ上がるのを感じた。そろそろ爆発しそうだ。主に先達の心臓が。
「説明なんて必要ありませんわ」
舞鳳鷺がぴしゃりと言い放った。
「貴方も
「そういうことだ。さっさとそこをどけ」
青色が横柄な口調とともに康峰に掴みかかろうとする。
その手が肩に届く前に康峰がぎろりと目を向けた。
「いいのか?」
「あ?」
「権限のことは知ってるよ。俺にそれを止める資格はない。どうしてもと言うなら勝手に連れて行くといい」
「だったら——」
「けど理解に苦しむな。何のためにそんなことをする? わざわざ状況をややこしくするだけだ。尤も何か別の目的でもあるなら別だが……」
「……何をごちゃごちゃ言ってる?」
「分からないか?」
康峰は舞鳳鷺を見据えて言った。
「ここで荻納を拘束すれば
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